第264話「判定の出どころ」
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「ここが、現在把握できているエラー発生地点だ」
ヴァリスの調停局に設けられた会議室は、狭かった。
査問会の議事堂から半刻も歩かない場所にある、石造りの二階建ての建物。カイルが詰めているのはその一室で、机の上には地図と数十枚の報告書が積み重なっていた。
地図には、赤い×印が百箇所近く打ってある。王国の版図を超えた、大陸全域の地図だ。
「連合が把握しているだけで百二十三箇所。実際にはその倍はあると思う。報告が上がってくるのが間に合ってない」
カイルの声に、疲れが滲んでいた。目の下に隈がある。眠れていないのだろう、と思ったが、それを言っても状況は変わらなかった。
「子供の判定消失が多いな」
「年齢が若いほど影響が出やすいらしい。十歳未満は七割が判定不能になってる。百村以上で石柱が暴走中。うち三十五箇所が機能停止した」
俺は地図の×印を一つずつ目で追った。
バラバラに見える。北の山岳地帯にも出ている。南の砂漠近くにも、海沿いの港町にも。第七迷宮のあたりにも赤い点があった。点の密度は不規則で、王都の近くに集中しているわけでも、辺境に多いわけでもない。
でも——
「ランダムじゃない」
「何?」
「×印の出方が、ランダムじゃない。地形や国境には関係なく散らばってる。でも、出てない場所もある。どこかに法則がある気がする」
カイルが顔を上げた。
「……それ、道中で気づいたのか」
「石柱に手を当てたときに、なんとなく」
「なんとなく、で」
「確認してから話せることが増えると思う。まあ、聞いてから判断しよう、だ」
カイルが小さく息を吐いた。呆れているのか、安心したのか、区別がつかなかった。
「連合の技術者が三チーム入ってるが、全員お手上げだ。石柱の構造には異常がない。でも動いてる。どこかから信号が来てるんだと思う、ってのが技術者の見立てだ」
「信号の出どころを探ってる?」
「それが、出どころがない。観測範囲では」
観測範囲では、という言葉が引っかかった。
俺は窓の外に目をやった。ヴァリスの中心部にある広場。三年前、査問会でガレスが証言台に立ったあの場所だ。広場の中央に、連合の象徴石柱がある。いつもなら落ち着いた白い光を放っているはずのそれが、今は不規則にちらついていた。
「あの石柱に、触れていいか」
カイルが少し考えて、頷いた。
広場に出ると、空気が張っていた。
ヴァリスの市民が石柱から距離を置いて眺めている。直接触ろうとする者はいない。何が起きているか分からないものに触れることへの、本能的な警戒だ。
俺は人の輪をくぐり、石柱の前に立った。
高さは三メートルほど。白い石でできていて、表面には判定に使う文字紋様が刻まれている。その紋様が今は不規則に明滅していた。光が走るたびに、まるで石柱が何かを言おうとして言葉を失っているように見えた。
「スキル使うのか」と、後ろでカイルが言った。
「使ってみる」
手を当てた。
石柱は、少しひんやりしていた。それだけ意識していたせいか、その冷たさが妙にはっきりと手のひらに伝わった。
【迷宮管理Lv.7:接触開始——外部構造体との接続を試行中】
スキルが動き出すのが分かった。
感覚としては、スキルが細い糸を伸ばすような感じだ。ゴブから最初に話を聞いた夜、第七迷宮の門に触れたときとよく似た感覚——いや、それより深く潜る感じ。向こうから応じる気配がある、というより、応じようとする前に引き込まれていく。
石柱の内側ではなく、もっと深いところへ。
地面を貫くように、下へ、下へ。
「……なあ、カイル」
「何だ」
「この石柱は、迷宮と繋がってるか?」
沈黙があった。
「繋がってる、っていう記録はないと思うが」
「でも、感じが似てる」
「似てる?」
どう説明したらいいか迷った。迷宮に入ったときの感覚——あの、奥に何かが待っているような重さ。それとこの石柱に触れているときの感覚が、形は違っても性質が似ていた。
「迷宮の核に触れた感じって、分かるか」
カイルがゆっくり頷く。「……フォルか」
「フォルに接触しようとしたときの感じと、少し似てる。意識がある、というより——構造がある。設計がある、という感じ」
【迷宮管理Lv.7:外部接続経路——確認。複数の経路が同一の深部点へ収束】
スキルの表示が変わった。
経路、複数の、同一点へ収束。
「複数の経路が同じ点に向かってる」
「今、何が見えてる」
「見えてる、というより感じてる。石柱からの何かが、一点に集まってる。ここだけじゃなくて、たぶん世界中の石柱から」
「世界中から、一点に」
カイルの声のトーンが変わった。調停者として三年場数を踏んだカイルは、こういうとき余計なことを言わない。ただ聞いて、情報を整理する。あの頃と変わったことの一つだ。
「どこへ集まってる」
「分からない。深いところだと思う。地表よりかなり——深い」
俺は目を閉じて、スキルの感覚だけに集中した。
石柱の振動は、上から来ていない。横からも来ていない。地面の下から来ている。迷宮の深部から上がってくる感じと、同じ方向だ。
「迷宮の底より深いところに、何かあり得るか」
カイルが間を置いた。「……フォルに聞くか」
「ああ。頼む」
カイルが通信符を出す間、俺は石柱から手を離さなかった。
スキルが捉えている経路を辿り続けた。それは地面の下へ降りていく。迷宮の深部を貫いて、さらに下へ。どこへ行き着くのかは分からない。でも確かに、ひとつの点へ向かっている。
そして——向こうから、何かが来ている。
一定のリズムで。
