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伝説の殺人鬼、脱獄してVRMMOにハマる ~現実世界で殺し尽くして飽きたので、今度は魔王になって異世界を滅茶苦茶にしようと思います~  作者: 黒海苔
第一章:伝説の殺人鬼、魔王になる

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第一話:伝説の殺人鬼、ゲームがしたい

 ――伝説の殺人鬼、《紅眼の悪魔》が脱獄。


 その衝撃的なニュースが全国を駆け巡ってから、一夜が明けた。


 午前八時十五分。


「……まだ捕まってないのかよ」


 佐伯修一は、リビングのテレビを見つめながら呟いた。


 画面には、一人の少女の顔写真が映し出されている。


 艶やかな長い黒髪。


 宝石のように鮮やかな紅い瞳。


 そして、人形と見紛うほど整った、可愛らしい顔立ち。


 写真の少女は、にこりと微笑んでいた。


『昨日未明、特別拘置施設から脱走した十六歳の少女について、警察は現在も大規模な捜索を続けています』


『少女は昨年発生した大量殺人事件、通称《黒い日曜日》の犯人であり、特別刑事裁判において死刑判決を言い渡されたばかりでした』


『警察は市民に対し、少女を発見した場合は決して近づかず、直ちに通報するよう呼びかけています』


「……怖い怖い」


 修一は思わず身震いした。


 《黒い日曜日》。


 その事件を知らない者など、この国にはほとんどいないだろう。


 昨年、一つの地方都市で発生した、前代未聞の大量殺人事件。


 死者は百人以上。


 そして、その犯人は当時わずか十五歳の少女だった。


 しかも、彼女には五歳のときに実の姉を殺害した過去まであったという。


 世間から《紅眼の悪魔》と呼ばれる、史上最悪の少女犯罪者。


 その少女が、国内最高水準の警備体制を誇る特別拘置施設から姿を消したのだ。


「……あんなところから、どうやって逃げ出したんだ?」


 ニュースによれば、施設の警備体制に重大な問題があったという報告は、現時点では確認されていないらしい。


 にもかかわらず、少女は忽然と姿を消した。


 まるで、最初からそこに閉じ込められてなどいなかったかのように。


「……世の中、物騒になったもんだなぁ」


 修一は小さくため息をついた。


 もっとも、彼にとっては遠い世界の出来事だった。


 確かに恐ろしい事件ではある。


 だが、そんな凶悪犯が自分の家に現れるなど、普通は考えもしない。


 それよりも、今の修一には別の心配事があった。


「……はぁ。今日くらい、ゆっくり休ませてくれよ」


 テーブルに置かれたスマートフォンには、仕事関係の通知が大量に届いている。


 佐伯修一、四十三歳。


 彼は現在、世界中で話題となっているフルダイブ型VRMMORPG《アビス・レガリア》の開発総責任者を務めていた。


 長年の研究と開発を経て、昨日、ようやく正式サービスを開始したばかりの超大型タイトルである。


 世界初となる、本格的なフルダイブ型VRMMORPG。


 その注目度は凄まじく、サービス開始前から世界中のニュースやSNSを賑わせていた。


 そして、昨日。


 ついにサービスが始まった。


 初日の同時接続者数は、開発チームの予想を大きく上回った。


 幸い、致命的な不具合は発生しなかったものの、細かな問題への対応に追われ、修一が帰宅したのは深夜だった。


「……まったく。ゲームを作るのも楽じゃないな」


 もっとも、自分たちが長年夢見てきた世界が、ようやく動き始めたのだ。


 苦労は多いが、それ以上に嬉しくもあった。


 とはいえ。


 今日は、久しぶりに確保できた休日である。


 妻の美咲と娘の陽菜は、朝から買い物に出かけている。


 久しぶりの静かな朝。


 コーヒーでも飲みながら、のんびり過ごしたい。


「……よし。今日は仕事のことを考えないぞ」


 修一はそう決意し、コーヒーを口に運んだ。


 そのときだった。


 ――ピンポーン。


「ん?」


 玄関のチャイムが鳴った。


「……宅配便か?」


 何か注文していただろうか。


 修一は首を傾げながら立ち上がり、インターホンのモニターを覗き込んだ。


『おっはよーございまーす!』


「…………ん?」


 そこに映っていたのは、一人の少女だった。


 腰を越えるほど長く、艶やかな黒髪。


 鮮やかな紅い瞳。


 黒と深紅を基調とした、フリルたっぷりのゴシックロリータドレス。


 胸元には大きな深紅のリボンが結ばれ、中央には赤い宝石が輝いている。


 幾重にも重なった黒いレースのスカートには、白いフリルと深紅の布地が覗き、薔薇やリボンの装飾が散りばめられていた。


 頭にはレースのヘッドドレス。


 その両側には、大きな黒と赤のリボンが飾られている。


 小柄で華奢な体格に、整った愛らしい顔立ち。


 まるで物語の中から抜け出してきたお姫様のような、美しい少女だった。


『あのー! 佐伯修一さんのお家って、ここで合ってますかー?』


「あ、ああ……そうだが」


『よかったぁ! 間違ってたらどうしようかと思っちゃった!』


 少女は嬉しそうに笑った。


 その笑顔は、年相応の無邪気なものだった。


 しかし。


「…………」


 修一は、何かがおかしいと感じた。


 どこかで見たことがある。


 それも、つい最近。


 いや。


 ついさっき。


「…………まさか」


 修一は、ゆっくりとテレビに視線を戻した。


 そこには、先ほどから繰り返し報道されている少女の顔写真が映っていた。


 黒髪。


 紅い瞳。


 可愛らしい顔立ち。


 修一はインターホンのモニターを見た。


 テレビを見た。


 もう一度、モニターを見た。


「…………」


『おじさーん? 聞こえてますかー?』


「…………は?」


 思わず間の抜けた声が漏れた。


