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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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183/219

第183話「最弱の防衛戦」

「レン、来た」


門の上から、ゴブが短く言った。三年前なら裏返っていた声が、今は平らだ。門番の声になっている。


俺は割りかけの薪に斧を置いたまま、丘の下を見た。朝靄の残る街道に、金属の列が伸びていた。陽を弾く穂先。揃った足音が、地面を通して足の裏に届く。数えるまでもなく、軍だ。


「五十……いや、六十はいる」ゴブの喉が、こくりと鳴った。「全員、鉄を着てる」


「だろうな」


俺は手のひらを見た。薪のささくれが刺さって、赤い点になっている。指の腹で押すと、じわりと痛んだ。生きている、という感じの痛みだ。スキルはもうない。痛みを数値で教えてくれるものは、三年前にカイルへ渡した。今はただ、痛い。それでいい、と思う。


「逃げるか?」ゴブが聞いた。期待ではなく、確認だった。


「逃げたら、お前たちが匿った罪が残る」


「……だな」


「まあ」俺は斧を薪割り台に立てかけた。「聞いてから判断しよう」


ゴブが、門の上で小さく笑った。三年かけて、こいつはこの言葉に笑えるようになった。最初は、この言葉を聞くたびに泣きそうな顔をしていたのに。



 



懐の通信石が震えた。カイルだ。石に指を当てると、頭の奥に直接、文字が滲む。スキルを持っていた頃の感覚に似ているが、これは借り物だ。カイルが、自分の迷宮管理スキルで連合の集計を「見せて」くれている。


【査問集計:賛成97/反対18/保留12】


『レン、聞こえるか』カイルの声は早口だった。緊張で上ずっている。『そっちに向かってる討伐隊、隊長はガレスだ。連合軍の重騎士——武門の生え抜きで、"退く"って言葉を辞書から削った男だって評判だ』


「数字、増えてないな」


『……そこを見るのか、お前は』カイルが、呆れたように息を吐いた。『百二十七のうち九十七が、お前を殺すことに賛成してる。過半数は六十四だ。とっくに超えてる。なのに、まだ"処分執行"の前に、わざわざ討伐隊を寄こした。意味、わかるか』


「わかる」


俺は街道を見た。先頭の騎士が、馬を止めたところだった。


「殺すと決めたなら、軍はいらない。刺客を一人寄こせば済む。——軍を出したってことは、まだ"見せ場"が欲しいんだ。誰かに、見せたい。処分は正しかったって、自分に言い聞かせたい奴がいる」


『お前、ほんと……敵を分析する顔で、敵を心配するのやめろ』


「行ってくる」


『待て。丸腰で行く気か』


「丸腰じゃないと、話は聞けないだろ」


通信石が、しばらく沈黙した。やがて、低く、カイルが言った。『……死ぬなよ。お前が死んだら、俺は二度と、お前の扉を叩けなくなる』


返事はしなかった。代わりに、俺は門をくぐった。ゴブが何か言いかけて、やめた。門番は、門の内側にいるのが仕事だ。それを、こいつはもう知っている。飛び込んでこない。待つ。三年で、覚えたことだ。



 



街道を下りながら、白い息を吐いた。朝はまだ冷える。鎧の列が、近づくにつれて、人の形になっていく。汗の匂い。油の匂い。馬の匂い。戦場の匂いだ、と前世の知識のどこかが囁いたが、俺はその戦場を知らない。知らないまま、丸腰で歩いた。


馬上の騎士が、俺を見下ろした。年は五十手前か。兜の下の目が、深い。鎧のあちこちに古い傷があった。修復された跡、また割れた跡、その上からまた打ち直した跡。何十回も死にかけて、何十回も帰ってきた男の鎧だ。


