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伝説の殺人鬼、脱獄してVRMMOにハマる ~現実世界で殺し尽くして飽きたので、今度は魔王になって異世界を滅茶苦茶にしようと思います~  作者: 黒海苔
第一章:伝説の殺人鬼、魔王になる

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3/5

第二話:伝説の殺人鬼、吸血鬼になる

「――わぁぁぁぁっ!!」


 目を開けた瞬間。


 黒宮玲奈は、思わず歓声を上げた。


 そこは、どこまでも真っ白な空間だった。


 上も、下も、右も、左も。


 見渡す限り、何もない。


 ただ、足元には確かに床の感触があった。


「すごいすごい! 本当にゲームの中に入っちゃった!」


 玲奈は、自分の両手を見つめた。


 指を曲げる。


 握りしめる。


 開いてみる。


「おぉー!」


 ちゃんと動く。


 しかも、動かしている感覚まである。


 試しに頬をつまんでみれば、柔らかな感触が指先に伝わってきた。


「えへへっ! これ、本当に現実みたい!」


 玲奈はその場でぴょんぴょんと跳びはねた。


 くるりと回る。


 片足で立つ。


 軽く床を蹴ってみる。


 どれも、現実世界とほとんど変わらない。


「へぇー! すっごい技術だね!」


 玲奈は心の底から感心していた。


 つい昨日まで、自分は特別拘置施設の中にいた。


 そこには娯楽と呼べるものがほとんどなく、毎日が退屈で仕方なかった。


 もちろん、施設の人たちとのお喋りはそれなりに楽しかった。


 だが、それだけだ。


 同じ部屋。


 同じ景色。


 同じような一日。


 そんな生活にも、すっかり飽きていた。


 だからこそ。


「えへへっ! 脱獄して正解だったなぁ!」


 少女は、満面の笑みを浮かべた。


 もっとも。


 その感想を聞いた者がいれば、全力で首を横に振ったことだろう。


 脱獄という行為は、ゲームを遊ぶために行うものではない。


 ましてや、死刑判決を受けた少女が口にしていい感想でもない。


 だが。


 そんな常識は、黒宮玲奈には通用しなかった。


「さてさて! これから何をすればいいのかな?」


 玲奈が首を傾げた、そのとき。


 ――ポーン♪


 軽やかな電子音が響いた。


 同時に、目の前の空間に半透明のウィンドウが浮かび上がる。


『ようこそ、《アビス・レガリア》へ!』


『これより、プレイヤー登録を開始します。』


『まずは、プレイヤーネームを設定してください。』


「おぉー! 始まった!」


 玲奈は目を輝かせた。


 ウィンドウの中央には、名前を入力するための欄が表示されている。


「名前かぁ……」


 玲奈は腕を組んだ。


 黒宮玲奈。


 それが自分の本名だ。


 だが、現実世界では現在、白瀬莉奈という名前を使っている。


 もちろん、ゲームの中まで同じ名前にする必要はない。


「んー……せっかくだし、違う名前にしたいなぁ」


 玲奈は少し考え込んだ。


 そして。


「あっ! そうだ!」


 ぱん、と手を叩く。


「クロア!」


 黒宮の「黒」。


 そこから取った「クロ」に、なんとなく響きが可愛いからという理由で「あ」を付け加えただけ。


 実に適当な命名である。


 だが、本人は気に入ったらしい。


「うんうん! 可愛いし、かっこいい! これにしよっと!」


 玲奈は迷わず名前を入力した。


『プレイヤーネーム:クロア』


『この名前で登録しますか?』


 【YES】 【NO】


「もちろん!」


 玲奈は【YES】を押した。


『プレイヤーネーム《クロア》を登録しました。』


『続いて、キャラクターの種族を選択してください。』


「種族!」


 玲奈の瞳が、さらに輝いた。


 目の前に、いくつもの選択肢が並ぶ。


 【人族一覧】


 【人間】


 【獣人】


 【エルフ】


 【ドワーフ】


 …


 …


 【魔族一覧】


 【魔人】


 【吸血鬼】


 ……


「わぁ! いっぱいある!」


 玲奈は興味津々で一覧を眺めた。


 人間。


 獣人。


 エルフ。


 そして下の方には魔族一覧があった。


 玲奈はその魔族一覧から一つの種族を見つけた。


「……あった!」


 ――【吸血鬼】。


「えへへっ! これこれ!」


 玲奈は嬉しそうに笑った。


 思い出したのは、ゲームにログインする少し前。


 佐伯修一から聞いた説明だった。


 吸血鬼は、血を飲むことで特殊な能力を使える種族。


 普通の種族とは違う成長要素があり、使いこなせばさまざまな戦い方ができる。


 その一方で、日光や神聖属性に弱いという、厄介な制約もあるらしい。


 そして何より、陽菜が自分の見た目を見ておすすめしてくれた種族でもあった。


「血を飲んで強くなるって、すっごく面白そうだよね!」


 玲奈はわくわくした様子で呟いた。


 ほかの種族にも、それぞれ魅力があるのだろう。


 獣人なら、ふわふわの耳や尻尾があるかもしれない。


 エルフなら、魔法が得意そうだ。


 魔族という響きも、なんだかかっこいい。


 しかし。


「うん! やっぱり吸血鬼!」


 玲奈は迷わなかった。


 さっそく【吸血鬼】を選択すると、詳細な説明が表示された。


『種族:吸血鬼』


『夜の眷属と呼ばれる、人ならざる種族。』


『身体能力や感覚能力に優れ、血液を媒介とする特殊能力を使用できます。』


『専用リソース《BP》を持ち、吸血によって補給することが可能です。』


『ただし、日光や神聖属性に弱く、通常の種族とは異なる制約が存在します。』


『難易度:高』


「ふむふむ!」


 玲奈は説明を読み進めた。


「うんうん! おじさんが言ってた通りだ!」


 普通の種族よりも扱いが難しい。


 けれど、その分だけ独特の能力がある。


「えへへっ! こういうの、大好き!」


 玲奈は、さらに詳細画面を開いた。


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 吸血鬼の基本特性


 《夜の眷属》

 夜間や暗所で身体能力に補正を得る。


 《日光弱化》

 直射日光を浴びている間、身体能力や一部の能力が低下する。

 日陰では影響が軽減される。


 《神聖属性弱点》

 神聖属性の攻撃に弱く、神聖系の回復魔法による回復効果も低下する。


 《血液依存》

 吸血鬼専用のBPを持つ。

 BPは時間経過や一部の能力の使用によって減少する。


 《吸血》

 生きている対象から血液を摂取し、BPを回復する。


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「なるほどなるほど!」


 玲奈は何度も頷いた。


 HPやMPとは別に存在する、BP。


 修一から聞いていた、吸血鬼専用の血液ゲージだ。


「つまり、血を飲まないと困るんだね!」


 BPが少なくなれば、身体能力や特殊能力にも影響が出る。


 逆に、十分な血液を確保できれば、吸血鬼ならではの力を発揮できるということだ。