 そんな修一の反応など気にすることなく、少女はにっこりと微笑んだ。


『あっ、よかった! 聞こえてた!』


「……お、お前……」


『私ね、黒宮玲奈っていいます!』


「…………っ!」


 修一の心臓が大きく跳ねた。


 黒宮玲奈。


 それは、昨日から全国に緊急手配されている少女の名前だった。


 そして。


 昨年、百人以上の命を奪った《紅眼の悪魔》の本名でもある。


『ちょっとお願いがあって来たんですけど、お家に入れてもらってもいいですか?』


「…………」


 修一は無言でインターホンを切った。


 そして、震える手でスマートフォンを取り出す。


 警察。


 そうだ、警察に連絡しなければ。


 だが、通報しようとした、その瞬間。


 ――ピンポーン。


 再びチャイムが鳴った。


 修一は恐る恐るモニターを見た。


『あれ? 切れちゃった?』


 少女は不思議そうに首を傾げていた。


 そして、何かに気づいたように手を叩く。


『あっ! もしかして、警察に電話しようとしてる?』


「っ!?」


『んー、それは困るなぁ』


 少女は頬に指を当て、少しだけ考える素振りを見せた。


『私、おじさんとお話ししたいだけなんだけど……』


 そして。


『おじさん、奥さんと娘さんがいるんだよね?』


 修一の背筋が凍りついた。


『二人とも、今日はお買い物に行ってるんでしょ?』


「な、なんでそれを……!」


『えへへっ。ちょっと調べたんだ!』


 少女は嬉しそうに笑った。


『だからさ、まずはお話ししよ? ね?』


「…………」


 修一は言葉を失った。


 その言葉が何を意味するのか。


 考えるまでもなかった。


 目の前の少女は、昨年、百人以上もの人間を殺害している。


 そんな少女が、自分の妻と娘の存在を知っている。


 しかも、二人が現在外出していることまで把握している。


 それだけで十分だった。


「……分かった」


『ほんと!?』


「ああ……今、開ける」


『やったぁ! ありがと、おじさん!』


 少女は満面の笑みを浮かべた。


 修一はスマートフォンを握りしめたまま、玄関へ向かった。


 この瞬間。


 彼の平穏な日常は、音を立てて崩れ始めていた。



 ◇ ◇ ◇



「お邪魔しまーす!」


 玄関の扉を開けた途端、少女は元気いっぱいに挨拶した。


 そして、黒い編み上げブーツを脱ぐと、きちんと揃える。


「わぁ、綺麗なお家だね!」


「…………」


「ねえねえ、おじさん! リビングってどっち?」


「……こっちだ」


「ありがと!」


 玲奈は嬉しそうに修一の後をついてきた。


 歩くたびに、幾重にも重なった黒と深紅のスカートがふわりと揺れる。


 その様子だけを見れば、知り合いの家に遊びに来た普通の少女である。


 とてもではないが、百人以上を殺害した凶悪犯には見えない。


 だからこそ、恐ろしい。


「わぁ! 大きなテレビ!」


 リビングに入った玲奈は、目を輝かせた。


 そして、テレビに映っている自分の顔写真を見つける。


「あっ、私だ!」


「…………」


「えへへっ。まだニュースやってるんだね!」


「……お前、何しに来たんだ」


 修一はようやく口を開いた。


 声が震えないようにするだけで精一杯だった。


「ん? お願いがあるって言ったでしょ?」


「……金か?」


「違うよ?」


「じゃあ、何だ」


 玲奈は満面の笑みを浮かべた。


「私ね、ゲームがしたいの!」


「…………は?」


「ゲーム! ほら、おじさんが作ったやつ!」


 玲奈はテレビの横に置かれた《アビス・レガリア》の宣伝パンフレットを指差した。


「《アビス・レガリア》! これこれ!」


「…………」


「昨日から始まったんでしょ? すっごく面白そうなんだもん!」


 修一はしばらく言葉を失った。


 そして。


「……それだけ?」


「うん!」


「……本当に?」


「うん!」


「…………」


 修一は両手で顔を覆った。


「いや、待て待て待て……!」


「ん?」


「お前、脱獄したんだよな!?」


「そうだよ?」


「死刑判決まで受けてたんだよな!?」


「うん!」


「それなのに、わざわざ脱獄してまでやりたかったことが……ゲーム!?」


「そう!」


 玲奈は元気よく頷いた。


「だって、すっごく楽しそうだったんだもん!」


「…………」


 修一は天井を仰いだ。


 理解できない。


 いや、理解したくない。


 目の前の少女は、命懸けで脱獄した理由を、まるで新作のお菓子を買いに行った理由のように語っている。


「……だったら、ゲーム機を買えばいいだろ」


「えー? 私、お金持ってないよ?」


「じゃあ諦めろ!」


「やだ!」


「即答かよ!」


 玲奈は頬を膨らませた。


「だって、せっかく外に出てきたんだよ? やりたいことやらなきゃ損じゃん!」


「外に出てきた、じゃなくて脱獄したんだろうが!」


「あははっ! それもそうだね!」


「笑い事じゃねぇ!」


 思わず大声を出してしまった。


 修一は慌てて口を押さえる。


 だが、玲奈は怒るどころか、楽しそうに笑っていた。


「おじさん、面白いね!」


「……お前に言われても嬉しくない」


「えー、なんでー?」


 玲奈はソファにちょこんと腰掛けた。


 そして、期待に満ちた瞳で修一を見上げる。


「そういえばさ、おじさん」


「……何だ」


「ゲームって、昨日から始まったんだよね?」


「ああ。正式サービス開始は昨日だ」


「だよね!」


 玲奈は嬉しそうに頷いた。


「よかったぁ! ちゃんと予定どおりに始まって!」


「…………ん?」


 修一は眉をひそめた。


「……予定どおり?」


「うん!」


 玲奈はにこにこと笑った。


「私ね、ゲームが始まる日に合わせて出てきたんだ!」


