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黄金の国の狩人  作者: 神誠
第四章 澱んだ都

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人間らしさ

 クラウディアを捕らえた一行は王城前の広場にたどり着いていた。

 騎士達はクラウディアを乱暴に引き立て、処刑台の上まで連れて行く。

 真十郎は何らの打開策も得られず、連行されるクラウディアをただ眺めることしかできなかった。


 何か方法は無いのか?

 そう、何度も自問した。

 だが何度やっても答えは変わらなかった。

 この状況では彼女は救えない。

 救う方法など無い。

 それでも、彼は諦めきれず何度も自らに問いかける。

 彼の感情がクラウディアを何としても助けねばならないと訴えかけてくる。

 だが、不可能だと……理性がそれを拒絶する。

 真十郎の技をもってしても、白昼堂々あれだけの人数の中に飛び込み虜囚を逃亡させることなど出来はしない。


 この街にたどり着いてすぐに公開処刑が行われている場面に行き会った。

 あれと同じように、彼女もまた残忍な方法で処刑されることになるのだろう。

 ここまでの道中に聞いた、彼女の願いが込められた叫びを思い出す。

 苦しまぬように、楽に逝かせて欲しい……彼女はそれを望んでいる。

 真十郎の弓の腕をもってすれば、それは難しくないだろう。

 今、為すべきことは何なのか?

 それは考えるまでもなく彼にも良くわかっていた。


 ……私の姉と兄のことをよろしくお願いいたします


 脳裏にシャルロッテの顔が浮かんだ。

 あの優しい王女の願いの言葉を思い出していた。

 彼女の姉を救わねばならない。

 だが、この状況から彼女を救い出す能力を真十郎は持っていない。

 今の彼にやれることは一つしかない。


 真十郎は目を閉じ、一つ息を吐いてからその目を開いた。

 屋根の上、広場からは死角となった場所で、ローブの中に隠し持っていた短弓を取り出し矢をつがえる。

 どこから聞こえるのか、すぐ近くでギリギリと何かが擦れるような不快な音が聞こえてきていた。

 それを務めて意識から追い出しながら、弓を引く。

 十分に引き絞ってから、真十郎はつがえた矢を斜め上方に向かって射放った。






 クラウディアは、処刑台の上にあおむけに縛り付けられていた。

 ゲオルグがどのような方法で処刑を行うのか、彼女は良く知っていた。

 可能な限りゆっくりと苦しみを与えながら殺すのだ。


 だが、彼女は苦しむことなく死ねるだろう。

 あの狩人は彼女の願いを聞き入れてくれる筈だ。

 会ってそれほど経っていないというのに何故か、クラウディアはそう信じることができた。

 クラウディアの罪状を読み上げていた男が処刑台から降りていった。

 視界の端に斧を持った処刑人が上がってくるのが見えた。


 視線を戻し、空を見上げる。

 その視線の先に何かが輝くのが見えた。

 それを見て、クラウディアはその頬に笑みを浮かべた。

 その輝きが何であるのか、彼女は一瞬で理解した。

 あの狩人が彼女の願いを聞き届けてくれたのだ。


 時間が引き延ばされたかの如く、全てがゆっくりと動いているように彼女には感じられた。

 光を反射する矢じりが真っ直ぐに彼女に向かって近付いて来る。

 それを見ながら、クラウディアは心の中で謝罪の言葉を呟いていた。


 ごめんなさい……嫌な役目を押し付けてしまって。


 そうして彼女は目を閉じ、狩人の放った死が彼女の元まで届くのを待った。


 ありがとう……


 そう心の中で呟いたと同時に、彼女の意識は途絶えた。

 最期の瞬間まで、彼女はその頬に笑みを浮かべていた。






 公開処刑の行われていた広場から少し離れた裏路地を、真十郎は一人歩いていた。

 先程からギリギリと何かが軋むような不快な音が聞こえ続けている。

 それが自身の奥歯がこすれる音だということに、彼はようやく気づいた。

 吐き気を催すような不快な感覚が彼の胸を満たしていた。


 この感覚には覚えがあった。

 そう、これは怒りだ。

 子供の頃に感じたことがある。

 もう随分と長い間抱いたことの無かったものだ。

 これはその感情によく似ていた。


 だが子供のころに抱いたそれは、これ程強いものでは無かった気がする。

 これ程までに不快な感覚を伴ってもいなかった。

 何かが彼の体の中で、強く激しく渦巻いている。


 道に落ちている木片を、力任せに踏み砕いた。

 奥歯がこすれる音が大きくなり、さらに不快に頭に響いてくる。

 あまりの不快さに堪えきれなくなり、真十郎は大きく息を吸い込んだ。


「ォォォオァァァァアアアアッ!!」


 抑えられなくなった感情が声となって喉から溢れ出す。


 これほど強い感情を抱いたのはいつ以来だろうか?

