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魔剣に選ばれなかった俺、地味な基礎剣術で勝利する  作者: 汐見 ゆゑ


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6. アルトの課題

 戦いの序盤は、驚くほど上手くいった。


「間隔! 槍一本! そこ、詰まってるぞ!」

「追うな追うな! 下がった奴は放っとけ!」


 兵たちは教えた三つを、合言葉のように叫び合いながら守った。牙狼が城壁へ取りつき、跳び越えてくる。だが着地点には必ず槍衾がある。送り足で位置を直した兵の前で、牙狼の跳躍は次々と空を切った。


 いい。これなら保つ。


 俺は東側の低い崩れ目から壁外へ出て、群れの脇を駆けた。目標は後方の魔杖鬼。あれさえ落とせば、群れはただの獣に戻る。


 火矢の魔術が城壁へ降り始めた。魔杖鬼が杖を振るたび、燃える矢が三本、四本と弧を描く。


 ――速く。


 その時だった。


 視界の端、城壁の西端で、隊列が乱れた。


 火矢が着弾した衝撃で、若い兵が二人、持ち場から吹き飛ばされたのだ。空いた穴へ牙狼が三頭、立て続けに跳び込む。悲鳴が上がった。


 考えるより先に、足が向きを変えていた。


 駆け戻る。跳び込んだ牙狼を背後から二頭斬り、三頭目を若い兵から引き剥がす。


「だ、大丈夫です、自分らでやれ――」

「下がってろ!」


 自分の声が、思ったより荒かった。


 穴は塞いだ。だが、その間に反対の東側でも隊列が揺れていた。魔杖鬼が、俺の動きを見て攻撃箇所を切り替えたのだ。賢い。俺が守りに回れば回るだけ、奴は別の場所を叩く。


 東へ走る。塞ぐ。西が揺れる。戻る。塞ぐ。


 息が上がり始めた。分かっている。これは悪手だ。俺一人で三百歩の城壁は覆えない。頭では分かっているのに、崩れかけた場所を見ると、足が勝手にそちらへ――


 あの日と、同じだ。


 五年前。峡谷の任務。退避しろと言えなかった。全部俺が止めればいいと思った。止めきれなかった敵の一本の矢が、俺の隣にいた補助兵に――


「アルト! 北東、指揮個体が前に出た! 今なら――アルト!?」


 リシアの声が聞こえた時、俺は西側の穴を塞ぎに走っている最中だった。


 好機だった。魔杖鬼が射程を詰めるため、群れの前へ出てきていた。今、俺が持ち場の判断を捨てて西へ走っていなければ、届いた。


 魔杖鬼の杖が、俺へ向いた。


 火矢ではない。もっと太い、火の槍。


 視線の先には俺と――俺の背後で倒れている、さっきの若い兵。


 避ければ、後ろに当たる。


 だから、避けなかった。剣で軌道を割った。だが火の槍は火球より速く、割り切る前に爆ぜて、右腕を灼熱が舐めた。


「ぐ……っ」


 膝をつく。右腕が上がらない。革鎧の右袖が焦げ、肉の焼けた臭いがした。


 しくじった。これで剣は左一本。指揮個体は健在。俺が塞いでいた穴は――


 穴は。


 ……塞がって、いた。


「間隔戻せ! 槍一本! おう、そこだ!」

「追うな! 壁が勝ちだ、壁が!」


 若い兵たちが、倒れた仲間を後ろへ引きずり、送り足で位置を直し、槍衾を作り直していた。誰の指示でもなく。教えた三つだけを、馬鹿正直に、必死に守って。


 牙狼の跳躍が、また一つ、槍の壁に落ちる。


 俺がいない一角を、俺が教えた形が守っていた。


「――ぼさっとするな、新入り!」


 風を裂いて、リシアの長槍が魔杖鬼の火線を薙ぎ払った。彼女はいつの間にか壁外へ出て、単騎で指揮個体の正面へ回り込んでいた。


「一人で背負うなと言ったはずだ! 私が正面を持つ! あんたは仕事を果たせ! 一撃でいい、あの杖を折れ!」


 魔杖鬼の注意が、リシアへ割れた。


 杖の火が、彼女へ向く。その横腹が、がら空きになる。


 ……ああ、そうか。


 これが、「任せる」ということか。


 俺は左手一本で剣を構え、地を蹴った。右腕は使えない。だから体重移動だけで剣を運ぶ。歩法・第二型。踏み込みは最短、刃筋は骨の間へ。


 左手の一閃が、魔杖鬼の杖を柄ごと両断し、返す刃がその首を落とした。


 指揮を失った牙狼の群れは、潮が引くように森へ散っていった。


 城壁から、割れんばかりの歓声が上がった。


「やった! やったぞ!」

「壁は破られてねえ! 一箇所もだ!」