「…………は?」


「だって、早く遊びたかったんだもん!」


「……ちょっと待て」


「ん?」


「お前、もしかして……」


 修一は恐る恐る尋ねた。


「ゲームのサービス開始日に合わせて、脱獄したのか?」


「そうだよ?」


「…………」


「本当はもっと早く出てもよかったんだけどね!」


「…………は?」


「でも、それだと困るかもしれなかったから!」


「……困る?」


 修一は思わず聞き返した。


 玲奈はこくりと頷く。


「うん! だって、もしサービス開始前に私が脱獄したら、大騒ぎになるでしょ?」


「……そりゃ、なるだろうな」


「そうしたらさ、もしかしたらゲームのサービス開始が延期になっちゃうかもしれないじゃん!」


「…………」


「私、それは嫌だったんだよねー!」


 玲奈は心底困ったように眉を下げた。


「せっかく面白そうなゲームが始まるのに、私のせいで延期になったら困るもん!」


「…………」


 修一は口を開けたまま固まった。


 少女は、さらに続ける。


「だから、ちゃんとサービスが始まるまで待ってたの!」


「…………」


「で、昨日になったから、もう大丈夫かなって!」


 玲奈は満面の笑みを浮かべた。


「えへへっ! 私、ちゃんと考えてるでしょ?」


「…………」


 修一は、しばらく何も言えなかった。


 そして。


「いやいやいやいや!!」


「わっ!」


「ちょっと待て! お前、今なんて言った!?」


「え? ちゃんと考えてるでしょって……」


「その前だ!!」


「んー?」


 玲奈は不思議そうに首を傾げる。


「もっと早く脱獄できたってところ?」


「そこだよ!!」


 修一は頭を抱えた。


「お前、あそこがどんな施設か分かってるのか!?」


「うん! すっごく警備が厳しいところでしょ?」


「分かってるじゃねぇか!!」


「でも、出ようと思えば出られたよ?」


「…………」


 修一は口を開けたまま動かなくなった。


 国内最高水準の警備体制。


 脱獄不可能とまで言われていた特別拘置施設。


 そこに収容されていた少女が、今、何と言った?


「……出ようと思えば、出られた?」


「うん!」


「……いつから?」


「んー……最初から?」


「最初から!?」


「うん! でも、外に出ても特にやりたいことなかったし!」


「…………」


 修一は静かに額を押さえた。


 この少女は。


 脱獄できなかったのではない。


 脱獄する必要を感じていなかっただけなのだ。


 そして、ゲームの存在を知った後も、すぐには脱獄しなかった。


 理由は、単純。


 自分が脱獄したせいで、ゲームのサービス開始が延期される可能性を考えたから。


 だから、待った。


 ゲームが正式に始まる、その日まで。


「……お前、頭いいのか悪いのか、どっちなんだよ……」


「えへへっ! よく頭いいって褒められるよ!」


「褒めてねぇよ!!」


 修一は思わず叫んだ。


「そもそも、ゲームのサービス開始日に合わせて脱獄する死刑囚がどこにいるんだよ!?」


「ここにいるよ?」


「そういう意味じゃねぇぇぇ!!」


 玲奈はきょとんとした後、くすくすと笑い始めた。


「あははっ! おじさん、本当に面白いね!」


「……俺はまったく面白くない」


 修一は疲れ切った声で答えた。


 まだ朝の九時にもなっていない。


 それなのに、すでに一週間分くらい疲れた気がする。


 しかし。


 彼の受難は、まだ始まったばかりだった。


「……というか、お前」


「ん?」


「そもそも、どうやって俺の家を突き止めたんだ?」


 修一は、先ほどから気になっていたことを尋ねた。


 自分は確かに《アビス・レガリア》の開発総責任者だ。


 名前も、会社の公式サイトやインタビュー記事に掲載されている。


 だが、自宅住所まで公開しているわけではない。


 ましてや、家族の個人情報など載せていない。


 それなのに、目の前の少女は迷うことなく自宅を訪ねてきた。


 しかも、妻と娘の存在まで把握している。


「え? 普通に調べたんだよ?」


「……調べた?」


「うん!」


 玲奈は得意げに胸を張った。


「昨日、脱獄したあとにね、ちょっとパソコン借りて調べたの!」


「……パソコン?」


「そう! おじさんが《アビス・レガリア》を作った人だって分かったから、いろいろ調べてたら見つかったんだ!」


「…………」


「それでね! 奥さんが美咲さんで、娘さんが陽菜ちゃん!」


「…………」


「陽菜ちゃんって、私と同い年なんだよね! 仲良くなれるかなぁ?」


「……ちょっと待て」


「ん?」


「俺の住所は?」


「調べた!」


「妻の名前は?」


「美咲さん!」


「娘の名前と年齢は?」


「陽菜ちゃん、十六歳!」


「……俺の今日の予定は?」


「お休み!」


「…………」


 修一は額を押さえた。


「いや、ちょっと調べて出てくる情報じゃねぇだろうがぁぁぁ!!」


「えー? そうかなぁ?」


「そうだよ!! 個人情報って言葉、知ってるか!?」


「知ってるよ?」


「だったら何でそんな簡単に調べられるんだよ!」


「んー……頑張ったから?」


「頑張ったで済ませるな!!」


 玲奈は不思議そうに首を傾げた。


 どうやら本人にとっては、本当に大したことではないらしい。


「……お前、いったい何者なんだよ」


「え?」


 玲奈はぱちぱちと瞬きをした。


 そして、にっこり笑う。


「黒宮玲奈、十六歳! よろしくね!」


「自己紹介を求めてるんじゃねぇ!!」


「あははっ!」


 修一は、深くため息をついた。


 百人以上を殺害した身体能力。


 七年間の施設生活で示した、突出した知能。


 そして、常識では考えられない情報収集能力。


(……こいつ、絶対に野放しにしちゃいけないタイプだろ……!)


