5. 北辺守備隊
北辺砦は、思っていたより古く、思っていたより活気があった。
石壁のあちこちに補修の跡。見張り塔は片方が木組みの継ぎ足し。だが練兵場からは朝から掛け声が響き、兵たちの動きに緩みはない。
「隊員は総勢八十。うち実戦に出られるのは六十というところだ」
リシアが歩きながら説明してくれる。
「魔剣持ちは、ゼロ。全員がただの兵士だ。中央から見れば二線級だろうな。……紹介する。整列!」
練兵場に隊員たちが並んだ。俺へ向けられる視線は、歓迎半分、警戒半分といったところだった。
「昨日付で入隊したアルト・レインだ。元魔剣騎士団の――」
「魔剣騎士団ぁ?」
列の中から、大柄な槍兵が声を上げた。
「中央のエリート様が、なんだって北辺くんだりに。……ああ、追放されたって噂の人か。何やらかしたんです?」
「デグ、口を慎め」
「いや副長、こっちは命を預け合う商売でさ。問題起こして流れてきた奴と背中合わせは御免ですよ」
もっともな言い分だった。俺が黙っていると、リシアはあっさり頷いた。
「なら、確かめればいい。模擬戦だ。デグ、お前の班とアルト、五対一でやれ」
木剣を渡された。五人が距離を取って俺を囲む。
「恨みっこなしですぜ、元エリートさん」
デグの突きは、正直、悪くなかった。実戦で磨いた槍だ。まっすぐで、速い。
だから、穂先が伸びきる寸前に半歩ずれて、柄を軽く押さえた。それだけで槍の軌道は流れ、デグの体勢が泳ぐ。泳いだ背中は、後ろから斬りかかってきた剣兵の進路をちょうど塞ぐ形になった。
俺は二人が絡まっている脇をすり抜け、三人目の小手を打ち、四人目の木剣を巻き上げ、五人目の喉元寸前で切っ先を止めた。
「……そこまで!」
リシアの声で、練兵場が静まり返った。
「嘘だろ……木剣同士だぞ……」
「一度も打ち合ってねえ……」
デグが尻餅をついたまま、まじまじと俺を見上げた。
「あんた……いや、あんたさん、今の、俺の槍をどうやって」
「いい突きでした。伸びきる瞬間さえ外せば、ですが」
正直に答えたのだが、なぜか場は余計にざわついた。
解散後、リシアが俺を壁際へ呼んだ。てっきり労いかと思ったが、彼女の目は険しかった。
「アルト。今の模擬戦、何点だ?」
「……三人目の小手打ちが浅かったので、七十点かと」
「零点だ」
即答だった。
「あんたは五人を相手に、五人を全部一人で処理した。囲まれた時点で、味方に付け入らせる隙を四つは作れたはずだ。デグの体勢を崩した瞬間もそうだ。あそこで声を出して味方――今回はいないが――に拾わせれば、隊としての潰しになった」
「模擬戦は、一人でやるものでは」
「うちに一騎討ちの任務はない」
リシアは断言した。
「北辺の戦いは全部、集団戦だ。八十人で数百の魔物を止める。あんた一人がどれだけ強くても、八十人の隊の中で『一人で全部やる剣士』は、穴にしかならない」
反論できなかった。だが、腑に落ちてもいなかった。
弱い者に任せて、その人が死んだら、誰が責任を取る。
俺が全部やれるなら、俺が全部やればいい。それの何が――
鐘が鳴った。
短く三回。連打。見張り塔から怒鳴り声が降ってくる。
「北東! 魔物の群れ! 数、百超え! 後方に……なんだありゃ、杖持った個体がいるぞ!」
リシアの顔つきが変わった。
「――話は後だ。来い、新入り。初仕事だ」
◇
作戦室の卓上に、砦周辺の地図が広げられた。
「斥候の報告をまとめる。群れの主力は牙狼、およそ百二十。厄介なのは後方の指揮個体だ。魔杖鬼――魔術を使う中型鬼で、火矢の魔術を城壁へ撃ち込みながら、群れに突っ込む場所を指示してくる」
リシアの説明に、兵たちの顔が曇った。
「魔杖鬼かよ……前に来た時は、城壁の上から狙い撃ちされて七人やられた」
「魔剣騎士の応援を要請しても、来るのは早くて十日後だしな」
俺は地図を見た。砦の北東は開けた斜面で、森との間に三百歩ほどの平地がある。
「……リシア。提案が」
「言え」
「指揮個体は俺が斬ります。単独で群れの脇を抜けて、後方へ」
「却下だ。単独行動は認めない」
「なら、条件があります」
俺は地図の城壁の線を指でなぞった。
「俺が抜ける間、城壁の防衛は皆さんに任せることになる。牙狼は壁を跳び越えてきます。白兵戦になる。……その前に、三十分だけください。全員に、三つだけ教えます」
「三つ?」
「はい。三つで十分です」
練兵場に集まった兵たちへ、俺は木剣を持って向き合った。
「一つ目。『足を交差させない』」
実際にやってみせる。左右へ動く時、足を交差させて歩むと、交差の瞬間に体が棒立ちになる。
「牙狼は、動けない瞬間に必ず跳びます。横へ動く時は、送り足。前の足を出したら、後ろの足を引き寄せる。これだけで、奴らの跳ぶ間合いが消えます」
「二つ目。『隣との間隔を、槍一本分に保つ』」
デグの槍を借りて、地面に線を引いた。
「近すぎれば互いの武器がぶつかる。遠すぎれば間を抜かれる。槍一本分なら、自分の敵を突きながら、隣の敵も牽制できる。自分の正面だけ守ればいい。両隣はあなたの間合いが守ってくれます」
「三つ目。『追いすぎない』」
これが一番大事だ、と俺は言った。
「魔物が下がったら、追わない。深追いした一人が引きずり出されて、そこから隊列は崩れます。倒す数は問題じゃない。壁が壊れないことだけが勝ちです」
兵たちは、拍子抜けした顔をしていた。
「……それだけ、ですかい?」
デグが首をかしげた。
「必殺の構えとか、魔物の急所とか、そういうのじゃなく」
「急所に届く前に死んだら意味がありません。生きて立っている兵士が一番強い」
しん、とした。
それから、デグは妙な顔で笑った。
「はっ……なんだそりゃ。魔剣騎士団ってのは、そんな地味なことを教えるんですかい」
「いえ。騎士団はこういうことを教えません。だから――」
言葉を選び損ねて、俺は一瞬黙った。
だから、負ける時は脆い。あの隊は。
「……とにかく、この三つだけ守ってください。守れば、生き残れます」
「アルトの指示なら、生き残れそうな気がしてきたぜ」
誰かが言い、低い笑いが広がった。悪くない空気だった。
城壁へ配置についた時、森の縁が揺れた。
灰色の影が、次々と平地へ溢れ出す。
牙狼の群れ。その遥か後方、森の際に、節くれだった杖を持つ大柄な影が見えた。
「来たぞおおお!」
第一波が、斜面を駆け上がってきた。




