11. アルトの決断
翌朝、野営地の中央広場に、全員が集まった。
北辺守備隊の四十名。救出した敗走兵と魔剣騎士、およそ六十名。避難民の護衛を務める在郷兵たち。
俺は、皆の前に立った。
演説は苦手だ。だから、事実だけを話すことにした。
「王都は封魔領域に覆われています。中では魔剣も魔術も使えない。守っているのは、剣を魔力なしで振れる兵だけ。……ほとんど、いないでしょう」
しん、と静まり返っている。
「俺は、王都へ行きます。封魔領域の中でも、俺の剣術は使える。皆にこの数日教えた基礎も、そのまま使えます。……ただし、勝算は高くない。敵将ヴァルガは、俺が今まで戦った誰よりも強い。魔族軍の数は、俺たちの何十倍。死ぬ可能性の方が、正直、高い」
誰かが、唾を飲む音がした。
「だから、命令はしません。……三つの道があります。一つ、俺と王都へ行く。二つ、北辺へ戻って砦と町を守る。三つ、避難民をこのまま南の安全圏まで護送する。――どれも、必要な仕事です。どれを選んでも、臆病者と呼ばせません。呼ぶ奴がいたら、俺が相手をします」
少し、笑いが起きた。
リシアが進み出た。
「補足する。王都行きは志願制。ただし装備と体力は私が確認する。基準に満たない者は、志願しても北辺行きだ。……格好つけて足手まといになるのが、一番の裏切りだからな」
選択は、その場で始まった。
デグが真っ先に、槍を担いで俺の側へ歩いてきた。
「地竜より強えんですかい、その魔将」
「強い」
「そりゃ見逃せねえや」
それだけだった。彼の班の兵たちも、顔を見合わせて、続いた。
北辺行きを選んだ兵は、うつむきがちに列を作った。その中の一人、家族が北辺にいる若い兵が、絞り出すように言った。
「すみません、アルトさん……俺、砦の方に、その」
「顔を上げてください」
俺は、本心から言った。
「あなたが砦の壁に立ってくれるから、俺は後ろを気にせず王都で戦えます。……北辺を、頼みます」
若い兵は、唇を噛んで、深く敬礼した。
救出された魔剣騎士たちの多くは、南への護送隊を選んだ。負傷も疲弊もある。当然だ。だが、数名が――あの若い騎士を含む数名が、魔剣を鞘ごと荷台に置いて、ただの鋼の剣を借り、王都行きの列に加わった。
「魔剣は、置いていくのか」
俺が問うと、若い騎士は苦笑した。
「どうせ王都では鳴りませんから。それに……素振りから、やり直そうと思って」
ガルドからの伝令も、朝のうちに届いていた。
――北辺はわしと残留組で守る。爺の背中は任せたと言うほど耄碌しとらん。お前は前だけ見ろ。
……それと、追伸。
――剣は足りとる。覚悟も、ようやく足りたようじゃな。
最終的に、王都行きの部隊は七十二名になった。
魔剣は、一振りもない。
「出発する!」
リシアの号令で、無銘の剣だけの救援隊が、南へ動き出した。
◇
王都までの街道、二日の行程。
俺はその全てを、訓練に使った。
「隣との間隔! 崩さない! 歩きながらでも槍一本分!」
行軍しながらの隊列訓練。休息のたびの構えの確認。焚き火を囲んでは、封魔領域の中で何が使えて何が使えないかを、繰り返し繰り返し話した。
「教えることは、三つだけです」
初日の夜、俺は全員に言った。
「一つ、隣との間隔を崩さない。二つ、敵を追いすぎない。三つ、倒すより味方を守る。……この三つを守った隊は、地竜すら倒しました。魔族兵は地竜より柔らかい。恐れる理由はありません」
「……ふん。児戯だな」
輪の外から、聞こえよがしの声がした。
クライヴだった。護送隊に置いていくわけにもいかず、監視付きで同行させている。本人は「王都へ戻り次第、査問で全て明らかにする」と息巻いているが、その剣は預かったままだ。
「間隔だの追うなだの、新兵の駆け足訓練か? 魔族の軍勢だぞ。火力もなしに、そんな遊びで――」
「なら、伯爵家の坊ちゃんはどう戦うんです?」
デグが、からかい半分に返した。
「鳴らない魔剣を振り回して、この前みたいに包囲されますかい」
「き、貴様ァ……!」
「やめておけ、デグ」
リシアが窘め、それから、静かな声で付け加えた。
「……ただ、クライヴ卿。一つだけ言っておく。明日の昼、小規模でも戦闘があるだろう。その目で見てから、児戯かどうか、もう一度言ってみるといい」
その言葉は、翌日の昼、正確に現実になった。
王都まで半日の地点で、魔族の斥候隊と遭遇した。数はおよそ三十。狼型の魔獣を先頭に、街道を塞いで襲いかかってきた。
「戦闘隊形! 教えたとおりに!」
七十二名が、二列の横陣を組んだ。盾が前、槍が肩越し。間隔は槍一本分。
魔獣が跳ぶ。着地点には必ず槍がある。魔族兵が斬り込む。盾が受け、隣の槍が返す。誰も追わない。誰も突出しない。壁が、少しずつ前へ進む。
俺は、ほとんど剣を抜かなかった。
抜く必要が、なかったのだ。陣形の綻びは二度あった。二度とも、俺が動く前に、兵たちが自分で埋めた。「間隔!」と怒鳴り合いながら。
三十の斥候隊は、四半刻で沈黙した。こちらの損害、軽傷二名。
「…………」
