第2話「ゴブリンの事情と、外交の作法」
ゴブリンの名前はゴブだった。
「本当にゴブというのか」
「ゴブリン語だと発音できない。人間語で近いのがそれだ」
なるほど、と俺は思った。名前に文句をつける理由もない。
俺たちは正門の前に並んで座っていた。焚き火を挟んで、人間とゴブリンが向かい合っている。絵面がシュールすぎて笑いそうになったが、こらえた。
「で、事情を聞かせてくれ。第23層の『アレ』というのは何だ」
ゴブが眉間に深い皺を刻んだ。
「……名前を言うな。聞こえるかもしれない」
「ここまで聞こえるのか」
「わからない。でも俺たちは用心している」
俺はスキルを起動して迷宮の状態を確認した。
【特記事項:第23層付近の「統率型知性体」——活性度 上昇中】
上昇中。さっきより増えている。
「続けてくれ」
ゴブは少しだけ逡巡してから、話し始めた。
迷宮の下層——1層から22層——は、様々な種族が暮らす「街」だ。
人間がそう知らないだけで、ゴブリンにも家族がある。コボルトには職人がいる。スライムは群れで意思疎通をする。魔物と呼ばれる存在たちは、迷宮という閉じた世界の中で、それなりの秩序を作って生きていた。
「だが三ヶ月前から、23層が変わった」
ゴブは続けた。
「今まで23層は『境界』だった。上層と下層の緩衝地帯。何十年もそうだった。なのに突然、何かが動き始めた。匂いが変わった。音が変わった。俺たちの仲間が近づくと——戻ってこない」
「23層に入ったら消えるのか」
「消えるんじゃない。変わって戻ってくる」
ゴブの声が低くなった。
「目が空っぽになって、俺たちを見ない目で戻ってくる。そして仲間を——」
そこで言葉が止まった。
俺は急かさなかった。続きを話したくなるまで待った。
「……仲間を、23層に連れて行こうとする」
沈黙が落ちた。焚き火がパチリと鳴った。
「だから逃げてきた。外に出るつもりはない。ただ、ここにいれば23層から遠い。少しだけ、安全だ」
俺は考えた。
状況を整理すると、こうだ。迷宮の下層で何らかの「感染」または「支配」が広がっている。感染源は23層。ゴブたちはそこから逃げてきた難民で、外に出たいわけではなく、単に距離を置きたい。
問題は、王国のルール上、魔物を「外に出す」ことは絶対禁止だ。
だが——俺は扉を見た——今ゴブがいるのは、扉と迷宮の間の「前室」だ。厳密には迷宮の内側でも外の世界でもない。
「一つ聞く」
「なんだ」
「お前たちは俺に何を求めている。扉を開けることか、それとも——」
「交渉の場所が欲しかった」
ゴブは静かに言った。
「ここは、昔から『調停の場』だ。外界の人間と迷宮の民が話し合う、唯一の場所。だが長い間、ここに『調停者』がいなかった。今日、久しぶりにここに火が灯っているのを見た。だから来た」
「調停者、というのは……」
「お前だ」
ゴブは俺を見た。
「正式な調停者は迷宮語で認証を受けた者だが、俺たちはもう選んでいられない。お前がここにいて、話を聞いてくれた。それで十分だ」
俺はしばらく黙って考えた。
リスクは明確だ。王国のルールに違反する可能性がある。巡察隊に見つかれば問題になる。
だが、ゴブの話が本当なら——23層で何かが起きているなら——それは迷宮の内側だけの問題ではない。いつか外にも影響が出る。
俺のスキルが「特記事項」として上げているのは、そういうことだろう。
「わかった」
俺は言った。
「条件がある。三つだ」
ゴブが身を乗り出した。
「一つ。ここの扉は開けない。お前たちは前室にいる。外には出ない」
「わかった」
「二つ。俺が知りたいことに答えてくれ。23層について、迷宮の内部について。情報が欲しい」
「……それは構わない」
「三つ」
俺は続けた。
「迷宮の中に素材がある。薬草、鉱石、魔石。お前たちが持ち出せるものを、対価と引き換えに譲ってくれ」
ゴブが目を細めた。
「対価とは」
「食料、水、布。今お前たちに必要なものを持ってくる」
長い沈黙があった。
それからゴブは、ゆっくりと頭を下げた。
「……調停者は、やはり調停者だ」
「俺はただの門番だが」
「それは人間側の呼び方だ」
ゴブは言った。その声に、初めて安堵の色があった。
「こちら側では、お前は今日から『外の調停者』だ」
その夜、俺は報告書を書いた。
王都への定期報告。内容は「異常なし」と書いた。
嘘ではない。今のところ、外には何も出ていない。
書きながら、俺は思った。
前任者はここで何を見て、何を考えて——そして溢出で死んだのだろう。
スキルを確認すると、数値が少し変わっていた。
【迷宮管理 Lv.1→Lv.1(経験値:12/100)】
レベルが上がるらしい。
条件は——たぶん、交渉を成立させることだ。
◆ 次話「第3話:巡察隊がやってきた」




