第一話:伝説の殺人鬼、ゲームがしたい
――伝説の殺人鬼、《紅眼の悪魔》が脱獄。
その衝撃的なニュースが全国を駆け巡ってから、一夜が明けた。
午前八時十五分。
「……まだ捕まってないのかよ」
佐伯修一は、リビングのテレビを見つめながら呟いた。
画面には、一人の少女の顔写真が映し出されている。
艶やかな長い黒髪。
宝石のように鮮やかな紅い瞳。
そして、人形と見紛うほど整った、可愛らしい顔立ち。
写真の少女は、にこりと微笑んでいた。
『昨日未明、特別拘置施設から脱走した十六歳の少女について、警察は現在も大規模な捜索を続けています』
『少女は昨年発生した大量殺人事件、通称《黒い日曜日》の犯人であり、特別刑事裁判において死刑判決を言い渡されたばかりでした』
『警察は市民に対し、少女を発見した場合は決して近づかず、直ちに通報するよう呼びかけています』
「……怖い怖い」
修一は思わず身震いした。
《黒い日曜日》。
その事件を知らない者など、この国にはほとんどいないだろう。
昨年、一つの地方都市で発生した、前代未聞の大量殺人事件。
死者は百人以上。
そして、その犯人は当時わずか十五歳の少女だった。
しかも、彼女には五歳のときに実の姉を殺害した過去まであったという。
世間から《紅眼の悪魔》と呼ばれる、史上最悪の少女犯罪者。
その少女が、国内最高水準の警備体制を誇る特別拘置施設から姿を消したのだ。
「……あんなところから、どうやって逃げ出したんだ?」
ニュースによれば、施設の警備体制に重大な問題があったという報告は、現時点では確認されていないらしい。
にもかかわらず、少女は忽然と姿を消した。
まるで、最初からそこに閉じ込められてなどいなかったかのように。
「……世の中、物騒になったもんだなぁ」
修一は小さくため息をついた。
もっとも、彼にとっては遠い世界の出来事だった。
確かに恐ろしい事件ではある。
だが、そんな凶悪犯が自分の家に現れるなど、普通は考えもしない。
それよりも、今の修一には別の心配事があった。
「……はぁ。今日くらい、ゆっくり休ませてくれよ」
テーブルに置かれたスマートフォンには、仕事関係の通知が大量に届いている。
佐伯修一、四十三歳。
彼は現在、世界中で話題となっているフルダイブ型VRMMORPGの開発総責任者を務めていた。
長年の研究と開発を経て、昨日、ようやく正式サービスを開始したばかりの超大型タイトルである。
世界初となる、本格的なフルダイブ型VRMMORPG。
その注目度は凄まじく、サービス開始前から世界中のニュースやSNSを賑わせていた。
そして、昨日。
ついにサービスが始まった。
初日の同時接続者数は、開発チームの予想を大きく上回った。
幸い、致命的な不具合は発生しなかったものの、細かな問題への対応に追われ、修一が帰宅したのは深夜だった。
「……まったく。ゲームを作るのも楽じゃないな」
もっとも、自分たちが長年夢見てきた世界が、ようやく動き始めたのだ。
苦労は多いが、それ以上に嬉しくもあった。
とはいえ。
今日は、久しぶりに確保できた休日である。
妻の美咲と娘の陽菜は、朝から買い物に出かけている。
久しぶりの静かな朝。
コーヒーでも飲みながら、のんびり過ごしたい。
「……よし。今日は仕事のことを考えないぞ」
修一はそう決意し、コーヒーを口に運んだ。
そのときだった。
――ピンポーン。
「ん?」
玄関のチャイムが鳴った。
「……宅配便か?」
何か注文していただろうか。
修一は首を傾げながら立ち上がり、インターホンのモニターを覗き込んだ。
『おっはよーございまーす!』
「…………ん?」
そこに映っていたのは、一人の少女だった。
腰を越えるほど長く、艶やかな黒髪。
鮮やかな紅い瞳。
黒と深紅を基調とした、フリルたっぷりのゴシックロリータドレス。
胸元には大きな深紅のリボンが結ばれ、中央には赤い宝石が輝いている。
幾重にも重なった黒いレースのスカートには、白いフリルと深紅の布地が覗き、薔薇やリボンの装飾が散りばめられていた。
頭にはレースのヘッドドレス。
その両側には、大きな黒と赤のリボンが飾られている。
小柄で華奢な体格に、整った愛らしい顔立ち。
まるで物語の中から抜け出してきたお姫様のような、美しい少女だった。
『あのー! 佐伯修一さんのお家って、ここで合ってますかー?』
「あ、ああ……そうだが」
『よかったぁ! 間違ってたらどうしようかと思っちゃった!』
少女は嬉しそうに笑った。
その笑顔は、年相応の無邪気なものだった。
しかし。
「…………」
修一は、何かがおかしいと感じた。
どこかで見たことがある。
それも、つい最近。
いや。
ついさっき。
「…………まさか」
修一は、ゆっくりとテレビに視線を戻した。
そこには、先ほどから繰り返し報道されている少女の顔写真が映っていた。
黒髪。
紅い瞳。
可愛らしい顔立ち。
修一はインターホンのモニターを見た。
テレビを見た。
