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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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第158話「話を聞く者、だ」

---


「フォルへの答え」——それが今日のカイルとの最後のやりとりになった。


夕方、カイルが王都へ向けて出発する前に、迷宮の接続点からフォルの声が届いた。


『昨日の問いの続きだ』


フォルの言葉は相変わらず短く、余分な飾りがない。三百年を知性体として過ごしてきた存在の言葉は、いつもそうだった。


カイルのスキル越しに届いた声を、俺とゴブも横で聞いていた。


「昨日は途中で切れてしまったからな」とカイルが通信端末を持ち直しながら言った。「聞こえてるか、フォル」


『聞こえている』


「よし。——じゃあ続きを頼む」


短い沈黙があった。フォルが言葉を選んでいるときの間だ。俺はもうそれを知っている。急かさなくていい。こういうときは、ただ待てばいい。



 



『調停者、という言葉の意味を聞いた』


フォルが昨日問いを投げたのはゴブに対してだったが、今日の声の向き先はカイルでも俺でもなく、三人全員に等しくかかっているように感じた。


「俺が答えていいか」とカイルがゴブをちらりと見た。


ゴブが「どうぞ」と小さく頷く。


「調停者っていうのは……」カイルが少し考えた。昨日までのカイルなら「強い者が仲介する役だろ」と即答していたかもしれない。今のカイルは、答える前に一呼吸置く。「話を聞く者、だ」


『……話を、聞く者』


「そうだ。話すんじゃなくて、まず聞く。それだけで割と色々が動く」


カイルが横目で俺を見た。俺は何も言わなかった。


カイルが自分の言葉で言った。それでいい。


フォルがまた間を置いた。今度の沈黙は少し長かった。ゴブが俺の袖をそっとつついて、「考えてる」と小声で言った。


「知ってる」と俺も小声で返した。


『……それは』


ようやくフォルが続けた。


『俺たちも、できるかもしれない。いつか』


その言葉がカイルのスキルを通じて空気に溶けていく感覚があった。


ゴブが口を開けたまましばらく固まっていた。俺も似たようなものだった。フォルが「いつか」という言葉を使ったのは初めてではない。でも今日の「いつか」には、昨日までと少し違う重さがあった。諦めではなく、意志に近い何かが混じっていた。


カイルが「——そうだな」と静かに言った。


声が少し低かった。



 



俺はカイルの横顔を見た。


カイルがこの仕事を引き受けると決めたのは一昨日のことだ。スキルの移管が完了した翌朝から、カイルはすでに動き始めていた。フォルへの接触も、接続点の確認も、今日の通信も——全部カイルが主導した。


俺が何かを指示したわけじゃない。


「フォル」とカイルが言った。「一つ聞いていいか」


『聞け』


「お前が言う「いつか」は、どのくらい先の話だ」


また沈黙。今度はもっと長い。


ゴブが息を吸って、また止めた。


『……わからない』


フォルが答えた。


『だが以前より、近いと思っている』


「なんで近いと思う」


『来た者と話した。フォルと話した。ゴブと話した。カイルとも話した。お前たちは——来た。俺たちのところに』


カイルが少し首を傾けた。


「それが関係あるか」


『来る者がいると、待つ方は——待てる。以前は待てなかった』


それだけだった。


カイルは何も言わなかった。俺も黙っていた。ゴブが静かに目を細めて、迷宮の入口の方角を見ていた。


三百年、誰も来なかった場所に、人間とゴブリンと、外から来た知性体が——それぞれの事情を持って来た。それだけのことが、フォルの「いつか」を変えた。


俺には、それが不思議に思えなかった。


まあ、聞いてから判断しよう——そう思っていれば、大抵の場合、行き先が自然に見えてくる。



 



「フォル」とフォルが言った。いや、違う。


聞こえてきた声は、フォルとは少し違う質感だった。


カイルのスキルが拾っているのは複数の信号だ。フォルの声の奥に、もう一つの気配がある。


俺はゴブに目を向けた。ゴブが「……来た者」と唇だけで言った。


『——聞いてから判断しよう』


その声が届いたとき、カイルが通信端末を持つ手を止めた。


フォルではない。来た者の声だった。短く、ぶっきらぼうで、でも確かにそう言った。


俺はしばらく何も言えなかった。


来た者がこの言葉を口にしたのは第七章の終わり頃が初めてだった。それから何度か使うようになったが、今日の使い方は少し違った。フォルに向けて言っていた。


話を聞く者が「いつか」できるようになるかもしれない、とフォルが言った。その言葉を受けて、来た者が——まあ、聞いてから判断しよう、と返した。


橋渡しだ。


俺がゴブに言葉を渡したように、ゴブがカイルに渡したように、カイルがフォルに伝えたように——今度は来た者が、フォルに向けてその言葉を使っていた。


「……それは確かにそうだ」


カイルが小さく言った。


通信越しの声だから表情は見えないが、カイルの声が少し笑っているのがわかった。俺には。


ゴブがそっと俺の方を見た。「レン」と、声に出さずに口だけ動かした。


俺は頷いた。


見えている。



 



