討伐依頼
キャラが多くて誰が誰かわからなくなりそうだったので職業名にキャラ名のフリガナをつけています
薄暗い山中の獣道を男女の一団が歩いていた。
その数は六人。
時刻は昼過ぎで、太陽の位置はまだ中天に近い。
だが、陽光は鬱蒼と茂った木々に遮られ、そのほとんどが地表までは届いてこない。
その薄暗い山中の獣道を、一行は黙々と歩き続けていた。
六人は、そのそれぞれが種類の違う武器を装備し、背には背嚢を背負っていた。
彼らは危険な仕事を請け負い報酬を受け取る、冒険者と呼ばれる者たちだった。
旅人の護衛や、危険と思われる場所の調査、害獣や盗賊等の捕縛や討伐などがその主な仕事だ。
戦争が起これば軍に傭兵として雇われることもある。
今回の彼らの任務は獣の討伐。
麓の村の村人達が正体不明の獣のせいで山に入ることができなくなっており、その討伐依頼を受けやってきていた。
歩き続ける彼らの最後尾を歩いているのは少女だった。
その姿は可憐と表現してもよいだろう。
あまり荒事に向いているようには見えなかった。
肩の高さで切り揃えた黒髪が少女の歩調に合わせて揺れている。
普段はつややかな輝きを持っているであろうそれも、山に入ってからはほとんど手入れをしていないせいでくすんでしまっている。
身に付けているローブも元は純白であった事がわからないくらいに土や泥で汚れてしまっていた。
彼女の名はヘルミーネという。
修道院で治癒の技を学び、今はそれを生かして冒険者としての仕事をこなしている。
戦闘技術は高くないが、その治癒術の能力は仲間達にも認められていた。
「大丈夫か? ヘルミーネ? 疲れたなら無理せずに言ってくれよ」
一行のリーダーである背に大剣を背負った大柄な男が振り返り、ヘルミーネに声をかけた。
「はい。大丈夫です。ユルゲンさん」
明るく返事をするヘルミーネの答えを聞いて、そのすぐ前を歩いていた女魔術師がくたびれた声を出した。
「私は少し疲れたわ」
「ああ、やっぱり年には勝てねーか? ローザ?」
「はあ?! ブッ殺されたいの? アンタみたいな筋肉バカとは違うのよ! 年もアンタと一つしか違わないでしょ!」
「まあ、男と女じゃなあ。期限切れになる年齢もだいぶ違うだろ?」
「アンタ、消炭になりたいようね!」
「元気じゃねーかよ。まあいい、一旦休むか?」
ヘルミーネはそのやり取りを微笑みながら眺めていた。
この二人は仲がいいのだ。
本人たちに言えば全力で否定されるだろうが。
「どうする? アルベルト?」
そう言ってリーダーが一行の先頭を歩く斥候の男に声をかけた。
「じゃあ、ここらで休むってことでいいかい?」
斥候が振り返って全員に向かって話しかけるように言った。
「私は賛成」
女魔術師の言葉に皆が同じように頷いた。
少し開けた、休憩できそうな場所を探し、皆で座り込み休憩を始めた。
「あまり無理をしなくても良いぞ、ヘルミーネ。キツくなったらいつでも言うといい」
そう言って神官戦士の男がヘルミーネに声をかけてきた。
「はい、ありがとうございます。マルセルさん。私は本当に大丈夫なので」
「嬢ちゃんは居てくれるだけでいいんだからな。こんなむさ苦しい中に嬢ちゃんみたいな若い娘が一人いてくれるだけでも潤いが生まれるからな」
戦斧を担いだ戦士が「若い」という単語を強調しながら、そう言って笑った。
その言葉を聞いた女魔術師が戦士を睨みつけながら怒りの声を上げた。
「オスカー! アンタら、ホンっト後で覚えてなさいよ!」
ヘルミーネはこの中では最年少だった。
それ故か、皆が彼女に気を使ってくれていた。
彼らがこの山に入ってから既に三日が経っている。
未だ討伐対象である獣の痕跡は発見できていなかったが、皆それをあまり問題視はしていなかった。
彼らはこの依頼をあまり難しいものだとは考えていなかったのだ。
獣は狼のような見た目で、全身を赤黒い体毛で覆われていたと言う。
その姿を近くで見た村人はいなかったが、遠目でもわかるほどに体が大きかったそうだ。