「ふふっ。ちゃんと吸血鬼っぽい!」


 玲奈は満足そうに笑った。


 さらに、修一は血液に関係する特殊な成長要素が存在するとも話していた。


 ただし、その詳細までは教えてくれなかった。


 自分で発見する楽しみを残しておきたい、という理由らしい。


「何ができるようになるんだろうなぁ!」


 想像するだけで、わくわくしてくる。


 日光の弱点も、玲奈にとっては面白そうな要素だった。


「お昼は弱くなるんだよね。じゃあ、どれくらい違うのか試してみたいな!」


 日向と日陰。


 昼と夜。


 それぞれで、どれほど身体の動きが変わるのか。


 考えてみれば、確かめたいことは山ほどある。


「よーし! これに決定!」


 玲奈が確定ボタンに指を伸ばした、そのときだった。


 ――ポーン♪


「……ん?」


 それまでとは違う、少し低い電子音が響いた。


 目の前に、新たなウィンドウが現れる。


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 【重要なお知らせ】


 種族《吸血鬼》は、魔族系種族に分類されます。


 魔族系種族を選択したプレイヤーは、

 《魔大陸》からゲームを開始します。


 《人間大陸》とは開始地域が異なります。


 大陸間の移動には、船舶や特殊な移動手段などが必要です。


 ※初心者プレイヤーが短期間で大陸間を移動することは困難です。


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「…………」


 玲奈は、ぴたりと動きを止めた。


 そして。


「……えっ?」


 ぱちぱちと瞬きをする。


「魔大陸?」


 聞き慣れない言葉だった。


 いや、ファンタジーの世界なら、魔族が住んでいる大陸という意味なのだろう。


 問題は、そこではない。


「……人間大陸とは、別なの?」


 玲奈は、もう一度説明を読み返した。


 魔大陸。


 人間大陸。


 大陸間の移動は困難。


「…………」


 数秒後。


「あああああっ!!」


 玲奈は、思わず声を上げた。


「そうじゃん! 陽菜ちゃん!」


 せっかく、同じゲームを遊べる友達ができたのだ。


 しかも、陽菜とは一緒に冒険しようという話もしていた。


 だが。


 陽菜が選んだ種族は、人間族。


 そして職業は、神官。


 つまり、陽菜は人間大陸からゲームを始めているはずだ。


「えーっ! じゃあ、一緒に遊べないじゃん!」


 玲奈は、少しだけ頬を膨らませた。


 楽しみにしていたのに。


 せっかく、陽菜と仲良くなれたのに。


「むぅ……」


 玲奈は腕を組んだ。


 吸血鬼は、すごく面白そうだ。


 だが、陽菜と一緒に冒険できないのは残念である。


「んー……どうしよっかなぁ」


 玲奈はしばらく考えた。


 そして。


「あっ! そうだ!」


 ぽん、と手を叩く。


「陽菜ちゃんに聞いてみよっと!」


 玲奈はメニューを開いた。


 キャラクター作成中でも、フレンド機能の一部は利用できるらしい。


 事前に交換していたフレンドコードを入力する。


『フレンドコードを確認しました。』


『プレイヤー《ヒナ》が見つかりました。』


『フレンド申請を送信しますか?』


 【YES】 【NO】


「もちろん!」


 玲奈は【YES】を押した。


 すると、すぐに通知が返ってきた。


『プレイヤー《ヒナ》がフレンド申請を承認しました。』


「わぁ! 早い!」


 続いて、メッセージが届く。


【ヒナ】

『莉奈ちゃん! もうログインしたんだ!』


【ヒナ】

『フレンド申請ありがとー!』


【クロア】

『えへへっ! 今キャラ作ってるところ!』


【ヒナ】

『そうなんだ! 種族は決まった?』


【クロア】

『吸血鬼にしようと思ってる!』


【ヒナ】

『わぁ! 絶対似合う!』


【クロア】

『でもね、吸血鬼だと魔大陸から始まるんだって!』


【ヒナ】

『えっ!?』


 しばらくして。


 追加のメッセージが届いた。


【ヒナ】

『あっ、本当だ……!』


【ヒナ】

『ごめんね! 私、見た目のことばっかり考えてた!』


【ヒナ】

『私、人間大陸にいるから、すぐには会えないかも……』


「んー……」


 玲奈は、少しだけ考えた。


 そして、返信する。


【クロア】

『陽菜ちゃんは悪くないよ!』


【クロア】

『私もちゃんと説明読んでなかったし!』


【ヒナ】

『でも、一緒に遊ぶ約束したのに……』


【ヒナ】

『人間族にしたら、同じ大陸から始められると思う!』


「人間族かぁ……」


 玲奈は種族一覧を振り返った。


 確かに、人間族も悪くない。


 いろいろな職業を選べそうだし、自由度も高そうだ。


 何より、陽菜と一緒に遊べる。


 だが。


 玲奈は、もう一度《吸血鬼》の説明を見つめた。


 血を飲んで能力を使う。


 夜に強くなる。


 日光に弱くなる。


 そして、詳細不明の特殊な成長要素。


「…………」


 数秒後。


「……よしっ!」


 玲奈は、にっこり笑った。


 そして、メッセージを入力する。


【クロア】

『じゃあ、とりあえず吸血鬼で遊んでみるね!』


【ヒナ】

『えっ!? いいの?』


【クロア】

『うん! だって、すっごく面白そうなんだもん!』


【クロア】

『飽きたら人間族で一からやり直して、陽菜ちゃんと遊べばいいし!』


【ヒナ】

『そっか! それなら安心かも!』


【ヒナ】

『じゃあ、先に魔大陸を楽しんできてね!』


【クロア】

『うん! 陽菜ちゃんも楽しんでね!』


【ヒナ】

『またメッセージしようね!』


【クロア】

『もちろん!』


 送信。


「えへへっ!」


 玲奈は、満足そうに笑った。


 ゲームなのだから、好きなように遊べばいい。


 吸血鬼が面白ければ、そのまま続ければいい。


 もし飽きたら、別のキャラクターを作って最初から遊び直せばいい。


 それだけの話だ。


「よーし! まずは魔大陸を探検だ!」


 玲奈は、改めて【吸血鬼】の確定ボタンを押した。


『種族《吸血鬼》を選択しました。』


『初期転送地域:《魔大陸》』


『続いて、キャラクターの外見を設定してください。』


 その瞬間。


 目の前に、大きな鏡が現れた。


「わぁっ!」


 鏡に映っていたのは、玲奈自身だった。


 艶やかな黒髪。


 鮮やかな赤い瞳。


 小柄で華奢な体格。


 人形のように整った、可愛らしい顔立ち。


 現実世界の玲奈と、ほとんど同じ姿である。


「へぇー! 最初は自分の見た目なんだ!」


 玲奈は鏡に近づいた。


 右手を上げる。


 鏡の中の少女も、右手を上げる。


 笑ってみる。


 鏡の中の少女も、にっこり笑った。


「えへへっ! 面白い!」


 すると、鏡の横に新たなウィンドウが表示された。


『キャラクターの外見を調整できます。』


『髪型・髪色・瞳の色・体格・衣装などを変更可能です。』


『なお、種族固有の特徴には一部制限があります。』


