第193話「九十七という数字」
「賛成、九十七」
セルウィンの声は、広間の高い天井に吸い込まれて消えなかった。むしろ石壁に当たって、何重にもなって俺の足元へ戻ってくる。九十七、九十七、九十七。数が、音になって積み上がっていく。
俺は議事堂の中央に立っていた。
円形の広間だった。すり鉢のように席が段々に上がっていて、その一番下、底の部分に俺がいる。見上げれば、百二十七の国の代表が、ぐるりと俺を取り囲んでいる。みんな高い場所から俺を見下ろしている。そういう造りなのだ。裁く者が上にいて、裁かれる者が下にいる。
「過半数は六十四」セルウィンが続けた。書類の束を、指の背で軽く叩く。「すでに九十七。弁明は許されるが、結論は動かない。これは儀式だ。形式として、君に最後の言葉を与える」
冷たい声だった。怒ってもいない。憎んでもいない。ただ事実を読み上げる役人の声。たぶん、この人にとって俺は人間ですらない。書類に書かれた一行の案件だ。
隣でカイルが小さく息を吐いた。
「レン」
「ああ」
「フォルの回線、繋がってる。最新の集計だ」
カイルが胸の前で手をかざすと、迷宮の核——フォルを経由した光が、薄く文字を浮かべた。第七迷宮から、はるばるここまで届いた数字だ。
【査問集計:賛成97/反対18/保留12】
俺一人を、九十七の国が処分しようとしている。反対はたった十八。態度を決めかねているのが十二。
カイルの横顔が硬い。こいつは三年前まで、俺を「生きてはいける」と言って笑った男だ。今は俺の補佐として、敵の本拠地に並んで立っている。それだけで、もう十分すぎる。
「弁明はあるか」
セルウィンが、こちらを見もせずに言った。
広間が静まる。咳ひとつない。みんな、俺がここで命乞いをするのを待っている。あるいは、ありもしない言い訳を並べるのを。怪物が、人語で吠えるのを。
俺は少し、考えた。
足の裏が冷たい。石の床が、靴を通して体温を奪っていく。長旅でくたびれた踵が、じくじくと痛む。半年歩いてきた足だ。ここまで来て、何も言わずに終わるわけにはいかない。
「弁明はしません」
俺は言った。
セルウィンの手が、止まった。
「……弁明をしない?」
初めて、セルウィンの声に温度が乗った。ほんのわずかな苛立ち。それでも、感情だ。
「裁かれる者が、弁明を放棄すると?」
「放棄じゃないです」
俺は顔を上げた。すり鉢の上、ずらりと並んだ代表たちの顔を、ゆっくりと端から端まで見渡す。みんな、顔がない。遠くて、表情が読み取れない。ただの影だ。九十七の影が、俺を見下ろしている。
「弁明っていうのは、俺の言い分を聞いてくれって話でしょう。でも、俺はその逆をしたい」
「逆?」
「俺が、聞きたいんです」
ざわ、と空気が動いた。
「九十七人が、俺を怖がっている。処分すべきだと決めている。なら、その九十七人ぶんの理由が、いまここにあるはずだ」俺は一歩、前に出た。「俺はそれを、一人ずつ聞きたい。なぜ俺が怖いのか。何が、許せないのか。——全員に、聞きたい」
しん、とした。
それから、笑いが起きた。誰かが鼻で笑った。それが伝染して、あちこちから失笑が漏れる。上のほうの席で、誰かが隣の代表に何か囁いて、肩を揺らしている。
「正気か」
「九十七人に、一人ずつ?」
「何日かかると思っている」
俺は、笑われるのに慣れている。門番だったころから、ずっとそうだ。ランク外のジョブを引いた日から、笑われない日のほうが少なかった。だから、平気だ。むしろ——笑っているうちは、聞いてくれている。
セルウィンが片手を上げると、笑いが波のように引いた。この男の統率は本物だ。
「アシダ殿」彼は初めて俺の名を呼んだ。「君は、状況を理解していないようだ。これは交渉ではない。査問だ。君に与えられているのは、弁明する権利だけで——」
「セルウィンさん」
俺は遮った。失礼だとは思ったけれど、ここで引いたら全部終わる。
「あなたは、なんで俺の弁明を許すんですか」
「……何?」
「結論は動かない。儀式だ。あなたはそう言った。なら、弁明なんて聞かせなくてもいい。さっさと採決すればいい。なのに、わざわざ最後の言葉を与えると言った」俺は彼の目を見た。「それは——ほんの少しでも、聞かなきゃいけないと思ってるからじゃないですか」
