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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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252/273

第252話「届かなくても」

廊下の突き当たりで、ガレスが腕を組んで待っていた。


俺が扉を開ける前から、その顔つきでわかった。昨夜も何かあったのだ。


「入る前に一つだけ聞いてくれ」


ガレスは俺の肩を掴んで、声をひそめた。壁の向こうに誰かいるか確かめるように、廊下の両端をちらと見てから続ける。


「強硬派が動いた。昨夜のうちに」


「オルディーン議長に?」


「ああ」


一言だけ答えて、ガレスは視線を床に落とした。何年も戦場で生きてきた男の、珍しい沈黙だった。表情が固い。顔に刻まれた皺が、いつもより深く見えた。


「何を言ったんですか」


「失効まで十四日だ。それまでに結審を決めろ、と」


窓の外から朝の光が差し込んでいた。石畳の広場に、まだほとんど人がいない。議事堂の前に並ぶ幟が、朝風に揺れている。俺は部屋の中に入って、窓の方に向かった。外の空気は冷えていた。石造りの建物に囲まれたこの城市では、夜の冷気が昼前まで残る。


「議長は何と」


「何も言わなかったそうだ」


そうか、と俺は思った。


答えなかったのではなく、答えられなかったのだろう。


オルディーンという人間を少しずつ知るにつれて、彼の沈黙の重さが変わってきた。議長席に座って言葉を発さないのは、冷酷だからではない。十五年前に何かを飲み込んで、それきり飲み込み続けている人間の沈黙だ。人類を代表して恐怖を背負い、その椅子に自分を縛り付けている男の沈黙だ。


「わかりました」


「どうするつもりだ」


ガレスの問いに、俺はすぐに答えなかった。


窓の外の幟が揺れている。風が出てきた。


まあ、聞いてから判断しよう。


今日の動き方を決めるのは、もう少し情報を集めてからでいい。


「とりあえず」と俺は言った。「カイルの集計を待ちます」


「それだけか」


「それだけじゃないですが——今から決めてもしょうがない」


ガレスが俺をしばらく見てから、鼻で短く息をついた。呆れているのか、納得しているのか、どちらともつかない音だった。


「……お前はいつもそうだな」


「そうですか」


「判断を急がない。それが俺には、未だによくわからない」


「急いで決めたことが、ろくな結果にならなかったことが多いので」


俺は椅子を引いて座った。机の上には昨夜から置きっぱなしの通信石がある。カイルからの連絡はまだない。


「昨夜——議長の部屋に、強硬派がどのくらい来ていたんですか」


「三人。別々の大国の代表格だ」


「どのくらいの時間」


「二時間近く」


二時間。


俺はそれを聞いて、少しの間目を閉じた。


二時間、三人から圧力をかけられた人間の、翌朝の状態を想像した。疲れているだろう。眠れていないかもしれない。それでも今日も議長席に座らなければならない。明日も、十四日が終わるまで。



 



カイルから集計が届いたのは、昼前だった。


【査問集計:賛成64/反対49/保留14】

【共存協定 自動失効まで:あと14日】


数字を見て、俺は少しの間、何も考えなかった。


十四日。二週間。


シャーダ代表が動いた翌朝に押し戻された日から、四日が過ぎた。票はひとつも動いていない。動けば押し戻される。動けば押し戻される。その繰り返しを全代表が知ってしまった今、次に最初に動く国はない。どの代表も、動いた瞬間に本国からの圧力が届くことを知っている。知っているから、動けない。


「綱引きは続いてる」


カイルの声が通信石から届いた。かすかに疲れが滲んでいた。ここ数日、彼もよく眠れていないのかもしれない。調停者としての仕事とこの査問の補佐を同時にこなしていれば、体も頭も限界に近い。


