第142話「封印維持の条件」
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「条件がある」
外から来るもの——「来た者」が、そう言ったのは接続が始まってから間もなくのことだった。
俺は封印接続点の石の前に座ったまま、返事をしなかった。
焦らなくていい。向こうが話を続けるなら、続くまで待てばいい。
沈黙が数秒続いた。それから「来た者」の声が、再び迷宮の壁を震わせた。
「協力する。封印を維持することに、協力する。だが——保証がほしい」
「保証、か」
「そうだ。三百年、私たちは封印の外にいた。誰にも求められず、誰にも知られず、ただそこにいた。もし協力した後で、再び無視されるなら——」
言葉が途切れる。
「それは嫌だ、ということか」
「嫌だ」
短い答えだった。けれどその短さの中に、三百年分の何かが詰まっていた気がした。
俺は少し考えてから、隣に座っているゴブの方を見た。ゴブは小さな顔で、神妙にうなずいた。
「まあ、聞いてから判断しよう。具体的にはどういう保証がほしいんだ?」
「来た者」が求めたのは、文書による保証だった。
口約束ではなく、署名がある形で。誰かが封印維持の義務を負う、という記録として残る形で。
「記録というものを、私たちは知っている。人間が使う。言葉は消えるが、書かれたものは消えない」
「よく知ってるな」
「三百年、外から見ていた。人間が何をするか、少しはわかる」
その言い方に、どこか誇りのようなものが混じっていた。俺は少し笑いそうになるのを抑えた。
保証文書となれば、それを発行できるのは一つしかない。王国の議会だ。
接続を切った後、俺はすぐにカーラに通信を飛ばした。
「……条件が出ました。署名入りの封印維持保証文書が必要です」
通信越しにカーラの沈黙がある。長い沈黙だった。
「議会を通すのは、難しいかもしれません」
声のトーンが一段落ちた。俺は通信石を握ったまま、ゴブとカイルの顔を交互に見た。
「難しい、というのは」
「前回の採決で賛成多数は取れました。ただ——封印維持という義務を王国が文書で負う、となると話が違います。長期的な拘束を伴う合意を議会に通すのは、別種の難しさがあります」
「セルディン議員は?」
「彼は今回も協力してくれると思います。ただ——彼一人が動いても、反対派が数を取れば否決です」
俺は石床の一点を見つめた。
「来た者」が求めているのは、特別なことではない。約束を、形にしてほしい。それだけだ。
だが「それだけ」が、人間側の都合で難しくなる。
「カーラさん」
「はい」
「無理だとは思ってません。ただ——時間がかかるかもしれない。その間、「来た者」に待ってもらう必要があります」
「アシダ殿が、その説明をするということですか」
「俺がする必要はないかもしれない。でも誰かがしなければいけない」
夕刻、迷宮の入口に近い石段に三人で腰を下ろした。
ゴブが水を入れた革袋を持ってきて、無言で俺に渡した。カイルはしばらく口を開かなかったが、空を見上げながら言った。
「厄介だな」
「厄介だな」
「お前が答えを繰り返すな」
「繰り返したくなる程度には厄介だということだ」
カイルがわずかに口元を緩めた。それからまた真面目な顔に戻る。
「俺が王都に先行してもいい。カーラ副司令と事前に話を詰めておく」
「第四迷宮はいいのか」
「今は安定してる。しばらく時間がとれる」
「わかった。頼む」
短いやり取りだった。カイルはそれ以上何も言わず、手帳に何か書き始めた。
ゴブが俺の袖をそっと引っ張った。
「レン。「来た者」は、怒ってませんでしたか?」
「怒ってなかった。ただ——怖かったんだと思う」
「怖い?」
「また無視されるのが、怖い。三百年、向こう側にいたんだ。誰かに認めてもらいたいと思っても、おかしくない」
ゴブは小さく「そうですね」と言った。
「俺たちも最初、そうでした。ただ生きたかっただけなのに——それを言える場所がなかった」
その言葉を、俺はしばらく黙って受け取った。
ゴブはそのまま川の方向を向いて、何かを考えるような顔をした。
「議会が、動いてくれますかね」
「カーラさんとカイルが動くなら、動くと思う」
「でも時間はかかる」
「ああ」
「待てますかね、「来た者」は」
