第215話「恐怖に値段をつける男」
「集計が来た」
二十三日目の朝、カイルが差し出した通信石に数字が浮かんでいた。
【査問集計:賛成92/反対22/保留13】
「変わらずか」
「昨日は二票動いた。今日からがきつい」
カイルの声に張りがなかった。目の下に影ができている。昨夜も遅くまでフォルとの回線維持と情報収集を続けていたはずだ。俺は石畳に目を落とした。
夜の間に雨が降ったらしい。傍聴席に置かれた木椅子の一部が水を吸い込んでいて、朝早く来た市民たちが布を敷いたり、席を変えたりしながら落ち着き先を探していた。石の目地に細い水の筋が残っている。二十三日間の間に、広場に来る顔ぶれが変わった。最初は野次馬も多かったが、今は——今日も来ると決めた人間が来ている、そういう感じの顔が増えた。
「今日は誰だ」
「クラナドだ」
俺はその名前を口の中で転がした。
クラナドは大陸の西端に位置する小国で、傭兵のあっせんと装備の仲介を主な産業とする。どこかで戦争や紛争が起きれば、両国から依頼を受けて傭兵を送り込む。国境の守りも資源の豊かさも持たない代わりに、大陸の揉め事そのものを生業にしてきた国だ。
平和が続けば、仕事がなくなる。
「まあ、聞いてから判断しよう」
カイルが少し間を置いた。
「答えは決まってる。奴らにとって平和は損だ。処分賛成に決まってる」
「答えが決まってる相手にこそ、聞きにいく価値がある」
カイルは返事をしなかった。俺も追わなかった。
広場の中央に目を向けると、セルウィンがいつもの位置に立っていた。黒い上着に書類の束を抱えて、正面を向いている。ただ一点だけ昨日と違う。書類を抱えている腕の力が、いつもより少し強い。
気づいているのは俺だけかもしれない。
昨日、彼は「まあ、聞いて——」と言いかけて、途中で止めた。声が少し上ずっていた。今日の背筋が、その言葉を押しつけているように見える。
「開会します」
セルウィンの声は変わらず平坦だった。
クラナドの代表は、思ったより若かった。
三十代の半ばくらいだろうか。日焼けした肌に短く刈り込んだ黒髪、背丈も体格も中くらいで目立つところは何もない。ただ目だけが違う。静かで、油断のない、値踏みするような光がある。傭兵を扱ってきた人間の目だ、と俺は思った。
「クラナド・ドヴァン・クレイズです」
簡潔に名乗った。余計な言葉を使わない。
「レン・アシダです。話を聞かせてください」
「聞かせる、と言うほうが正確じゃないですか。我々はあなたを裁きに来ている立場だ」
「俺はあなたの話を聞きに来ています。どちらが正確かは、終わってから決めましょう」
ドヴァンは一瞬黙った。そして静かに笑った。感情のない笑い方じゃなかった。計算された余裕のある笑い方だった。
「結構。では聞いてもらいましょうか」
クラナドは処分賛成だと、彼はまず言った。理由は連合の指定に従うからだと、前置きなく言い切った。
「個人としては、どう思っていますか」
「俺は代表です。個人の意見で票を動かす立場にはない」
「でも個人の意見がある、ということですね」
ドヴァンが間を置いた。
「……商売人ですから」
「商売の話を聞かせてください」
傍聴席がわずかにざわめいた。セルウィンが「私的な商業利害を査問の——」と口を開きかけたが、ドヴァンが手を上げた。
「構いません。聞いてもらいましょう、アシダ殿。あなたが本当に聞ける人間かどうか、確かめてみたい気分だ」
クラナドの商売は、恐怖を売ることだった。
ドヴァンはそれを隠さなかった。
「俺たちがあっせんする傭兵は、戦争や紛争があれば動ける。どこかが揉めれば、必ず俺たちに声がかかる。クラナドは三百年、そうやってきた」
「三年前から、揉め事が減った」
「激減した」
彼の声は淡々としていた。怒っているわけでも嘆いているわけでもない。ただ事実を積み上げる話し方だった。
