表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
203/270

第203話「沈黙の山岳国カレド」

---


翌朝の広場は、昨日より人が多かった。


議事広場の外壁沿いに屋台が出ていた。前日の「対話の様子を見た」らしい市民が、それを家族や知人に話したのだろう。弁当持ちで見物に来た親子連れの姿まである。カイルが俺の隣を歩きながら、外壁の人波をちらりと見てから「増えてる」とだけ言った。


「いいことかな」と俺は言った。


「どっちでもある」とカイルは答えた。「観客が増えれば、失敗したときの傷も深くなる」


それはそうだ。


議事堂の側廊に入り、今日の対話相手を確認する。査問会の進行表によれば、本日の名乗り出た国は一カ国。山岳国カレドの代表、ドゥン。表に添えられた簡単な備考には「寡黙を美徳とする民族性。交渉会議での発言回数最少記録を保持。過去三年の連合会議での総発言語数は推定四十語以下」と書かれている。


カイルが横からそれを読んで、眉を寄せた。


「四十語以下って、議会で一度も喋ってないのと変わらない」


「でも名乗り出た」と俺は言う。


「……そうだな」



 



正午。


側廊に設けられた対話用の小部屋に、カレドの代表ドゥンが入ってきた。


五十代か、六十代か。年齢の読みにくい顔をしている。日焼けではなく風雨で削られた肌の色で、山の稜線を日々見て暮らしてきた人の目をしている。俺の向かいの椅子に座り、背筋を伸ばして、何も言わない。


俺も何も言わなかった。


一呼吸。二呼吸。


部屋の外から、広場の人声が遠く聞こえてくる。


ドゥンは動かない。視線が俺の顔に当たっているのかどうかも、少し曖昧だ。山の景色を見慣れた目は、遠くに焦点を合わせる癖があると聞いたことがある。


「話す必要はないです」と俺は言った。


ドゥンの視線が、ほんの少しだけ動いた。


「ただ、来てくれたことに感謝します。山岳国カレドが名乗り出てくれたのは、俺にとって意外でした」


沈黙。


「なぜ来たか、聞いてもいいですか」


ドゥンが、口を開いた。


「……見たかった」


それだけだった。


俺は少し考えてから、続きを促さなかった。「見たかった」という言葉を、もう少し空気に漂わせておく必要がある気がした。急いで意味を確認しにいくと、言葉が逃げることがある。


十秒ほどの沈黙の後、ドゥンが続けた。


「あなたの話し方を」



 



「昨日の対話を見ていたんですか」と俺は聞いた。


「聞いていた」


「どう見えましたか」


「……わからなかった」


それは正直な答えだと思った。俺は小さく頷く。


「何がわからなかったか、聞いてもいいですか」


ドゥンは少し間を置いた。山岳の民は言葉を石のように扱うと、どこかで読んだことがある。使うなら、確かな場所に置く。無駄に転がさない。


「危険なのかどうか」


「俺が、ですか」


「……あなたの話し方が」


それは昨日のセルウィンの言葉と似ている。でも、似ていて違う。セルウィンが言うとき、そこには審問の鋭さがあった。ドゥンが言うとき、そこには純粋な疑問がある。


「危険かもしれません」と俺は言った。


ドゥンの目が、少し動いた。


「話を聞くことは、人の考えを変えることがある。それを危険だと呼ぶ人もいる」


「……あなたは、そう思わないのか」


「どちらともいえます。変わった先が良ければいい。変わった先が悪ければ、よくない。でも俺は、変わらなかったときに何が起きるかを、今まで何度も見てきました」


ドゥンが黙る。今度の沈黙は少し長い。


カレドが連合で賛成票を投じた理由を、俺はまだ知らない。知ろうとしてはいるが、聞けていない。名乗り出てきた理由も「見たかった」という言葉一つで、その先はまだ霧の中だ。


「カレドは、迷宮と距離がある国ですよね」と俺は言った。


「……遠い」


「では魔物との直接の摩擦は少ない。それでも賛成票を投じた」


「……法がある」


「連合の決議を守る、ということですか」


ドゥンが頷く。


「それは理由として正しいです」と俺は言った。「でも、それだけじゃないかもしれない、と思って聞いています」



 