 俺はその場に座り込んだ。焼けた右腕がずきずきと脈打っている。


 情けない、と思った。教えた側の俺が、教えを一番守れなかった。


「アルトさん! しっかり!」


 駆け寄ってきたのは、さっき俺が庇った若い兵だった。彼は俺の左腕を自分の肩へ回し、引き上げるように立たせてくれた。


「掴まってください。……その、俺を庇っての怪我、ですよね。すみません」


「いや。……俺が勝手に、割り込んだだけだ」


「けど」


 若い兵は、少し笑った。


「次は、庇わなくて大丈夫なように、なりますから」


 その一言が、火傷よりも深く、俺のどこかに残った。





 夜、診療所。


 軟膏と包帯を巻かれた右腕を吊りながら、俺はリシアの叱責を受けていた。


「作戦では、西の防衛はデグの班の担当だった。あんたの持ち場は指揮個体、ただ一点。違うか」


「……違いません」


「あんたが西へ走った瞬間、東の兵は『自分の場所もいずれアルトが来て守ってくれる』と考える。持ち場を守り切る覚悟が、そこで緩む。あんたの足は速いが、八十人の覚悟を緩ませてまで速く走る価値はない」


 容赦がなかった。そして、全部正しかった。


「……なぜ、そこまでして一人で背負う」


 問われて、俺は少し黙り、それから、話した。


 五年前のこと。峡谷で、殿(しんがり)を買って出たこと。「俺が全部止める」と言ったこと。止めきれなかった一本の矢のこと。俺を庇って倒れた補助兵の、最後の言葉のこと。


 ――一人で抱えるな、って。あいつは最後に、そう言ったんです。


 なのに俺は、あれ以来ずっと、逆をやってきた。誰かに任せて失うくらいなら、全部自分で抱えて、自分が失われた方がいいと。


「……それは、責任感じゃない」


 戸口から声がした。


 杖を突いたガルドが、いつの間にか立っていた。湯治は終わったのか、この爺さんは神出鬼没だ。


「お前さんのそれはな、若いの。他人を信じられんだけじゃ。任せて裏切られる――違うな、任せた相手が傷つくのを見るのが怖くて、結果を全部自分の手で握っておきたい。それは覚悟ではなく、恐怖じゃよ」


「……厳しいですね」


「事実じゃからな」


 ガルドは俺の吊られた右腕を杖の先でつつき、鼻を鳴らした。


「今日の戦、聞いたぞ。お前さんの三つの教えで、兵は死ななんだ。お前さんの剣は指揮個体を落とした。――で、お前さんの独り相撲だけが、その腕を焼いた。差し引きは自分で計算せい」


「剣は、足りている」


 老人は戸口から夜空を見上げた。


「お前さんに足りんのは技ではない。背中を預ける覚悟、ただ一つよ」


 返す言葉を探していると、診療所の外が妙に騒がしいことに気づいた。


 窓から覗くと、松明の灯りの下、練兵場に兵たちが集まっていた。デグを先頭に、今日の戦いを生き延びた顔ぶれが、木剣や槍を持って。


「おーい、アルトさんよぉ」


 デグが窓へ向かって呑気に手を振った。


「三つの基礎、ありゃすげえや。んで、思ったんだが……三つで あれなら、十教わったらどうなるんだ? ってな。みんなで話してたのよ」


「明日と言わず、今夜から頼んます!」

「あ、ずるいぞお前、俺が先に言おうと」


 口々に言う兵たちを見て、リシアが小さく笑った。


「だ、そうだ。……どうする、剣術指南殿?」


 俺は右腕を見た。当分、剣は振れない。


 振れないなら――見ればいい。


 練兵場へ出て、俺は左手で木剣を拾い、構えだけをやって見せた。


「まず、立ち方から。足は肩幅、重心は……そう。そこのあなた、少し前すぎます」


 自分は一太刀も振らず、人の稽古を見る。


 思えば、初めてのことだった。誰かの剣が良くなっていくのを、ただ隣で見ている。それが不思議と、悪くない。悪くないどころか――


 稽古が一段落した頃、砦の門から斥候が駆け込んできた。


「副長! 鉱山の定期巡回から戻りました! それが、その……見てもらった方が早いんですが、山肌に、爪痕が」


「爪痕? 熊系か?」


「いえ……深さが、槍がまるごと入るくらいで。幅は、荷馬車くらい、で」


 練兵場が、静まり返った。


 リシアと俺は、顔を見合わせた。


 そんな爪を持つ魔物は、北辺の記録には一種類しかいない。


 ――地竜。

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