フォルとの通信が終わったのは夕暮れ前だった。カイルが機材を片付けながら「今日で最後の接触じゃないのがよかった」と言った。


「次もある」


「ああ。俺のスキルになったからな」


カイルがそう言って、少し遠い目をした。


「慣れたか」と俺は聞いた。


「スキルにか? まだだ。でも——」カイルが片手で迷宮の方角を示した。「あっちの感触は、段々わかってきた。何かが見えてる、じゃなくて——聞こえてる、に近い感覚がある」


「そっちの方が正しいと思う」


「お前は最初からそんな感覚だったのか」


俺は少し考えた。


「最初はただ数値が見えるだけだった。でも交渉するうちに、数値より先に何かが伝わってくることが増えた」


「何が伝わってくる」


「温度、みたいなもの。相手が話したいのか、黙りたいのか」


カイルがそれを聞いて「……それは教えられるか」と言った。


「教えられない。でも聞いてれば自然にわかるようになる」


「結局そこか」


「結局そこだ」


カイルが苦笑して、荷物を肩に掛けた。王都への出発の時間が近かった。


ゴブが「気をつけて」と言った。素直な言葉だった。少し前のゴブなら、もう少し遠回しに心配を言っていたかもしれない。今のゴブは、割と真直ぐに言葉を使う。


「ゴブ」とカイルが言った。


「はい」


「——いい門番になれ」


ゴブが目を丸くした。それからゆっくり、「なります」と答えた。


カイルが俺に向き直る。


「レン」


「なんだ」


「——フォルが「いつか」と言った。来た者が「聞いてから判断しよう」と言った」


「ああ」


「それはお前が——始めたことだ」


俺は何か言おうとして、やめた。カイルが続けた。


「俺が「扉を開ける側になる」と言ったのは昨日だが——お前はもうずっと前に開けていた。俺が見えていなかっただけで」


「俺も見えていなかった」と俺は言った。「一個一個、聞いていたら、気づいたらここにいた。それだけだ」


カイルが少し笑った。


「それだけ、か」


「まあ、聞いてから判断しよう——それだけだ」


カイルが背を向けて歩き始めた。王都への道は長い。振り返らなかった。


でも十歩ほど行ったところで、一度だけ手を上げた。それだけで十分だった。



 



夕暮れの中、ゴブと二人で迷宮の入口の前に立った。


「フォルが「いつか」って言ったの」とゴブが言った。「嬉しかった」


「俺もだ」


「来た者が——あの言葉を使ったのも」


「ああ」


ゴブがしゃがんで、迷宮の入口脇の石に手を置いた。冷たい石だ。何百年もそこにある石だ。


「レン」


「なんだ」


「調停者って、「話を聞く者」なんですよね」


「カイルがそう言った」


「カイルが言う前に——フォルが聞いてた。ゴブに答えさせた」


俺はゴブを見た。


「俺が先に答えを言ったら、カイルが言う前に答えが出てしまう。だから——ゴブが答えを出して、カイルに渡した」


ゴブが石から手を離して、立ち上がった。


「そういうつもりじゃなかったですよ」


「わかってる」


「でも——そうなりましたね」


「なったな」


夕風が吹いた。冬に向かう風だ。体に触れると少し痛い。


ゴブが「来た者が「聞いてから判断しよう」をフォルに言った」ともう一度確かめるように言った。「それって——フォルがいつかできるようになることを、来た者が信じてる、ってことですか」


「たぶんな」


「来た者が誰かを信じるなんて——最初はできなかったと思う」


「そうだな」


「聞いたから、できるようになった」


俺は何も言わなかった。


ゴブが答えを求めているわけではないのは、俺にはわかる。ゴブは声に出すことで、整理しているだけだ。


空が暗くなり始めていた。星がまだ薄い。


「レン」


「なんだ」


「俺も——いつか、フォルに「聞いてから判断しよう」って言える日が来ますかね」


俺は少し考えた。


「来る」


「なんで言い切れるんですか」


「お前はもう言ってる。来た者に。农民コスに。俺に」


ゴブが口をつぐんだ。


「フォルに言う日も来る。まあ——聞いてから判断しよう」


ゴブがそれを聞いて、小さく笑った。


「それ、俺に言うことじゃないですよ」


「俺が聞いてから判断したんだ。ゴブに言って問題ない、って」


ゴブがまた笑った。今度はもう少しだけ大きく。


夜風が吹いて、二人ともコートの端を押さえた。


迷宮の入口は静かだった。中にフォルがいる。来た者がいる。ゴブが門番として守るべき場所がある。


俺はスキルを持っていない。今は何も見えない。でも——


ゴブが明日の朝も、その扉の前に立って、来る者を待っていることは、見えなくてもわかる。


「今夜は寒いな」と俺は言った。


「そうですね」とゴブが言った。「中に入りましょうか」


「ああ」


二人で小屋に向かった。


フォルとの通信が今日確かに変わった。来た者が自分の言葉で、フォルに橋を渡した。カイルがその場にいて、受け取った。


「話を聞く者」という言葉は、俺が最初に言ったわけじゃない。


誰かが言って、誰かが聞いて、誰かに渡って——気づいたら、迷宮の奥にまで届いていた。


小屋の扉を開けたとき、ゴブが「明日もフォルと話せますか」と聞いた。


「カイルのスキルが繋がってれば」


「繋がりますよ、きっと」


「俺もそう思う」


扉が閉まった。


外は静かだった。

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