儀式
真十郎とエーリヒ、コリンナの三人は儀式が実行されるであろう日の早朝に王城の地下へと忍び込んでいた。
前回とは違い、エーリヒは革製の甲冑に身を包んでいる。
現在三人は前回侵入時にゲオルグと遭遇した部屋の中心部に集まっていた。
「このあたりだ、コリンナ様」
「ふむ、確かに魔力の残滓がありますね。問題ありません。これなら私でもゲオルグ王が開いたのと同じ通路を開くことが出来ます」
「さすがだ、頼むよコリンナ様」
コリンナはエーリヒの言葉に頷きを返し、空中に手をかざして呪文を唱え始める。
数分ほどすると、見覚えのある入口が空中に出現した。
「あの悪魔に気取られぬよう、お二人が中に入られた後に一旦入口は閉じさせていただきます」
「ああ、うまくいくことを祈っていてくれ」
「はい、どうかご武運を。それでは、明日の朝にお迎えに参ります」
そうしてコリンナをその場に残し、真十郎とエーリヒは中へと入っていった。
以前に見たのとまったく同じ光景が彼等の目に入ってくる。
岩の壁におおわれた洞窟のような場所。
周囲の岩肌から突き出した水晶のように見える突起物の放つ淡い光が辺りを照らしている。
振り返ると、彼等が入って来た入口が小さくなっていき、そのまま消えて行くのが見えた。
コリンナが入口を閉じたのだろう。
魔術師であるコリンナは常にその身に魔力を纏っているため、ゲオルグから身を隠すことが出来ない。
年老いている事もあり、今回彼女は暗殺の実行要員からは外されていた。
このままこの中で、真十郎とエーリヒの二人だけがゲオルグが現れるまで待つことになる。
ゲオルグにとっても失敗できない大事な儀式のはずだ。
既にその準備は終えているだろう。
ならばその場所を今のうちに見つけておかなければならない。
二人は儀式が行われるであろう場所を探すために歩き始めた。
そうして三十分程その空間内を歩き続けて、彼等はようやく儀式のための準備を施された部屋を見つけた。
「ここか」
「ああ、これは……いかにもって感じだな」
そこはほぼ円形の部屋のようになった場所だった。
部屋の中心部の地面には五つの頂点を持つ星形の模様が描かれ、その各頂点に祭壇らしきものが設置されていた。
五つの祭壇の上にはそれぞれこぶし大のオーブと、油を満たした燭台が置かれている。
さらにその星形模様の中心にも一回り大きな祭壇がしつらえられていた。
おそらくその中心の祭壇に深淵の盃を置いて儀式を行うのだろう。
だが、まだそこには何も準備されてはいなかった。
「深淵の盃はまだ外にあるのか。既に持ち込んでくれていたなら楽だったんだが……流石にそこまでうまくはいかないか」
「俺は地形を把握しておくために少し周りを調べて来る。君は夜まで身を潜める場所を探して、あとは休んでいてくれ」
「ああ、そうするよ。しかし……緊張するね。世界の命運がかかってる……失敗するわけにはいかないんだよな」
「今から気負っていても疲れるだけだ。儀式までは時間がある。その時に十分な働きができるように体を休めておいたほうがいい」
「努力するよ。緊張のせいでちゃんと休めるか自信が無いけどね」
そう言って苦笑するエーリヒの肩を、真十郎が軽くポンポンと叩く。
そうして二人はお互いに頷きあい、その場を離れていった。
その夜、ゲオルグは儀式を行うための空間に一人でやってきた。
以前に賊に侵入された事を忘れたわけでは無い。
今回も何者かが侵入する可能性はあったが彼は気にしていなかった。
侵入できてもせいぜい数人程度だろう。
その程度であれば何者が侵入してこようとも対処できる自信が彼にはあった。
ゲオルグは儀式の準備をした部屋までたどり着くと、部屋の中央にある祭壇の上に深淵の盃と一本の短剣を置いた。
深淵の盃の中に魔力に満ちたゲオルグの血を注ぐことで、異界への扉を開く為の儀式を行う。
短剣はその血を採取するために必要なものだ。
今夜は星の並びにより、世界に満ちる魔力が最も強くなる。
儀式を行うには最適な夜だった。
そしてこの領域は二つの世界の狭間に位置している。
ゲオルグが異界への扉を開きやすくするために作り出した領域であった。
準備を終えたゲオルグは儀式を開始する。
儀式自体は大したものではない。
