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降臨

降臨



ヴァルキリア教国。

王国や帝国と同様、歴史は古い。しかし、ヴァルキリアの教えによって、その国土を広げる戦争は起こしてこなかった。そして戦火に巻き込まれることすらなかったのだ。

それは何故か。

世界を魔神から守った女神が眠るこの地に踏み入ることが躊躇われたのか?

いや、そんな殊勝な理由のせいではないだろう。

東大陸のなかでも最北東に位置するこの国に、攻め入るまでのメリットがなかっただけだ。

一年のほとんどが日の光を拝めることがなく、雪原が広がるばかりのこの国に、一体何の価値があるというのか。

国民の我慢強い性格が細かな作業に向いていたお陰で、裁縫や鍛造の技術が優れていたことが救いだった。

ヴァルキリアの技術は他国にはない繊細なもので、それだけが唯一他国に勝っているものであった。

しかし、ただそれだけだ。


筆頭勇者も、もう少し快適な土地で余暇を過ごしてもらいたかったものだ。

しかし、この厳しい土地のお陰で、軍事力のないこの国が生き永らえてきたとも言えるのだから、全く何が幸いするか分かったものではない。


ラウール・ファン・バステンはそんな独り言を漏らしながら、教皇庁の廊下を歩く。


ここも歩き慣れたものだ。


10年前の自分なら、教皇庁に入ることすら想像だにしなかったであろう。今となっては、入るどころかすれ違う人々が自分に頭を下げるのだ。

上昇志向が特段強いわけでもないため、人に頭を下げられる立場になったからといっても傲ることはない。

むしろ、目立ち過ぎていないのか、胃が痛くなるばかりだ。

一介の商人に過ぎないのだ。

しかし、一介の商人としては国への貢献が大きくなり過ぎてしまった。

粗悪な魔鉱石しか手に入らないこの国に、高純度の魔鉱石を入れることができた。それによって自分はこの国で富も名声も地位も、全てを手に入れることができた。

ー情報と引き換えに



自分が仕入れることができる情報なんて、機密どころか畑仕事をしている農夫が話している内容と些ほどの差はない。噂話ともいえる、内容の薄いものだ。

しかし、王国のあの者はそれでも構わないと言う。

情報と引き換えに、純度の高い魔鉱石を安値で卸してくれるというのだ。

表向きは、ヴァルキリア衣装の買い取り。

実際に買い取ってもらってはいるが、そんなものは二束三文の世界である。

この国は国交を断っているわけではないが、それでも中央大陸の王国と流通を結ぶことは、王国にとってのメリットが少なく、結局は2つ3つと国を挟むことによって魔鉱石は高騰し、純度は低くなっていく一方であった。


情報が売られていることを、この国も知っているのだと考えている。

さすがに、それに気付かないほどマヌケではない。

しかし、それでも尚、魔鉱石のため目を瞑っている、あるいは泳がされているのだろう。

ここのところ、どこへ行っても視線を感じるようになってしまった。

神経が過敏になっているのかもしれない。

それでも構わない。いきなり暗闇から刃物を出されるよりは、警戒していた方が間違いない。


それにしても、今日はどうしたというのだろう?