既に何人もの村人が行方不明になっているということだった。
村の狩人が獣を仕留めるために山に入っていったが、それも帰ってこなかった。
その狩人はかなりの熟練者で、村では最も信頼されていたらしい。
その彼すらも帰ってこなかったことで、村人達は冒険者に依頼を出すことにしたのだという。
熟練の狩人といっても一人では限界がある。
ヘルミーネ達は各々が特技を持った者の集団だ。
相手は狼にしては大きさも色も普通ではないため、未知の魔獣である可能性もある。
だが、所詮は獣。
充分に対応は可能だと、彼らはそう考えていた。
彼らが山に入って五日目の朝。
女魔術師の姿が見えなくなっていた。
彼らは夜間の見張りを交代で行っていた。
そして、昨晩の当番となっていたのがリーダーと女魔術師だった。
「俺があいつと見張りを交代したときには何も異常は無かった」
そう語るリーダーの声は少し震えているようにも聞こえた。
「誰かついてきてくれないか? 周りを調べてみたい」
斥候がそう言って皆に声をかけ、神官戦士と二人で周りを調べ始めた。
しばらくして戻ってきた二人の表情は険しかった。
「ローザの足跡は少し離れた場所で消えていた。その場所のすぐ近くに大きな狼に似た獣の足跡が残っていたよ」
その言葉に、その場に居た全員が息を呑んだ。
女魔術師の身に何かが起こったのは間違いがなかった。
「一旦、山を降りて体制を整えてから出直すことを提案するよ」
深刻な表情を顔に浮かべ、斥候が皆に向かって言葉を発した。
「足跡を見たけどね。あれが狼の足跡なんだとしたら、多分牛よりもでかい」
「牛よりもでかい狼だって? でかいとは聞いていたがそれ程なのか?」
村人から大きな狼のような獣とは聞いていたが、流石に牛よりも大きいとは誰も思っていなかったようだ。
そんな獣を見たことがあるものはこの場には誰も居なかった。
「だが、それ程に大きいなら見つけやすいのではないか? それに動きも鈍くなるだろう?」
「どうだろうね。あれほど近くまで来ていたのに僕らは誰も気づけなかった。少なくとも普通の狼と同じように足音をたてずに歩く程度の事は出来るんだと思う」
「それにその大きさだとすると、力はその巨体に比例したものになるだろうな」
斥候は直ぐ側に立っていた、リーダーに声をかけた。
「ユルゲン、君はどう思う?」
その問いかけに、リーダーは宙の一点を見つめたまま何の反応も示さなかった。
「おい! ユルゲン!」
強い声で呼ばれ、やっと顔を上げる。
「大丈夫か? 気持ちはわかるがしっかりしてくれ。君が僕たちのリーダーなんだ」
リーダーは随分と取り乱しているように見えた。
「ああ、すまない」
そう言ってリーダーは頭を左右に振って、ため息を付いた。
「せめて、獣の情報をもう少し手に入れたい。出来ることならローザがどうなったのかも確認したい」
斥候はそれを聞いて大きく息を吐く。
「まあ、足跡を見つけただけで帰ってしまっては何を言われるかわからないしね。もう少し獣について調べておいたほうがいいかもしれない」
それから、斥候が獣の残した痕跡を探して追跡を始めた。
牛を超えるほどの体躯を持っているのだ。
痕跡を探すのは容易に思えたが、実際にはそう簡単ではなかった。
獣は可能な限り、岩の上など足跡の残らぬ場所を歩いているらしい。
また、何度か足跡が消えることがあり、その度に足止めを食うことになった。
どのような方法で足跡を消しているのかわからなかったが、獣は追跡者を欺くだけの知能を持っているものと思われた。
それでも彼らはひたすらに追跡を続けた。
そうして正午から数時間が過ぎた頃だった。
斥候が足を止め皆を振り返った。
「おそらく、ここが奴の巣だ」
そこにはほら穴らしきものの入り口があった。
「中にはいないと思うけど、警戒は怠らないで。入り口にも気をつけて。奴が戻ってくるかもしれない」
そう言って斥候は先頭に立って歩き出した。