「おぉー!」


 玲奈は目を輝かせた。


「じゃあ、可愛くしちゃお!」


 まずは髪型。


「んー……」


 玲奈は鏡を見つめた。


 腰よりも長い、艶やかな黒髪。


 毛先は柔らかく広がり、動くたびにふわりと揺れる。


「髪はこのままでいいかな!」


 もともと、自分の黒髪は気に入っている。


 ただ、少しだけ調整した。


 前髪を綺麗に整え、長い髪に柔らかな動きを加える。


 さらに、赤いリボンと黒いレースを組み合わせた、大きなヘッドドレスを選んだ。


「わぁ! 可愛い!」


 続いて、瞳。


「目も赤いままでいいよね!」


 玲奈は迷わず赤色を選択した。


 宝石のように澄んだ、鮮やかな紅色。


 その瞳は、彼女の代名詞でもある。


 《紅眼の悪魔》。


 現実世界では、そんな恐ろしい異名で呼ばれていた。


 だが。


「えへへっ! 赤い目って、吸血鬼っぽくていいよね!」


 本人は、いたってお気に入りだった。


 次に、体格。


「んー……このままでいっか!」


 小柄な身体。


 細い手足。


 幼さの残る顔立ち。


 もともと玲奈は、自分の容姿を気に入っている。


 わざわざ大きく変える必要もなかった。


 そして。


「次は……お洋服!」


 玲奈の声が弾んだ。


 ここからが本番である。


 目の前には、無数の衣装のデザインが表示されていた。


 鎧。


 ローブ。


 軽装。


 ドレス。


 民族衣装。


 さまざまな衣装が並んでいる。


「わぁぁぁ! いっぱいある!」


 玲奈は楽しそうに一覧を眺めた。


 そして、ある衣装を見つけた瞬間。


「あっ!」


 ぴたりと指が止まった。


 それは、黒と深紅を基調とした、豪華なゴシックロリータ風のドレスだった。


 幾重にも重なったフリル。


 繊細な黒いレース。


 胸元を飾る大きな深紅のリボン。


 薔薇を模した装飾。


 宝石のように輝く赤いアクセサリー。


 さらに、裾が大きく広がる、華やかなスカート。


「…………」


 玲奈は、しばらく無言で見つめた。


 そして。


「かっわいいぃぃぃ!!」


 歓声を上げた。


「これ! これがいい!」


 迷う余地などなかった。


 玲奈はさっそく衣装を選択した。


 すると。


 ――ふわり。


 鏡の中の少女の服装が、一瞬で変化した。


「わぁぁぁぁ!!」


 玲奈は両手を頬に当てた。


 黒と深紅のドレス。


 幾重にも重なるレースとフリル。


 胸元には赤い宝石をあしらったリボン。


 腰には深紅の薔薇。


 スカートの左右には、長く垂れたリボンと繊細な装飾が揺れている。


 脚には黒いレース付きのニーハイソックス。


 足元には、赤い宝石とリボンで飾られた黒いブーツ。


 頭には、薔薇とレースを組み合わせた豪華なヘッドドレス。


 まるで、おとぎ話に登場する小さなお姫様のようだった。


「すごい! すっごく可愛い!」


 玲奈はくるりと回った。


 スカートがふわりと広がる。


 長い黒髪が、柔らかく揺れる。


「えへへっ! これ、最高!」


 なお、この衣装は外見用の装飾装備である。


 見た目が豪華だからといって、特別な防御力があるわけではない。


 初期装備としての性能は、ごく普通だ。


 だが、玲奈にとっては些細な問題だった。


「可愛いのが一番だよね!」


 本人は大満足である。


 もっとも。


 ここで終わりではない。


「あっ! そうだ!」


 玲奈は、あることを思い出した。


「吸血鬼なんだから、牙も欲しいよね!」


 種族固有の外見設定を開く。


 そこには、吸血鬼特有の特徴を調整する項目があった。


 まずは牙。


「んー……大きすぎると可愛くないかなぁ」


 玲奈は少し悩んだ。


 そして、口を開けたときに小さく覗く程度の牙を選択する。


「いーっ!」


 鏡に向かって口を開く。


 すると、上の歯に小さな牙が二本生えていた。


「わぁ! 可愛い!」


 玲奈は満足そうに頷いた。


「次は羽!」


 続いて選んだのは、背中に生える小さな蝙蝠のような翼だった。


 黒に近い深紅の薄い膜。


 細く伸びた骨格。


 小さくても、しっかりと吸血鬼らしい形をしている。


「おぉー!」


 玲奈は背中を振り返った。


 小さな翼が、ぱたぱたと動く。


「えへへっ! 羽だ!」


 試しに動かしてみる。


 右。


 左。


 両方。


 翼は玲奈の意思に合わせて動いた。


「すごい! ちゃんと動くんだ!」


 ただし、この翼は外見上の種族特徴であり、自由に空を飛べるわけではない。


 飛行には別途条件が必要となる。


 だが、玲奈は特に気にしていなかった。


「可愛いから問題なし!」


 こうして。


 黒髪。


 紅い瞳。


 小さな牙。


 背中の蝙蝠の翼。


 そして、黒と深紅の豪華なゴシックロリータドレス。


 すべてが揃った。


「…………」


 玲奈は、鏡の中の自分をじっと見つめた。


 そこに立っていたのは。


 どこからどう見ても、可愛らしい吸血鬼の少女だった。


 いや。


 むしろ、吸血鬼のお姫様と呼ぶ方が似合うかもしれない。


「…………ふふっ」


 玲奈は小さく笑った。


 そして。


「かんっぺき!」


 両手を広げて宣言した。


「えへへっ! 陽菜ちゃんにも見せたいなぁ!」


 玲奈は、先ほど佐伯家で仲良くなった少女の顔を思い浮かべた。


 明るくて。


 元気いっぱいで。


 自分と同じゲームを遊んでいる女の子。


 佐伯陽菜。


「写真とか送れるのかな?」


 玲奈がメニューを開いてみると、スクリーンショットの撮影機能があった。


「おぉー! あるじゃん!」


 さっそく、鏡の前でポーズを取る。


 両手を頬の横に添え、小さな翼をぱたぱたと動かす。


「えへへっ!」


 ――パシャッ。


 撮影完了。


「よーし! 陽菜ちゃんに送っちゃお!」


 玲奈は、先ほど登録したヒナへ画像を送信した。


【クロア】

『見て見て! こんな感じになった!』


 すると。


 数秒も経たないうちに返信が届いた。


【ヒナ】

『えええええっ!?』


【ヒナ】

『可愛すぎるんだけど!?』


【ヒナ】

『お姫様みたい!!』


【クロア】

『えへへっ! ありがと!』


【ヒナ】

『その羽も動くの!?』


【クロア】

『うん! ぱたぱたできるよ!』


【ヒナ】

『いいなー! 私も見てみたい!』


「えへへっ!」


 玲奈は嬉しそうに笑った。


 そして、返信する。


【クロア】

『いつか直接見せるね!』


【ヒナ】

『約束だよ!』


【クロア】

『うん! 約束!』


 その何気ない約束が、後にとんでもない形で果たされることになるのだが。


 もちろん、今の二人が知るはずもなかった。


 ◇ ◇ ◇


『キャラクターの外見設定が完了しました。』


『続いて、初期職業を選択してください。』


「職業!」


 玲奈は再び目を輝かせた。


 目の前に、新しい一覧が表示される。


 【戦士】


 【剣士】


 【騎士】


