第156話「判定を誤った」
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「始めます」
カーラがそう言って、議場の扉を開けた。
王都の議事堂。上の階から差し込む光が、石の床に白い四角を作っている。俺はその端に立って、壁際の椅子に視線を走らせた。
席数は十二。半分ほどが埋まっている。
議員、管理局の代表、軍の書記官。そして——壁際、一番端の席に、ひとり、見覚えのある顔があった。
ギルド長だ。
七年前の姿より老けていたが、間違いない。ジョブ判定の台帳を手元に置いて、目線を合わせないようにしている。俺がこちらを見ているのに気づいているはずなのに、視線は手元の書類に落ちたままだった。
「アシダ殿」
カーラが小声で言った。
「今日は制度の発足手続きです。王国公認の調停者制度——その基盤となる人物として、あなたの功績を公式記録に残します」
「わかってます」
「緊張してますか」
「してないです」
「顔がいつもより固いですよ」
俺は軽く息を吐いた。
「そういうものかもしれないですね」
式次第は短かった。
カーラが書状を読み上げる。議長が確認する。書記官が記録する。それだけだ。
俺は壇上ではなく傍聴席に近い場所に立っていた。主役というより、証人に近い扱いだ。それでいい。むしろそちらのほうが落ち着く。
書状の内容を、聞きながら頭の中で整理していた。
——「王国は、門番職に就いた者が迷宮内外の知性体と対話し、複数の脅威を交渉によって解消した事実を確認した。当該の交渉実績を基盤として、新たに「調停者」の職位を王国制度として設立する。初代制度設計者として、レン・アシダの功績を王国史上初の王国公認調停者の礎として正式に記録する——」
音が議場に響く。石造りの建物は声がよく通る。
俺は自分の名前が読み上げられたとき、少しだけ足元を見た。
床が光っている。そういう角度だった。
【迷宮管理Lv.9:移管条件——後継者の独立確認済み。引き継ぎまで:1段階】
スキルの表示がまだそこにある。移管は明日だ。今日が最後の日になる。
「——以上をもって、調停者制度発足の草案を正式に採択します」
議長が言った。
いくつかの拍手が起きた。少ない。でも、あった。
書状の読み上げが終わり、手続きが一段落したあと、俺はひとりで廊下に出た。
外の空気を吸いたかった。それだけだ。
石の廊下を歩いて、柱の陰を抜けたところで——後ろから足音が来た。
「アシダ殿」
振り返ると、ギルド長だった。
白髪が増えていた。七年前より背が少し丸くなっている。でも声の質は変わっていない。あの日と同じ声だ。
——「門番。ランク外。以上」
あのとき、そう言ったのはこの人だ。
俺は足を止めて、向き直った。
「お久しぶりです」
「……七年ぶりか」
「ですね」
ギルド長は俺の顔をまっすぐ見た。視線が逃げない。それだけで、今日ここに来た理由が少し分かった気がした。
「今日の式は、見届けた」
「ありがとうございます」
短い沈黙があった。
廊下の向こう、議場の中からカーラの声が聞こえた。書記官への指示をしているらしい。
ギルド長が口を開いた。
「……判定を誤った」
静かな声だった。
怒鳴るでも、言い訳をするでもなく、ただそれだけ。
俺は何も言わなかった。
「門番というジョブは、ランク外だ。今も変わらない。スキルの分類上、それは変えられない」
「知ってます」
「だが——」
ギルド長が少し言葉を止めた。
廊下の光が変わった。雲が通ったのかもしれない。
「そのジョブで、ここまでやれる人間がいるとは思っていなかった。いや——思う必要があると、考えていなかった」
俺はゆっくり一度、息を吸った。
「まあ、聞いてから判断しよう、と思ってたんです。ずっと」
「……何を?」
「何でも。来た話を。見えた状況を。最初から無理だと決めなければ——聞いてから判断できる。それだけでした」
ギルド長が、俺の目を見た。
何かを確かめるような目だった。それから、ゆっくりと頷いた。
「……そうか」
また短い沈黙。
ギルド長が口を開きかけて、止めた。また開いた。
「礼を言いに来た。遅すぎる礼だとわかっている」
「そんなことないですよ」
「遅すぎる」
「……まあ」
俺は少し考えてから言った。
「届いたので、十分です」
ギルド長は何も言わなかった。
でも、肩が少し下がった。それが分かった。
議場に戻ると、カーラがこちらを見て「どこへ行ってたんですか」と目で言った。俺は小さく首を振った。
手続きの残りを片付けて、全員がそれぞれの場所へ散り始めた。
カーラが俺の隣に来て、書状の束を揃えながら言った。
「ギルド長と話してましたね」
「少し」
「何を?」
「遅れた話を、聞きました」
カーラは少し黙った。それ以上聞かなかった。その判断がカーラらしかった。
「今日の記録が残ります」とカーラが言った。「ジョブ:門番(ランク外)の人間が、王国公認調停者制度の礎となった。その事実は変わらない」
「変えようとも思ってないですよ」
「……あなたはそういう人ですね」
カーラが少し笑った。表情の動きが小さいが、目に出る。それも最近分かるようになった。
「アシダ殿は——」
カーラが言いかけて、少し止まった。
「二代目の任命を受けますか」
冗談の言い方だった。声が軽い。
俺は少し考えた。
「一代目は俺じゃないですよ」
「……どういうことですか」
「ゴブです」
カーラが目を細めた。「ゴブ、が」
「第七迷宮の門番。正式に王国から承認されてます。あいつが一代目です。俺は——」
ちょっと考えた。
「ただの、前任補佐でした」
カーラが何も言わなかった。
でも今度は笑っていなかった。
別の顔をしていた。うまく説明できない顔だ。
「……そうですね」とカーラが静かに言った。「そうかもしれない」
窓の外、王都の空が白く光っていた。
明日、移管がある。
俺の手にあるスキルが、カイルのところへ行く。
【迷宮管理Lv.9:移管条件——後継者の独立確認済み。引き継ぎまで:1段階】
最後の表示を確認してから、俺はそっと目を閉じた。
今日が終わる。
明日が来る。
帰り際、廊下の角でカーラに声をかけられた。
「一つだけ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「ギルド長が判定を誤ったと言った。あなたは——怒っていますか」
俺は立ち止まって、ちょっと天井を見た。
石の天井に、光が当たって白くなっている。
「怒る、というのが正確かどうか分からないですけど」
「正確でなくていいです」
「……ないですね」
「なぜ」
「もう、動いたので」
カーラがまた、あの顔をした。説明できない顔。
「動いた」
「ジョブがランク外でも、聞いたら話が来た。話が来たら交渉になった。交渉になったら結果が出た。それが全部、今日の式につながってる。だから——怒る暇が、なかったんだと思います」
少し間があった。
「……そういう人が、なぜ最初から門番だったんでしょうね」
「それはもう、まあ——聞いてから判断しよう、と思ってたからじゃないですかね」
カーラが笑った。
「その言葉、少し使ってみたいと思ってます」
「どうぞ。誰のものでもないので」
「ありがとうございます」
カーラは軽く会釈して、廊下を戻っていった。
その背中を見送ってから、俺は外に出た。
夕方の風が来た。
スキルの表示がまだ見えている。
「1段階」。
明日、それが動く。