クライヴは、その一部始終を、監視の兵の隣で見ていた。
魔剣なしの平民兵が、魔族の正規兵を、損害ほぼゼロで飲み込んでいく光景を。
夜、俺が見回りをしていると、焚き火の陰から声をかけられた。
あの若い騎士だった。借り物の鋼剣を膝に置いて、思い詰めた顔をしていた。
「アルトさん。……あの、構えを、見てもらえませんか」
「構え?」
「俺、魔剣を握って五年になりますが……昼の戦闘で、自分が一度も『構えて』いなかったことに気づいたんです。溜めて、撃つ。それしかやってこなかった。剣を、どう構えていいか、分からないんです」
俺は、彼の前に立った。
五年前の俺が、誰かにこう言ってほしかった言葉を、探しながら。
「……今から覚えれば、五年後には五年分、強くなっています。座学は抜きだ。立ってください。足は肩幅から」
その夜、焚き火の周りで、魔剣騎士が平民兵に混じって素振りをした。
多分、王国の歴史で初めての光景だった。
――そして翌日の夕刻。
街道の丘を越えた俺たちの眼前に、それは現れた。
夕焼けの下、王都アルヴェインの白い城壁が――黒い、靄のような領域に、丸ごと呑まれていた。
巨大な半球状の封魔領域。その内側で、王都は不気味なほど静かだった。魔導灯の光が全て消えた王都は、まるで巨大な墓標だった。
「……行こう」
俺は、静かに言った。
「あの中で、まだ戦っている人がいる」
◇
夜明け前、北門。
偵察から戻ったデグの報告は、簡潔だった。
「北門は魔族に取られてまさ。門前に約二百。門は半開きで、内側でまだ王都守備兵が抵抗してるが、城壁の上に孤立してて、時間の問題でさ」
「二百……」
七十二対二百。普通なら、勝負にならない数だ。
「フ、フハハ……終わりだ」
クライヴが、乾いた笑いを漏らした。
「三倍だぞ。魔剣もなしに。もう終わりだ、この国は……」
「終わってから言ってもらおう」
リシアが地図を広げた。
「アルト、突破案は」
「門前の二百は、広場に散らばっています。俺たちは槍衾の縦隊で、門までの一本道だけを開ける。横に広がらず、追わず、止まらず、門だけを目指す。……俺が先頭で、正面だけを割ります。リシア、全体指揮を。俺は指揮を執りません」
「ほう?」
「先頭で剣を振りながらでは、全体は見えない。見えないのに口を出せば、隊が乱れます。……役割は、分けます」
リシアは、満足そうに頷いた。
「全部は背負わない、か。……いいだろう、指揮は預かった。総員、朝焼けが敵の目に入る東側から仕掛ける! 配置につけ!」
突入は、朝日と同時だった。
「――開けます」
俺は先頭で、封魔領域の境界を踏み越えた。
体が重くなる。魔力が二割に落ちる。構わない。俺の技術は、十年前から、魔力の外にある。
門前広場の魔族兵が、こちらに気づいて隊列を組もうとした。
組み終わる前に、俺はその中心にいた。
最初の三人は、何が起きたか分からないまま倒れたはずだ。四人目からは正面の敵だけを最短で斬り、横から来る槍は受けず、体さばきだけで外へ流す。俺の仕事は殲滅ではない。道を、開けることだけ。
俺が割った裂け目へ、槍衾の縦隊が突き込まれる。
「進め進め! 追うな! 道から出るな!」
リシアの声が全体を貫く。縦隊は、俺の開けた一本道を、鋼の杭のように門へ向かって伸びていく。
背後で、金属音がした。
俺の死角、左後方から回り込んだ魔族兵の剣を――若い騎士の借り物の鋼剣が、受け止めていた。
「アルトさん、前へ! 後ろは、俺たちが!」
一瞬だけ、迷った。
昔の俺なら、振り返って自分で処理していた。あの城壁で、そうしたように。
……今は。
「――任せた!」
俺は振り返らずに、前だけを斬り開いた。
背中の防御を人に預けて戦うのは、思えば、生まれて初めてだった。恐ろしくて、そして、驚くほど、体が軽かった。
門まで、あと二十歩。
城壁の上から、ぼろぼろの王都守備兵たちが、信じられないものを見る目でこちらを見下ろしていた。
「援軍……? どこの部隊だ、あれは……魔剣は、誰も持ってないぞ……?」
「どこでもいい! 門を開けろぉ!」
半開きの門が、内側から軋みを上げて開いていく。
救援隊は、一人も欠けることなく、王都へ雪崩れ込んだ。
門を内側から確保し、城壁の守備兵と合流する。守備兵の生き残りは、皆、憔悴しきっていた。
「よく……よく来てくれた。だが、状況は最悪だ」
守備隊の老隊長が、震える指で市街の奥を示した。
「魔族の本隊は王城を包囲。国王陛下は籠城中だが、城の結界も沈黙していて、落ちるのは時間の問題。それと……捕虜だ。抵抗した騎士や兵が、王城前の広場に集められている。見せしめに使う気だ」
「捕虜の数は」
「百を超える。騎士団の生き残りは、ほぼそこだ。……ああ、そうだ、確か貴公らの関係者も。第五小隊の紋章の騎士が数名――」
背後で、クライヴが息を呑むのが分かった。
第五小隊。彼が置き去りにした、彼の部下たち。あの廃砦の後で捕らえられたのだろう。
俺は、市街の地図を借り、進路を考え始めた。
その手元を、クライヴが、黙って見ていた。




