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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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第146話「協定草稿」

---


翌朝、議会棟の小部屋に三人が揃った。


カーラ、セルディン、そして俺。


前回は通信石越しだったが、今日は草案の読み合わせがある。顔を見ながら話すべき場だと判断して、王都まで足を運んだ。


「よく来た」とセルディンが言った。昨日までとは少し違う言い方だった。「また来た」ではなく、「よく来た」。その一語の差が、なんとなく昨日の時間の重さを教えてくれた。


「お邪魔します」


「邪魔ではない。来てほしくて呼んだ」


テーブルの上には羊皮紙が三枚、並んで置いてあった。


セルディンが法務官の協力で昨夜のうちに起こした草稿だという。カーラが「ほとんど眠れなかったと思います」と耳打ちしてきた。七十近い老議員が一晩で草稿を仕上げた。


その事実を、俺はまず受け取った。



 



「読んでいただきたい」


セルディンが羊皮紙を差し出す。


受け取って、スキルを起動した。


【迷宮管理Lv.9:協定文書——内容照合中……】


画面に浮かぶ文字列が羊皮紙の内容と対応していく。条文を一つずつ確認する。スキルが迷宮の外で使えるようになったのは、管理範囲が「交渉が必要なすべての場所」に拡張されてからだ。これもいつかカイルに引き継がれる機能だと、頭の隅で思いながら読む。


第一条——封印維持への三者協力義務。

第二条——年一回の封印強度確認、初年度は三ヶ月ごとに改訂(これは「来た者」の要望が反映されている)。

第三条——協定の効力は三十年間、以後の更新は両議会の賛成多数を要する。


「第三条の三十年という期間について」と俺は言った。「来た者に確認を取っていますか」


「取っていない」とセルディンが答えた。「何年が妥当か、私には判断できなかった。あなたに聞こうと思っていた」


正直な返答だった。


「まあ、聞いてから判断しましょう。今夜、接続してみます」


カーラが手帳に何かを書き留めた。


「他は問題ありませんか」とセルディンが続ける。


「第四条が——」俺は少し考えてから言葉を選んだ。「『違反時には協定国が責任を負う』という文言ですが、どちら側の違反を想定して書きましたか」


「双方を想定した」


「だとすると、来た者が読んだとき、少し混乱するかもしれない。あちらはまだ法文の読み方に慣れていない。『どちらが』を明記したほうが誠実に見えると思います」


セルディンが羽ペンを取り、第四条に印をつけた。反論しなかった。指摘を受け入れた。


この三日間で、何かが変わっていた。この老議員の中で。



 



「ところで、署名は三者と伺っていますが」カーラが確認するように言った。「王国、迷宮知性体、そして外から来たもの——来た者。順番はあるのでしょうか」


「順番を問うことが、かえって不平等に見える場合がある」と俺は答えた。「三者が同時に見られるような形式にできれば理想ですが、物理的に難しいなら——来た者が最後でもいいと思います。理由を添えて。『最後に署名したのは、最も長く待っていた者であるから』という一文があれば、むしろ意味が出る」


部屋が静かになった。


セルディンがゆっくりと俺を見た。


「……それは、法文ではなく物語だな」


「そうかもしれません。でも、あちらが読んで意味を感じられる文書のほうが、長続きすると思う」


「長続き、か」セルディンが繰り返した。「三十年どころの話ではないかもしれん、この協定は」


「かもしれません」


セルディンは少し間を置いて、また羽ペンを走らせた。



 