セルウィンの眉が、ぴくりと動いた。
「手続きだ」
「手続きを、あなたたちは守る。怪物相手にも」俺は静かに言った。「それは、すごいことだと思う。本当の怪物には、手続きなんていらない。刺客を送ればいい。でもあなたたちは、俺をここに呼んで、椅子に座らせて、言葉を与えようとした。——それはもう、半分は対話なんですよ」
カイルが、隣で小さく唸るのが聞こえた。「……お前、それ特使にも言ってたな」と。三年前のヴェイン特使にも、同じことを言った。聞こえないふりをして、俺は前を見ていた。
「九十七人に、一人ずつ聞きたい」俺は繰り返した。「説き伏せようとは思いません。論破もしません。ただ、聞く。聞いて、忘れない。それだけです」
「……それで、何が変わると思っている」
「わかりません」
俺は正直に言った。
「まあ、聞いてから判断しよう。——いつも、そうしてきたので」
広間が、また静かになった。今度は、笑いはなかった。
長い沈黙だった。
代表たちは互いに顔を見合わせている。困惑が、波紋みたいに広がっていく。前代未聞なのだ。裁かれる側が、裁く側に向かって「お前たちの話を聞かせろ」と言う。そんな査問は、この国の歴史にも、たぶんどの国の歴史にもない。
セルウィンが口を開きかけた。たぶん、却下するつもりだった。手続きにない、という理由で。彼の論理なら、そうするのが正しい。
そのときだった。
「——よろしいか」
上のほうの席で、一人が立ち上がった。
小柄な、年配の男だった。仕立てのいい、けれど派手ではない上着。胸に、見慣れない紋章をつけている。鳥が翼を広げたような、素朴な意匠だ。大国の、金糸で縫い固めた紋章とは違う。
「フェン代表」セルウィンが言った。「発言を?」
「ええ」
男は、ゆっくりと段を下りてきた。一段、また一段。すり鉢の底に近づくにつれて、俺にもその顔が見えてきた。皺の深い、穏やかな顔。けれど目だけが、妙にはっきりと俺を捉えている。
「フェンは、小さな国です」男は周りを見渡しながら言った。「人口も、軍も、声も小さい。だから、いつも大国の決めたことに従ってきました。今回も、賛成に票を入れた九十七のうちの一国です」
賛成、九十七のうちの一国。
カイルが、はっとこちらを見た。俺は動かなかった。まだだ。まだ、聞いている途中だ。
「私はね」フェン代表は、俺の数歩手前で立ち止まった。「正直なところ、なぜ自分が賛成したのか、よく覚えていないのです。みんなが手を挙げたから、挙げた。怖い、と言われたから、怖いのだろうと思った。——お恥ずかしい話だが」
彼は、自嘲するように笑った。
「だが今、この男は妙なことを言った。『お前たちの理由を聞かせろ』と。裁かれる側が、です。私は長く議会に身を置いてきたが、こんな言葉は初めて聞いた」
セルウィンが何か言いかけたが、フェン代表は手で軽く制した。小国の老人が、査問官を制した。それだけで、広間の空気がわずかに揺れた。
「考えてみれば、私は——」彼は俺をまっすぐ見た。「私は、この男の言葉を、一度も聞いていない。手配書の絵は見た。決議の文面も読んだ。だが、本人の声は、たった今、初めて聞いた。なのに私は、もう処分に賛成している。これは……少し、おかしくはないかね」
しん、とした広間に、彼の声だけが落ちていく。
「一国くらい」
フェン代表は、肩をすくめてみせた。まるで、たいしたことではない、というふうに。けれどその目は、笑っていなかった。
「一国くらい、話を聞いてみても、罰は当たるまい」
長い沈黙。
それから、彼はもう一度、俺のほうを向いて、静かに言った。
「私は、聞いてみたい。——アシダ殿。私の国の番を、一番に貰えるかね」
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
毎日昼・夜の2回更新中です。続きが気になったら、ブックマークで追いかけてもらえると嬉しいです。
もしこの話が面白かったら、☆評価をいただけると本当に助かります。
なろうの評価は日間・週間ランキングに直結するので、1クリックが「次の100話」を書く燃料になります。