 【魔法使い】


 【神官】


 【弓使い】


 【斧使い】


 …


 …


 【盗賊】


 【暗殺者】


 ……


「へぇー! いろいろあるんだ!」


 玲奈は興味津々で眺めた。


 戦士。


 剣士。


 騎士。


 魔法使い。


 どれも面白そうである。


「んー……」


 玲奈は腕を組んだ。


 魔法使いもいい。


 剣士も楽しそうだ。


 騎士という響きも、なんだかかっこいい。


 だが。


「あっ!」


 ある職業が目に入った。


 ――【暗殺者】。


「…………」


 玲奈は、その文字をじっと見つめた。


 そして。


「えへへっ!」


 嬉しそうに笑った。


「暗殺者だって!」


 玲奈は詳細を開いた。


『職業:暗殺者』


『隠密行動と急所攻撃を得意とする、高機動型の戦闘職。』


『正面からの継続戦闘には不向きですが、敵の隙を突いた攻撃や奇襲によって高い効果を発揮します。』


『主な適性武器:短剣・小型刃物』


『難易度:高』


「ふむふむ!」


 玲奈は説明を読み進めた。


「隠れて近づいて、隙を突くんだ!」


 なるほど。


 これは面白そうだ。


 力任せに戦うのではなく、相手の動きを観察し、隙を見つけて攻撃する。


 そのためには、相手の行動を予測する必要がある。


 周囲の状況も把握しなければならない。


 そして何より。


「相手に気づかれないようにするの、楽しそう!」


 玲奈は満面の笑みを浮かべた。


 彼女にとって、それは馴染みのある考え方だった。


 相手を観察すること。


 行動を読むこと。


 自分に有利な状況を作ること。


 そうした要素は、玲奈の好奇心を強く刺激した。


「うん! これにしよう!」


 玲奈は【暗殺者】を選択した。


『初期職業《暗殺者》を選択しました。』


『種族《吸血鬼》と職業《暗殺者》の組み合わせを確認しました。』


『この組み合わせは、特定の環境下で高い戦闘能力を発揮する一方、状況によって大きな制約を受ける場合があります。』


『このまま確定しますか?』


 【YES】 【NO】


「もちろん!」


 玲奈は迷わず【YES】を押した。


 すると。


 ――ポーン♪


 軽やかな電子音が響いた。


『キャラクター登録が完了しました。』


 その直後。


 目の前に、最後の確認画面が表示された。


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 プレイヤー情報


 名前:クロア


 種族:吸血鬼


 職業:暗殺者


 レベル:1


 称号:なし


 カルマ値:0


 初期転送地域:魔大陸


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「おぉー!」


 玲奈は目を輝かせた。


「クロア! 吸血鬼! 暗殺者!」


 なんだか、とてもかっこいい。


 しかも、見た目は最高に可愛らしい。


「えへへっ! いい感じ!」


 玲奈は満足そうに頷いた。


 そして、ステータスの詳細を開いてみる。


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 ステータス


 名前:クロア


 種族:吸血鬼

 職業:暗殺者

 レベル:1


 HP:100/100

 MP:50/50

 SP:100/100

 BP:100/100


 筋力:10

 耐久:10

 敏捷:10

 器用:10

 知力:10

 精神:10


 カルマ値:0


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「わぁ! 数字がいっぱい!」


 玲奈は興味津々で眺めた。


 HPは生命力。


 ゼロになれば死亡扱いとなり、ゲーム内の復活処理が行われる。


 MPは魔法や一部の特殊能力を使用するための魔力。


 SPは走行や激しい動作、戦闘行動などで消費するスタミナだ。


 そして、BP。


 吸血鬼だけが持つ、血液に関する専用ゲージである。


「HPとMPとSP、それからBP!」


 玲奈は指を折りながら数えた。


「ふむふむ! 覚えた!」


 さらに、筋力や敏捷といった数値も表示されている。


 ここで重要なのが、《アビス・レガリア》における身体能力の仕組みだった。


 このゲームでは、プレイヤーの身体能力がゲーム内のステータスだけで決まるわけではない。


 現実世界で培った運動能力。


 身体の使い方。


 反射神経。


 技術。


 そうしたものが、ゲーム内での動きにも反映される。


 そして、そこに種族や職業、レベル、装備などによるステータス補正が加わるのだ。


 つまり、同じレベルで同じステータスのプレイヤーであっても、現実世界での運動能力や技術によって、実際の戦闘能力には大きな差が生まれる。


 もちろん、ステータスが上がれば、現実では不可能な速度や跳躍力を発揮することもできるようになる。


「なるほどー!」


 玲奈は納得したように頷いた。


「じゃあ、私が普段できることは、ゲームでもできるんだね!」


 それに加えて、ステータスによる補正まで受けられる。


 玲奈にとって、それは非常に魅力的な仕組みだった。


「えへへっ! 楽しそう!」


 続いて、カルマ値。


「あっ! これもおじさんが言ってたやつだ!」


 カルマ値は、プレイヤーの行動によって変化する数値である。


 善行によって上昇し、犯罪行為などによって低下する。


 数値によってNPCの反応や街での扱いが変わることもあり、極端に低くなれば衛兵などに警戒される可能性もある。


「今はゼロなんだね!」


 玲奈はしばらく考えた。


 そして。


「ふふっ。どこまで下がるんだろ?」


 楽しそうに笑った。


 普通のプレイヤーなら、できる限りカルマ値を下げないように行動するだろう。


 だが、玲奈は違った。


 上げることも。


 下げることも。


 どちらも面白そうだと思っていた。


「まあ、いろいろ試してみれば分かるよね!」


 玲奈は軽く頷いた。


 その言葉が、後にどれほど大きな騒動を招くことになるのか。


 このときは、誰も知らなかった。


 ◇ ◇ ◇


『キャラクターの登録が完了しました。』


『続いて、ゲームの基本操作を確認しますか?』


 【YES】 【NO】


「基本操作?」


 玲奈は首を傾げた。


「んー……せっかくだし、やってみよっかな!」


 【YES】を選択した。


 すると、真っ白だった空間が一瞬で変化した。


「わっ!」


 気づけば、玲奈は石造りの広い訓練場に立っていた。


 周囲には高い壁。


 足元には、しっかりとした石畳。


 そして、目の前には木製の人形が置かれている。


「おぉー!」


 玲奈は周囲を見渡した。


「すごい! 場所が変わった!」


 すると、目の前にウィンドウが現れる。


『チュートリアルを開始します。』


『まずは、移動操作を確認してください。』


『指定された地点まで移動してください。』


「移動?」


 玲奈は足元を見た。