毎週の真ん中、土週日午後2時から行われる礼拝があるため、教皇庁には人の出入りが比較的激しいのは理解できる。

しかし、何というか、礼拝堂へ向かう人々の熱気がいつもより強い。

行き交う人々の目が、何かを期待し、求めているような目をしているのだ。

これは、やはりあの噂が元になっているのだろう。

そう考えていたとき、ふと背後から不穏な空気を感じ取った。


「これはこれはバステン卿、顔色が悪いようだが?」

「コ、コインブラ執政官!い、いえ、特には・・・」

「・・・そうか」

嫌な奴に出くわした。

アントニオ・コインブラ執政官。

30歳代というその若さで、この国の政治を手中に治める三人のなかの一人。ラウールが最も苦手とする男だ。

いや、この男を好む者なんぞいるのだろうか。

揚げ足をとるような言い方、他者を蔑む冷ややかな目線、見下す声。

整った容姿が嫌みを加速させている。

一部の女性に人気があるらしいが、とんでもない話だ。

この男に見据えられているだけで、心の奥底まで覗かれているような不快感に苛まされる。

今も片方の口角を上げて、人を小馬鹿にしたような表情で自分を見下ろしている。

「何か悩み事があるのかと思ってな・・・いつでも相談してくれたまえ。卿はこの国にとって、もはやなくてはならない存在なのだからな・・・」

「そのような、私ごときに勿体無いお言葉・・・」

ラウールが深々と頭を下げる。

そのためアントニオの顔は見えないが、きっと虫を見るような目で自分を見ていることだろう。

この男は、他人の身体のことなんて心配するはずがないのだ。

「・・・まぁ、良い。今日は非常にめでたい日なのだ。卿も今日という日を生涯忘れることはないだろう。」

「・・・それはどういうことで?」

訝しむラウールを、アントニオは静かに見詰める。それはまるで、心の中を覗きこもうとするかのような、爬虫類のような目であった。

「それは後で分かる・・・では、礼拝堂で。」

「は、はい・・・」

アントニオの後ろ姿を見送るラウールの背中は冷や汗でべっとりしていた。

すれ違いざまに触られた肩が一層不快感が強かった。



意味深なアントニオの言葉の意味とは何なのか。考えられることは一つ。

ー戦女神降臨

教会と政治のトップしか知られていないはずの、そんな眉唾の噂は国中を走り、もはや知らない者はいない。

しかし、現時点では「噂」に過ぎない。

その真偽を確かめる術も(つて)も気力もない。

「女神が降臨されたとは、真のことなのか?」

などと、誰に聞けよう?

この国、いや、世界で最も信仰されている、その対象が降臨されたなどと口にしようものなら、良くて頭がおかしくなったと罵られるだろうし、狂信的な連中に一族が火炙りにされてしまうかもしれない。

ただでさえ、自分はこの国に、アントニオに目をつけられているのだ。罰を受けるきっかけを与えてしまうことだろう。

何も自ら危険を犯すことはないのだ。

今までどおり、この数年間やり遂げてきたように慎ましく、魔鉱石をこの国へ送り続けるのだ。


背教者、そうは言われたくはない。

これでも自分は敬虔なヴァルキリア教信者である。

教典は一通り読んでいるし、筆頭勇者の教えは正に人生の標だ。

教えに背くことなく生きてきたし、これからもそのつもりではある。

だからといって、教えのために死ねるかといったら、そうではない。そこまで狂信的に傾倒しているわけでもない。

いかにヴァルキリア教国とはいえ、命をかけた狂信者は数えられる程度にしかいないのではないだろうか。

それとも、そう考えること自体が信心が足りていない、ということなのだろうか。

そうなのかもしれない。

どこか冷めた目で国教を見ている自分がいるのだ。

総本山ともいうべきこの地に、一体何人の巡礼者が訪れたというのか。

教えという大義名分のもと、どれだけの予算が教会に吸いとられているのか。予算の半分以上だという噂も、あながち間違ってはいないように思える。

馬鹿馬鹿しいとまでは言わない。

しかし、もう少し国民に目を向けて欲しいものだ。

教えで腹は満たされないのだから。



礼拝堂に入ると、自分が遅かったことがすぐに分かった。

無駄に広い礼拝堂には、既に100人程度の政治家や貴族が集まっており、最後列にしか自分の居場所がなかったのだ。

教皇が高座にいないことから、遅刻したわけではないようであるが、教会や政治家の高官が揃っていることから、ギリギリだったようだった。

「おや、バステン卿、随分と汗をかいておられるようですな?安心なされ、まだ礼拝は始まってはおらぬよ。」

汗を拭っていると、最後列に並んでいた小太りの男が声を掛けてきた。

「いやはや、アセンシオ卿、先ほど蛇に睨まれましてな、泡を食っていたのだよ。」

蛇とは貴族の間でコインブラを揶揄した名前である。

普段はあまり軽口を出さないラウールであったが、アセンシオは数少ない冗談を言える仲であった。

「それはそれは・・・よく呑み込まれませんでしたな?」

「いやいや、魂なら今日で千を越えて呑まれとりますよ。」

「くっくっく、あまり笑わせんでくれ・・・まぁ、私もあの蛇にどれだけ肝を食われたことか・・・あの目で見られるだけでも不快なものだよ。いやはや、おぞましい。」

アセンシオにシンパシーを感じているのは、単にウマが合うというだけではない。

アセンシオは他国からの穀物輸入で財を成し、爵位を授かるほどになったのだが、その時期がラウールと被っている。その意味を確認したことはないが、恐らくその影には王国がいるはずなのだ。

それ故に、爵位を授かっている今、この国で全てを手に入れた今はあの蛇を恐れている。

直接は語らないが、その恐れが二人に共通したシンパシーだとラウールは考えていた。


「今日の礼拝には何かあるのだろうか?」

「バステン卿もそうお考えか。私も今日の熱量がいつもよりかなり強いものだと感じているのですよ。

これはやはり、神が舞い降りた、ですかな?」

「・・・卿もそうお考えか。」

「どこぞの娘を拐って、神と崇めよ!と言われても、私は信じることはできませんがね。」

「アセンシオ卿、声が大きいですよ!