「魔物との和解が成立してから、北部の紛争が三件なくなった。辺境の警備契約が半分以下になった。傭兵の需要が消えれば、俺たちが仲介する先もない。国の税収が今年で三割落ちた。来年はさらに落ちる見込みだ」
「それが処分賛成の理由ですか」
「直接の理由ではない。先に言った通り、連合の指定に従う。ただ——」
「個人としては、それも理由の一つだ」
ドヴァンが俺を見た。
「正直に言っていいなら、そうです」
「正直に言ってほしい。その方が助かります」
少し間があった。ドヴァンが組んでいた腕をほどいた。
「俺の仕事は人の恐怖に値段をつけることです。誰かが何かを怖いと思えば、守る手段を売る。誰かが攻めたいなら、攻める手段を売る。その恐怖がなくなれば、俺たちには何も残らない——そう思ってきた」
「何も残らない、とは思っていないでしょう」
ドヴァンが目を細めた。
「なぜそう思う」
「あなたの目が、そう言っています。あきらめた人間の目じゃない。困っている人間の目だ」
沈黙があった。
傍聴席が息を詰めていた。朝の光が石畳に差し込んで、ドヴァンの影が長く伸びていた。俺はその沈黙を壊さなかった。
「……買いかぶりすぎじゃないですか」
「そうかもしれない。でも聞きたい」
俺は少し前に出た。
「あなたの仕事の値打ちを、恐怖じゃない形で示せませんか」
ドヴァンの表情が動いた。
わかりやすい動き方じゃなかった。目の奥のどこか、光が揺れるような動き方だ。
「恐怖じゃない形で」
「傭兵を送り込む仕組みがあるなら、別の場所に送り込む仕組みにもできる。クラナドが持っている人と情報とネットワーク——あれは戦争がなくても使い道がある。迷宮の探索補助、交易路の護衛、大規模な天災が起きたときの即応部隊。俺が知っている範囲だけで三つは出てくる。あなたならもっと思いつくはずだ」
ドヴァンはしばらく俺を見ていた。
何かを言おうとして、止めて、また考えた。その繰り返しが表情の上にかすかに見えた。
「……できなくはない、かもしれない」
「できない理由が何かありますか」
「ある。簡単じゃない」
「聞かせてもらえますか」
ドヴァンが腕を組んだ。
「傭兵というのはな、アシダ殿。名誉や義理で動く連中じゃない。金と仕事で動く。戦場に行けば、命をかけた危険手当が出る。それが魅力だ。探索補助や護衛なら、同じだけの手当は出せない。同じ質の人間が同じだけ働く保証がない」
「それは経済の問題ですね」
「そうだ。俺が変えたいと思っても、仕組みを変えなければ人は動かない。仕組みを変えるには金が要る。今の俺たちに、その金がない」
俺は少し考えた。
「クラナドの人的ネットワークに価値があると認識している国は、どれくらいあると思いますか」
「……わからない。聞いたことがない」
「聞いてみましたか」
ドヴァンが黙った。
「そのネットワークの別の使い道を、共同で開発したい国が案外あるかもしれない。一国でできないことも、複数国が費用を出せば動き始める。俺がここまで見てきた交渉の多くは、そうやって動いた」
「理屈はわかる」
「でも」
「でも——そこまで考えたことがなかった」
ドヴァンはそれを静かに認めた。
感情的な告白じゃなかった。ただ事実を言う声だった。それが俺には逆に重かった。三百年続いた商売を、一人で背負ってきた人間の重さだ。
午後の対話は、午前より長くなった。
ドヴァンは答えを急がない人間だった。俺の言ったことを何度も自分の言葉で言い直して、そのたびに少し形を変えながら確認した。俺はほとんど話さなかった。ただ聞いた。
迷宮探索が活発になってから素材の流通ルートが変わったこと。クラナドが以前担っていた輸送護衛の仕事を新しい業者に取られていること。古参の傭兵の中に「もう戦場に出たくない」と言い始めた者が増えていること。
「俺の仕事は、恐怖がなければ成り立たないと思っていた」
ドヴァンが広場の石畳に目を落としながら言った。
日が傾いて、影が長くなっていた。朝あれだけいた傍聴席の人数は減っていたが、残っている者たちは動かなかった。あの少年の姿も、今日もある。