 少し離れた場所に、青く光る円が表示されている。


「あそこかな?」


 玲奈は歩き出した。


 とことこ。


 とことこ。


 そして、円の中に入る。


『移動操作を確認しました。』


「簡単簡単!」


 玲奈は楽しそうに笑った。


 続いて、走行。


 跳躍。


 しゃがみ。


 回避。


 基本的な身体操作を確認していく。


 そして。


「……ん?」


 玲奈は、ふと足を止めた。


「これって……」


 軽く腕を振る。


 足を動かす。


 重心を移動させる。


 その感覚は、驚くほど自然だった。


 身体の動かし方を、いちいち考える必要がない。


 現実世界で歩くときと同じように、ただ歩こうと思えば歩ける。


 走ろうと思えば走れる。


 跳ぼうと思えば跳べる。


「……へぇー!」


 玲奈の顔が、ぱっと明るくなった。


「本当に、いつもの身体みたい!」


 試しに、その場で軽く跳ねる。


 着地。


 続いて、少し勢いをつけて跳躍する。


 そして。


「よいしょっと!」


 ――くるんっ。


 玲奈の小柄な身体が、空中で綺麗な弧を描いた。


 軽やかなバク宙。


 両足で着地。


 ほとんど音も立てず、玲奈はその場に立った。


「おぉー!」


 本人は、楽しそうに歓声を上げた。


「できたできた!」


 まるで、ちょっとした遊びを試しただけのような反応だった。


 だが。


 一般的な人間にとって、バク宙は決して簡単な動作ではない。


 ましてや、助走もなく、何のためらいもなく実行できるものではないだろう。


 しかし、黒宮玲奈にとっては違った。


 彼女は現実世界でも、常人離れした身体能力と運動技術を持っている。


 そのため、今の動作も特別なことではなかった。


「えへへっ! ほんとに現実と一緒だ!」


 玲奈は嬉しそうに笑った。


 さらに、軽く身体をひねりながら跳び、片足で着地する。


 続けて、床を蹴って素早く方向転換。


 そのまま数歩走り、ぴたりと停止した。


「うんうん!」


 足の運び。


 重心の移動。


 着地の感覚。


 どれも自然だ。


 そして、ステータスによる補正が加わることで、動作にはわずかな余裕さえ感じられる。


「これなら、いろんなことができそう!」


 玲奈は満足そうに頷いた。


 ただし、現在のチュートリアル空間では、日光などの環境による弱体化は発生していない。


 そのため、吸血鬼であるクロアも、本来の身体能力を問題なく発揮できていた。


 この違いを、玲奈が実感するのは、もう少し後のことである。


『続いて、戦闘操作を確認します。』


『初期武器を装備してください。』


「おっ! 戦闘!」


 玲奈の瞳が輝いた。


 目の前に、一本の短剣が現れる。


 銀色の刃。


 黒い柄。


 特別な装飾のない、ごく普通の短剣だった。


「わぁ! ナイフだ!」


 玲奈は嬉しそうに手に取った。


 軽い。


 だが、確かな重みがある。


 試しに軽く振ってみる。


 ひゅっ。


 空気を切る音がした。


「へぇー! ちゃんと重さもあるんだ!」


 玲奈は短剣を眺めた。


 現実世界の刃物と比べても、違和感はほとんどない。


 握ったときの感触。


 重心。


 刃先の向き。


 どれも自然だった。


「えへへっ! 使いやすそう!」


 玲奈は短剣を軽く回し、握り直した。


『目標の訓練用人形に攻撃してください。』


「はーい!」


 玲奈は元気よく返事をした。


 そして、木製の人形に近づく。


 短剣を構える。


 軽く踏み込む。


 ――ザシュッ!


 刃が人形に突き刺さった。


『通常攻撃を確認しました。』


「おぉー!」


 玲奈は目を輝かせた。


「ちゃんと斬れる!」


 続いて、もう一度攻撃する。


 今度は少し角度を変えてみる。


 ――ザシュッ!


 さらに、もう一度。


 ――ザシュッ!


 短剣を振るう動作は、どこまでも滑らかだった。


 ステータスが低いからといって、玲奈が現実世界で身につけた技術まで失われるわけではない。


 ただし、相手に与えられるダメージや攻撃速度には、ゲーム内の数値による限界がある。


 どれほど巧みに刃を扱えたとしても、初期装備の短剣一本で高レベルの強敵を簡単に倒せるわけではない。


 玲奈自身も、そのあたりは理解していた。


「ふむふむ! ちゃんとゲームのルールがあるんだね!」


 それが、かえって面白かった。


『続いて、スキルを使用してください。』


「スキル!」


 玲奈は嬉しそうに声を上げた。


「これこれ! ゲームっぽいやつ!」


 目の前に、新しい説明が表示される。


『スキルは、条件を満たすことで発動できる特殊な能力です。』


『職業《暗殺者》の初期スキルを確認してください。』


 玲奈はスキル一覧を開いた。


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 初期スキル


 《隠密》

 自身の気配を抑え、敵に発見されにくくなる。


 《急所攻撃》

 対象の急所を正確に捉えることで、通常より高いダメージを与える。


 《奇襲》

 対象に認識されていない状態から攻撃した際、一定の条件下で攻撃効果が上昇する。


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「へぇー!」


 玲奈は、じっくりと説明を読んだ。


「なるほどなるほど!」


 隠密。


 急所攻撃。


 奇襲。


 どれも面白そうだ。


 特に。


「《奇襲》かぁ……」


 玲奈は、にっこり笑った。


「相手に気づかれてないと強くなるんだね!」


 それなら。


 真正面から戦う必要はない。


 相手の視線。


 注意。


 周囲の状況。


 そうしたものを利用すれば、戦い方はいくらでも考えられる。


「ふふっ。楽しそう!」


 玲奈は短剣を握り直した。


 そして、訓練用人形に向き直る。


「じゃあ、やってみよっと!」


 まずは《隠密》。


 玲奈がスキルを発動すると、身体を薄い光が包んだ。


「おぉー!」


 不思議な感覚だった。


 自分の存在感が、少しだけ薄くなったような気がする。


 もちろん、姿が消えるわけではない。


 目の前に立っていれば、普通に見つかるだろう。


 それでも。


「へぇー! 面白い!」


 玲奈は楽しそうに笑った。


 続いて、《急所攻撃》。


 人形に表示された弱点を狙い、短剣を振るう。


 ――ザシュッ!


『《急所攻撃》の発動を確認しました。』


「おぉー!」


 玲奈は歓声を上げた。


 普通に攻撃したときよりも、大きなダメージ表示が出ている。


「なるほど! こういう感じなんだ!」


 最後は《奇襲》。


 訓練用人形の向きが変わり、背中を見せる。


 玲奈は少し距離を取った。


 そして。


「……ふふっ」


 小さく笑う。


 足音を抑えながら近づく。


 背後に回る。


 相手に認識されていない状態を維持する。


 そして、短剣を振るった。


 ――ザシュッ!