 修一は、警察が必死に捜索している理由を改めて理解した。


 もっとも。


 その危険人物は現在、自分の家のソファに座り、楽しそうに笑っているのだが。


「それでね、おじさん!」


「……まだ何かあるのか」


「私、しばらくここに住みたいんだ!」


「…………」


 修一は固まった。


「……は?」


「ゲーム機も欲しいし、ご飯も食べたいし、寝るところも必要でしょ?」


「…………」


「だから、よろしくね!」


「よろしくね、じゃねぇぇぇぇ!!」


 修一の絶叫がリビングに響いた。


「なんでそうなるんだよ!? うちは宿屋じゃねぇんだぞ!」


「えへへっ。でも、おじさんなら何とかしてくれるかなぁって!」


「するわけないだろ!」


「そっかぁ……」


 玲奈は少し残念そうに眉を下げた。


 そして。


「じゃあ、奥さんと陽菜ちゃんにもお願いしてみようかな?」


「…………っ!」


 修一の表情が凍りついた。


 玲奈は首を傾げる。


「どうしたの?」


「……頼む」


「ん?」


「家族には、手を出さないでくれ」


 修一は絞り出すように言った。


 玲奈は不思議そうに瞬きをした。


「え?」


「妻と娘だけは……頼む」


 修一は深く頭を下げた。


「……できることは何でもする。だから、二人には何もしないでくれ」


 玲奈は少しだけ目を丸くした。


 そして、ふわりと笑った。


「えへへっ。じゃあ、決まりだね!」


「…………」


「大丈夫だよ、おじさん! 私、今はゲームがしたいだけだし!」


 その言葉を聞いても、修一は安心できなかった。


 今は。


 その一言が、どうしようもなく恐ろしい。


 何しろ、目の前の少女は、かつて実の姉を好奇心だけで殺したという。


 本人に悪意があるかどうかなど、何の保証にもならないのだ。


「……一つ、条件がある」


「ん?」


「家族には、お前の正体を絶対に明かすな」


 玲奈はきょとんとした。


「なんで?」


「なんでって……!」


 修一は言いかけて、口を閉じた。


 この少女に、普通の常識が通用するとは思えない。


 それでも、説明しなければならなかった。


「……お前があの事件の犯人だと知ったら、妻も娘も怖がるだろ」


「んー、そうかな?」


「そうなんだよ!」


「そっかぁ」


 玲奈は納得したように頷いた。


「じゃあ、内緒にするね!」


「……頼むぞ。本当に」


「はーい!」


 あまりにも軽い返事だった。


 修一は不安しか感じなかった。


「それと、名前も変えてもらう」


「名前?」


「ああ。黒宮玲奈なんて名乗ったら、一発でバレる」


「なるほど!」


 玲奈は楽しそうに考え始めた。


「んー……じゃあ、莉奈にしようかな!」


「……莉奈?」


「うん! 玲奈とちょっと似てるし!」


「……苗字は?」


「おじさんが決めて!」


「俺が!?」


「うん!」


 修一は額を押さえた。


 そして、しばらく考えた末に口を開く。


「……白瀬。白瀬莉奈でどうだ」


「白瀬莉奈……」


 玲奈はその名前を小さく繰り返した。


 そして、ぱっと笑顔になる。


「うん! 可愛い! それにする!」


「……そうか」


「ありがと、おじさん!」


 こうして。


 史上最悪の少女犯罪者、黒宮玲奈は。


 佐伯家において、白瀬莉奈という名の少女になった。


 本人は、いたって楽しそうだった。



 ◇ ◇ ◇



 それから、およそ一時間後。


「ただいまー!」


 玄関から明るい声が響いた。


 修一の肩がびくりと跳ねる。


 妻と娘が帰ってきたのだ。


「……帰ってきたか」


「おっ! 奥さんと娘さん?」


 ソファでお菓子を食べていた玲奈が、ぱっと顔を上げた。


「楽しみだなぁ!」


「……頼むから、余計なことは言うなよ」


「分かってるって!」


 玲奈は元気よく頷いた。


 まったく信用できなかった。


「あなたー? いるー?」


「あ、ああ! リビングだ!」


 修一が返事をすると、廊下から足音が近づいてきた。


 最初に顔を覗かせたのは、柔らかな栗色の髪をした女性だった。


 佐伯美咲。


 修一の妻である。


「あら?」


 美咲はソファに座っている玲奈を見て、目を丸くした。


「お客さん?」


「あ、ああ! そうなんだ!」


 修一は慌てて立ち上がった。


「えーっと、その……」


 玲奈がにこっと笑う。


「初めまして! 白瀬莉奈です!」


「あら、まあ!」


 美咲は嬉しそうに微笑んだ。


「可愛らしい子ねぇ!」


「えへへっ! ありがとうございます!」


「それに、素敵なお洋服ね。お人形さんみたい」


「ほんとですか? 嬉しいです!」


 玲奈は嬉しそうにスカートの裾をつまみ、くるりと小さく回ってみせた。


 幾重にも重なったレースと深紅のリボンが、ふわりと広がる。


 美咲は思わず頬を緩めた。


「ふふっ。よく似合ってるわ」


「えへへっ!」


「あなた、この子は?」


「え、えーっと……」


 修一は必死に頭を回転させた。


 そして、事前に考えていた説明を口にする。


「じ、実はな! 会社の上司の娘さんなんだ!」


「あら、そうなの?」


「ああ! その上司が急に長期出張になってな! しばらく預かってほしいって頼まれたんだ!」


「まあ、それは大変ねぇ」


「そ、そうなんだよ!」


 美咲は玲奈に向き直った。


「莉奈ちゃん、って呼んでもいいかしら?」


「はい!」


「そう。私は佐伯美咲。よろしくね」


「よろしくお願いします、美咲さん!」


 玲奈はぺこりと頭を下げた。


 その仕草は、とても礼儀正しかった。


 美咲はすっかり気に入った様子で微笑んでいる。


「ふふっ。いい子ねぇ」


「…………」


 修一は何も言えなかった。


 いい子。


 そう、いい子に見える。


 見えるのだが。


(その子、昨年百人以上殺してるんだよなぁ……!)