沈黙。


今度は、長かった。


窓から差し込む光が、少しずつ角度を変えている。もう午後になっている。俺はその光がテーブルの端に作る影を、ぼんやりと見ていた。


ドゥンが、口を開いた。


「……山は、変わらない」


俺は何も言わなかった。


「百年前も、千年前も、あの稜線は同じだ。それが良いことだと、私たちは思っている」


「カレドの国として」


「民として。親から子へ伝わる考え方として」


「変わらないことが、正しい、と」


「……ずっとそうだった」


俺はその言葉を受け取る。急がない。ドゥンが次の言葉を見つけるまで、待つ。


「あなたが怖い理由は」とドゥンがゆっくり言った。「あなたと話した者が変わるからではない」


「じゃあ、なぜですか」


「あなたが変えようとしていないのに、変わるから、だ」


俺は少し驚いた。


それは正確な観察だと思ったからだ。俺は誰かを変えようとして話しているわけではない。聞いているだけだ。でも確かに、聞いた相手は変わることがある。


「言葉を惜しむ国が」と俺はゆっくり言った。「なぜ俺の言葉だけを怖がるんですか」


ドゥンが、初めて表情らしいものを見せた。目が細くなる。怒りではなく、正確に言えば——何かを認めるときの顔に似ていた。


「……怖がっているのは、あなたの言葉ではない」


「では何を」


「変わること、そのものを」



 



部屋の外で、小さな物音がした。


進行役の補佐が廊下を歩いたのだろう。ドゥンの視線がわずかに扉の方へ動き、また俺に戻ってくる。


俺は思っていた。


ドゥンが言ったことは、セルウィンが言ったこととは全然違う。セルウィンは俺を「脅威」として定義してから話している。ドゥンは「脅威かどうかわからない」ところから話を始めて、自分自身の中にある恐れの正体を、この短い対話の中で少しずつ掘り下げてきた。


四十語以下の男が、今日ここで何十語も使っている。


それが何を意味するか、俺にはまだわからない。でも無駄なことではないと思う。


「カレドにとって、変わらないことは美徳だと言いましたよね」と俺は言った。


「……そうだ」


「でも、名乗り出てきた。今日ここで俺と話した。それは、変わろうとしたということではないですか」


ドゥンは長い沈黙の後、答えた。


「……見極めようとした、と言う方が正確だ」


「見極めて、どうでしたか」


「まだわからない」


その正直さが、俺は好きだった。


「まあ、聞いてから判断しよう、というのが俺の習慣なんです」と俺は言った。「あなたも同じことをしているんだと思います。今日ここで、俺の話を聞いてから判断しようとして来た」


ドゥンが少し黙る。


「……そういう言い方もできる」


「カレドが変化を怖れる理由は、わかります。百年かけて作ってきたものが崩れる怖さは、俺にも想像できます。でも俺が聞きたいのは、変わらないでいることで失われてきたものについて、カレドの人たちは今どう感じているか、ということです」


ドゥンの視線が、少し遠くなった。


また山の景色を見る目になっている。


「……若者が、出て行く」


俺は静かに聞いた。


「変わらない山が美しいと思える者は、残る。変わらない山に息が詰まる者は、出て行く。それが止まらない」


「カレドが変わらないことを守ろうとして」


「……守っている間に、内側が変わっていく」


それは、想像していなかった答えだった。



 



カイルが集計を取っている部屋は廊下を挟んだ向こうにある。この対話の内容は、終わってから俺が報告することになる。今この瞬間、この部屋にいるのは俺とドゥンの二人だけだ。


外の広場から、人の声が遠く届いてくる。


「俺は魔物と話してきました」と俺は言った。「第七迷宮のゴブリンの門番と。封印の管理者と。外から来た者と。彼らもみんな、変わることを怖れていた。でも話した。話した先に、変わることより怖いものがあったから」


