第149話「引き継ぎカウント」
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「残り一段階」って、具体的に何をすればいい?
カイルが帰った後、俺は封印接続点の壁に背中を預けながら、スキルの表示をもう一度呼び出した。
【迷宮管理Lv.9:移管条件——「後継者の成立」確認済み。引き継ぎまで:1段階】
数字は変わらない。じっと見ていても、何も起きない。ただ「1段階」という文字が、白く光ったまま浮かんでいる。
隣に座っていたゴブが、首を傾けてのぞき込んでくる。
「なんか書いてますか、そのスキル」
「書いてある。でも意味がわからない」
「わからないのに見てるんですか」
「見てたら何かわかるかと思って」
ゴブは少し考えてから「俺、そういうの苦手です」と言った。「わからないものはわからないままにしといたほうが、眠れる気がして」
妙に正論だった。
俺はスキルの表示を閉じた。封印接続点の天井を見上げる。石の継ぎ目が等間隔に並んでいて、誰かが丁寧に積んだのがわかる。
「ゴブ」
「はい」
「お前の承認、同日に来てるって話、ちゃんと聞いたか」
ゴブが少し黙った。
「……来てます」
「どっちから」
「王国の管理局から。カーラさんが通してくれたみたいです」
その声が、いつもより低かった。喜んでいるのか、緊張しているのか、俺にはすぐには読めなかった。ゴブは感情を器用に出す種族じゃないから、顔に出る前に声に出る。
「正式な書類で?」
「はい。『第七迷宮付属施設、門番補佐兼内部調停者——ゴブリン種族一名』って書いてありました」
「なんか語感が微妙だな」
「そうですか?」
「俺だったら「門番補佐」より「門番」にしたかったが」
ゴブが「それはまだ、俺には早い気がします」と小さく言った。
俺は何も返さなかった。
早くはないと思う。ただゴブがそう感じているなら、それはゴブ自身の話だから、俺がどうこう言うことじゃない。
翌日の朝、カーラから通信が入った。
「昨日のカイル殿の署名後、管理局からゴブリン殿の承認通知が出たことは確認しました。スキルの変化は?」
「表示は変わってない。移管まで残り一段階のまま」
「……残り一段階、の意味を、もう少し詳しく聞いてもいいですか」
「俺にもわからない」
通信石の向こうで、カーラが息を吸う音がした。
「アシダ殿が「わからない」と言うのは、珍しいですね」
「わからないことは多い。言ってないだけで」
「……なるほど」
少し間があった。
「今日、管理局に確認を取ってみます。スキルの移管事例は、過去にもないわけじゃないはずですから」
「助かる」
「それと——ゴブリン殿の承認通知ですが、正式な式典を行うかどうか、管理局が問い合わせています。どうしますか」
俺はゴブの顔を思い浮かべた。式典、という言葉をゴブに言ったら、どんな顔をするだろう。
「ゴブに聞いてから決める」
「……そうですね。それが一番早い」
カーラが苦笑まじりに言って、通信を切った。
その日の昼、俺はゴブに「式典をどうするか管理局が聞いてる」と伝えた。
ゴブは三秒ほど固まった。
「式典……俺の?」
「他に誰のがある」
「え、でも、俺、ゴブリンですよ」
「そうだな」
「式典って、人間がやるやつですよね」
「人間がやることが多いのは確かだが、別に人間専用ってわけじゃないと思う」
ゴブはしばらく黙った。それから「一個だけ聞いていいですか」と、やや恐る恐る言った。
「なんだ」
「式典って、何をするんですか」
俺は少し考えた。俺自身も式典に出た経験がそれほど豊富なわけではない。
「よく知らないけど、名前を呼ばれて、何かを受け取って、たぶん挨拶をする」
「……挨拶」
「したくなければしなくていい。俺が伝えておく」
「いや、やります!」
ゴブがわかりやすく声を上げた。俺はそこで初めて、今日ゴブがずっと緊張した顔をしていたことに気づいた。
緊張、というより、こらえていた。
嬉しいのをこらえていた。
「じゃあカーラに、やる方向で、と伝えておく」
「はい」
「日程は後で」
「はい」
「いい返事だな」
「……はい」
最後のは少し笑いながら言っていた。俺も少し笑った。