その後をリーダー、戦士、ヘルミーネ、神官戦士の順でついていく。
ほら穴の中は腐臭と獣臭に満ち、所々に様々な動物の骨が転がっていた。
その中には少なくない数の人間の骨も混ざっていた。
突然、斥候が立ち止まった。
後に続く仲間も何事かと足を止める。
「どうした?」
そう尋ねるリーダーに、斥候は前方の地面を指さして見せた。
その人間の骨の中に、まだ肉がこびりついたままの新しい骨があった。
そして、その近くには彼らのよく知る人物の頭が転がっていた。
既に腐敗を始めていたが、それでも見間違える筈もない。
それは女魔術師の頭だった。
リーダーはその頭を拾い上げ、しばらく何も言わず、ただそれを見つめていた。
「これから、どうする?」
斥候が遠慮がちに声をかける。
リーダーは大きく一つ息を吐いてから、口を開いた。
「一旦、山を降りよう」
何かをこらえているような、意識して抑えたような声でリーダーがそう言った。
「もう一度、人を集めて戻ってくる。そして、ローザの仇を討つ」
その言葉に残りの皆も頷きを返す。
「それがいい。相手は得体が知れない。今の人数で相手をするのは危険だと思うよ」
「ワシも賛成だ。未知の敵を相手にするならもっと準備が必要だ」
「私も賛成です。でも、必ず戻ってきて二人の仇を取りましょう!」
一行は洞窟を出て、山を降り始めた。
「日が暮れる前に山を降りたいが難しいかもな」
リーダーの言葉に斥候が頷きを返す。
「そうだね。でも山の中でもう一晩過ごすのは遠慮したいよ」
それから一行は誰一人口を開くこともなく、黙々と歩き続けた。
そうしてどれくらい歩いただろうか?
遠くで獣の吠え声が聞こえたような気がした。
先頭を歩く斥候が立ち止まり辺りを見回している。
それは狼に似た遠吠えだった。
何故か、ヘルミーネにはその声に怒りが込められているような気がした。
獣が自分の巣に侵入者があったことに気づき怒っているのだろうか?
やがて、先頭の斥候が再び歩き出し、皆それについていくように歩き始めた。
相変わらず誰一人口を開くこともなく、ただ黙って歩き続けた。
周りから聞こえてくるのは、鳥や虫の声、草木のざわめき、そして彼らが土や草を踏みしめる音だけだった。
そうやって、黙々と歩き続けていた彼らの耳に奇妙な音が聞こえてきた。
斥候が立ち止まり、周りを見渡す。
他の仲間も同じ様に足を止め、耳を澄ませる。
何かがぶつかるような音、木の枝がしなり葉が擦れるような音が聞こえてきた。
全員が音のする方角に視線を向ける。
「何ですか? これ」
「クソッ! 気を付けて! 嫌な予感しかしない!」
五人はそれぞれ武器を手にし、音のする方角を睨みながら身構える。
「近い! 来るぞ!」
斥候の発した警告に全員が緊張に身を固くする。
音はどんどん近づいてくる。
視界に映る木が左右にしなるのが見えた。
「おい、上だ!」
斥候が叫び声を上げた直後、頭上から巨大な獣が降ってきた。
反応が遅れた神官戦士がその獣が振るった前足に薙ぎ払われ吹き飛んだ。
斥候が素早く反応し矢を射かける。
だが、獣は身を翻し飛来する矢を躱す。
そして、数歩助走をつけて近くの木に向かって跳び、その木の幹を蹴って、まるで跳ね返ってきたかのようにリーダーに向かって突っ込んできた。
リーダーはそれを転がりながらかろうじて躱す。
斥候が素早く弓に次の矢をつがえ、獣が着地する瞬間を狙ってそれを放った。
だが、獣は着地しながら横に素早く転がり、飛来する矢を躱した。
「冗談だろ?!」
叫ぶ斥候と同様にヘルミーネもまた、それを驚愕の眼差しで見ていた。
獣はまるで小型の猫のように敏捷だった。
それに加えて、その体躯。
斥候の見立て通り、その体躯は牛よりも大きい。
その巨躯から繰り出される攻撃は人などたやすく引き裂いてしまえるだろう。
獣の前足で薙ぎ払われた神官戦士に目を向ける。
治癒はもう間に合わないということが一目見てわかった。
その首はおかしな方向に曲がっていた。
おそらく即死だった筈だ。