「親父から引き継いで、親父はその父親から引き継いだ。恐怖があれば俺たちは生きていける、そう言い聞かされて育った。三百年、そうだった」
「今もそう思っていますか」
ドヴァンは少しの間、答えなかった。
「……あなたの話を聞いていると、そうでもないかもしれないと思い始めている。正直に言えば」
「それで十分です」
「確信じゃない」
「確信がなくて当然だと思います。今日話したのは可能性の話だ。俺が保証できることじゃない」
「正直なんですね」
「保証できないことを保証するのは、俺のやり方じゃない」
ドヴァンがわずかに表情を緩めた。笑い、とも取れる、ほんの小さな変化だった。
「あなたは人類最大の脅威にしては、随分と地味な男だ」
「そう言われるには慣れています」
ドヴァンが少し黙った。
「ひとつ聞いていいか」
「どうぞ」
「あなたは今、どちらが得だと思って俺に話しかけてきた。転票させるのが目的か、それとも本当に俺たちの商売を心配しているのか」
俺はしばらく考えた。正直に答える価値がある質問だった。
「両方だと思います」
ドヴァンが目を細めた。
「正直だな」
「転票してほしいのは本当だ。でも、あなたの国が恐怖を売ることでしか食えないなら、転票しても意味がない。十年後にまた同じことになる」
「十年後まで考えるか」
「そうしないと、また一から始めることになる」
ドヴァンは腕を組んで、一度天を仰いだ。
広場の上の空は、朝の霧が取れて青く晴れていた。
長い沈黙だった。セルウィンが「本日の査問はそろそろ——」と口を開きかけたが、ドヴァンが手を上げた。
「少し待ってください」
もう少しだけ間があった。
「……考えさせてくれ」
ドヴァンがゆっくりと言った。
「今日はまだ、答えが出ない」
セルウィンが書類に何かを書き込んだ。
【査問集計:賛成92/反対22/保留14】
保留が一つ増えた。賛成は変わらない。
それが今日の結果だった。
「保留止まりか」
宿への帰り道、カイルが隣で言った。
「今日は、そうだ」
「もう一押しできたんじゃないか」
「これ以上押すと、押し付けになる」
カイルは少し黙った。
「……お前が言うなら、そうなんだろうな」
俺はドヴァンの後ろ姿を目で追った。彼は一人で、ゆっくりと広場を出ていった。考えている人間の歩き方だった。急いでいない。何かを引っ張っているような重さがある。
答えが出ていない。
それでいい。答えが出ていないということは、まだ考えているということだ。
「喉は大丈夫か」
カイルが不意に言った。
「さっきから声が少し嗄れてる」
言われて気づいた。一日しゃべり続けていた。水を飲んでいなかった。喉の奥がひりついている。
「宿で飲む」
「今飲め。ここで倒れたら洒落にならない」
カイルが腰のフラスコを差し出した。受け取って一口飲んだ。水だった。少し冷たくて、喉に沁みた。
宿に戻ると、テーブルの上に手紙が一枚置いてあった。
封蝋は見知らぬ紋章だった。カイルに確認すると、クラナドの宿を示す紋章だと言った。ドヴァンからだった。
折りたたんだ紙を開くと、短い文が書いてあった。
「明日、もう少し話せますか。今度は査問の席ではなく、一対一で」
カイルが後ろから覗き込んだ。
「どうする」
俺は手紙を折りたたんだ。
「聞く」
「査問外の接触を連合が問題にするかもしれない」
「問題にするかどうかは——」
「聞いてから判断する、だろ」
カイルが先に言った。
俺は少し笑った。
「そういうことだ」
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
毎日昼・夜の2回更新中です。続きが気になったら、ブックマークで追いかけてもらえると嬉しいです。
もしこの話が面白かったら、☆評価をいただけると本当に助かります。
なろうの評価は日間・週間ランキングに直結するので、1クリックが「次の100話」を書く燃料になります。




