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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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231/288

第231話「対面」

「また増えましたか」とカイルが言った。


廊下の隅で、俺は石壁に背をつけていた。議事堂の外廊下には朝の冷気が残っていて、つま先がじんわりとかじかんでいた。中の議場と違い、廊下は暖気が行き渡らない。靴底から石の冷たさが伝わってくる感じがした。


「遺族の人数が昨日より増えています。外の広場に四十人以上」


「そうか」


「……声をかけに行きますか」


俺は少し考えた。


「今日は行かない」


昨日も行って、追い返された。それは仕方なかった。向こうから見れば、毎日押しかけてくる俺の姿は、聞きに来ているのでなく、認めさせに来ているように映る。それは間違ったことだと、昨夜ようやく分かった。


「分かりました」とカイルが言った。声に何かがこもった。「辛くないですか」


「辛い」と俺は正直に言った。「でも、それは俺の話だ」


レイラ・ヴェイツの世論工作が露見してから、三日が経っていた。


カイルが連合内の資金の流れを追って、処分扇動の源にレイラの名前が行き着いた。それが表に出るまでの間に、俺は彼女の処分委員会に乗り込んで直言した。「一人ずつ切り捨てる構造は終わらない」と言った。入館証を停止されて孤立しかけていた彼女を、庇う側に立った。


でも、何かが解決したわけではなかった。


レイラは自宅待機命令を受けた。工作の記録は連合の内部で封鎖されかけた。俺が庇う立場をとったことで、今度は「被害者を利用する調停者」という見方が一部で広まり始めた。言葉はひっくり返せる。俺はずっとそれを使う側だったが、逆に使われることも同じくらいある。


それでも、重かった。


「票は」


「賛成六十三のまま。三日間、動いていません」


カイルが通信石を握りながら言った。目の下に隈がある。昨夜もほとんど眠れなかっただろう。


【査問集計:賛成63/反対28/保留36】


ガレスが廊下の反対側の壁に腕を組んで寄りかかっていた。隊長職を失って三週間が経つ。連合に背いた代償を、彼は一言も言わずに払い続けていた。その背中が、なぜか直視しづらかった。


「失効まで四十一日だ」とガレスが低い声で言った。「あと一票崩せば過半数割れになる。しかし」


「どの国も動かない」とカイルが続けた。「みんな様子を見ている。レイラの件が出てから、どこも次の手が出せない空気になっている」


「そうなると思った」と俺は言った。


「読めていたんですか」


「読めていた、というより——大きな動きの後は、必ず静止する期間がある。感情が収まり場所を探している時間だ」


俺は石畳の上でつま先を動かした。かじかみを確かめるように。


「静止しているということは、まだ動く余地があるということでもある。もう少し、待てる」


ガレスが壁から背中を離して、廊下の窓に近づいた。


「広場を見てきた」と彼は言った。「昨日の遺族たちは旗を持っていた。怒りのしるしみたいなやつを。今日はなかった」


「なぜだと思いますか」とカイルが聞いた。


ガレスは少し考えてから言った。


「分からん。ただ、空気が違った。静かすぎるというのとも違う。……何かを待っている、という感じだった」


俺は窓の方は見なかった。


ただ、頭の中で、その言葉だけが残った。



 



朝の議事堂には、三日前とは違う種類の緊張が漂っていた。


三日前は怒りがあった。工作が露見したことへの怒り、連合機構への不信、レイラへの非難。感情が騒がしく動いていた。


今は違う。


静かだった。ただ静かで——そのせいで、どこへ向かえばいいか分からない迷いのように感じられた。怒りは消えたのではなく、収まり場所を失ったのかもしれない。動けない人間が沈黙するとき、その沈黙は怒りより重いことがある。


昨夜、俺は手紙を読み返していた。


レイラからの最後の返信は六行だった。「あなたの言葉は上手い。上手いから、信用できません」——そこから続く文字は、怒りではなかった。乾いた感触がある言葉だった。水分を全部絞り出した後の布みたいな、そういう乾き方だった。


俺はその返信を受け取って、技巧を手放すことにした。不格好でも、削らない言葉で書く。毎日書く。届かなくても、書く。


でも、届いたのかどうか、まだ分からなかった。


分からないまま、三日が過ぎていた。


これまでの交渉は、ほぼ全部、先が見えていた。相手が何を恐れているか、どこに落としどころがあるか——聞きながら、輪郭が見えてくる感覚があった。ゴブのときも、セルディンのときも、ドラズのときも、そうだった。


レイラは違った。


七年間、誰にも聞いてもらえなかった人間の輪郭は、俺にはまだ見えなかった。



 



査問会が始まったのは昼を少し過ぎた頃だった。


今日の議題は実務的な話が並んでいた。共存協定の条文解釈、魔物との交易に関する税率の試算、各国の境界線上に生じている管轄の曖昧さへの対処。


感情で荒れた議場を、セルウィンが意図的に冷ます算段だろうと俺は思った。実務の話は熱を下げる。正確かどうかで争う領域に引き込めば、怒りは入れない。それはそれで、手堅いやり方だった。