『《奇襲》の発動を確認しました。』


『チュートリアル目標を達成しました。』


「やったぁ!」


 玲奈は嬉しそうに両手を上げた。


「えへへっ! 暗殺者、面白い!」


 まだ、基本的なスキルを試しただけだ。


 敵が反撃してくるわけでもない。


 実戦とは、まったく違う。


 それでも。


「これから、もっといろいろできるようになるんだよね!」


 玲奈は期待に胸を膨らませた。


 新しい能力。


 新しい戦い方。


 そして、まだ見ぬ強敵たち。


 想像するだけで、わくわくしてくる。


「早く本物の敵とも戦ってみたいなぁ!」


 玲奈は満面の笑みを浮かべた。


 その笑顔は、どこまでも無邪気だった。


 ただし。


 その無邪気さが、必ずしも周囲にとって安全であるとは限らない。


 それが、黒宮玲奈という少女だった。


 ◇ ◇ ◇


『基本操作の確認が完了しました。』


『これより、《アビス・レガリア》の世界へ転送します。』


「おっ!」


 玲奈は顔を上げた。


「いよいよ冒険だ!」


 目の前に、最後のウィンドウが表示される。


『《アビス・レガリア》へようこそ。』


『この世界には、数多くの国家、種族、そして未知の存在が暮らしています。』


『どのような道を歩むかは、あなた次第です。』


『冒険者として名を上げることも。』


『商人として富を築くことも。』


『国家に仕え、英雄となることも。』


『あるいは、世界に背を向けることも。』


『すべては、あなたの選択に委ねられています。』


「…………」


 玲奈は、その文章をじっと見つめた。


 そして。


「……へぇ」


 小さく呟いた。


 英雄。


 商人。


 冒険者。


 国家。


 どれも、楽しそうだ。


 だが。


「世界に背を向けることも、かぁ……」


 玲奈は、くすりと笑った。


「本当に何でもできるんだね!」


 その言葉には、純粋な期待が込められていた。


 どんな世界なのだろう。


 どんな人たちがいるのだろう。


 どんな魔物がいるのだろう。


 そして。


 どんな面白いことが、自分を待っているのだろう。


「えへへっ! 楽しみだなぁ!」


 玲奈は、迷わず転送を選択した。


 その瞬間。


 ――パァァァァッ!


