表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

145/179

第145話「言わなかった理由」

---


「言ったとして、誰が聞いてくれた?」


セルディンの声は、怒りでもなく嘆きでもなく、ただ静かだった。


議会棟の小部屋。昨日と同じ木の机。同じ椅子。でも昨日と何かが違う気がした。昨日は「交渉の場」だったが、今日は——もう少し、別の何かになっていた。


カーラが黙った。


俺は第七迷宮の詰所から通信石を通じて聞いていた。声だけが届く。表情は見えない。でも沈黙の重さは、はっきりとわかった。


「三年前の議会を——覚えていますか、副司令」


セルディンが続けた。


「あの頃の雰囲気を。魔物との協議など論外。迷宮の自律知性体などという概念は笑い話。封印強度の低下など、データの誤差だと一蹴されていた」


「……はい」


カーラの声がそこだけ低くなった。


「あの場で私が立ち上がって、『封印の異常を知っている』と言ったとしましょう。どうなりましたか。私の発言は嘲笑されたか、あるいは——危険思想の持ち主として記録されたか。どちらかでしたよ」


沈黙が続く。


俺は通信石を握ったまま、何も言わずにいた。


ゴブが隣に座って、同じように聞いていた。さっきから身じろぎもしない。


「言えなかったのではなく、言えない状況があった」とセルディンは言った。「それを——甘えだと言いたいなら、そう言ってください。私も、そう思っています」



 



カーラがようやく口を開いた。


「……私も、似たことがありました」


セルディンが少し黙った。


「若いころ。部下を一人、失いました。その子が何度か、作戦への懸念を私に伝えようとしていた。私は聞いていなかった。正確には——聞こえていたのに、判断を保留にしていた」


「……」


「あの子が死んでから、気づきました。聞いてさえいれば、変えられたかもしれないと。でもその後しばらく、私は同じことをしていました。聞くことが怖くなったんです。聞いてしまったら、責任が生まれる。だから聞かないことを選んだ」


俺はカーラがそこまで話したことに、少し驚いた。


会議の場で、反対派の重鎮に向かって、自分の失敗を語るのは——戦術的な意味もあるかもしれないが、それだけじゃない。カーラはここ数ヶ月で変わった。「一人で背負う人」が、少しずつ「話せる人」になってきた。


俺が教えたわけじゃない。ゴブも、セルディン自身も、そうして来た道がカーラを変えた。


「聞かないことを選んだ……」セルディンが繰り返した。「そうです。私も同じだ。言わないことを選んだのではなく——言う場所が、なかった。そういうことにしていた」


「セルディン議員」


カーラが呼んだ。


「今は、ありますか。言える場所が」


また沈黙。


今度は長かった。


俺は通信石に手を当てたまま、待った。ゴブが「どうなってるんですか」と小声で聞いてきた。俺は軽く首を振った。


待つしかない。



 



「アシダ殿」


セルディンが、突然俺に話しかけてきた。通信石越しだとわかっているのに、声の向きが変わった気がした。


「聞こえているか」


「聞こえています」


「あなたは——今の状況を、どう見ていますか」


俺は少し考えた。正直に答えることにした。


「三年前と今の違いを、俺は数字で説明できます。封印強度の回復率、「来た者」との交渉実績、ゴブたちの移送から今まで溢出がゼロだったこと。そういう事実はある」


「……」


「でも今、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて」


「言ってみなさい」


「三年前に言い出せなかったのが、セルディン議員一人の問題じゃなかったとしたら。聞けない場所に、聞こうとしない人間が多すぎた、ということなら——今は少し違います。俺が言うのも変ですが」


「変ですが、と言いながら言うのか」


「まあ、そうですね」


通信越しだったが、セルディンが小さく笑った気がした。


「聞ける人間が増えた、と?」


「増えました。少しは」


俺の隣でゴブが「俺も聞きます」と言った。通信石に顔を近づけて、ちょっと大きな声で。


「聞きます。百回ノックの練習はもうしないでいいです。ノックしてくれたら、最初から開けます」


少しの間があった。


「……それはゴブリンの門番殿か」


「はい。第七迷宮の、現在申請中の門番です」


「申請中の、か」


「正式承認はまだです。でも仕事はしています」


また間があった。


今度は違う種類の間だった。



 



「副司令」


セルディンがカーラに向き直ったのがわかった。


「協定草案を、もう一度見せてください。私が気になっている条項が、三つあります」


カーラの声が少し変わった。緊張から、何か別のものに。


「わかりました」


「全部を飲むとは言いません。ただ——聞いてから、判断します」


俺は通信石を持ったまま、じっとしていた。


その言葉を聞いたとき、何か言おうとして——やめた。


何も言う必要がなかった。


ゴブが俺の顔を見て、「今、なんか言いましたよ」と囁いた。


「聞こえてたか」


「聞こえました。「聞いてから判断する」って」


「そうだな」


「レンが言いそうなことを言いました」


「似てたか」


「似てました」


俺は小さく息を吐いた。


部屋の外で風が動いた音がした。夕方が近い時間帯で、詰所の窓から石畳が見えている。第七迷宮の入口まで、ここから数歩。


今日も何も「壊れて」いない。


交渉が進んでいる。少しずつ、確かに。



 