俺は証人席に座ったまま、議場全体を見渡した。


百二十七カ国の代表が並ぶ席は、今日は半数ほど埋まっていた。本格的な採決のない日だからだろう。傍聴席の方が人が多かった。三千人は超えている。毎日来ている顔も、今日初めて来たらしい顔も混じっていた。どの顔も、何かを待っているような目をしていた。


「アシダ殿」


セルウィンが俺に視線を向けた。


「今日の議題は条文の確認です。余計な発言は控えていただけますか」


「余計かどうかは、まあ、聞いてから判断しようと思っています」


「あなたはいつもそう言う」とセルウィンが言った。疲れたような声だった。


「毎回同じ答えが出るので」


議場のどこかから、かすかな笑いが漏れた。硬い空気の中に走った薄い亀裂みたいな笑いだった。


そのまま条文の議論が続いた。詳細な数字、各国の意見の調整、セルウィンが丁寧に進める手続き。傍聴席はほとんど声を出さない。議場も、静かに進んでいた。


途中、フェン代表が「レイラ室長の件について、査問会としての正式な立場は」と聞いた。セルウィンは「別途の委員会で対応中です」と短く答えて、議題を先に進めた。フェン代表は何かを言いかけて、止めた。


それだけだった。


でも、その「止めた」という動きが、傍聴席に小さな波紋を作った。


俺も条文の議論を聞きながら、別の何かを待っていた。何を待っているのか、自分でも分からなかった。ただ、この三日間ずっと、何かが動くのを待っている感覚があった。硬直した空気は必ず動く。問題はいつか、どこへか、だ。


議事が中盤に差し掛かった頃だった。


西の扉が、静かに開いた。



 



最初に気づいたのは傍聴席だった。


ざわめきが、扉の方から波のように広がってきた。振り返ると、廊下に繋がる扉の前に一人の女が立っていた。


心の中で何かが止まった。


レイラ・ヴェイツだった。


三十代後半。灰色がかった茶色の髪を後ろで束ね、連合官吏の質素な制服を着ていた。手には何も持っていない。剣も、書類も、ない。


衛士が動きかけたが、セルウィンが片手を上げてそれを制した。なぜそうしたのかは分からなかった。止める言葉が出なかっただけかもしれない。


レイラは止まらなかった。


議場の中央まで、まっすぐに歩いてきた。傍聴席のざわめきが一度大きくなって、それからまた静かになった。代表たちが身じろぎした。誰一人、声は出さなかった。


中央で足を止めた。


三千余りの傍聴者の目が、一斉に彼女に向いた。


「来た」と彼女は言った。


声の向きは俺だった。


「手紙を読んだ。消しかけみたいな字が書いてあった」


俺は証人席から立ち上がった。椅子が少し引っかかる音がした。


「……来てくれてよかった」


「別に、あなたのために来たんじゃない」


レイラが俺を見て、はっきりと言った。感情を押し殺しているのでなく、本当に静かだった。ただその落ち着きの下に、消えていない何かがあることを、目の色が示していた。


火が完全に鎮まっていないのに、灰の下に押さえ込まれているような、そういう静けさだった。


「工作の件が出て、私の立場が崩れた。あなたが庇う側に立ってくれた。それは分かっている」


「でも」と彼女は続けた。


「信用はしていない」


「信用されなくていいです」と俺は言った。「俺はあなたに来てもらうために言葉を選んでいたわけじゃない」


「じゃあ何のために書いたの」


「聞きたかったから」


レイラが一拍、何も言わなかった。


「……それだけ?」


「それだけです」


傍聴席がさらに静まった。三千人が、この会話の行方を待っている。その沈黙が、空気の中に厚みを持ちはじめていた。


俺はレイラに近づいた。


三歩ほどの距離まで来たところで、止まった。


近くで見ると、目の周りがわずかに腫れていた。昨夜も眠れなかっただろうと思った。それとも、この三日間ずっと眠れていないのかもしれない。


「聞かせてほしい」と俺は言った。「ここで話してくれなくていい。どこかで、二人で話してもいい」


「ここでいい」


彼女は議場を一度だけ見渡した。三千の視線を、正面から受け止めた。


「みんなが見ているなら都合がいい。証人がいる方が、私の話はちゃんと残る。消されない」


そう言ってから、また俺の目を見た。


「あなたが本当に私の痛みを聞けるのか、手紙だけでは確かめられなかった。言葉は、上手く作ることができる。でも、目の前で人が話すのを聞けるかどうかは、上手く作れない」


「だから来た」


声がわずかに変わった。低くなったのではなく、硬さが混じった。七年間、言葉を磨き続けてきた人間だけが持つ声の質だった。怒りではなく、試す声だった。


「直接見に来た」


レイラは俺の目を見たまま、最後の一文を言った。


「さあ、聞いてごらんなさい」


一呼吸の間があった。


「聞けるものなら」

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