 足元から、眩い光が溢れ出した。


「わっ!」


 視界が真っ白に染まる。


 身体が、ふわりと浮かび上がるような感覚。


 そして。


 次の瞬間。


 玲奈の意識は、まったく別の場所へと移っていた。


 ◇ ◇ ◇


「…………」


 最初に感じたのは、風だった。


 頬を撫でる、少し冷たい風。


 続いて、聞こえてきたのは人々の声。


 遠くから響く、賑やかな話し声。


 馬車の車輪が石畳を転がる音。


 どこかで鳴っている鐘の音。


 そして。


「…………わぁ」


 玲奈は、ゆっくりと目を開けた。


 そこに広がっていたのは。


 ――巨大な街だった。


 黒い石で造られた建物。


 鋭く尖った屋根。


 紫色の灯りが揺れる街路。


 遠くには、巨大な城壁と、空へ伸びるいくつもの塔が見える。


 建物の壁には、見たこともない文字が刻まれていた。


 広場の中央には、翼を広げた巨大な魔獣の石像がそびえ立っている。


 そして。


「…………」


 玲奈は、ゆっくりと空を見上げた。


 そこには、現実世界とはまったく異なる光景が広がっていた。


 深い紫色を帯びた空。


 遠くまで続く、黒い山脈。


 その向こうには、赤黒く輝く巨大な山が見える。


 さらに、空には二つの月が浮かんでいた。


 ひとつは、青白い月。


 もうひとつは、薄い紅色の月。


「…………」


 玲奈は、しばらく言葉を失った。


 そして。


「わぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 歓声を上げた。


「すごいすごいすごい!! 本当に異世界だぁぁぁ!!」


 玲奈は、その場でくるくると回った。


 黒と深紅のドレスが、ふわりと広がる。


 長い黒髪が、風に揺れる。


 背中の小さな翼が、ぱたぱたと動いた。


「えへへっ! すっごく綺麗!」


 玲奈は、目を輝かせながら周囲を見渡した。


 そこは、街の中心部にある広場のようだった。


 大きな噴水。


 石畳の道。


 周囲には、さまざまな店が並んでいる。


 そして何より。


「……あっ!」


 玲奈の視線が、行き交う人々に向けられた。


 いや。


 人々、という表現が正しいのかどうかも分からない。


 なぜなら。


「……角!」


 そこには、額から大きな角を生やした男性がいた。


 隣には、長い尻尾を持つ女性。


 さらに、背中に大きな翼を生やした青年。


 獣の耳と尻尾を持つ少女。


 青白い肌の老人。


 そして、全身を黒い鱗で覆われた大柄な戦士。


「…………」


 玲奈は、ぽかんと口を開けた。


 そして。


「わぁぁぁぁ!!」


 再び歓声を上げた。


「すごい! 魔族だ! 本当に魔族がいる!」


 目の前に広がっているのは、人間大陸とはまったく異なる世界。


 魔族たちが暮らす大陸。


 ――《魔大陸》。


 そして、ここは。


『魔大陸・始まりの街《ノクティス》』


 視界の端に、現在地を示す文字が浮かび上がった。


「ノクティス……」


 玲奈は、ゆっくりとその名前を口にした。


「へぇー! かっこいい名前!」


 そして。


「よーし!」


 玲奈は、両手を握りしめた。


「さっそく探検しちゃお!」


 その瞬間だった。


「……おい、見ろよ」


「ん?」


 近くから、低い声が聞こえてきた。


 振り向くと、二人の魔族がこちらを見ていた。


 一人は、額に短い角を生やした大柄な男性。


 もう一人は、灰色の肌と細長い尻尾を持つ青年だった。


「……吸血鬼か?」


「だな。しかも、ずいぶん小さいな」


「どこかの貴族のお嬢様か?」


「いや、あんなところで一人ではしゃいでる貴族がいるかよ」


「それもそうか……」


 二人は、ひそひそと話していた。


 だが。


「こんにちはー!」


「「うおっ!?」」


 玲奈は、満面の笑みで二人に駆け寄った。


「私、クロアっていいます! よろしくね!」


「お、おう……」


「よ、よろしく……」


 二人は、少し戸惑ったように挨拶を返した。


 玲奈はにっこり笑う。


「ねえねえ! その角って、本物?」


「……は?」


「触ってもいい?」


「えっ、いや……まあ、別にいいけどよ」


「やった!」


 玲奈は、嬉しそうに男性の角を見つめた。


 そして、そっと指先で触れる。


「おぉー!」


 硬い。


 しっかりとした感触がある。


「すごい! 本当に角だ!」


「そ、そりゃそうだろ……」


 男性は、何とも言えない表情になった。


 すると、玲奈は今度は隣の青年に視線を向けた。


「ねえねえ! その尻尾も動くの?」


「……ああ、動くけど」


「見せて見せて!」


「……ほら」


 青年が尻尾を軽く動かす。


 ゆらり。


 ゆらり。


「わぁぁぁ! すごーい!」


 玲奈は、ぱちぱちと拍手した。


「いいなぁ! 尻尾も可愛い!」


「……お、おう」


 青年は、少し照れくさそうに頬を掻いた。


 その様子を見ていた男性が、ぽつりと呟く。


「……なんか、変わった嬢ちゃんだな」


「だな……」


 だが、二人とも悪い気はしていないようだった。


 むしろ、玲奈の無邪気な反応に、少しずつ表情が和らいでいく。


「お嬢ちゃん、ここに来たばっかりなのか?」


「うん!」