通信がひと段落したあと、カーラから別線で接続が来た。


「今の、聞いてましたか」


「全部」


「セルディン議員が——笑いました。最後に」


「気づいてた」


「ああいう笑い方をする人だとは、思いませんでした」


「聞いてみないとわからないものが多い」


カーラが少し黙った。


「アシダ殿。一つ聞いていいですか」


「どうぞ」


「三年前の議会——あなたがいたら、どうしていたと思いますか」


俺は少し考えた。


「わからないですね。俺もその場の空気に飲まれたかもしれない」


「そうですか」


「でも——聞こうとはしたと思います。聞いてから判断しようと。それだけ」


「それだけ、か」


「それだけで変わることもある。ゴブが百回ノックしてきたときみたいに」


カーラが「そうですね」とだけ言った。


声に、やわらかさがあった。


ゴブが隣で「俺の話が出ました」と小さく誇らしそうにしていた。俺は「そうだな」とだけ返した。



 



「一つだけ、確認させてください」


しばらくして、カーラからまた通信が来た。


「セルディン議員が——笑ったあと、こう言いました。『……そうですな』と」


「聞こえてた」


「あれは——どういう意味でしたか。笑ったのに「そうですな」だけで」


俺は少し考えて、答えた。


「承認だと思います。言葉にはならなかったけど——認めた、ということじゃないですかね」


「認めた」


「三年前に言い出せなかった自分のことも。聞けなかった場所のことも。で、今は違う、ということも」


カーラが少し間を置いた。


「「今は聞ける人間が増えた」——アシダ殿、さっきそう言いましたよね」


「言いました」


「あの言葉が——効いたんだと思います」


「そうだといいですね」


「自信を持って言っていいと思います」


「まあ」と俺は言った。「結果を見てから判断します」


カーラがかすかに笑った気配がした。


「ゴブリンの門番殿も、今日は良い一言を言っていました」


ゴブが通信石の近くで「聞こえます」と言った。


「ありがとうございます。百回ノックは誇張です。本当は三十二回でした」


「正確に覚えていたのか」


「あの夜のことは全部覚えています」


俺もあの夜のことは覚えている。暗い詰所の扉を、小さな拳が叩いた音。最初は気のせいかと思った。でも聞こえた。だから開けた。


それだけだった。


「明日——セルディン議員と草案の読み合わせをします」とカーラが言った。「三つの条項について、意見を出すそうです」


「わかった」


「「来た者」への報告は、その後でいいですか」


「そうします」


「では、また明日」


通信が切れた。



 



詰所に静けさが戻った。


ゴブが伸びをして、「長い一日でした」と言った。


「まだ夜じゃない」


「気持ちが長かったです」


「そうか」


しばらく、二人で黙っていた。


「レン」


「なんだ」


「セルディンって人、最初は嫌な人かと思いました」


「最初はな」


「でも——ノックしなかったことを、後悔してる人でした」


「そうだな」


ゴブは少し考えてから言った。


「ノックしたくてもできなかった人のことを——俺はわかります」


「知ってる」


「でも、ノックした後のことが怖かったのは——俺も同じでした」


「三十二回、叩いてたもんな」


「叩いてから、後悔しようと思っていました。叩いて、もし怒鳴られたら、その時に後悔しようと」


俺は笑った。声に出して。


ゴブが「笑うところですか」と言った。


「笑うところだ。良いことを言ってる」


「そうですか」


「叩いてから後悔するのが、正しい順番だな」


ゴブが「そうです」と少し胸を張った。


窓の外が、少しだけ暗くなり始めていた。


明日、カーラがセルディンと草案を詰める。その結果を「来た者」に伝える。順番は、決まっている。


俺はスキルを確認した。


【迷宮管理Lv.9:封印接続——安定。外部存在「来た者」——待機状態。次回接触まで:未定】


待機状態、か。


「来た者」も待っている。俺たちの返事を。


「ゴブ」


「はい」


「明後日あたりに「来た者」と接続するかもしれない」


「そのときは俺も入っていいですか」


「もちろん」


ゴブが「わかりました」と言って、詰所の隅に置いてある薄い毛布を引き寄せた。夜まで待つつもりらしい。


俺は通信石を机の上に置いて、椅子に深く座り直した。


やることは、ある。カーラの交渉が進んで、草案が固まって、来た者に報告する。その先には署名がある。三者の署名が揃えば——道が開く。


まだ終わっていない。


でも、今日確かに一歩、進んだ。


「……そうですな」


セルディンのあの声が、少しだけ耳に残っていた。


長い三年間を抱えて、ずっと黙っていた人間が——初めて笑った顔で、そう言った。


俺は見ていない。声だけ聞いた。


でも——十分だった。



 



翌朝、カーラから短い通信が届いた。


「三つの条項、すべて合意に向けた修正案が出ました。今日の昼に草案の最終確認に入ります」


それだけだった。


俺は「わかった」と返した。


ゴブが「どんな修正ですか」と聞いてくる前に、もう一本、通信石が音を立てた。


カイルからだった。


「アシダ。王都から今朝出た。明日の夕方に着く。——あと、一つ聞いていいか」


「なんだ」


「草案の王国側署名、俺がやるって話、本当に俺でいいのか」


俺は少し間を置いた。


「俺より適任だ」


カイルが黙った。長い沈黙があった。


「……わかった」と、低い声で言った。


「明日、待ってる」


通信が切れた。


ゴブが「カイルさんが署名するんですか」と聞いてくる。


「そうなる予定だ」


「大丈夫ですか」


「カイルなら大丈夫だ」と俺は答えた。


それから少し考えて、もう一言だけ付け加えた。


「まあ——聞いてから判断しよう、って奴だしな」


ゴブが「それ、カイルさんは言えるんですか」と首を傾げた。


俺は答えなかった。


明日、カイルが来る。草案の最終確認が入る。署名の話になる。


そのとき、カイルがどんな顔をするのか——


それは、見てから判断することにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