夕方、通信石にカーラから再度連絡が入った。
「管理局に確認しました。スキルの移管事例——過去に二件だけ記録があります」
「どんな内容だ」
「一件目は、移管者が長期間にわたってスキルを運用し、後継者を実地訓練した後に自然に移管が成立したケース。二件目は——」
カーラが少し間を置いた。
「二件目は、移管者がスキルの対象施設から「正式に離脱した」段階で強制移管が起きたケース」
「強制移管」
「はい。移管者本人がスキルを手放す意志を持っていなかった場合でも、条件が揃えば起きた、という記録です」
俺は少し黙った。
「俺の場合、どっちに近いと思う」
「……どちらとも言えます。ただ——」
カーラが言葉を選ぶ間があった。
「後継者は既に成立済みで、ゴブリン殿の承認も出た。残り一段階が「移管者の離脱意志の確認」なら——アシダ殿がここを離れる時点で、自動的に完了するかもしれません」
つまり。
俺がここを離れると決めた瞬間に、スキルがカイルに渡る。
そういうことか。
「…………」
「アシダ殿?」
「聞いてる。ちょっと、整理してた」
「焦る必要はないです。ゴブリン殿の式典も含め、順序は好きに決めていい、と管理局は言っています」
「どちらを先にするか、か」
「はい」
俺は封印接続点の入口を見た。今は誰もいない。石の回廊が奥まで伸びていて、壁の燭台が等間隔に揺れている。
ゴブの式典か、スキルの移管か。
どちらを先にするか——正直、答えはまだ出ていない。
出ていないが、一つだけはっきりしていることがある。
「カーラ」
「はい」
「ゴブの式典、できれば早くやりたい」
「……理由を聞いてもいいですか」
「ゴブが緊張しながらこらえてるのを、あんまり長く見たくない」
通信石の向こうで、カーラが短く笑った。笑い声というより、息を吐いた音だったが、俺にはそれで十分わかった。
「わかりました。三日後に調整します。規模は小さくていいですね?」
「ゴブに聞くけど、たぶんそれでいい」
「では——アシダ殿。スキルの移管は、式典の後でいいんですね」
「まあ、聞いてから判断しよう」
少しの間があった。
「……誰に聞くんですか」
「ゴブに」
カーラがまた、短く息を吐いた。今度は明らかに笑いだった。
「わかりました。そういう順番で進めます」
通信が切れた後、俺は石の回廊をもう一度見た。
スキルの表示を、もう一度だけ呼び出す。
【迷宮管理Lv.9:移管条件——「後継者の成立」確認済み。引き継ぎまで:1段階】
変わらない数字だが、さっきとは少し見え方が違う気がした。
一段階。
それは、俺が決めるものらしかった。
夜、ゴブに三日後の式典の話を伝えると、また三秒ほど固まった後、「挨拶の練習をしていいですか」と真剣な顔で言った。
「好きにしろ」
「レンも聞いてくれますか。練習相手として」
「聞く。まあ——どんな挨拶になるか、聞いてから判断しよう」
ゴブが「それ練習の前から言いますか」と少し拗ねた顔をしたが、すぐに紙を取り出して何かを書き始めた。
その横顔を見ながら、俺は思った。
どちらを先にするか——答えは、たぶんもう出ていた。
ただ、確認だけはゴブに聞いてからにしようと思っていた。
「ゴブ」
「練習中です」
「一個だけ」
「……なんですか」
「スキルが移管されたら、俺はただの人間になる。その後のことは、まだ決めてない。それでもいいか」
ゴブは書くのを止めた。
しばらく手元を見ていた。
それから顔を上げて、俺をまっすぐ見た。
「レンが決めることです」
「そうだな」
「でも——」
ゴブが少し間を置いた。
「どちらを先にするか、は、俺に聞いてくれるって言ってましたよね」
「ああ」
「なら——式典が先がいいです。その方が、俺、ちゃんと挨拶できる気がするから」
俺は頷いた。
「わかった。そうする」
ゴブが小さく頷いて、また紙に目を戻した。ペン先が動き始める。
窓の外は暗い。燭台の火が揺れている。
スキルの表示は今もそこにある。
【迷宮管理Lv.9:移管条件——「後継者の成立」確認済み。引き継ぎまで:1段階】
残り一段階。
それがいつになるかは、まだわからない。
ただ、三日後にゴブが門の前に立つ。
それだけが、今の俺には確かなことだった。