「そうか。なら、まずは街を見て回るといい。ここは魔大陸でも、比較的平和な街だからな」


「ほんと!?」


「ああ。店も多いし、冒険者ギルドもあるぞ」


「冒険者ギルド!」


 玲奈の瞳が輝いた。


「あるんだ!」


「そりゃあるさ。魔大陸にだって冒険者はいるからな」


「へぇぇ!」


 玲奈は、興味津々で頷いた。


「ありがと! お兄さんたち!」


「お、おう……」


「気をつけてな」


「はーい!」


 玲奈は元気よく手を振った。


 そして、再び広場へと駆け出していく。


 その後ろ姿を見送りながら、二人の魔族は顔を見合わせた。


「……可愛い子だったな」


「ああ。吸血鬼って、もっと気難しい連中かと思ってたけど」


「……まあ、いろいろいるんだろうな」


 二人は、そんな会話を交わした。


 もちろん。


 彼らは知らない。


 先ほど笑顔で挨拶してきた小さな吸血鬼が、現実世界では百人以上を殺害した伝説の殺人鬼であることなど。


 知る由もなかった。


 そして。


 そんな少女が、やがて魔大陸そのものを揺るがす存在になることも。


 ◇ ◇ ◇


「わぁ! すごいすごい!」


 玲奈は、街の中を歩きながら、何度も歓声を上げていた。


 黒い石造りの建物。


 紫色の炎が揺れる街灯。


 見たこともない食べ物を売る屋台。


 魔族たちが行き交う賑やかな通り。


 どれも、現実世界では絶対に見られない光景だった。


「えへへっ! 魔大陸にしてよかったかも!」


 玲奈は、満足そうに笑った。


 陽菜とすぐに会えないのは、少し残念だ。


 だが。


 それ以上に、この世界は面白そうだった。


「……あっ!」


 ふと、玲奈は空を見上げた。


 紫色の空。


 二つの月。


 そして、街全体を包む薄暗い光。


「そういえば……」


 玲奈は、自分の身体を見つめた。


「全然、身体が重くない!」


 チュートリアルで確認した通り、吸血鬼には日光による弱体化が存在する。


 だが、今は違う。


 魔大陸の空は薄暗く、少なくとも現在の街には強い直射日光が差していない。


 そのため、身体に不自然な重さは感じられなかった。


「へぇー! じゃあ、ここって吸血鬼には過ごしやすい場所なんだ!」


 玲奈は、嬉しそうに頷いた。


「よーし! ちょっと試してみよっと!」


 周囲に人がいないことを確認し、路地の端で軽く跳びはねる。


 とんっ。


 着地。


 続いて、くるりと身体をひねる。


 片足で立ち、素早く方向転換。


「おぉー!」


 身体は、思った通りに動いた。


 もちろん、現実世界と完全に同じではない。


 ステータスによる補正が加わっているため、わずかな違いはある。


 それでも。


「うんうん! いい感じ!」


 玲奈は満足そうに笑った。


「これなら、いっぱい遊べそう!」


 そのとき。


 ――ポーン♪


「ん?」


 目の前に、フレンド通知が表示された。


『プレイヤー《ヒナ》からメッセージが届いています。』


「あっ! 陽菜ちゃん!」


 玲奈は、さっそくメッセージを開いた。


【ヒナ】

『莉奈ちゃん! そっちはどう?』


【クロア】

『すっごく楽しいよ!』


【クロア】

『魔族の街に来た!』


【ヒナ】

『わぁ! どんなところ?』


【クロア】

『角が生えてる人とか、尻尾がある人とか、いっぱいいる!』


【クロア】

『あとね、空に月が二つあるの!』


【ヒナ】

『ええっ!? 月が二つ!?』


【クロア】

『うん! すっごく綺麗だよ!』


【ヒナ】

『いいなー! 私も見てみたい!』


「えへへっ!」


 玲奈は嬉しそうに笑った。


 そして、ふと思いつく。


「そうだ!」


 メッセージを入力した。


【クロア】

『今度、陽菜ちゃんも魔大陸に遊びに来てよ!』


【ヒナ】

『行ってみたい!』


【ヒナ】

『でも、大陸を渡るのって大変なんだよね?』


【クロア】

『うん! だから、いつかでいいよ!』


【ヒナ】

『じゃあ、いつか絶対行くね!』


【クロア】

『約束!』


 送信。


「えへへっ! 楽しみだなぁ!」


 玲奈は、満足そうに頷いた。


 陽菜と一緒に遊ぶのは、少し先になりそうだ。


 だが、それでも構わない。


 今は、この魔大陸を思いっきり楽しもう。


 玲奈は、改めて周囲を見渡した。


 魔族たちの暮らす街。


 見たこともない建物。


 未知の食べ物。


 そして、この街の外には、きっとたくさんの魔物や冒険が待っているのだろう。


「……ふふっ」


 玲奈は、小さく笑った。


 そして。


「よーし!」


 両手を握りしめる。


「まずは、街を探検しよっと!」


 黒と深紅のドレスを揺らしながら。


 背中の小さな翼を、ぱたぱたと動かしながら。


 小さな吸血鬼の少女は、賑やかな街へと歩き出した。


「えへへっ! さーて、何から遊ぼっかな!」


 少女は、ただ楽しそうに笑っていた。


 こうして。


 伝説の殺人鬼、黒宮玲奈。


 ゲーム内では《クロア》と名乗る、小さな吸血鬼の少女の冒険が。


 人間大陸から遠く離れた、魔族たちの住む《魔大陸》で。


 ついに、始まったのである。

挿絵(By みてみん)

↑主人公のゲームアバターの立ち絵


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