・・・そこまでこの国は堕ちていると?」

アセンシオの皮肉な言葉にラウールは冷や汗がまた出てくる思いだった。

ラウールとアセンシオの違いはその気質にある。控え目なラウールとは違いアセンシオは激情的で辛辣なコメンテーターである。

この辛辣さをラウールは好んでいたが、場所をわきまえないことには何度も冷や汗を出されたものだ。

「その通り。国庫は尽きているのですよ。

・・・もはやこの貧しい国を救えるのは、古の勇者様しかいないでしょう。例え、偽物を作り上げても、ね。」

「何と・・・。」

アセンシオの予想にラウールは絶句する。

信仰の対象をでっち上げるなんて、考えてもみなかった。そこまでこの国が困窮し、疲弊して、堕ちていたとは予想を越えていた。

「・・・おっとバステン卿、これはあくまで私見ですぞ。まだ私の見込み通りと決まったわけではありません。

我々は、今まで通り、慎ましく国に貢献していれば良いのです。」

今まで通りの部分を強調するアセンシオに意味深な目付きが宿る。

「ア、アセンシオ卿、それはどういう・・・」

「おっ、教皇様のお出ましだ。」

問い質す間際、教皇の登場により、礼拝堂にいる者が全て平伏する。

アセンシオが言った意味は気になるところであるが、礼拝が始まってから物音を立てるわけにはいかない。

ラウールも他の者同様、白衣の老人に平伏した。



平伏しながらも、白衣の老人は、ダビド・モリエンテス教皇の姿を認める。

が、一月前に見た教皇と明らかに違っていた。

一月前の教皇は、ベッドのような椅子に横になりながら現れ、礼拝が済むと何も言葉を出さずに礼拝堂を後にしていた。

教皇の死期は近い、時期教皇は誰ぞ、と教皇庁は色めきだったものだ。

しかし、今日現れた教皇は、自らの足で立ち、淀むことなく高座中央へ歩みを進める。

その顔付きも、あの死を待つばかりだった一月前の土気色の顔はなく、つやつやと活気に充ち溢れたものであった。

教皇の変化に気付いた者がざわめき始める。


「皆の者、静まれ!!」

白髪をオールバックにしたモントリオ・オーレリオ枢機卿の声で礼拝堂が静まり、一堂の目線がオーレリオ枢機卿に集中する。

「定刻となった。礼拝を始めるとする。」

オーレリオ枢機卿が聖室に向かって膝を着く。

特別な何かが始まることを期待していた者は肩透かしを食らう心持ちであったが、無論、それを主張する者は皆無だ。

首長が祈りの文句を唱え始める。

礼拝堂の者たちは首長に倣い祈りを捧げる。

祈りは、高座のさらに奥の神殿に向けられている。そこには、氷の棺に納められた筆頭勇者のご聖体が安直あれているというとこだが、ラウールは勿論見たことはない。ご拝謁は、教皇かそれに近しい人物にしか許されていないのだ。

もし、噂が真実であれば、神殿に筆頭勇者の姿はないはずだが・・・


延々と、そして粛々と祈りは続けられる。

小一時間ほどの祈りを退屈に感じたことはない。

この祈りが届けば、古の筆頭勇者が戦女神として降臨する、世界が幸せになる。

そんな信心深いわけではないのだが、この時間が自分を敬虔なヴァルキュリア教信者と再認識させてくれるのだ。

そのため、祈りが締め括られようとしている今も、終わることへの喜びよりも充実感がその心を満たしていた。

「古の筆頭勇者よ、女神よ。あなたがもたらしたこの常世の平和を、どうぞお守り下さい。永遠なる愛を、あなたの子たる我らへ・・・」


祈りの締めくくり、枢機卿が最後の台詞を大げさに叫び 両手を神殿へ向けたときだった。

ドォオーン!!

