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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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255/282

第255話「議題の書き換え」

「……議長」


クロダン共和国の代表が、低い声を出した。


議場が静まり返っていた。オルディーン議長があの言葉を口にしてから、まだ一分も経っていないかもしれない。それでも沈黙は長く感じた。


「議長権限において、議題を変更する」


オルディーンが台上に立ったまま、静かに言った。「今日からこの場は、処分の是非を問う査問会ではない。人と魔物が共に在るための条件を、設計する会議だ」


クロダン代表が立ち上がった。大柄な男で、その体が動くだけで議場の空気が変わる。


「そのような権限は、議事規則の何条に基づいていますか。査問会は全加盟国の合意によって召集されたものであり、議長の一存で議題を変更することは——」


「ある」


一言だった。


クロダン代表は口を開いたまま、閉じた。


俺の隣でカイルがごく小さな声で言った。「本当にあるのか、あの権限」


「あるんだろ。なければ誰かが止めてた」


「……なるほど」


カイルが黙った。


セルウィンが手元の書類を見ていた。査問官として長い間「裁く側」に立ち続けてきた人間が、これからどちらに立てばいいか分からなくなった顔をしていた。申し訳ないとは思う。でも、どうにもしてやれない。


やがて議場にじわじわとしたざわめきが広がり始めた。処分の確定を待っていた人間たちが、突然「設計の会議」を告げられた戸惑いだった。



 



最初に手を挙げたのが誰だったか、俺はしばらく確認できなかった。


見回すと、小さな島国——リンの代表だった。


「聞いてもいいですか」


セルウィンが反射的に「どうぞ」と答えた。体が覚えていた。査問の進行係として座り直していた。本人はまだ気づいていないかもしれない。


リン代表が立ち上がる。背が低くて、議場の大柄な代表たちの中では埋もれそうな人間だった。でも声は通った。


「魔物の側に、漁の協定は結べますか。海に近い区域について、以前から問題があって」


ざわめきが変わった。処分の是非ではなく、具体的な要求が飛び出たことへの戸惑いだった。


俺は何も言わなかった。


ゴブならこの質問に答えられる。「来た者」に取り次ぐことも、カイルのスキルを通じて試みることができる。でも今は俺が出る場面じゃない。


オルディーンが答えた。


「魔物の代表者との窓口は、調停者を通じて設ける。要望は記録する」


要望の記録。


査問会が、設計の場に変わった瞬間だった。


クロダン代表が再び立った。「これは処分の先延ばしです。議題変更を口実に手続きを骨抜きにするつもりなら——」


「記録してください」とリン代表が静かに言った。「クロダンの懸念も含めて」


クロダン代表が口をつぐんだ。


自分の言葉が「懸念として記録される側」になったことに、まだ慣れていない顔だった。



 



その日の帰り道、カイルが並んで歩きながら通信石を確認した。数字が浮かんだ。


【査問集計:賛成票——集計停止/議題変更】


「処分を求めても、もう記録されない。賛成票を積み上げても、意味がなくなった」


「ガレスに伝えておいてくれ」


「もう伝えた」カイルが言った。「……目が赤かった」


それはつまり、泣いたということだ。でも俺はそれを言わなかった。


宿の部屋に戻って、俺は窓から議事堂の方角を見た。夜になってもまだ灯りがついていた。誰かが残って、今日の要望を記録しているのだろう。


リンの漁業協定の話が最初だった。


人類連合の会議で、魔物の側との漁業協定が最初に議題に乗ったということは、後世に笑い話として伝わるかもしれない。あるいは真剣に語り継がれるか。どちらでもいいと思った。大事なのは、誰かが最初に手を挙げたということだ。



 



翌日から、会議の空気が少しずつ変わり始めた。


二日目は、まだ多くの代表が黙っていた。議場に来はしたが、口を開かなかった。処分を求めていた側にとっては「負けを認めた」感覚が抜けていないのかもしれない。クロダン代表は今日も来て、今日も一言も発しなかった。


三日目に、ドラズの代表が動いた。


軍需国家ドラズ。「平和が国を滅ぼす」と言い切った国だ。剣を鋤に打ち直せないかと俺が提案して、「考えさせてくれ」と答えたあの代表が、朝一番に手を挙げた。


「魔物の素材を使った武具の規格化について、提案があります」


カイルが俺を見た。俺も同じ顔をしていたと思う。予想していなかった。


ドラズ代表は続けた。「魔物側から安定的に素材を得られるなら、我が国の鍛冶技術と組み合わせて新しい産業になる。武器でなく農具でも、建材でも。鍛冶師は仕事が続けられる」


誰も喋らなかった。


やがてリン代表が言った。「……その鍛冶師を、うちの島に呼ぶことはできますか」


「検討する価値はある」とドラズ代表が答えた。


五日前まで互いの処分を求め合っていた人間たちが、今は産業の話をしていた。


俺はその光景を見ながら、何も言わなかった。言わなくていいと分かっていた。


これが、本番だ——その時初めて思った。



 