「クソッ! 化物め!」
斥候が悪態を付きながら弓を射掛けるがことごとく躱される。
今回の標的は多少手強い程度のただの獣だと彼らは思い込んでいた。
だがあれはただの獣などと呼んでいい代物ではない。
ヘルミーネは邪悪な魔術師達の中には魔術や錬金術を使って怪物を作り出している者がいると聞いたことがあった。
あれはそういった類いの化物なのではないかとヘルミーネには思えた。
獣は縦横無尽に跳び回り、冒険者たちを翻弄していた。
リーダーと戦士は獣の攻撃を交わすことで精一杯のようだった。
彼らほど戦闘が得意でないヘルミーネは近付くことすら出来ない。
唯一斥候だけが獣に積極的に攻撃を仕掛けることが出来ていた。
その斥候の放った矢の一本が獣に命中した。
尋常ではない速さで跳び回る獣を相手にしているのだ。
それに矢を命中させるだけでも相当なものだと思えたが、それで獣に痛手を与えることが出来たようには見えなかった。
獣は怒りを表すかのように吠え声を上げたが、ただそれだけだ。
戦士が戦斧を振るい獣に斬りかかっていった。
獣はそれをひらりと躱したかと思うと戦士へと飛びかかり、その顎で噛み砕こうとする。
それを戦士は上体をのけぞらせてかろうじて躱した。
獣は間髪入れずに前足を振るう。
体勢を崩したままの戦士はその前足を躱しきれず、その鋭い爪をまともに食らうことになった。
その一振りで戦士の上半身は潰され、原型を留めない肉塊へと変わり果てていた。
六人の中で最も屈強な肉体を持つ戦士でもそれなのだ。
他の者達も獣の一撃を喰らえば即死は免れないだろう。
気づけば、生き残っているのはリーダーと斥候、ヘルミーネの三人だけになっていた。
「逃げろ! ヘルミーネ!」
斥候の叫び声を聞いても、ヘルミーネにはその言葉の意味が理解できず、戸惑うことしか出来なかった。
「逃げろって言ってるんだよ!」
「そんな、でもっ!」
ためらいを見せるヘルミーネに今度はリーダーが大声で呼びかけた。
「行け! なんとか逃げ延びてアイツのことを伝えるんだ!」
一瞬躊躇って、ヘルミーネは走り出した。
彼女では戦闘の役には立てないだろう。
仲間が怪我をしても、治癒術を施す猶予をあの獣が与えてくれるとは思えない。
ここに残っていても出来ることはなかった。
ごめんなさい……
心の中で謝罪の言葉を繰り返しながら、ヘルミーネは必死になって走った。
さっきまで聞こえていた戦いの音も聞こえなくなっていた。
今にも獣が襲いかかってくるのではないかという恐怖を振り払いながら、彼女は走り続けた。
皆の死を無駄にしてはいけない。
必ず、あの獣の情報を伝えて仇を取りに帰って来なければならない。
呼吸が苦しくなり、足がもつれそうになっても必死で走り続けた。
もうどれくらい走っただろうか?
突然強い衝撃を受けて体が宙に舞った。
浮いた体が回転しているのがわかった。
眼下におそらく自分のものであろう、ちぎれた下半身が見えた。
そのまま宙を飛び、数秒後に地面に叩きつけられた。
感覚が麻痺してしまっているのか、痛みはまるで感じなかった。
思考は混乱していたが、自分は死ぬのだと言う事実だけははっきりと理解出来た。
死を目の前にして脳裏に浮かんできたのは、幼い頃にいつも自分の周りを走り回っていた一人の少女と、その兄である初恋の相手の顔だった。
あの人は自分の死を悲しんでくれるだろうか?
生真面目で、いつも厳しい表情を浮かべていた、あの人。
あまり笑わない人だった。
だからこそ、たまに見せる笑顔はとても魅力的に見えた。
死の間際だというのに、浮かんできたのはそんな思いだった。
アンナ、カール様……。
アンナはきっと悲しむだろう。
冒険者になると手紙で知らせたときも、危険だからと散々反対された。
アンナは泣き虫だから、きっと泣かせてしまうことになるのだろう。
……ごめんね。
徐々に意識が遠のいていく。
やがて彼女は意識を失い、目を閉じた。
そして、その目が開かれることは二度と無かった。