 心の中で叫ぶ。


 もちろん、口には出せない。


 すると。


「お母さーん! 荷物、どこ置けばいいー?」


 廊下から、もう一つ明るい声が聞こえた。


「あら、陽菜。ちょうどよかったわ」


「んー?」


 リビングに入ってきたのは、明るい茶色の髪をした少女だった。


 佐伯陽菜。


 修一と美咲の一人娘である。


 陽菜は玲奈を見ると、ぱちぱちと瞬きをした。


「……えっ?」


「こんにちは!」


 玲奈はにっこり笑った。


「白瀬莉奈です! よろしくね!」


「えっ、可愛い!」


 陽菜の第一声は、それだった。


「えっ、待って! めっちゃ可愛いんだけど! お人形さんみたい!」


「えへへっ! ありがと!」


「お母さん、この子誰!?」


「お父さんの会社の上司の娘さんなんですって。しばらくうちで預かることになったのよ」


「ええっ!? そうなの!?」


 陽菜は目を輝かせた。


「ねえねえ! 莉奈ちゃんって何歳!?」


「十六歳だよ!」


「えっ! 同い年じゃん!」


「そうなの!」


「やったぁ! よろしくね、莉奈ちゃん!」


「うん! よろしくね、陽菜ちゃん!」


 二人は顔を見合わせて、楽しそうに笑った。


 修一はその光景を、呆然と眺めていた。


(……まずい)


 非常にまずい。


 娘が。


 大切な一人娘が。


 史上最悪の殺人鬼と、ものの数秒で仲良くなってしまった。


「ねえねえ、莉奈ちゃん! その服、すっごく可愛いね!」


「ほんと? ありがと!」


「黒と赤の組み合わせ、めっちゃ好き! あと、そのリボンも可愛い!」


「えへへっ! 私もお気に入りなんだ!」


 玲奈は胸元の深紅のリボンに触れた。


「この薔薇の飾りも可愛いでしょ?」


「うんうん! すっごく似合ってる!」


「陽菜ちゃんもこういう服好き?」


「好き好き! でも、着たことはないんだよねー」


「えー! じゃあ、今度一緒に着ようよ!」


「えっ、いいの!?」


「もちろん!」


「やったぁ! 今度一緒に服見に行こうよ!」


「いいね!」


(やめろぉぉぉ!!)


 修一は心の中で絶叫した。


 外出。


 しかも二人きりで。


 そんなこと、絶対に許せるわけがない。


 だが、どう止めればいい?


 娘に正体を教えるわけにはいかない。


 下手なことを言えば、玲奈の機嫌を損ねるかもしれない。


 修一が頭を抱えていると。


「あら?」


 美咲がふと首を傾げた。


「……そういえば、莉奈ちゃんって」


「はい?」


「昨日からニュースでやってる女の子に、ちょっと似てない?」


 その瞬間。


 修一の心臓が止まりかけた。


「…………っ!?」


「ああ、ほら。脱走したっていう……」


「ち、違う違う違う!!」


 修一は反射的に声を上げた。


 美咲が驚いて振り向く。


「あなた?」


「に、似てるだけだって! 別人! 完全に別人!」


「そ、そう?」


「そりゃそうだろ! こんなに可愛らしい子が殺人なんてするわけないだろ!」


 言い切った。


 言い切ってしまった。


 その瞬間。


「えへへっ!」


 玲奈が、とびきり可愛らしい笑顔を浮かべた。


「…………」


 修一は今すぐ泣きたくなった。


「ふふっ。そうよね。ごめんなさいね、莉奈ちゃん。変なこと言っちゃって」


「いえいえ! 全然気にしてませんよ!」


「それならよかったわ」


 美咲は安心したように微笑んだ。


 陽菜も笑いながら頷く。


「確かに、莉奈ちゃんみたいな可愛い子が殺人鬼なわけないよね!」


「だよねー!」


 玲奈は楽しそうに笑った。


 修一は無言で天井を見上げた。


(……神様)


 普段、神など信じていない。


 だが、今だけは祈らずにはいられなかった。


(頼むから……うちの家族を守ってくれ……!)