ゲオルグは周辺に配置された五つの祭壇を順に回り、その上に置かれた燭台に火を灯す。
その後オーブに手をかざしながら呪文を唱えるとオーブが光を放ち始める。
五つある小祭壇の全てのオーブが光を発している状態で盃に血を注ぎ、術を行使することで儀式は完成し、異界への扉が開かれる。
そうして、ゲオルグが四つ目までの祭壇に火を灯し終え、五つ目の祭壇に火を灯そうとした時だった。
彼は背後で魔力を帯びた物品が移動を始めたのを感じ取った。
そこにあるのは深淵の盃と、彼が持ち込んだ魔力を帯びた短剣だ。
その二つが突然動き出し、遠ざかっていく。
振り返ったゲオルグはローブを着た人影が走り去る姿を目にした。
すぐさまその後を追って走り出す。
せいぜい十歩ほどしか離れていない場所だというのに、ゲオルグは賊の気配を全く感じることが出来なかった。
己のうかつさを呪いながら、ゲオルグは魔力の発生源を追って入り組んだ通路を走る。
人間相手ならばすぐに追い付けると思っていたがその入り組んだ道のせいか、なかなか追い付くことは出来なかった。
だが魔力を帯びた物を持っている限りゲオルグから逃げ切ることは出来ない。
あまりに距離を取られてしまうと後を追えなくなってしまうが、人間の足で彼から逃げ切るのはおよそ不可能だろう。
ゲオルグはどれほど走ったとしても疲れたりすることがない。
賊がどれほど優れた体力を持っていようとも、ゲオルグの追跡を振り切ることなどできはしない。
一分ほど走った頃、移動していた魔力の発生源が動きを止めた。
ゲオルグは走る速度を緩める事なく、止まっている魔力の発生源へと向かう。
そこには奪われた二つの品、深淵の盃とゲオルグが持ち込んだ短剣が捨てられていた。
賊の姿は既に無い。
これらを持ったままでは逃げられないということに気付き、放棄したのだろう。
賊をこのまま逃がすつもりは無かったが、今は儀式を優先させねばならない。
儀式を完了しさえすれば、いくらでも彼の眷属を呼び出すことが出来る。
賊の捜索は眷属達を使って行った方がずっと簡単で効率がいい。
ゲオルグは盃と短剣を拾い上げ、儀式を行う為の祭壇が設置された部屋に戻った。
そして、賊のせいで中断してしまっていた儀式の続きを再開する。
五つの小祭壇の最後の一つに火を灯して、呪文を唱える。
その場にある全ての小祭壇上のオーブが輝いていた。
ゲオルグは中心の祭壇の上に先程取り戻した深淵の盃を置き、その上に自らの手首をかざす。
そして短剣で手首を切り、流れ出た血を盃に注いだ。
血を十分に注ぎ終えたなら、あとは定められた術を行使し異界への門を開くだけだ。
やがて盃が血で満たされる。
再び邪魔が入ったりしそうな気配は今のところ感じられない。
術を行使するための最後の呪文を唱えようとしたそのとき、ゲオルグは突然めまいを覚えた。
そしてふらつき、立っていられなくなり地面に膝を付く。
自身の身に何が起こったのか、彼には理解できなかった。
異界の存在である彼が体調不良になることなどありえない。
おそらく、外部からの攻撃によりなんらかの状態異常を引き起こされたのだ。
だが一体何をされたのか、全く見当が付かない。
何らかの魔術によって攻撃されたのかもしれないが、そのような気配は一切感じられなかった。
めまいは収まらず、その目に映る景色はグラグラと揺れていた。
その数秒後、耳をつんざくような音が響きわたる。
何らかの笛……呼子のようなものだろう。
ゲオルグはふらつきながら音のした方角に目をやったが、そこには何の気配も感じられなかった。
そのすぐあとに、呼子の音が聞こえたのとは逆の方角から何者かが走ってくる足音が聞こえた。
足音だけではない。
金具が擦れ、ぶつかり合うようなガチャガチャという音も聞こえてくる。
武装した何者かが走ってきているのだ。
音の聞こえてくる方向に目をやると、革製の鎧を身に付けた男が剣を抜いて駆け寄って来ていた。
手にした剣は魔力を帯びている。
それはゲオルグを殺しうる武器だった。
こうなるのを待っていたかのように現れたということは、やはりゲオルグの体に起こった異変は何らかの攻撃によるものなのだろう。
ゲオルグはふらつきながらも何とか立ち上がって腰の剣を引き抜き、賊を迎え撃つ為に身構えた。