夕刻、封印接続点に座った。


ゴブとカイルが両脇に控えている。カーラは王都に残って草稿の修正版を待っている。


接続を試みると、すぐに返事が来た。


以前より、ずっと早くなっている。


「……来た」


「ああ。草稿が上がった。一緒に確認したい」


「草稿、というのは——紙に書かれたものか」


「そうだ。あなたが求めた正式な記録、その最初の形がある」


しばらく沈黙が続いた。沈黙の中にも重さがあった。三百年間、紙に名前が書かれたことがない存在が、初めてその言葉の意味を考えている、そんな重さだ。


「……読む方法がない」


「俺が読み上げる。確認したいことがあれば言ってくれ」


「わかった」


俺は草稿を開き、一条ずつ読み始めた。


カイルが手元に控えていて、来た者が質問したときにすぐ補足できるようにしている。ゴブは接続の安定を保つ役割だ。三人がそれぞれの仕事をしている。


第一条を読んだとき、来た者が「協力義務、とはどういう意味か」と聞いてきた。


「封印を一緒に守るということ。あなた方だけに任せない、ということだ」


「……任せない。それは」少し間があった。「三百年前と違う」


「違う」


「三百年前は——誰も来なかった。封印を保ちながら、ただそこにいた。義務を負っているのはこちらだけだと思っていた」


「今は違う」


「……うん」


それきり来た者は沈黙した。俺は次の条文を読み続けた。


第二条、第三条——「三十年という期間はどう思うか」と聞くと、「短い」という返答が来た。


「封印は百年単位で変化する。三十年では次世代の者が引き継ぐ前に切れる」


「なるほど。カーラに伝える。百年を提案してみる」


「百年。今の議会の者たちは生きていない」


「そうだ。だから次の者に伝えることが必要になる。それもまた——条文に書けるか聞いてみる」


「伝える、ということを書けるのか」


「書けると思う。引き継ぎ義務、という形で」


来た者がまた少し黙った。黙り方が考えている黙り方に変わってきた。最初に接触したころは、沈黙は警戒だった。今は思考だ。



 



第四条を読んだとき、来た者が割り込んできた。


「——待ってくれ」


俺は止まった。


「違反したとき、の条文。聞いた」


「ああ」


「もし——こちらが違反したとき、何が起きる」


正直な問いだった。俺は草稿を見た。「協定国が責任を負う」という文言は修正が必要だということをセルディンに伝えてあるが、まだ直っていない。


「今の草稿にはまだ曖昧な書き方が残っている。修正中だ」


「修正中、ということは——まだ決まっていないということか」


「そうだ」


「なら——」来た者がゆっくりと続けた。「一つだけ——変えてほしい条件がある」


ゴブが俺のほうをちらりと見た。カイルが手帳に何かを書いた。


「聞かせてくれ」と俺は言った。


「違反したとき——どちらが違反した場合でも——まず話し合うこと、を先に書いてほしい。罰則の前に。話し合いを、最初の義務として」


部屋に静寂が落ちた。


俺は来た者の言葉を、頭の中でもう一度確認した。


違反時に話し合う義務を、罰則より先に書け。


それは法文の話でも、条件交渉でもなかった。三百年間、話を聞いてもらえなかった存在が、初めて「また聞いてほしい」と正式に求めている声だった。


「——わかった」


俺は言った。


「そのまま伝える。必ず入れる」


「……」


「信じていいか?」と来た者が聞いてきた。最初のころはそんな言葉さえ持っていなかった。


「信じていい」


カイルが小声で「……すごいな」と言った。ゴブが「すごいのはあちらですよ」と答えた。


接続点の向こうで、来た者がゆっくりと引いていった。


今夜はもう何も言わなかった。でも最後に、かすかな——本当にかすかな——何かが届いた気がした。言葉にはなっていない。ただ、温度のようなもの。


「カーラに連絡する」


俺は立ち上がった。


「条文の修正が一つ増えた。でも——たぶん、この一文が一番大事な条文になる」


通信石を取り出しながら、俺は草稿の余白に書き留めた。


〈第五条:協定に違反があった場合、いかなる措置よりも先に、三者は話し合いの場を設けることを義務とする〉


まだ完成じゃない。


でも形になってきた。


ゴブが「来た者は——ちゃんと、協定の意味を理解しています」とつぶやいた。


「ああ」


「怖くなかったんですかね。最初に条件を言うの」


「怖かったと思う。それでも言った」


「……百回くらい考えて、言ったんじゃないですかね」


俺は少し笑った。


「かもしれない」


通信石にカーラの声が繋がった瞬間、俺は言った。


「草稿にもう一条、追加してほしい。来た者から——一つだけ、変えてほしい条件が出た」

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