 そんな父親の苦悩など知らず、陽菜と玲奈はすっかり意気投合していた。


「ねえ、莉奈ちゃん! ゲームとかする?」


「ゲーム!」


 玲奈が勢いよく顔を上げた。


「する! これから始めるんだ!」


「えっ、何のゲーム?」


「《アビス・レガリア》!」


「えええっ!?」


 陽菜が歓声を上げた。


「私もやってるよ!」


「ほんと!?」


「うん! 昨日から始めたばっかりだけど!」


「わぁ! じゃあ、一緒に遊べるね!」


「うんうん! 絶対一緒に遊ぼ!」


 玲奈と陽菜は、嬉しそうに手を取り合った。


「そうだ! 莉奈ちゃん、もうキャラクターは作った?」


「ううん! まだだよ!」


「じゃあ、これから作るんだね!」


「うん! 楽しみ!」


「種族とか職業とか、いっぱい選べるから迷うと思うよー!」


「へぇー! 陽菜ちゃんは何にしたの?」


「私は人間族! 職業は神官だよ!」


「神官?」


「うん! 回復魔法とか、みんなを助ける魔法が使えるんだ!」


「わぁ! すごいね!」


「えへへっ。まだ始めたばっかりだから、全然強くないけどね!」


 陽菜は照れくさそうに笑った。


「でもね、いつか聖女っていう上級職になりたいんだ!」


「聖女!」


 玲奈は目を輝かせた。


「なんだか可愛い名前だね!」


「でしょ!? 私もそう思ったんだ!」


「それにね、キャラクターの見た目も結構こだわったんだよ!」


「ほんと!? どんな感じ?」


「えっとね、髪は銀色で、目は青色! それで、白と水色のドレスを着た女の子!」


「わぁ! 絶対可愛い!」


「えへへっ! あとね、回復魔法を使うときの杖も、青い宝石がついてるやつにしたんだ!」


「いいなぁ! 私も早くキャラクター作りたい!」


「莉奈ちゃんも絶対可愛いキャラになると思う!」


 陽菜は嬉しそうに笑った。


「それでね、いつか本当に聖女になって、困ってる人たちをいっぱい助けたいんだ!」


「へぇー! 陽菜ちゃん、優しいね!」


「そ、そうかな?」


「うん! じゃあ、陽菜ちゃんは将来、聖女様になるんだね!」


「なれたらいいなぁ!」


「絶対なれるよ!」


「ありがと!」


 二人は楽しそうに笑い合った。


 修一は、その会話を聞きながら少しだけ安心した。


(……そうだよな。普通にゲームの話をしてるだけだよな)


 陽菜は昔から、人を助けるような役割を好む子だった。


 回復職を選んだのも、いかにも娘らしい。


 問題は、もう一人である。


「そういえば、莉奈ちゃんはどんなキャラクターにしたいの?」


「んー……」


 玲奈は少し考えた。


 そして、にっこり笑う。


「可愛い子がいいな!」


「分かるー!」


「あとね、今着てる服みたいな、黒と赤のドレスを着せたいんだ!」


「いいねいいね!」


「それで、薔薇とかリボンもいっぱいつけたい!」


「莉奈ちゃん、ゴスロリ好きなんだね!」


「うん! 可愛いから大好き!」


 玲奈は嬉しそうに笑った。


 そんな彼女を見つめていた陽菜は、ふと何かを思いついたように手を叩いた。


「あっ! そうだ!」


「ん?」


「莉奈ちゃん、吸血鬼とか似合いそう!」


「……吸血鬼?」


 玲奈は、きょとんと首を傾げた。


「うん! 《アビス・レガリア》って、吸血鬼も選べるんだよ!」


「へぇー!」


「ほら、莉奈ちゃんって黒髪で赤い目でしょ? それに、そのゴスロリのお洋服もすっごく似合ってるし!」


 陽菜は、玲奈の姿を上から下まで眺めた。


「だから、吸血鬼のお姫様みたいなキャラクターにしたら、絶対可愛いと思う!」


「……吸血鬼のお姫様!」


 玲奈の瞳が、ぱっと輝いた。


「なにそれ! すっごく可愛い!」


「でしょ!?」


「うん!」


 玲奈は、自分の姿を想像してみた。


 艶やかな黒髪。


 宝石のような紅い瞳。


 黒と深紅の豪華なドレス。


 そこに、小さな蝙蝠の翼と、可愛らしい牙。


「……わぁ!」


 玲奈は、思わず声を上げた。


「いいねいいね! すっごく可愛いかも!」


「えへへっ! そうでしょ!」


「じゃあ、吸血鬼にしてみようかな!」


 玲奈は嬉しそうに笑った。


「陽菜ちゃん、ありがと!」


「どういたしまして!」


 二人は顔を見合わせて、楽しそうに笑った。


 その様子を見ていた修一は、思わず小さくため息をついた。


(……吸血鬼か)


 《アビス・レガリア》における吸血鬼は、決して初心者向けの種族ではない。


 確かに強力な能力を持つが、その分、扱いが難しい。


(……まあ、実際に始める前に説明しておくか)


 修一はそう考えた。


 もっとも。


 その吸血鬼が、後にゲーム世界そのものを震撼させる存在になるなどとは。


 このときの彼には、想像すらできなかった。


「じゃあ、莉奈ちゃん!」


「ん?」


「ゲーム始めたら、私とフレンドになろ!」


「フレンド?」


「うん! そうすれば、ゲームの中でも一緒に遊べるんだ!」


「ほんと!?」


「もちろん!」


「やったぁ!」


 玲奈は嬉しそうに笑った。


「じゃあ、陽菜ちゃんと一緒に冒険する!」


「うん! 約束ね!」


 二人は小指を絡めた。


「「ゆーびきーりげーんまーん!」」


 その光景は、どこからどう見ても仲の良い少女二人組だった。


 修一は、そんな二人を眺めながら静かに絶望した。


(……俺のゲームが)


 自分が長年の人生を懸けて開発した、夢の結晶。


 世界初の本格フルダイブ型VRMMORPG。


 その世界に。


(……伝説の殺人鬼が、入ってくる)


 しかも。


(……うちの娘と一緒に)


 修一はそっと目を閉じた。


 今日は、人生最悪の日になるかもしれない。



 ◇ ◇ ◇



 その日の午後。


「わぁぁぁぁ!!」


 玲奈の歓声が、客間に響いた。


 目の前には、最新型のフルダイブ専用VR機器が置かれている。


 《アビス・レガリア》をプレイするための、専用ヘッドセットだ。


「これ! これがあればゲームできるんだよね!?」


「ああ……」


 修一は疲れ切った声で答えた。


「一応、起動設定は済ませてある。あとは装着して、案内に従えばいい」


「やったぁ!」


 玲奈は満面の笑みを浮かべた。


「ありがと、おじさん!」


「……どういたしまして」


 修一は力なく答えた。


 自宅の客間を、急遽玲奈の部屋として使うことになった。


 ベッドもある。


 机もある。


 ゲーム機もある。


 何も知らない美咲は、玲奈のために新しいシーツまで用意してくれた。


 陽菜に至っては、今夜一緒にゲームをする約束まで取り付けている。


 恐ろしいほどの順応速度だった。


「ねえ、おじさん!」


「……今度は何だ」


「このゲームって、何でもできるんだよね?」


「……何でも、ってわけじゃないが」


 修一は説明を始めた。


「《アビス・レガリア》は、プレイヤーの自由度を重視したゲームだ。冒険者になるのも、商人になるのも、国に仕えるのも自由。NPCとの関係によっては、世界の情勢だって変わる」