「連合の監視担当が交替制で全代表の動きを見張ってる。夜中でも誰かが起きてる。動けば即座に本国へ連絡が行く」


「それはわかってます」


「わかってて、どうするつもりだ」


カイルも同じことを聞く。


俺は通信石を左手で持ち替えて、右手の指先を机の縁に当てた。木の表面が、ざらりと指に触れた。


「強硬派は昨夜、オルディーンに結審を迫ったそうです」


「知ってる。俺にも情報が来てた」


「議長はどんな様子でしたか」


「……見てない」とカイルが言う。「でも、廊下を歩く音が聞こえたらしい。部屋に戻った後、夜中ずっと灯りがついてたとガレスが言ってた」


眠れなかったのか。


それとも、眠るつもりがなかったのか。


「カイル」


「何だ」


「オルディーンに今日、直接会えると思いますか」


しばらく間があった。


「難しい」


答えは短かった。でも短い答えの中に、カイルが何日もかけて集めた情報が詰まっていた。


「強硬派は昨夜から今朝にかけて、議長の周囲を固めてる。随員も差し替えられた。外部との接触は全部把握されてると思え」


「それは——」


「俺に会いに来るのも、だ」


俺は黙った。


カイルが続ける。


「お前が議長室に向かったとして、そこで何かが起きれば逆に使われる。『脅威が議長に直接圧力をかけた』、それだけで押せる材料になる」


「……そうですね」


「だからって何もしないのか」


「何もしない、ではないです」


俺は机の上の紙を一枚取った。昨日から引き出しに入れっぱなしだった、白紙の一枚。


「ちょっと考えてます」


「何を」


「まあ」と俺は言った。「聞いてから判断したいことがあって」


カイルが短く笑う音がした。


「お前は本当に、どんな状況でもそれを言うな」


「癖なので」


「……わかった。今夜の集計はまた送る」


通信が切れた後、俺はしばらく机の上の白紙を見ていた。



 



試しに議長室の前まで行ってみた。


ガレスが「まずいかもしれない」と言いながらもついてきた。廊下の角まで来て、二人で壁の陰から様子を見る。


随員が三人立っていた。いつもの顔ではない。


昨日まで議長室の前にいたのは、物静かな初老の男だった。長くオルディーンに仕えている、俺たちの存在にも慣れた顔。今日の三人は若く、背が高く、目が鋭い。手を後ろで組んで、廊下を見据えている。


「差し替えてある」とガレスが低い声で言った。「連合直属の、動かない連中だ」


「そうですか」


「行くか?」


俺は少しの間考えた。


カイルの言った通りだ。今ここで強引に動けばそれ自体が材料になる。それに——あの三人の前に立って何かを話したとして、それがオルディーンに届くとは思えなかった。直接届けたいものがある。回り道をしたくなかった。


「今日は、やめておきます」


「……そうだな」


ガレスが壁にもたれかかった。大きな体が、疲れているように見えた。


俺たちは廊下を戻り始めた。足音が石の床に響く。外は曇り始めていた。


「俺も、もう何ができるかわからなくなってきた」


ガレスが歩きながら言った。珍しい言葉だった。


ガレスは基本的に、行動する人間だ。悩む前に動く。動いてから考える。そういう生き方で戦場を生きてきた男が、「何ができるかわからない」と言っている。


「ガレスさん」


「何だ」


「あなたはもう十分やってる」


ガレスが俺を見た。


「俺を慰めてるのか」


「慰めてません。事実を言ってます」


あの日、討伐隊として来た男が、今は連合に背いて俺の側にいる。年金も職位も失った。それでも「後悔はしていない」と言った。証言台に立った。ロウンと話した。名簿の前に立った。


「あなたが証言したことは消えません。名簿の前に立った日も、あの場にいた全員が見ていた。票に直結しなくても、見ていた人間は覚えてる」


「見てたって、票は動かないだろ」


「今はそうかもしれない」


俺は来た廊下を振り返った。議長室の前の三人の背中が、遠くに見えた。


「でも、何かが積み重なってる気はします」


ガレスが息をついた。


「証拠があるのか」


「ありません」


「じゃあ、信じてるだけか」


「そうです」


ガレスが、かすかに笑ったように見えた。口角がほんのわずかに上がった、気のせいかもしれないくらいの動きだった。


「お前は——変な奴だな」


「よく言われます」



 