「待てると思う。三百年待ったんだから、もう少しは待てるだろ。ただ——」
「ただ?」
「ちゃんと、待ってるって伝えないといけない。返事なしに待てというのは、また無視するのと同じだ」
ゴブが「なるほど」と言う。
【迷宮管理Lv.8:外部知性体「来た者」——接触維持中。封印強度:63%(安定)】
スキルの数値は安定を示していた。今すぐ崩れるような状況ではない。
ただ、安定しているうちに動かなければいけない。
翌朝、カイルは王都に向けて出発した。
見送りは短かった。
「行ってくる」とだけ言って、カイルは振り返らずに歩いた。
ゴブが小さく手を振って、カイルの背中が見えなくなるまで待った。それから「あの人も変わりましたね」と呟いた。
「変わったな」
「最初に会ったとき、話を聞くような人間には見えませんでした」
「俺もそう思ってた」
「でも今は聞きます」
「聞くな」
「変わったのは——レンのせいですか?」
「カイル自身だよ。俺は何もしてない」
「でも、変わったのはレンと会ってからです」
それには答えなかった。
変わったかどうかは、変わった本人にしかわからないことだ。俺の目には、カイルは最初から「聞けるやつ」だったように見える。ただ、そう思ってなかっただけで。
午前のうちに「来た者」への通信を入れた。
「今すぐ文書を用意することは難しい。ただ——動いてる。仲間が王都に向かった」
「仲間が?」
「信頼できる人間だ。必ず話を聞いてもらえるよう動く」
「……待てばいいか」
「待っていてくれ」
短い沈黙の後、「来た者」が言った。
「わかった。三百年待った。もう少しくらいは待てる」
その言い方が、昨日ゴブが言ったことと重なった。
聞く前に答えを出さないこと。それがこれだけ遠いところにも届くとは、正直なところ、最初は思っていなかった。
接続を切ってから、俺はしばらく封印接続点の前に座ったままでいた。
スキルの表示が静かに点滅する。
【迷宮管理Lv.8:外部知性体「来た者」——次接触まで待機状態。推定接触可能時間:48時間以内】
次は48時間以内に来る。その頃には、カーラとカイルが王都で何かを動かしているはずだ。
俺にできることは、今ここでちゃんと待つことだ。
門番というのは、それが仕事なんだから。
その夜、カーラから短い通信が届いた。
「カイルから先行報告を受けました。明日の午前中に、まずセルディン議員と話します」
「わかりました」
「一つだけ確認させてください」
「はい」
通信越しに、カーラが息を一つ整える音がした。
「この文書が議会を通った場合——「来た者」は、本当に封印維持に協力してくれるんですか?」
俺は少し考えた。
「少なくとも俺には、そう聞こえました」
「聞こえた、というのが、あなたの保証なんですね」
「そうです。俺が聞いた話が、全部の根拠です」
短い沈黙があった。
「……わかりました」
とカーラが言った。
「議会を通します。かならず」
その声に迷いはなかった。
俺は「ありがとうございます」と言おうとして、やめた。
礼を言うより先に、動いてくれている。それで十分だ。
通信を切ると、外は星が出ていた。
ゴブが毛布を持って来て、「寒くないですか」と言った。
「寒くない」
「嘘です。さっきから肩が上がってます」
俺は素直に毛布を受け取った。
「カーラさん、動いてくれますか」
「動く、って言ってた」
「よかった」とゴブが小さく言う。
「俺も——「来た者」みたいに、最初は保証がほしかったんです。自分たちが外に出ても、また攻撃されないって保証が。でも保証なんてどこにもなかった」
「そうだったな」
「それでもレンが扉を開けてくれたから——来てよかったと思えた」
俺は何も言わなかった。
言葉より先に、毛布の重みの方がちゃんと伝わる気がしたから。
夜風が迷宮の入口を吹き抜けた。
明日、カーラとカイルが動く。その結果が戻ってくるまで、俺はここで待つ。
でも待つというのは、何もしないこととは違う。
ここにいる、ということが——もうすでに何かになっているはずだから。
【迷宮管理Lv.8:封印強度63%——安定継続中。外部知性体「来た者」——待機中】
スキルが、静かに夜を刻んでいた。
翌朝、カイルから短い通信が届いた。
「セルディンに会った」
「それで?」
少しの間があった。
「『またあなた方か』と言いながら——椅子を引いた」