「へぇー!」


 玲奈の瞳が輝く。


「じゃあ、悪いこともできるの?」


「……まあ、できることはできるが」


「ほんと!?」


 玲奈はぱっと顔を輝かせた。


 その反応に、修一は嫌な予感を覚える。


「……ただし、あまりおすすめはしないぞ」


「えー? なんで?」


「このゲームには、カルマ値っていうものがあるんだ」


「カルマ値?」


「ああ。簡単に言えば、プレイヤーがどんな行動をしてきたかを示す数値だ」


 修一は説明を続けた。


「人助けをしたり、善い行いをしたりすれば上がる。逆に、犯罪を犯したり、悪いことをしたりすれば下がっていく」


「ふむふむ!」


「そして、その数値がマイナスになると、NPCから忌避されやすくなるんだ」


「きひ?」


「嫌われたり、警戒されたりするってことだ。店での対応が悪くなったり、町の人間から避けられたりすることもある」


「へぇー!」


「もちろん、悪いことをすれば衛兵に追われることもあるし、国を敵に回せば軍隊が動くことだってある」


「なるほどー!」


 玲奈は興味深そうに頷いた。


 修一は、ここぞとばかりに念を押す。


「だからな、基本的には真面目に遊んだ方がいい。わざわざカルマ値を下げるようなことはしない方が得だぞ」


「んー……」


 玲奈は少し考え込んだ。


 そして、首を傾げる。


「でもさ、おじさん」


「……何だ?」


「カルマ値がマイナスになっても、ゲームオーバーにはならないんだよね?」


「……まあ、そうだが」


「じゃあ、別にいいんじゃない?」


「よくねぇよ!」


 修一は即座にツッコんだ。


「NPCから嫌われるって言っただろ!」


「うん!」


「だったら困るだろ!」


「んー……」


 玲奈はしばらく考えた。


 そして。


「でも、嫌われたら嫌われたで、それも面白そうじゃない?」


「…………」


 修一は言葉を失った。


 普通のプレイヤーなら、NPCから嫌われると聞けば、少しは躊躇するものだ。


 しかし、目の前の少女は違った。


 むしろ、それすら楽しそうだと思っている。


「……お前なぁ」


「えへへっ!」


 玲奈は楽しそうに笑った。


「だって、せっかく自由に遊べるゲームなんでしょ? だったら、いろんなこと試してみたいじゃん!」


「…………」


 修一は、言いようのない不安を覚えた。


 この少女にとって、カルマ値の低下は罰ではない。


 新しい遊び方の一つにすぎないのだ。


「……一応言っておくが、これはゲームだからな」


「うん!」


「現実とは違う。そこは分かってるよな?」


「もちろん!」


 玲奈は元気よく頷いた。


「ゲームなんだから、思いっきり遊ばなきゃね!」


「…………」


 修一は何も言えなくなった。


 果たして、この少女にゲームを遊ばせて本当に大丈夫なのだろうか。


 今さらながら、そんな疑問が頭をよぎる。


 だが、もう遅い。


 玲奈はすでに、ヘッドセットを手に取っていた。


「そうだ、おじさん!」


「……まだあるのか?」


「さっき陽菜ちゃんにね、吸血鬼が似合いそうって言われたんだ!」


「ああ、聞いてたぞ」


「それでね! 私、吸血鬼にしてみようかなって!」


 玲奈は、嬉しそうに笑った。


「黒髪で赤い目の、可愛い吸血鬼のお姫様!」


「……なるほどな」


 修一は小さく頷いた。


 確かに、玲奈の容姿には吸血鬼という種族がよく似合いそうだった。


 黒髪。


 紅い瞳。


 そして、豪華なゴシックロリータドレス。


 見た目だけなら、まさに吸血鬼のお姫様そのものである。


 だが。


「……一応、先に説明しておくぞ」


「ん?」


「吸血鬼は、初心者向けの種族じゃないんだ」


「……そうなの?」


 玲奈は、不思議そうに首を傾げた。


「ああ。強力な能力を持っている代わりに、弱点や制約も多い」


「へぇー!」


 玲奈は、興味深そうに身を乗り出した。


「どんな能力があるの?」


「まず、身体能力が高い。特に夜間は、ほかの種族より有利に戦いやすい」


「おぉー!」


「それから、吸血鬼ならではの能力として《吸血》がある」


「……吸血!」


 玲奈の紅い瞳が、きらりと輝いた。


「やっぱり、血を飲むんだ!」


「まあ、吸血鬼だからな」


 修一は頷いた。


「このゲームの吸血鬼には、普通のHPやMPとは別に、BPっていう血液ゲージがあるんだ」


「血液ゲージ?」


「ああ。血液を補給することで回復する、吸血鬼専用の数値だ。種族固有の能力を使ったり、身体を再生させたりするときに消費する」


「へぇぇ!」


 玲奈は、目を輝かせた。


「じゃあ、血を飲まないといけないんだね!」


「そういうことだ。BPが不足すると、能力が制限されることもある」


「なるほどー!」


 玲奈は楽しそうに頷いた。


「なんだか面白そう!」


「……まあ、それだけならいいんだが」


 修一は、少し真面目な表情になった。


「吸血鬼には、日光に弱いっていう欠点がある」


「……日光?」


「ああ。昼間、特に直射日光の下では、身体能力や再生能力が制限されるんだ」


「へぇー!」


「それから、神聖属性にも弱い。神官や聖職者が使う一部の魔法は、吸血鬼にとって相性が悪いんだ」


「……あっ!」


 玲奈は、何かを思い出したように手を叩いた。


「陽菜ちゃん、神官なんだよね!」


「そうだな」


「じゃあ、陽菜ちゃんの魔法って、私には効きにくいのかな?」


