02.キノワール伯爵邸
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キノワール伯爵家は、代々騎士を輩出してきた武芸の名家である。現伯爵も王国騎士団に名を連ねており、有事の際は王都に出向いて任務に就く。平時はこの本邸で地方騎士団の指揮を執りつつ、領地を治めていた。
「まさに文武両道。ルシール様如きが嫁ぐには、勿体ないほどの名家です」
「如きって言った?」
「アンセルム様も、伯爵様の下で騎士団に所属して武芸を磨かれているそうですよ」
ジト目で睨みつける主人の抗議は受け流し、ドリスは応接室で出されたお茶に口をつけた。
さすがは伯爵家。ベルトラン家の出涸らしの茶葉とは、味の次元が違う。それに――と、首を回して応接室をぐるりと見渡した。
天井には光を散りばめる豪奢なシャンデリア。靴を履いていても尚、足裏を柔らかく包む見事な刺繍の絨毯。調度品はどれも統一感のある上品な意匠で、二百年前のブロキアス王朝時代のアンティークと思われる。
隣でルシールが、年季の入ったテーブルを手のひらでそっと撫でた。
「ねぇ、ドリス。このテーブルなんてすごく古くてボロボロだけれど、キノワール伯爵もお金に困っているんじゃないかしら」
「ちっ……!」
あからさまな舌打ちをされ、ルシールは慌てて口を閉じた。それと同時に、応接室の扉がゆっくりと開かれる。
「遠路遥々、よく参られた」
現れたのは、威風堂々という言葉がそのまま形になったような男だった。後ろに撫でつけた黒髪には白いものが混じっているが、まっすぐに伸びた背筋が歳を感じさせない。鍛えあげられた体躯を見て、彼こそがキノワール伯爵その人だとドリスは直感した。
二人は即座にソファから立ち上がり、深々と頭を下げる。
「お初にお目にかかります。アルバン・ベルトラン子爵の娘、ルシールにございます。本日は貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございます」
ここに来るまでに何十回もドリスに練習させられたので、ルシールの挨拶は完璧である。
「用件は、事前にいただいた手紙で承知している。そちらの希望される額を用意することは可能ではあるが……」
「返済期間は五年。年利は五パーセントでいかがでしょうか」
交渉をドリスが引き継いだ。キノワール伯爵は、顎に蓄えた立派な髭を指で扱きながら低く唸る。
「五年……それで返済が可能であると?」
「ベルトラン家は畜産を生業としております。現在の取引先を見直し、騎士の皆様に新鮮な肉をお召し上がりいただけるよう、キノワール家へ優先的に卸す契約を結ばせていただきます。そうすれば、返済は十分に可能かと」
「担保は」
「牧場と養鶏場を」
キノワール伯爵とドリスの交渉は続く。具体的な数字や細かな取り決めが次々と飛び交うのを、ルシールは微笑を湛え、時折深く頷きながら聞いていた。
(どうしましょう。二人が何を話しているのか、さっぱり分からないわ)
ルシールの脳は、小難しい話を理解する努力をあっさり放棄した。欠伸を噛み殺し、何気なく窓の外へ視線を移す。
その視界に、彼がいた。
「ケンタウロス様!」
思わず声を上げ、ルシールは窓辺へ駆け寄った。弾かれたように顔を上げたドリスが、慌ててその手を引く。
「ルシール様! 今は大事なお話の途中です!」
「でも、ドリス! お庭にケンタウロス様がいらっしゃるわ!」
「ケンタ……?」
キノワール伯爵が、鋭い眼光を訝しげに動かした。ドリスの背に冷や汗が伝う。
「あああの、伯爵様! ケンタウロスではなく、えっと……ですね、お、お嬢様は何か勘違いをしているようでして……!」
必死の弁明をよそに、伯爵は窓の外へ目をやった。庭先には数名の男たちの姿がある。伯爵は、部屋の隅に控えていた執事に声を掛けた。
「戻っていたのならちょうどいい。ここへ連れてまいれ」
小さく会釈をして退室した執事が、庭先へと回る。男たちと言葉を交わすと、その中の一人、ケンタウロスが巨躯を揺らして歩き出した。
まさか――と、ドリスの脳裏に仮説が浮かぶ。隣のルシールを窺うと、期待に顔を輝かせていたので、どうやらドリスと同じことを考えたらしい。
やがて、再び応接室の扉が開き、男を伴った執事が戻ってきた。
執事の背後にいるのは、間違いなくあのケンタウロスだ。
「ルシール嬢、紹介しよう。こちらが我が愚息、アンセルムだ」
「……どうも。アンセルム・キノワールです」
そう言ってルシールに手を差し出したのは、ケンタウロス――ではなかった。その巨躯の後ろからひょっこりと顔を出した、青白い顔の青年だ。
「……え?」
呆然としながらも、ルシールはアンセルムと握手を交わす。
ドリスは、ケンタウロスの後ろに隠れていたその青年を、改めて見た。
歳の頃は二十歳そこそこ。色素の薄い金髪の間から覗く、覇気のない青い双眸。そして何より、騎士とは到底思えない、生っ白く細い腕。
ルシールの表情を窺うと、これまでに見たことがないほど萎れた顔をしていた。
「あ、あの、伯爵様! ……こ、こちらのゴリ――違う。ケンタウロス……じゃなくて、こちらの方は一体……?」
遠慮がちに尋ねると、キノワール伯爵はきょとんとした目でドリスを見返した。
「ケンタリオだ。知り合いなのかと思い、一緒に呼んだのだが」
「ケンタ……リオさん?」
なんて紛らわしい名前だ。
ケンタリオは浅黒く、彫りの深い――深すぎるくらい深い顔を、ぐっとルシールに近づけた。
「ハジメマシティ。ケンタリオ、ディス」
「カタコト!? なんで!?」
思わずドリスは叫んだ。
「ケンタリオは、遥か南の国コンワダ共和国の民だ。こちらの言葉には不慣れでな」
「はぁ……?」
「旅の途中だった彼の類稀なる武芸の才を目の当たりにし、私が引き留めたのだ。今は傭兵として雇い、アンセルムの護衛と教育係を任せている」
「ヨロシクネィ」
ケンタリオは優に二メートルを超える巨体の腰を屈め、ルシールの頭ほどもある大きな手を差し出した。
その途端、乾燥しきったレーズンのようだったルシールの顔に、輝きが戻る。
「なんて立派な尺側手根伸筋……!」
ルシールは、舐め回すように見つめながら、ケンタリオの手を取った。ドリスは嫌な予感を覚え、すぐに主人をケンタリオから引き離す。
「そ、それにしても、見事なお体ですね」
「ケンタリオは、十万人に一人と言われる、生まれつき飛び抜けた才能を持つ神に祝福された者だからな」
「グラシアン……」
当然ドリスも、その存在も希少価値も知っている。
「そうだ。ケンタリオの祝福は【怪力】。この拳は、魔物の頭蓋骨さえも粉々に砕く」
キノワール伯爵は、自分のことのように誇らしげに頷いた。かと思えば、次の瞬間には冷ややかな目を実の息子に向ける。
「それに比べて、この愚息は……本当に私の血が通っているのかと疑いたくなる」
アンセルムはびくりと体を揺らし、ケンタリオの背後に隠れてしまった。そんな息子に、伯爵は落胆の色が滲む息を吐く。
「――借り入れの件は心得た。ベルトラン子爵の人柄や評判も聞き及んでいるゆえ、前向きに検討すると伝えるが良い。詳細は、追って連絡する」




