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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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230/281

第230話「露見」

窓の外がまだ薄暗いうちから、俺は机に向かっていた。


夜明けまであと少し。蝋燭が一本だけ灯っている。指先が冷たい。


紙の上には三行。


「俺には答えが出ていません。あなたの痛みを聞いた。でも、それで何かが変わるとは言えない。だから、明日も書きます」


消さずに置いた。不格好だ。整っていない。でも、これが今の俺の言葉だった。


二十二日書き続けた。最初の二十一日は、読み返すたびに上手く聞こえて全部消した。昨日の夜、上手さを捨てると決めた。


それで三行になった。


封をしようとしたとき、扉が開いた。ノックはなかった。


カイルだった。夜通し起きていたような顔をしている。手に紙束を持っていた。


「レン」


声だけで分かる。いい知らせじゃない。


「何があった」


カイルは部屋に入るなり、紙束をテーブルに置いた。叩きつけるには力が足りなかった。疲れているのだ。


「リークされた。連合内部からだ。レイラの工作の全容——『和解影響評価室』が資金を動かした経路、査問前から始まっていた情報操作のシナリオ、遺族団体への接触記録。全部、外に流れた」


俺は紙を手に取った。


カイルが夜のうちにまとめたものだ。走り書きで、箇条書きで、端に時刻の記録まである。


「誰が流した」


「連合内の反オルディーン派だと思う。賛成票が削れてきたことで焦った連中が、レイラを一人の失脚に仕立てて査問の流れを仕切り直そうとしている」


「つまり、レイラを生贄にする」


「そうだ」


カイルが別の紙を広げた。手書きの数字が並んでいる。


【査問集計:賛成63/反対26/保留38】


昨日より五票、保留が増えていた。だから——急いだのだ。連合の誰かが。


「レイラは知っているか」


「今朝、議事堂への入館証が停止された。それで察しているはずだ」


「処分委員会は」


「八刻から。査問の一時間前だ」


俺は封筒を手に取った。書いたばかりの手紙が入っている。


届けるつもりで書いた。届かなくても書くと言っていた。でも今日は——届けられるかもしれない。別の形で。


「カイル」


「……何だ」


「処分委員会の場所を調べてほしい」


カイルが俺の顔を見た。判断するような目だった。


「止めに行くのか」


「庇いに行く」


カイルはしばらく黙っていた。


「お前が連合の内部処分に口を挟んだとなれば、査問での立場が——」


「分かってる」


「分かった上で、か」


「まあ、聞いてから判断しよう」


カイルが短く息を吐いた。


「……場所を調べる。少し待て」



 



議事堂の前の広場には、朝から人だかりができていた。


リークされた内容は夜のうちに市中に広まっていた。傍聴に来ていた市民たちが、誰かの書き写した文書を回し読みしている。声は大きくない。でも空気が違う。


「連合が情報を操作していたのか」

「じゃあ査問はどこまで公正だったんだ」

「最初から結果が決まっていたのか」


疑念が音を立てずに広がっている。


人混みの端をすり抜けながら、俺はそれを聞いていた。


ガレスが議事堂の入口で待っていた。


「来ると思った」と彼は言った。


「レイラの処分委員会、今から行く。案内してくれるか」


「……お前が行ってどうなる」


「分からない。でも言わずにいたら損だ」


ガレスが少し考えてから、歩き出した。


西棟の廊下を進む。冷えた石の床。外套の合わせを直した。昨晩から何も食べていなかった。腹が静かにうずいていた。


扉の前に衛士が二人立っていた。


「部外者は——」


「レン・アシダです。査問中の被処分候補です。中の方と俺の件は無関係じゃない。それを伝えに来ました」


衛士が止まった。顔を見合わせた。


俺は動かなかった。ただ立っていた。


片方が中へ知らせに行った。五分待った。廊下は静かで、ひんやりしていた。


扉が開いた。



 



部屋は小さかった。長机に委員が三人、書記が端に一人。


そして——机の前の椅子に、レイラ・ヴェイツが座っていた。


俺を見た瞬間、彼女の目が動いた。驚きではなかった。何かを測るような目だった。


委員の一人が立ち上がった。五十代の男で、連合の紋章の入った外套を着ている。


「この場に入る権限はないはずですが」


「ありません。でも、話す必要があることがある」


「査問会で話してください」


「査問会では聞いてもらえない話です。今でないと、手遅れになる」


委員が表情を固くした。


俺はレイラを見た。


「あなた方がレイラさんを処分しようとしているなら——俺の処分と同じことです」


部屋が静かになった。


「何を言っている」と委員が言いかけた。俺はそれより先に続けた。


「俺を処分しようとした理由は、人類の安全を守るためだと言われてきました。でも今——連合は、その人類の安全を守るために働いた職員を、リークが出た途端に一人で吊るそうとしている」