 彼は幼少より常に冷静であるようにと教えられ、そのように訓練されてきた。

 それによって、その身に沁みついた習性から己の感情を抑えようと努力するが、今はそれがうまくいっていなかった。

 故郷を逃げ出したあの日も、これと似た状態だった気がする。

 あの時抱いた感情は怒りではなかったが、今と同じように感情を抑えることが出来なかった。


 ふと、道の上にある水たまりを覗き込む。

 そこには醜く歪んだ男の顔が映し出されていた。


 ああ……そうか。


 そこで彼は思い至った。

 今抱いているこの感情が何なのか、どのようなものであるのかということに。


 きっと、これが憎しみという感情なのだろう。

 それは彼にとって未知の感情だったが、どういうものなのかは知っていた。

 真十郎はこれまで人を憎んだことが無かった。

 今まで大勢の人間をその手にかけてきたが、相手が憎かったからではない。

 その全てが自分以外の誰かの利益の為であったり、誰かを救う為であった。

 怒りという感情すら、幼い頃に感じて以来ずっと忘れてしまっていた。

 そのような感情は、故郷で道具として生きてきた彼には不要の物だった。


 初めての感情。

 もしかしたら失っていた人間らしさを、また少し取り戻すことが出来たのかもしれない。

 だが、それを喜ぶ気持ちには到底なれそうにない。


 背後から近づいてくる何者かの気配を感じて、真十郎は顔を上げ振り返った。

 そこにはエーリヒが立っていた。


 エーリヒは振り向いた真十郎を見て、驚いたように目を見開いていたが、やがてその表情は複雑なものへと変わった。

 彼は眉を寄せ、厳しい表情を浮かべながら、その口には笑みを浮かべていた。

 その笑みの中には悲しみや哀れみといった感情の色も見て取れた。


「君もそんな顔をすることがあるんだな」


 そんな顔……エーリヒのその言葉に、真十郎は先程水面に映った自分……醜く歪んだ、その表情を思い浮かべた。


「ありがとう。姉を苦しみから救ってくれて」


 エーリヒのその言葉に、再び怒りが強くなるのを感じた。

 それはエーリヒに対する怒りではない。

 他の誰でもない、クラウディアを救うことが出来なかった自分自身に対する怒りだった。


 彼の暗殺者としての技量は、並ぶものが無い程に卓抜したものだ。

 だがその精神のありようは暗殺者としては失格だろう。

 ほんの数日共に過ごしただけの相手。

 その命を自身の手で奪ったというだけで、これ程までに心をかき乱されてしまっているのだから。




 奴を……ゲオルグを殺そうと、そう思った。

 真十郎にとって、これは任務だった。

 与えられた任務をこなす。

 ただそれだけのことであった


 だが今はもう、そうでは無くなってしまっていた。

 高ぶった感情が、理性を押しやろうとしている。

 生まれて初めて、誰かを殺してやりたいとそう思っていた。

 誰かの命令や依頼では無い、誰かを救うためでもない。

 己の怒りと復讐心のために殺してやりたいという思いが、彼の中で強く渦巻いていた。


「君はこれからどうするんだ?」

「俺は……」


 エーリヒに問いかけられ、感情のままに答えようとした真十郎の脳裏にアンナとカールの顔が浮かんだ。

 二人には必ず生きて帰って来いと、そう言われた。

 無理をする必要はないと。

 そして、必ず戻ると真十郎は二人にそう答えた。


 真十郎を愛していると言ってくれた少女。

 真十郎を友と呼んでくれる青年。


 彼女らとの約束を守るのであれば、これ以上ここに留まるべきでは無いのだろう。

 現地の協力者のほとんどを失い、標的は得体の知れない力を持っている。

 任務を達成出来る確率は未知数だ。

 暗殺者として育てられた彼の感覚は撤退するべきだと、そう訴えかけてくる。

 だが、彼の感情はその選択を拒絶していた。


 あの異常な空間で見たゲオルグの姿を思い出す。

 激しい怒りと憎しみの感情、そしてあの男を自分の手で殺してやりたいという欲求が彼の心に湧き上がってくる。

 体に沁みついた暗殺者としての習性がそれらの感情を抑えようとする。

 だが、その感情は抑え切れぬほどに強く大きなものになってしまっていた。


「まだ、俺にはやることがある」


 そう口にしながら、真十郎はそびえたつ王城へとその目を向けた。

 己の感覚が冴えわたっていくのがわかる。

 真十郎はかつての自分を……ただ、命じられるままに人を殺し、それに何の疑問も抱かないただの道具でしかなかった頃の自分を思い出していた。


 それは彼にとって苦い思い出だった。

 だが今は……今だけはかつての自分と同じように振舞うとしよう。

 この暗く渇いた感情は奴を殺す以外の方法で満たされることは無いだろうから。


 奴を殺さなければならない。

 狩りはまだ終わっていない。

 必ず仕留めて見せよう。

 やれるはずだ。

 彼は幼い頃からずっと、人という獣を狩るための訓練を受けてきた狩人なのだから。

 姿は人で中身は得体の知れぬ異界の存在であったとしても、それが何だというのか。

 形は同じ。

 ならば殺し方もそう変わりはしないだろう。


 オステンブルクを発つときにアンナに言われた言葉が脳裏に浮かんだ。

 真十郎の選択は、無理をせず必ず生きて帰って来いという彼女の願いを無視することになる。

 罪悪感と共に胸に小さな痛みが走った。


 だがその痛みも、強く渦巻く怒りと憎しみの感情を抑えることはできなかった。



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