「貴様がレン・アシダか」


「はい」


「武器は」


「持っていません」


ガレスの眉が、ぴくりと動いた。背後の兵たちがざわつく。罠を疑う顔だ。当然だろう。《人類最大の脅威》が、斧も剣も持たず、薪割りの格好のまま歩いてきたのだから。


「ふざけているのか」


「いえ。俺は戦えないんです。ジョブが門番なので」


「……門番」


「はい。ランク外の」


ガレスは、長いこと俺を見ていた。値踏みする目だ。強いか弱いか、危険か無害か——武人の目盛りで、俺を測ろうとしている。そして、測りきれずに、苛立っている。目盛りに、俺の目方が乗らない。


「我々は連合決議に基づき、この迷宮の魔物を掃討する。貴様は拘束し、本部へ移送する。抵抗すれば、その場で——」


「抵抗しません」


「……話を、最後まで聞け」


「すみません。続けてください」


俺が頭を下げると、ガレスは束の間、言葉に詰まった。脅しの途中で謝られたのが、初めてだったのだろう。彼は咳払いをして、片手を上げた。兵たちが隊列を組み直す。穂先が、いっせいにこちらを向いた。鉄の壁だ。


「この迷宮には、何匹いる」


「迷宮の奥の数は、俺も知りません。門の外の待機区に住んでいるのは、百二十ほどです」


「百二十」ガレスの声が、低くなった。「百二十の魔物が、人里からこれだけ近くに巣を作っている。それを脅威と呼ばずに、何と呼ぶ」


「隣人、と呼んでいます」


兵の一人が、息を呑む音がした。


「三年です」俺は言った。「三年、一度も溢出はありません。畑も、家も、誰一人襲われていない。——それは、隊長も来る途中で見たはずです。この街道沿いの村が、栄えていたのを」


ガレスの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。見たのだ。来る途中で。柵の低い、平和な村を。子供が外で遊んでいる村を。


「……それが、恐ろしいのだ」


「え?」


「魔物がいるのに、平和だ。その平和に、人が慣れてしまっている。剣を持たぬ者が、魔物の隣で笑っている」ガレスの声は、奇妙に静かだった。「その光景が、私には——戦場よりも、恐ろしい」


俺は、すぐには答えなかった。今のは、反論する言葉じゃない。聞く言葉だ。



 



そのとき、隊列の前のほうで、誰かが膝をついた。


「どうした」ガレスが振り返る。


若い兵だった。二十歳そこそこ。槍を取り落として、両手が震えている。俺を見ている——いや、俺の後ろを見ている。丘の上の門を。門の上には、いつのまにかゴブが立っていた。心配で出てきたのだろう。


「お、おまえ……」兵の唇が動いた。「その、緑の……」


ゴブが、門の上から兵を見下ろした。それから、不思議そうに首を傾げた。


「……あんた、どっかで会ったか?」


兵は答えなかった。代わりに、ぼろぼろと涙をこぼした。鎧を着た若い男が、街道の真ん中で、子供みたいに泣いた。


誰も、動けなかった。穂先が、少しずつ、下がっていく。


「三年前」兵が、地面に向かって言った。声が、ひび割れていた。「北の砦が、溢出で落ちました。俺の隊は、全滅で……俺だけ、崖から落ちて、足を折って、動けなくて」


ガレスが、馬上で凍りついた。


「夜になって、魔物が来たんです。ああ、殺される、と思いました。化け物に喰われて死ぬんだ、って。——でも、そいつは。俺を、背負ったんです。何も言わずに。人間の陣地のすぐ近くまで運んで、そっと下ろして、戻っていった。——緑の、肌の。あいつくらいの、背丈の」


兵が、ゴブを指さした。指先が、震えていた。


「俺はずっと、夢だと思ってました。死にかけて見た、都合のいい夢だって。魔物が人を助けるわけがない。そう、思い込もうとして。——でも」


ゴブが、門の上で、静かにしていた。茶化さなかった。三年前なら何か言っていたかもしれない。今は、ただ、聞いていた。


「あれは、夢じゃ、なかった」


朝の街道に、兵のしゃくり上げる声だけが響いた。俺は、何も言わなかった。言葉を挟む場面じゃない。これは、彼が三年間、誰にも言えずに抱えていたものだ。今、やっと、外に出ている。それを、邪魔してはいけない。