波のように。
いや、もっと機械的な、計測するような間隔で。
「レン、フォルが応じた」
俺は石柱から手を離した。手が、少し震えていた。
「フォル。今、世界中の石柱が狂ってる。迷宮側でも何か起きてるか」
カイルの持つ通信符から、フォルの声が流れてくる。第七迷宮の核として安定してから、フォルの声は少し変わった。以前より低く、落ち着いている。長く在りすぎた知性体の声だ。
「知っている。迷宮の内部でも、同じ現象が起きている。深部の知性体が、落ち着かない様子だ」
「原因は?」
「三百年前の封印狂いに似ている。でも——あのときは外から来る瘴気が原因だった。今回は内側から来ている」
内側。
「内側って、どこから」
「それが、分からない。ただ、深いところから来ている。私たち迷宮知性体の、さらに下から」
俺は地図を思い出した。世界中に打たれた赤い×印。そしてそのすべてが収束する一点。
「迷宮の底より深い場所に、何かある?」
フォルが長い間を置いた。
「……あるかもしれない、と思ったことはある。三百年間、意識したことはなかったが——今になって、意識させられている」
「意識させられている?」
「——意識させられている、ではなくて。何かが動いているせいで、気になる、と言うべきか。眠っていたものが、目を覚ました感じ」
目を覚ました。
「三百年間、眠っていた?」
「眠っていたか、あるいは動いていたが誰も気づかなかったか。でも今は——感じる。確かに、感じる。私たちを最初から取り囲んでいたのに、今まで見えていなかったものが、動き始めた」
俺は再び石柱に視線を向けた。
ちらつく光が、さっきより少し規則的になっている気がした。ランダムではない。何かのリズムがある。
「フォル。それは——何かを数えてるように見えないか」
また、長い沈黙があった。
今度は、フォルが答えるより先に、カイルが小さく呟いた。
「……数えてる」
俺は頷いた。
石柱の光の明滅が、確かに——一定の間隔で起きている。乱れているように見えて、よく見ると規則がある。
それは数を数えるリズムに、似ていた。
「フォル。迷宮の核から見て、そのリズムは何かに対応してるか」
「……対応している。迷宮内の知性体の数、人間の数、魔物の数——種別ごとに何かを計測している。仕分けている、と言った方が正確かもしれない」
仕分け。
「ジョブ判定と同じ概念だ」
「そうだ。私たちを最初に分類したものが——もう一度、数え直している」
広場に風が吹いた。石柱の光が一瞬強くなり、また落ち着いた。
「仮説を言うぞ」
夕方になって調停局の会議室に戻ると、カイルが腕を組んで地図を眺めながら言った。
「世界中の石柱は、どこかの「出どころ」から発せられた信号を受け取って動いてる。その出どころが今、「仕分けをやり直せ」という新しい信号を送り始めた。石柱がバグじゃなくて、新しい命令を受け取って実行しようとしてる。でも——」
「命令の内容が、今の世界に合っていない」
「そうだ。人と魔物が共存してる世界に、古い仕分けの命令が来てる。だから判定不能が増えてる。仕分けの基準が、現実に追いついてない」
俺は地図を見た。カイルが書き加えた数値がある。
【世界判定エラー:3%】
三日前から倍になった数字だ。まだ全体の三パーセントだが、増え続けている。
「出どころ、探せるか。お前のスキルで」
「位置特定不能って出た。でも方向は分かった。迷宮の下だ」
「全迷宮が同じ下に繋がってるとしたら」
「第七迷宮から降りれば、近づけるかもしれない」
カイルが腕を組み直した。
「ゴブに会ってから行くつもりか」
「どうせ行くなら、そっちの方が話が早い。フォルにも直接会える」
「……一人で行く気か」
「一人の方が速い」
「一人の方が危ない」
「戦いじゃないから大丈夫だ」
カイルが俺を見た。三年前より、その視線に重みがある。査問会を共に乗り越えた分だけ、この男の目には経験が積まれている。
「お前がそれを言うたびに、大変なことになってるのを知ってるか」
「知ってる」
「知ってて言うのか」
「まあ——聞いてから判断しよう、だ」
カイルが天井を仰いだ。ため息が長かった。
夜が来た。
割り当てられた部屋の床板に背を預けて、俺は目を閉じていた。
眠れなかった。
スキルで感じ取ったあの振動が、まだ頭の底に残っている。石柱の奥から伝わってきた、一定のリズム。数えるような、仕分けるような、あの感覚。
感情のない、しかし確かに意志を持った何かが——世界中の石柱を通して、ずっと、何かを数え続けていた。
人間の数を。魔物の数を。種別を。ランクを。
三百年前も、千年前も、もっと前も——きっとそれは、数え続けていた。
ジョブ判定を作ったのは誰か、と俺は考えたことがなかった。
石柱はただそこにあるものだと思っていた。あの日「門番・ランク外」と判定されたとき——俺は判定を下した何かの存在を、一度も考えなかった。石柱に命令を送っているものがいる、とは思わなかった。
仕分けを行う何かが、どこかにいる。
千年、あるいはそれ以上——ただ、数え続けてきた何かが。
暗闇の中で、俺は目を開けた。
天井が見えた。石造りの、素気ない天井だ。
「あんた、俺の話を聞いてくれるか」
声に出したつもりはなかった。でも呟いていた。
返事はない。
スキルの感覚の奥でも、向こうから応じる気配はなかった。ただ——あの振動が、まだ続いていた。静かに、淡々と、一定のリズムで。
世界を数えながら。
俺の視界の底で、何かが静かに——数えていた。
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