4. アルトとリシア
夜になった。
村の被害は、家屋の一部と柵、それに軽傷者が数名。死者は、出なかった。
「あんたが退路を示した東の柵裏から、四十人以上が逃げている。広場の火球を斬っていなければ十数人は死んでいた。……これは偶然か?」
宿屋の食堂で、リシアは酒も頼まず、単刀直入に切り込んできた。
「偶然です」
俺は答えた。
「火球の中心が、たまたま見える位置にあった。鎧鬼熊も、たまたま継ぎ目の緩い個体だった。だから――」
「ほう。して、その『たまたま』は何度目じゃ?」
嗄れた声が割り込んだ。
振り向くと、隅の席で杖を突いた老人が酒を舐めていた。白髪交じりの短髪に無精ひげ。右脚をかばう座り方。ただの隠居老人に見える――足運びを見るまでは。
立ち上がって食卓を回ってくる、そのわずか数歩。杖を突いているのに、重心が一度もぶれなかった。
「わしはガルド。この村には湯治で寄っただけの年寄りじゃ。……のう、若いの。魔術を斬ったのは今日が初めてか?」
「……いえ」
「何度目じゃ」
「数えて、いません。任務では日常的に」
「日常的に!」
老人――ガルドは、愉快そうに膝を打った。
「聞いたかリシア嬢。日常的に魔術を斬る男が、それを偶然と申すぞ」
「笑い事ではないでしょう」
リシアは真顔のまま、俺へ向き直った。
「アルト・レイン。北辺守備隊に来ないか。うちは慢性的な人手不足でな。魔剣騎士の派遣は年に数えるほど、魔物の襲撃は月に数えきれないほどだ。あんたのような剣士が一人いるだけで、救える村が増える」
採用証を懐から出しながら、彼女は付け加えた。
「言っておくが、同情ではない。戦力が欲しいだけだ。給金は中央より安い。装備も自前。それでも来る気があるなら」
俺は、すぐには答えられなかった。
ありがたい話だ。行く当てのない身には過分なほどに。
なのに、喉の奥に引っかかるものがあった。
「……少し、考えさせてください。その、王都へ戻って、騎士団に正式な異議を申し立てるべきかとも考えていて。功績の記録を調べ直してもらえれば、俺の働きも認められるかもしれない。そうすれば復帰も」
「復帰して、どうする」
リシアの問いは、静かだった。
「どう、とは」
「認められて、それからどうしたいのかと聞いている」
言葉に詰まった。
認められたい。正式な騎士になりたい。それは十年間、俺の目標だった。だが「それから」を、俺は一度も考えたことがなかった。
ガルドが、杖の先で床を、こつんと突いた。
「若いの。一つだけ聞かせろ」
老人の目は、酒の席のそれではなくなっていた。
「お前さん、誰の許可がなければ剣士を名乗れんのだ?」
「……え?」
「今日、お前さんは村を救った。騎士団の命令でか? 違うな。誰かの許可を得てか? 違う。お前さんが勝手に走って、勝手に斬って、勝手に守った。――で、あの働きに、騎士団の認可とやらが一枚でも必要じゃったか?」
何も、言えなかった。
「魔剣に選ばれる。上官に認められる。制度に記録される。結構結構。じゃがな、それは全部『他人がお前さんをどう扱うか』の話じゃ。『お前さんが何者か』の話は、そこには一行も書いておらん」
ガルドは酒を飲み干し、立ち上がった。
「技術の話なら、わしから言うことは何もない。お前さんの剣は完成しておる。じゃが、剣を握っとる男の方は――まだ、他人の許可を待っとる顔じゃな」
杖の音を残して、老人は食堂を出ていった。
沈黙が落ちた。
俺は、自分の掌を見た。十年分の剣胼胝が硬く残る、俺だけの掌だ。
王都へ戻って、記録を調べてもらって、頭を下げて、認めてもらって。
――その間、北辺の村は誰が守る?
今日みたいな村が、この先もあるとして。火球の下に子どもがいて、火球を斬れる人間がそこにいないとして。
俺は王都で、順番待ちの列に並んでいるのか?
「……リシアさん」
「リシアでいい」
「北辺守備隊は、明日の朝も魔物と戦うんですか」
「ああ。ほぼ毎日だ」
「なら」
気づけば、手が動いていた。
差し出された採用証を、受け取っていた。
「俺を、使ってください」
リシアは初めて、口の端をわずかに緩めた。
「明日の朝、砦へ案内する。……よろしく頼む、アルト」
◇
――同じ頃。王都近郊の討伐地で。
「ラウル! 溜めろ! 《迅雷》の最大出力で一掃しろ!」
クライヴの号令に、新入りの魔剣騎士ラウル・フェンは雷の魔剣を掲げた。
刀身に紫電が集まり始める。魔物の群れ――牙猪の暴走群を前に、第五小隊は横一列に展開していた。魔剣使い五名。火力だけなら王国有数の小隊だ。
完璧な布陣のはずだった。
「隊長! 群れの一部がこっちに――速い!」
牙猪の先頭集団が、雷を溜めるラウルへ殺到した。
魔剣の大技には、溜めがいる。溜めている間、使い手は動けない。
いつもなら。
いつもなら、この瞬間、誰かが群れの正面へ滑り込んで、突進の軌道を逸らしていた。誰かが半歩の位置調整だけで牙猪の目標を自分に付け替え、詠唱の時間を作っていた。
その「誰か」は、もういない。
「く……来るなああっ!」
ラウルは溜めを中断して跳び退いた。中途半端に放電した雷が地を這い、あろうことか味方の盾兵を掠める。悲鳴。隊列が乱れる。牙猪の一頭がその穴に突っ込み、若手騎士が撥ね飛ばされた。
「何をやっている!! 火力で押せ! 押し潰せ!!」
クライヴの《炎牙》が炎を吐き、力任せに群れを焼き払う。確かに敵は死んだ。だが炎は逃げ遅れた味方の退路も舐め、隊は散り散りに敵を追い回し、統率は最後まで戻らなかった。
戦闘終了後。
撥ねられた若手騎士は肋骨を三本折っていた。盾兵は雷の掠り傷で腕が上がらない。牙猪の群れ相手に、第五小隊が負傷者を出したのは三年ぶりだった。
「……なんで、誰も止めに入らなかったんだ」
誰かが、ぽつりと言った。
「今までは、詠唱中に敵が抜けてきたことなんて一度も……そうだ、いつも気づいたら敵が転がってて……あれ、誰が倒してたんだ……?」
「アルトさんなら」
肋骨を折った若手が、担架の上で呻いた。
「アルトさんなら、先に止めてた……いつも、俺の死角に立ってくれて……」
「黙れ」
クライヴの声は、自分でも驚くほど尖っていた。
「今日の失態は装備の整備不良と、各自の判断の遅れだ。補助兵一人いた程度で何が変わる。……いいか、今後、あの男の名を小隊で口にすることを禁ずる」
隊員たちは黙り込んだ。
黙り込んだ、その沈黙の中で。
全員が、同じ名前を思い浮かべていることに――クライヴだけは、気づかないふりを続けていた。