宿に戻ったのは、日が暮れてからだった。


夕食を終えて、ガレスが先に部屋へ戻った。カイルからの集計は夜にまた届く予定だった。俺は机の前に座って、昼間に取り出した白紙をもう一度広げた。


一度、同じことをやったことがある。


レイラに手紙を書いたとき。二十日間、送り続けたとき。


あの頃、俺は何を書いたのか。


最初は説明しようとした。共存の意義を。平和の価値を。数字を並べて、実績を示して、それで何かが変わると思っていた。変わらなかった。


次に、技巧を捨てると決めた。上手く話すのをやめると決めた。ただ事実だけを書いた。「あなたの話を聞きたいだけなので」、そう書いた。


レイラが応じたのは二十日後だった。


「あなたの言葉は上手い。上手いから、信用できません」


そう返ってきた。それでも書き続けた。書くことをやめなかった。それが最終的に届いた。


今度は、オルディーンだ。


直接会えない。強硬派が周囲を固めている間は、廊下を通るだけでも使われる材料になる。でも、手紙は書ける。書いて、届けようとすることはできる。


読まれるかどうかはわからない。随員に止められるかもしれない。処分の材料として保管されるだけかもしれない。それでも書かないよりは、書くほうがいい。


俺は筆を取った。


何を書くべきか、しばらく考えた。


議長に何かを証明しようとは思わない。共存の正しさを説こうとも思わない。それはもう、議場で散々やってきた。数字も並べた。実例も示した。名簿も置いた。それでも動かないなら、論の問題ではない。


ただ——聞きたい。


オルディーンが十五年前の北方溢出の後、末席に座ったまま何も言えなかったこと。妻を失ったこと。その後、自罰として議長の椅子に座り続けてきたこと。全部、ガレスから聞いた。でも、ガレスから聞いた話は、ガレスのフィルターを通っている。


俺はオルディーン自身の言葉で聞きたかった。


あの日、何を考えていたのか。十五年間、何を背負ってきたのか。今夜、何が怖いのか。強硬派に二時間迫られて、一晩こもって、灯りをつけたまま夜を過ごした人間の内側を、俺はまだ何も知らない。


知りたいから、書く。


俺は書き始めた。書いては止まり、止まっては書いた。思ったより時間がかかった。うまくまとめようとするたびに手が止まる。一文書くたびに、これは本当に俺の言葉かと問い直す。説明しようとしている自分に気づいては、また白紙に戻る。


ろうそくが揺れた。風もないのに、炎がかすかに揺れた。石壁が夜の冷えを伝えてくる。指先が少し、かじかんでいた。


最終的に残ったのは、短い文だった。


『オルディーン議長へ。


あなたが昨夜どんな夜を過ごしたか、わかりません。でも、想像しています。


俺はあなたに、話を聞かせてほしいのです。処分の話でも、共存の話でもなく、あなた自身の話を。


うまく聞けるかどうかは、わかりません。俺にできるのは、ただ聞くことだけです。


レン・アシダ』


読み返して、それでいいと思った。


少なくとも、これが今の俺に書けるすべてだった。


翌朝、ガレスに頼んで議長室に届ける手段を探してもらうことにした。随員を通さなくてもいい方法が、何かあるかもしれない。なければ、随員に渡せばいい。止められたとしても、それはそれで構わない。書いたという事実は、変わらない。


カイルからの通信が届いたのは、夜半を過ぎた頃だった。


集計の数字は変わっていなかった。賛成は依然として六十四のままで、失効まで十四日。


「今日、何かあったか」とカイルが聞いた。


俺は机の上の封筒を見た。ろうで封じた、小さな白い封筒。


「手紙を書きました」


「……誰に」


「議長に」


しばらく沈黙があった。


「届くと思うか」


「わかりません」


「読まれると思うか」


「わかりません」


カイルがまた黙った。今度は少し長い沈黙だった。何かを考えているのか、何かを思い出しているのか。


「じゃあ」と彼は言った。「なんで書いたんだ」


俺は封筒を指先でそっと押さえた。紙の厚さが指に伝わった。薄い。中に入っているのは、一枚だけだ。


「届かなくても、書きます。あなたに」


自分でそう言ってから、そういうことだな、と思った。


「……わかった」


カイルの声は短かった。でも俺には、彼が何かを飲み込んだのが聞こえた。


「明日の集計も送る。気を付けろ」


「はい」


通信が切れた。


窓の外は暗かった。城市の石造りの建物が、月明かりの中に黒く浮かんでいた。どこかで犬が一声鳴いて、また静かになった。


俺は封筒を机の引き出しに入れて、灯りを消した。


明日、届けようとしてみる。


【共存協定 自動失効まで:あと14日】

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


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