「何が、怖かった」


「孤独です」と俺は言った。「誰にも聞かれないまま、消えていくこと」


ドゥンが黙る。


その沈黙は、今日の中で一番重い種類の沈黙だった。


俺は続けた。


「カレドが変わらないことを選び続けた百年の間、誰かに聞いてもらったことはありましたか。その選択が正しいかどうか、確かめる機会は」


「……なかった」


「連合の中で」


「なかった。カレドは小さい。意見を言う場所が、なかった」


「だから法に従うことが、カレドにとっては安全だった」


「……そうだ」


俺はしばらく、何も言わなかった。


ドゥンが言ったことを、ちゃんと受け取る時間が必要だった。小さな国が法に従うことで自分たちを守ってきた、その百年の話を、軽く流すことはできない。


「今日、名乗り出てきてくれてよかったです」とやっと俺は言った。「カレドのことを、俺は今日初めて聞きました。来てくれなかったら、知らないままでした」


ドゥンが、俺をまっすぐに見た。


今日対話を始めてから、初めてそういう目で見られた気がした。


「……あなたは、脅威ではないかもしれない」


「判断は、あなたに任せます」


「今日は、まだ決められない」


「それでいいです」


ドゥンが立ち上がった。椅子を引く音が静かな部屋に響く。扉の方へ歩きかけて、ドゥンが振り返った。


「一つだけ聞いていいか」


「はい」


「あなたは——なぜ怖くないのか」


俺は少し考えてから、正直に言った。


「怖いです。今日も怖い。ただ聞かないともっと損だと思っているので、怖くても聞きます」


ドゥンが、何秒か俺を見ていた。


それから、何も言わずに扉を開けて出て行った。



 



カイルが集計の更新をリアルタイムで転送してきたのは、ドゥンが退室してから三十分後のことだ。


俺が廊下に出てカイルと合流したとき、カイルは手元の記録板を見ながら「保留が増えた」とだけ言った。


【査問集計:賛成96/反対19/保留12】


賛成が一つ減っていた。カレドが、賛成から保留へ動いた。


「保留は、反対じゃない」とカイルが言う。


「そうだな」


「でも動いた」


「動いた」


カイルが少し黙ってから、「どんな話をしたんだ」と聞いてきた。俺は廊下の壁に背を預けながら、短くまとめて伝えた。「変わらないことを怖れている国だと思っていたら、変わることを一番したかった国だったかもしれない」という話を。


カイルが「……そういうことか」と呟く。


「どういうことだ」と俺が聞き返すと、


「俺もそうだった」とカイルは言った。「最初、お前のことを怖がった理由が、そこだったのかもしれない。変わることが、怖かったんじゃなくて——変わっていく自分が、止められないことが」


それは今まで聞いたことのない言い方だった。


俺は何も返さなかった。返す必要がない言葉だと思ったから。


広場の方から、また人の声が流れてくる。明日も誰かが名乗り出てくるだろう。


カイルが集計の板をしまいながら、「ところで」と口を開いた。


「今日の件で、気になることがある」


「何が」


カイルの表情が少しだけ硬くなった。感情を抑えようとしているときの顔だと、俺はもう知っている。


「カレドが名乗り出る前に、一度名乗り出ようとして引っ込めた国がある。カレドに先を越されたやつだ」


「どこだ」


「商人国メルダ。さっきの集計では、まだ賛成のままだが——」とカイルが言いかけて、少し間を置いた。


「あの国の代表は、対話の後で俺にこっそり言ってきた。『明日、もう一度名乗り出たい。だが、一つだけ教えてくれ』と」


「何を教えてくれって」


カイルが俺を見た。


「『あの男は、利益と恐怖、どちらを本当の理由だと思って動いている人間か』——だそうだ」

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


毎日昼・夜の2回更新中です。続きが気になったら、ブックマークで追いかけてもらえると嬉しいです。


もしこの話が面白かったら、☆評価をいただけると本当に助かります。

なろうの評価は日間・週間ランキングに直結するので、1クリックが「次の100話」を書く燃料になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