という轟音とともに、天井を破ってそれが枢機卿の頭上舞い降りた。

女神なんてものじゃない。

羊の頭部、人の胴体、猛獣の四つ足、蛇の尾。

人が恐れるもの全てを凝縮したようなそれは、枢機卿を圧し潰して、礼拝堂に降り立った。

「・・・か、神か・・・?」

「ヴォオォオオオー!!」

誰が呟いたのか、その呟やきは降り立ったそれの咆哮に掻き消された。

そして、礼拝堂は地獄へと変わった。



蹂躙される命。

ラウールには現実味が感じられないほど、簡単に人が死んでいく。

魔獣がその足を一振りすれば、10人くらいが引き裂かれる。

魔獣がその足を振り下ろせば、5人くらいが圧死する。

魔獣が尾を一振りすれば、10人くらいが吹っ飛ばされる。

魔獣に人の階級は関係なく、平等に、無慈悲に命を奪っていく。

辺りはあっという間に、死体で溢れかえった。

逃げ惑う人。意味不明な叫びを上げる人。そして祈りを捧げる人。

礼拝堂は大混乱なんて言葉ですら生温く思えるほどの、正に地獄絵図と化した。

最後列にいたラウールが礼拝堂の扉を開けようとするが、押せども引けどもビクともしなかった。

「 な、なんで開かないんだ!?」

「バステン卿、何をしてるんだ!早く開けるんだ!」

「アセンシオ卿、開かないんだ!」

「な、何だって!?・・・っくぅ!開かない!何故だ!?」

「ア、アセンシオ卿!後ろ!!」

「!?」

扉に体当たりをしていたアセンシオは気付かなかったが、その後ろには魔獣が音を立てることなく近付いておた。

「え?」

それがアセンシオの最期の言葉となった。

振り向くその瞬間に、アセンシオは踏み潰され肉塊となってしまった。

「あ・・・」

ラウールは眼前の光景に腰を抜かし、壁にもたれかかることしかできなかった。

ガクガクと震えるラウールに、羊の顔がのっそりと近付いて鼻がピスピス動く。

すると、魔獣は踵を返して人の群れに向かっていった。

「あ、あれ・・・?た、助かった?」

魔獣が遠ざかるその姿に、少なからず安心してしまい、ラウールは人生で初めて失禁してしまったが、そんなことすら構ってられなかった。

仲間を失ったことより、今は何よりも延命が最優先である。理由は分からないが、魔獣が再びこちらに意識を向けないうちに、ここから逃げなければならないのだ。

(扉が開かないとなると、一体どこへ逃げれば?)

辺りをキョロキョロ窺っていると、ふと、高座に立つ人物に気が付いた。

その男は、地獄と化したこの礼拝堂の惨状を静かに見下していた。血が迸るこの場所を、奪い去られていく命を静かに、そして微かに笑みを浮かべながら見下しているのだ。

「コインブラ執政官・・・?」

思わず漏れた微かな声が聞こえたかのように、アントニオ・コインブラがラウールに視線を移す。

そして、口が動いた。

阿鼻叫喚のなか、アントニオの声は聞こえるはずがないのだが、ラウールには何故かアントニオの言葉が耳元で囁かれたかのように聞き取ることができた。

『永遠の愛を』


ドォオーン!!

アントニオが囁いた瞬間、破られた天井から一筋の光が空から降り注がれた。

激しく目映い稲妻の如く。

余りの眩しさに目を瞑る。

薄く、徐々に目を開けていくと、魔獣が立ち尽くしていた。

そして、魔獣の身体が真っ二つに離ればなれとなる。

あまりの展開に唖然としていると、破られた天井から人が静かに舞い降りた。

白銀の鎧を身に纏い、薄蒼い戦斧と半透明な盾を手にしたその人物は、黒い髪をなびかせた女。少女といっても差し支えのない年端に見えるその女は、それでいながら神々しさを漂わせている。

それは決して、破られた天井から零れる光が照らしているせいではない。

その姿は正に、お伽噺や聖典で伝えられる戦女神そのものであった。

「皆の者ぉー!戦女神の降臨である!さぁ祈りを捧げるのだぁー!!」

アントニオの一声により、生き残った者は皆膝を着いて祈りを始める。

戦女神の姿に見とれていたラウールは一呼吸遅れ、慌てて膝を着くが、祈りを受けるその女神が一瞬陰りの表情をしたようにラウールは思えた。

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