「彼女は内規に——」


「彼女がやったことは、俺を処分させようとした。俺が処分されるべきでないなら、それを煽った彼女も——少なくとも、こんなやり方で切り捨てられるべきじゃない」


「それは屁理屈だ。論理が——」


「論理の話じゃありません」


声を上げていなかった。でも委員が言葉を止めた。


「処分に都合の悪い人間を、一人ずつ切り捨てる。俺でやって、次は彼女でやる。それをやり続ける限り、俺の問いかけは終わらない。連合の誰かがリークを使ってレイラを生贄にしようとしているなら——それは俺よりも彼女を利用した人間が、今この部屋の外にいるということです」


沈黙があった。


書記の羽ペンが動くのをやめた。


委員たちが顔を見合わせた。


レイラが口を開いた。


「……何のつもりですか」


「話を聞きに来た」


「私は助けを求めていない」


「知っています」


「ならなぜ」


「あなたが書いてくれたからです。『上手いから信用できない』という言葉を、ずっと考えていました。昨夜、技巧を外した手紙を書きました。まだ届けていない。でも今日、届けられる機会が——別の形で来た気がした」


レイラは何も言わなかった。


委員の長が咳払いをした。


「アシダ殿。あなたには当委員会の決定に口を挟む権限はない」


「ありません」と俺は繰り返した。「だから言いました。あとは委員の方々が判断してください」



 



委員たちが退席したあと、部屋には俺とレイラと書記だけが残った。


三十分だけ、と言い残して出て行った。


レイラは長机の向こう側で、ゆっくりと椅子に座り直した。


「手紙を持っているか」と彼女が言った。


外套の内ポケットから取り出して、渡した。


レイラが封を開けた。


三行だ。短い。


彼女はそれを読んだ。一度読んで、もう一度読んだ。


紙を膝の上に置いて、しばらく窓の外を見ていた。曇り空だった。秋の終わりの、灰色の空。


「不格好ですね」


「知っています」


「あなたが、こういう文を書くとは思っていなかった」


「俺も思っていませんでした。でも書いたら、こうなりました」


「上手さを、本当に捨てたか」


「捨てようとしています。まだ全部はうまくいっていないかもしれない」


レイラが紙を折り畳んで、テーブルの上に置いた。


「工作の記録は、全部残してある。隠すつもりはない。委員会がどう判断しても、受け入れます」


「なぜ今それを言うんですか」


「あなたが来たから」


俺は答えなかった。


「来てほしかったわけじゃない。でも——来た人間がいた。それは事実として、残る」


窓の外で風が吹いた。枯れ葉が落ちる音がした。


「聞いてどうするつもりです。私の話を聞いて、何かが変わると思っているのか」


「変わるかどうかは分かりません」


「正直な答えですね」


「正直にしか言えなくなりました。あなたの手紙を読んで、そう決めました」


レイラがまた俺を見た。


何かが、微妙に変わった目だった。


「……査問の後、また手紙を寄こすか」


「書きます」


「届けるのか」


「届けます」


「さっき『届かなくても書く』と言っていた。今日から変わったのか」


「あなたと話したから」


沈黙が来た。書記が何かを書いている音だけが続いた。


「持って帰れ」と、レイラが封筒を俺に返した。


「査問のあとで、また書き直せ」


「なぜ」


「私がこれから話すことを聞いてから書いたほうがいい。今日、査問で——私は話すことにした」


俺は封筒を受け取った。


「それは、あなたが決めたことですか」


「私が決めた」


はっきりした声だった。


委員たちが戻ってきたのは、それから五分後だった。



 



査問の開廷まで、廊下でカイルが走ってきた。


「どうだった」


「話した」


「それで」


「まだ分からない。でも——今日は何かが動く」


カイルが手元のメモを俺に見せた。


【査問集計:賛成63/反対26/保留38・共存協定 自動失効まで:あと43日】


「連合がリーク対応で何かを仕掛けてくるかもしれない。気をつけろ」


「分かった」


「……なんで、そんなに落ち着いてるんだ」


「落ち着いていない。腹が減ってる」


カイルが目を細めた。小走りで戻ってきて、パンを一つ押しつけた。


「食え。今日も長くなる」


開廷の鐘が鳴る前に、俺は一口食べた。パンは冷めていた。でも、食べると少し腹が落ち着いた。


今日、言うべきことを言った。


「その人を吊るすなら、俺の処分と同じことだ」


あの部屋で言った言葉は、書記が記録した。消えない。


レイラが処分されるかどうか、まだ分からない。

彼女が査問で何を話すかも分からない。

連合が今日、何を仕掛けてくるかも分からない。


でも、言ったことだけは残る。


鐘が鳴った。


カイルが「行くぞ」と言った。


俺は立ち上がって、扉の前へ歩いた。


扉が開く直前、カイルが息を止めた。


「……レン」


「何だ」


「査問席に——」


「分かってる」


傍聴席の一番後ろ、端の椅子。


レイラ・ヴェイツが、まっすぐ前を向いて座っていた。


処分委員会の結論も出ていない。失脚寸前のはずの彼女が、自分の足でここへ来ていた。


俺と目が合ったとき、彼女は静かに言った。


「——あなたが本当に聞けるのか。確かめに来ました」

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


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