「フィン」ガレスが、その兵の名を呼んだ。「貴様、それを——なぜ、今まで黙っていた」


「言えるわけ、ないでしょう」フィンが、顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、隊長を睨んだ。「魔物に助けられたなんて。隊で、笑い者になる。臆病者だと言われる。……それに、俺がその話をすれば」


「すれば?」


「俺を助けた魔物まで、討伐の対象になる。だから——黙ってるしか、なかったんです。ずっと」


ガレスの鎧が、ぎし、と軋んだ。馬上で、彼の肩が、わずかに落ちた。重い鎧が、急に、もっと重くなったみたいに。


俺は、口を挟まなかった。今も、俺が話す番じゃない。


やがて、ガレスが、俺を見た。


「アシダ。私は、二十年前——溢出で、部下を三十人、失った。一晩でだ。魔物に、だ」その声は、低く、削れていた。「私にとって魔物は、ずっと、それだった。それ以外では、なかった。決めていた。一生、それで」


「はい」


「だが、今、私の部下は——魔物に、命を救われたと言う」


ガレスは、剣の柄に手をかけた。兵たちが、息を詰める。


俺は、動かなかった。逃げなかった。逃げたら、この人は二度と聞かなくなる。


「……わからん」ガレスが、絞り出すように言った。「どちらが本当なのか。魔物は敵なのか、隣人なのか。私の三十人を殺したのも、フィンを助けたのも、同じ"魔物"だ。——わからん」


「両方です」俺は言った。


ガレスが、俺を見た。


「あなたの部下を殺した魔物も、フィンさんを助けた魔物も、どっちも本当です。人間に、いい人も悪い人もいるのと、同じように。だから——聞くんです。ひとまとめにせず、一匹ずつ、一人ずつ。聞かないと、どっちか片方に、決めつけることになる。それは、損です」


「損、だと」ガレスが眉をひそめた。「人の生き死にを、損得で語るのか」


「はい。敵だと決めつければ、フィンさんを助けた魔物を、あなたは斬ることになる。味方だと決めつければ、あなたの部下を殺した魔物を、見逃すことになる。——どっちも、間違ってる。決めつけは、いつも、どっちかを取りこぼす。だから、聞くしかない。面倒でも、怖くても」


俺は、フィンを見た。それから、丘の上のゴブを見た。


「……俺は、それで、三年もたせました」



 



ガレスが、長い息を吐いた。白い息が、朝の光に、ゆっくりと溶けていった。


それから——剣を、鞘に収めた。


かちん、と、澄んだ金属の音がした。兵たちが、ざわめいた。隊長が、武器を、収めた。掃討に来た重騎士が、目標を前にして、剣を引いた。


「全員、武器を下ろせ」ガレスが言った。低く、しかし、有無を言わせぬ声で。「これは、命令だ」


兵たちが、戸惑いながら、穂先を下げていく。鉄の壁が、ぱらぱらと崩れて、ただの人間の列になった。


ガレスが、馬を下りた。重い鎧の音が、地面に響いた。彼は、俺の前まで歩いてきて、立った。背が高い。見上げるほどだ。傷だらけの顔が、俺を見下ろしている。


「アシダ」


「はい」


「言っておくが、私は、貴様を斬りに来た。今でも、斬るべきかもしれんと思っている。連合の決議は、まだ生きている。私の任務も、消えてはいない」ガレスの目は、まだ揺れていた。揺れたまま、まっすぐ俺を見ていた。「だが——フィンが、泣いた。私の部下が、魔物のために、街道の真ん中で泣いた。その意味を、私は、知らずに帰るわけには、いかん」


ガレスが、ゆっくりと、兜を取った。


現れたのは、白髪の混じった、武人の顔だった。何十年も、敵か味方かだけで世界を割ってきた男の顔。その目盛りが、たった今、狂ったばかりの顔だった。


彼は、俺の前で、低く頭を下げた。鎧が、また軋んだ。


「……話を、聞かせてくれ」

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