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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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第152話「最初の夜、俺も同じだった」

---


「無理だ」


カイルははっきりと言った。


迷宮の管理棟の一角、外からの光がちょうど差し込む窓際の席。俺が「スキルをお前に渡したい」と伝えた直後のことだった。


拒否に迷いがない。そこだけはカイルらしかった。


「理由を聞いていいか」


「……聞かなくてもわかるだろ」


「聞いてから判断したい」


カイルが軽く舌を打った。ずっとこの反応だ。もう慣れた。


「俺はお前じゃない。交渉ができる人間じゃない。たまたまうまくいっただけだ、今まで。第四迷宮も、セルディン議員も、フォルとの会話も——全部、レンに教わった手順でやっただけだ。スキルが来たとして、そのスキルを活かせる人間かどうかは別の話だ」


一息で言い切ると、窓の外に目をやった。


俺は少し待った。


カイルが続ける気配がないのを確かめてから、口を開く。


「最初の夜を覚えているか」


「……何の話だ」


「俺がここに来た最初の夜だ。ゴブが扉をノックしてきた夜」


カイルが俺を見た。表情に「なんでそれを」という色が浮かぶ。


「お前はその夜、ここにいなかったから知らないと思うが——俺はあの夜、同じことを思った」


「……同じ、とは」


「無理だって思った。見たことのない魔物が、暗い扉の外から話しかけてくる。話せる相手なのかどうかも分からない。聞いていいのかも分からない。でも聞かないと——それだけは損だと思って、扉を開けた」


カイルが返事をしない。


俺は続けた。


「最初にゴブの話を聞いたとき、俺に交渉の実績があったわけじゃない。スキルの使い方も知らなかった。何ができるかも、何が起きるかも、分からなかった。それでも聞いた」


「お前は——それが自然にできるだろう」


「できなかった。怖かったぞ」


カイルの目が少し動く。


「怖かった。それでも扉を開けたのは、開けなかったときのほうがもっと怖かったからだ。何も知らないまま朝を迎えるほうが——俺には無理だった」



 



しばらく沈黙が続いた。


窓の外で鳥が鳴いた。遠くで誰かが荷車を引く音がする。


カイルが口を開いたのは、それから少し後だった。


「……お前は、毎回そうなのか」


「何が」


「毎回——怖いのか」


俺は少し考えた。


「毎回じゃない。慣れた相手には慣れる。でも初めて話す相手には——どこかで緊張はある。今でも」


「そうは見えない」


「見えなくなっただけだ。慣れたのはたぶん、そっちのほうだ」


カイルが腕を組んだ。考え込む顔をしている。俺はそれを急かさなかった。


スキルの表示が視界の端に出る。


【迷宮管理Lv.9:移管条件——「後継者の成立」確認済み。引き継ぎまで:1段階】


変わっていない。残り一段階のまま止まっている。何が最後の引き金なのかは、まだ分からない。


カイルが「一つ聞く」と言った。


「渡したら、お前はどうなる」


「普通の人間に戻る」


「スキルなしか」


「ああ」


「……それで、いいのか」


俺は答える前に窓の外を見た。第七迷宮の入口が、ちょうど見える角度だった。ゴブが立っている。今日も誰かと話している。昨日から通いはじめた農民だろうか、それとも別の来訪者か。


「いい」と俺は言った。「元々、スキルは俺のものじゃなかった気がする。俺はたまたまここに配属されて、たまたまゴブと話して、たまたま使えるようになっただけだ。もともとこの場所にあったものが、次の人間に移るだけだ」


「……たまたまが多すぎる」


「そうでもない。たまたまに見えるのは、お前が後から見てるからだ。当時の俺には、たまたまじゃなくて——全部、必死だった」


カイルが「ふん」と鼻で笑った。けど今度はそこに棘がなかった。



 



少し間があって、カイルが「聞いていいか」とまた言った。


「お前は——なぜ俺を選んだ」


「さっき言ったぞ」


「俺より聞いてるから、というやつか」


「そうだ」


「それだけか」


俺はカイルをまっすぐ見た。


「第四迷宮で一人で行って戻ってきたとき、お前は「まあ、聞いてから判断した」と言ったんだ。俺の口癖だ。俺はそのとき——あ、もうこいつのほうが先を行ってるな、と思った」


カイルの目がわずかに見開かれた。


「先を行ってる、とは思っていなかった」


「思ってなかっただろうな。でも俺から見たらそうだった。自分で判断して、自分の言葉でそれを表現できてた。教わった手順でやってるだけだという感覚がお前の中にあるのは知ってるが——手順が体に入ってるのと、形だけ真似るのとは違う。お前のはもう体に入ってる」