四日目。


山岳国カレドの代表が、珍しく手を挙げた。寡黙を美徳とする国の人間が、場の流れを確かめるように一瞬間を置いてから立ち上がった。


「魔物の側に、山の道を通らせているものがいるか」


俺はカイルに目配せした。カイルが通信石を通じて確認を試みる。少し待って、返答が来た。


「第七迷宮の周辺に、山を越えない方法を選ぶ種族が何組かいるそうです。詳しくは、調停者の窓口を通じてほしいと」


カレド代表がうなずいた。「ならば、その窓口を開けておいてほしい」


「開けています」と俺は初めてその日の言葉を出した。「閉めたことがないので」


カレド代表が一瞬だけ目を細めた。笑いかけたのかもしれない。すぐに元の無表情に戻ったが。


議場の奥でセルウィンが、進行表に何かを書き込んでいた。査問の審問記録ではなく、要望の整理表だ。いつの間にか、そちらに移っていた。


途中で俺と視線が合った。セルウィンが一瞬だけ固まって、また書き込みに戻った。


何か言いたそうだったが、今はその時間じゃないのかもしれない。急かすつもりもなかった。



 



六日目の朝、廊下でセルウィンに会った。


向こうから声をかけてきた。「少し、いいですか」


珍しいことだった。セルウィンがこちらから声をかけてくるのは。


「聞きます」と俺は答えた。


セルウィンが少し考えてから、短く言った。「私は……議題が変わった日に、「どうぞ」と言いました。あれは、反射的なものでしたが」


「はい」


「……良かったのかどうか、今でも分かりません」


俺は少しだけ考えた。


「分からないままでいいと思います」と俺は言った。「「どうぞ」と言えた。それだけで十分です」


セルウィンが何も言わなかった。少しの間黙っていて、それからうなずいて、また歩いていった。


背中を見送りながら、俺は何かを感じた。この人も、ずっと「裁く側」で立っていた。裁かれる側に立ったことがない。それは強さではなくて、たぶん一種の孤独だったと思う。


「どうぞ」と言えた、そのことが、一歩なのかもしれない。



 



五日目の夜、ガレスが宿に来た。


「あの強硬派の連中は、どこへ行った」


「まだいる」と俺は言った。「クロダンの代表は今日も来てた」


「しゃべったか」


「しゃべらなかった」


ガレスが腕を組んだ。「それが怖い。黙ってるのは、何かを待ってるということだ」


俺も同じことを考えていた。


票が止まった。集計が無効化された。でも各国の「処分を求める気持ち」が消えたわけではない。会議の形が変わっても、その根は残っている。怒りは、出どころを変えるだけで消えない。


「警戒はしておこう」と俺は言った。「でも今は、出てきてから聞く」


ガレスが低く笑った。「まあ——聞いてから判断するというやつだな」


俺は少し驚いた。ガレスがその言い回しを使うようになったのは、いつ頃からだったか。気づかないうちに馴染んでいた。


「そういうことです」と俺は言った。


「お前のせいだ」ガレスが言った。「あんな言い回し、軍の中で使える気がしなかったんだが——昨日、若い部下に言ったら「それ、調停者の言葉ですね」と言われた」


「認知されてる」


「誰のかが問題だ」とガレスは言ったが、怒っている声ではなかった。


少しの間、部屋に静けさが戻った。


「……疲れたか」とガレスが聞いた。


「少し」と俺は答えた。「でもあと七日だ」


「七日で終わるか」


「終わらせる」


ガレスが「お前がそう言うなら」とだけ言って、立ち上がった。



 



七日目の朝、カイルが通信石を持ってきた。「ゴブから」


受け取ると、低い声が聞こえた。距離があって少しざらついている。


「——聞いてるか、レン」


「聞いてる」


「会議になったと聞いた」


「なった」


しばらく間があって、ゴブが続けた。「昨日、来た者から話があった。設計の場に、俺たちも何か出せることがあるかと」


「出せることはあるか」


「あると思う。ただ、俺が一人で決める話じゃない。カイル様と確認してからにする」


「それでいい」


「レン」


「何だ」


ゴブが少し間を置いた。


「……もう少しで、終わる気がするか」


正直に答えた。


「わからない。でも、何かが始まった気はする」


ゴブがしばらく黙っていた。


「それなら」ゴブが言った。「——まあ、聞いてから判断する。俺も」


通信が切れた。


俺は通信石をカイルに返しながら、少しの間そのまま立っていた。ゴブがその言葉を使うとき、いつも少しだけ不意を突かれる。あの夜、扉の前で震えていた小さなゴブリンが、今は第七迷宮の正式な門番で、俺に向けて「まあ」と言う。


嬉しいのか、寂しいのか、よく分からない。たぶん、両方だ。


「何か言ったか」とカイルが聞いた。


「いい話をした」とだけ俺は答えた。


カイルが少し黙ってから上着を取った。


「今日の議題は」


「設計の続き。ドラズが昨日の話を詰めてくると言ってた。カレドも来るはずだ」


カイルが手元の通信石を確認して、静かに数字を出した。


【共存協定 自動失効まで:あと7日】


俺は上着を手に取った。


「ここからが、本番です」

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