第150話「おめでとう、門番」
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三日後の朝は、拍子抜けするほど晴れていた。
雲一つない。風もほとんどない。第七迷宮の入口に差し込む光が、石造りの門柱を白く染めている。
式典、と言っても大げさなものではない。カーラが用意したのは羊皮紙一枚の辞令と、署名のための羽ペンと、小さな印章だけだ。それを持って、管理局の担当者が一人やってきた。若い男で、馬から降りた瞬間に「これが……第七迷宮ですか」と呟いた。
「そうです」と俺は答えた。「慣れます」
担当者は少し目を丸くした。慣れる、という言葉が引っかかったらしい。
ゴブはというと、式典の一時間前からすでに門の前に立っていた。
いつもの革の小具足。鍵の束。腰にぶら下げた道具袋。格好は何一つ変わっていないが、姿勢だけが少し違う。背筋が、僅かに伸びていた。
「緊張してるのか」
俺が近づいて聞くと、ゴブは首を横に振った。
「してない、です」
「そうか」
「……少し、してます」
俺は何も言わなかった。そのほうがいいと思ったから。
カーラが到着したのは午前のうちだった。副司令の礼服ではなく、実務用の外套に着替えている。「式典に礼服で来るほど野暮じゃないつもりです」とのことで、俺は「正解です」と言った。
カイルも来た。「来い」とは言っていなかったのだが、「なんとなく来た」と言いながら第七迷宮の入口に現れた。手には菓子の包みを持っていた。
「何だそれ」
「祝いの品だ。文句あるか」
「ない」
三人が揃ったところで、管理局の担当者が咳払いした。
「では、始めさせていただきます」
式典は短かった。担当者が辞令の文面を読み上げ、ゴブが名前を確認し、署名の欄に——人間の文字で、少し歪に——「ゴブ」と書いた。本名ではない。本人がそれでいいと言った。
「名前に意味を込めたいんです。ゴブリンの俺が、ゴブという名前で門番をしている、という意味を」
それを聞いたとき、担当者が一瞬手を止めた。それから静かに、「承知しました」と言った。
印章が押された。
辞令が折り畳まれ、ゴブの手に渡った。
それだけだった。
「おめでとう、門番」
カーラがそう言った。
声は静かだった。祝いの大声でも、おざなりの言葉でもなかった。ただまっすぐに、ゴブに向かって言った。
ゴブは辞令を両手でしっかりと持ったまま、少し固まっていた。
「……ありがとう、ございます」
「どうぞ良い門番になってください」
「……なります」
ゴブが顔を上げた。目が赤かった。泣くつもりはないのに涙が来てしまった、という顔をしていた。そういう顔を、俺は知っている。ゴブが初めてドランの話をしたとき、それに近い顔をしていた。
カイルが包みを差し出した。
「泣くな。菓子でも食え」
「泣いてないです」
「目が赤い」
「なってないです」
「なってる」
「……なってるかもしれないです」
俺は笑った。カーラも、気づけば口の端を上げていた。担当者だけがどういう顔をすればいいか分からないでいたが、それはそれでいい。
ゴブが菓子の包みを受け取り、「あとで開けます」と言った。「今開けたら、ちゃんと味がわからないと思うので」
カイルが「……そうか」と言って、少し目を逸らした。
俺はその横顔を見た。カイルも、ちゃんと来た意味があったのだろうと思った。
式典が終わって、管理局の担当者が帰ったあと、四人でしばらく門の前にいた。
特に何かを話すでもなく、ただいた。第七迷宮の入口から、ひんやりとした空気が漂ってくる。石の匂いがした。深い層の空気の匂いだ。もう慣れているが、最初はずいぶん驚いた。
カーラが「さて」と言って腰を上げる前に、俺は気づいた。
遠くに、人影があった。
馬ではない。徒歩で、第七迷宮から少し離れた丘の端に立っている。こちらを見ているのか、向こうを見ているのか、距離があってわからない。
だが俺には分かった。あの体格、あの立ち方は、ギルド長だ。
ジョブ判定の日に、「門番(ランク外)」と告げた男。
「……ランク外、か」
風向きが良かった。その呟きが、ここまで届いた。
ゴブが辞令を持ってる。カーラが「おめでとう」と言った。俺がスキルを持った門番として積み上げてきたものの、ここ数年の集積が、あの場所まで届いたのだ。
煽ってやりたい気持ちは、ない。
俺は何も言わなかった。聞こえていたけれど、聞かないことにした。
ギルド長がどう思おうと、今日この場に立っていたのはゴブだ。式典を動かしたのはカーラで、署名してきたのはカイルで、つないできたのはそれぞれだ。
俺はただ、最初に扉を開けた。
それだけでいい。
【迷宮管理Lv.9:移管条件——「後継者の成立」確認済み。引き継ぎまで:1段階】
スキルの表示が、今日も変わらず残り一段階を示している。
一段階。その意味はまだ俺にはわからないが、ゴブの式典が終わった今、何かが近づいている感覚はある。
「レンは——いつ行くんですか」
ゴブが聞いた。
カーラとカイルが少し先に歩いていて、ゴブと俺だけが残っていた。声は小さかった。式典のときの緊張とは違う、静かな問いだった。
俺は少し考えた。
「スキルが移管されたら、かな」
「それは——もうすぐですか」
「残り一段階、って出てる」
「一段階って、何ですか」
「俺にも分からない」
ゴブが辞令を胸に押さえた。
「……怖いですか。行くのが」
「怖いとは、少し違うな」
「じゃあ何ですか」
俺は空を見た。晴れている。風がない。第七迷宮の門柱が光を受けて白く輝いている。
「まあ、聞いてから判断しよう——みたいな感じかな」
「それ、いつも言いますよね」
「俺の口癖だから」
「それが、レンの一段階じゃないですか」
俺は振り返った。ゴブが真剣な顔をしていた。なんとなく言ってみた、という感じではなかった。
ゴブが続ける。
「スキルが何を待ってるのか、俺にはわからないです。でも——レンがスキルをもらう前から持ってたものがある。ドランが言ってたんです。「あの人間は聞ける。それは教わったものじゃない」って」
「ドランが?」
「はい。ずっと前に」
ゴブが辞令を一度見下ろして、また俺を見た。
「だから、その一段階は——もうレンの中にあると思います。あとは、たぶん——」
そこで止まった。
ゴブは「言えることはここまでです」という顔をして、少し下を向いた。
俺はしばらく何も言わなかった。
「ゴブ」
「はい」
「良い門番になれよ」
「……なります」
今度は目が赤くならなかった。ゴブが前を向いた。辞令を抱えて、第七迷宮の門の前に立った。
それが様になっていた。
カーラが振り返って「行きますよ」と言う。カイルが「早くしろ」と言う。俺はゴブに「また後で」と言って、二人のほうへ歩いた。
背中に、第七迷宮の空気を感じながら。
【迷宮管理Lv.9:移管条件——「後継者の成立」確認済み。引き継ぎまで:1段階】
その表示の意味を、今夜もう一度考えてみようと思った。