カイルはしばらくそれを受け取れないでいるようだった。


窓の外で、ゴブが農民と握手——正確には農民がゴブの小さな手を両手で握る格好をしていた。農民がお辞儀をして去っていく。ゴブが俺たちの窓のほうを見て、小さく手を上げた。気づいていたらしい。


「……一つ、条件がある」


カイルが言った。


俺は「聞く」と返した。


「スキルを渡される前に——一度、俺だけで話させてくれ」


「どこに」


「接続点だ。来た者と——一対一で話してみる。それができたら、受ける」


俺は少し考えた。


来た者は慎重だ。突然の単独訪問を、どう受け取るか。ただ——カイルとはすでに協定の署名を通じて接点がある。見知った相手ではある。


それに、これはカイルが自分で言い出したことだ。


「明日でも構わないか」


「明日でいい」


「来た者への通知は俺がしておく。「カイルが単独で来る」と伝えておく」


「……そこまでするのか」


「準備してから聞くのと、準備なしで聞くのとでは、結果が違う。準備できるなら準備する。それだけだ」


カイルが短く「わかった」と言った。


立ち上がりかけて、少し止まった。


「……一つだけ、もう一つ聞いていいか」


「ああ」


「ゴブは——来た者と話したとき、怖くなかったのか」


俺は「さあ」と答えた。「本人に聞いてみろ」


カイルがそれを聞いて、意外そうな顔をした。そして小さく笑った。今日初めて、本物の笑いに見えた。


「……まあ、聞いてから判断するか」


俺は何も言わなかった。言う必要がなかった。


カイルが立ち上がり、窓の外のゴブに向かって少し手を上げた。ゴブが「あっ、カイルさん!」と声を上げるのが窓越しに聞こえた。カイルが「うるさい」と言いながら出口に向かう。


部屋に一人残って、俺はスキルの表示をもう一度確認した。


【迷宮管理Lv.9:移管条件——「後継者の成立」確認済み。引き継ぎまで:1段階】


変わらない。


ただ——なんとなく分かってきた気がする。最後の一段階が何なのか。


スキルは俺が決めるんじゃない。カイルが——自分で、一人で動いたとき。それが引き金になる気がする。


明日だ。



 



夕方、ゴブが部屋に戻ってきた。


「カイルさん、何か話してましたか」


「まあな」


「スキルの話ですか」


「そうだ」


ゴブが「そうですか」と言って、壁に立てかけていた箒を手に取った。部屋の隅を掃き始める。最近こういうことをよくやる。落ち着かないときの癖らしい。


「ゴブ」


「はい」


「カイルが明日、来た者に一人で会いに行く」


箒が止まった。


「……一人で、ですか」


「お前が一人でやったのと同じだ」


ゴブがこちらを向いた。目が少し赤い。


「俺が一人でやったときは——正直、怖かったです」


「そうだろうな」


「でも——レンが「聞いてから判断しろ」って言ったから」


「覚えてないが」


「言いました。第四迷宮に初めて行く前の夜です。寝る前に「まあ、聞いてから判断しよう」って言ったんです。たぶん独り言だったと思うんですけど、俺は聞いてました」


俺は少し考えた。言ったかもしれない。覚えていないが。


「カイルも——大丈夫ですかね」


「大丈夫だと思う」


「根拠は」


「さっき、自分で「まあ、聞いてから判断するか」って言ってた」


ゴブが小さく「あ」と言った。


それから少し考えて、「そうですか」とだけ言って箒を再び動かし始めた。


さっきより少しゆっくり、落ち着いた動きになっている。


俺は窓の外に目を向けた。夕暮れの光が第七迷宮の門を橙色に染めている。


明日、カイルが接続点に行く。


何かが起きるかもしれない。起きないかもしれない。


でも——まあ、聞いてから判断しよう。



 



翌朝早く、カイルから短い通信が入った。


「行ってくる」


それだけだった。


俺は「ああ」と返した。


スキルの表示が視界に浮かんだ。数値は変わっていない。でも——何かが今日変わる気がした。


【迷宮管理Lv.9:移管条件——「後継者の成立」確認済み。引き継ぎまで:1段階】


ゴブが「待ちましょう」と言った。


「そうだな」と俺は答えた。


「……毎回?」と、カイルの声が昨日の記憶の中でまだ響いていた。


毎回だ。毎回、怖くて、毎回聞いた。それだけだ。

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