「回復魔法の種類にもよるが、そういうこともあるな」


「へぇー!」


 玲奈は、ますます楽しそうに笑った。


「面白いね!」


「……面白い、か?」


「うん!」


 玲奈は元気よく頷いた。


「だって、得意なことも苦手なこともあるんでしょ?」


「ああ、まあ……」


「じゃあ、どうやって戦うか考えないといけないんだね!」


「……そういうことになるな」


「えへへっ! 楽しそう!」


 玲奈は、満面の笑みを浮かべた。


 修一は、思わず額を押さえた。


(……普通、初心者ならもう少し扱いやすい種族を選ぶんだがなぁ)


 だが、玲奈は違った。


 弱点があると聞いても、まったく気にしていない。


 むしろ、それすら楽しもうとしている。


「……ちなみに、吸血鬼には血液に関係する特殊な成長要素もあるんだが」


「……特殊な成長要素?」


「ああ。ただ、詳しい仕組みは実際に遊びながら確かめてみるといい」


「おぉー!」


 玲奈は、ぱっと顔を輝かせた。


「秘密なんだ!」


「秘密というか、探索要素だな。全部説明したら面白くないだろ?」


「確かに!」


 玲奈は嬉しそうに頷いた。


「じゃあ、自分で見つけてみる!」


「……ああ。それがいい」


 修一は小さく息を吐いた。


「で、どうする? ほかの種族も見てから決めるか?」


「ううん!」


 玲奈は、即座に首を横に振った。


「吸血鬼にする!」


「……即決か」


「うん!」


 玲奈は、にっこり笑った。


「だって、陽菜ちゃんが似合うって言ってくれたし!」


「…………」


「それに、可愛いだけじゃなくて、いろんな能力もあるんでしょ?」


「……まあ、そうだな」


「だったら、絶対面白そう!」


 玲奈は、満面の笑みを浮かべた。


「えへへっ! 早くやってみたいな!」


 修一は、しばらく玲奈を見つめた。


 そして、諦めたように肩を落とす。


「……まあ、好きにすればいい」


「うん! そうする!」


 玲奈は、嬉しそうに笑った。


「あとね、おじさん!」


「……何だ?」


「キャラクターの見た目も、可愛くできるんだよね?」


「ああ。外見はある程度自由に調整できるぞ。ただし、種族ごとの特徴は残るけどな」


「やったぁ!」


 玲奈は、楽しそうに指を折り始めた。


「じゃあ、黒髪で赤い目にして……」


 自分の髪をひと房つまむ。


「今の私みたいな、黒と赤の可愛いドレスを着せたいな!」


「服装はゲーム内で手に入れる必要があるが、そういう衣装もあるぞ。装備の見た目を変える機能もあるからな」


「ほんと!?」


「ああ」


「じゃあ、薔薇とかリボンがいっぱいついた、すっごく可愛いドレスにしよう!」


「……好きにするといい」


「あとね、小さなコウモリの羽も欲しい!」


「吸血鬼なら、外見上の特徴として設定できるな」


「ほんと!?」


「ああ。ただし、羽があるからって自由に飛べるわけじゃないぞ」


「えー! そうなの?」


「当たり前だ! そんな簡単に飛べたらゲームバランスが崩れるだろ!」


「あははっ! それもそうだね!」


 玲奈は楽しそうに笑った。


「じゃあ、可愛いからつける!」


「……そうか」


「それと、ちっちゃい牙も欲しいなぁ!」


「それは吸血鬼の特徴だから、ちゃんとあるぞ」


「やったぁ!」


 玲奈は、満面の笑みを浮かべた。


「えへへっ! 楽しみ!」


 その様子を見て、修一は小さく息を吐いた。


(……まあ、見た目にこだわるくらいなら普通の女の子だよな)


 そう思うことにした。


 そうでもしなければ、精神が持たなかった。


「じゃあ、始めるね!」


「あ、ああ……」


「えへへっ! 楽しみだなぁ!」


 玲奈はベッドに横になった。


 そして、ヘッドセットを装着する。


「それじゃ、おじさん!」


「……何だ?」


「いろいろありがとね!」


 玲奈は、にこっと笑った。


「私、ここに来てよかった!」


「…………」


 修一は返事に詰まった。


 その笑顔は、あまりにも普通だった。


 ゲームを買ってもらったことを喜ぶ、年相応の少女。


 そこには、ニュースで語られていたような凶悪犯の面影など、どこにもない。


 だからこそ。


 修一は、どう接すればいいのか分からなかった。


「……ああ」


 結局、それだけ答えた。


「じゃあね!」


 玲奈は楽しそうに笑い、目を閉じる。


 そして。


「――ダイブ・イン!」


 意識が、仮想世界へと沈んでいった。



 ◇ ◇ ◇



 佐伯修一は、静かになった客間で深くため息をついた。


「……どうしてこうなった」


 朝起きたときは、ただの休日だった。


 コーヒーを飲んで。


 テレビを見て。


 少し昼寝でもして。


 そんな、何でもない一日になるはずだった。


 それがどうだ。


 今、自分の家には、全国で指名手配されている伝説の殺人鬼が住んでいる。


 しかも、その殺人鬼は。


 自分が開発したゲームを、嬉々としてプレイしようとしている。


「……頼むから、普通に遊んでくれよ」


 修一は小さく呟いた。


 だが、彼はまだ知らなかった。


 この少女が、普通という言葉から最も遠い場所にいる存在だということを。

挿絵(By みてみん)

↑陽菜ちゃんの立ち絵


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