もう一度、モニターを見た。
「…………」
『おじさーん? 聞こえてますかー?』
「…………は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
そんな修一の反応など気にすることなく、少女はにっこりと微笑んだ。
『あっ、よかった! 聞こえてた!』
「……お、お前……」
『私ね、黒宮玲奈っていいます!』
「…………っ!」
修一の心臓が大きく跳ねた。
黒宮玲奈。
それは、昨日から全国に緊急手配されている少女の名前だった。
そして。
昨年、百人以上の命を奪った《紅眼の悪魔》の本名でもある。
『ちょっとお願いがあって来たんですけど、お家に入れてもらってもいいですか?』
「…………」
修一は無言でインターホンを切った。
そして、震える手でスマートフォンを取り出す。
警察。
そうだ、警察に連絡しなければ。
だが、通報しようとした、その瞬間。
――ピンポーン。
再びチャイムが鳴った。
修一は恐る恐るモニターを見た。
『あれ? 切れちゃった?』
少女は不思議そうに首を傾げていた。
そして、何かに気づいたように手を叩く。
『あっ! もしかして、警察に電話しようとしてる?』
「っ!?」
『んー、それは困るなぁ』
少女は頬に指を当て、少しだけ考える素振りを見せた。
『私、おじさんとお話ししたいだけなんだけど……』
そして。
『おじさん、奥さんと娘さんがいるんだよね?』
修一の背筋が凍りついた。
『二人とも、今日はお買い物に行ってるんでしょ?』
「な、なんでそれを……!」
『えへへっ。ちょっと調べたんだ!』
少女は嬉しそうに笑った。
『だからさ、まずはお話ししよ? ね?』
「…………」
修一は言葉を失った。
その言葉が何を意味するのか。
考えるまでもなかった。
目の前の少女は、昨年、百人以上もの人間を殺害している。
そんな少女が、自分の妻と娘の存在を知っている。
しかも、二人が現在外出していることまで把握している。
それだけで十分だった。
「……分かった」
『ほんと!?』
「ああ……今、開ける」
『やったぁ! ありがと、おじさん!』
少女は満面の笑みを浮かべた。
修一はスマートフォンを握りしめたまま、玄関へ向かった。
この瞬間。
彼の平穏な日常は、音を立てて崩れ始めていた。
◇ ◇ ◇
「お邪魔しまーす!」
玄関の扉を開けた途端、少女は元気いっぱいに挨拶した。
そして、黒い編み上げブーツを脱ぐと、きちんと揃える。
「わぁ、綺麗なお家だね!」
「…………」
「ねえねえ、おじさん! リビングってどっち?」
「……こっちだ」
「ありがと!」
玲奈は嬉しそうに修一の後をついてきた。
歩くたびに、幾重にも重なった黒と深紅のスカートがふわりと揺れる。
その様子だけを見れば、知り合いの家に遊びに来た普通の少女である。
とてもではないが、百人以上を殺害した凶悪犯には見えない。
だからこそ、恐ろしい。
「わぁ! 大きなテレビ!」
リビングに入った玲奈は、目を輝かせた。
そして、テレビに映っている自分の顔写真を見つける。
「あっ、私だ!」
「…………」
「えへへっ。まだニュースやってるんだね!」
「……お前、何しに来たんだ」
修一はようやく口を開いた。
声が震えないようにするだけで精一杯だった。
「ん? お願いがあるって言ったでしょ?」
「……金か?」
「違うよ?」
「じゃあ、何だ」
玲奈は満面の笑みを浮かべた。
「私ね、ゲームがしたいの!」
「…………は?」
「ゲーム! ほら、おじさんが作ったやつ!」
玲奈はテレビの横に置かれた《アビス・レガリア》の宣伝パンフレットを指差した。
「《アビス・レガリア》! これこれ!」
「…………」
「昨日から始まったんでしょ? すっごく面白そうなんだもん!」
修一はしばらく言葉を失った。
そして。
「……それだけ?」
「うん!」
「……本当に?」
「うん!」
「…………」
修一は両手で顔を覆った。
「いや、待て待て待て……!」
「ん?」
「お前、脱獄したんだよな!?」
「そうだよ?」
「死刑判決まで受けてたんだよな!?」
「うん!」
「それなのに、わざわざ脱獄してまでやりたかったことが……ゲーム!?」
「そう!」
玲奈は元気よく頷いた。
「だって、すっごく楽しそうだったんだもん!」
「…………」
修一は天井を仰いだ。
理解できない。
いや、理解したくない。
目の前の少女は、命懸けで脱獄した理由を、まるで新作のお菓子を買いに行った理由のように語っている。
「……だったら、ゲーム機を買えばいいだろ」
「えー? 私、お金持ってないよ?」
「じゃあ諦めろ!」
「やだ!」
「即答かよ!」
玲奈は頬を膨らませた。
「だって、せっかく外に出てきたんだよ? やりたいことやらなきゃ損じゃん!」
「外に出てきた、じゃなくて脱獄したんだろうが!」
「あははっ! それもそうだね!」
「笑い事じゃねぇ!」
思わず大声を出してしまった。
修一は慌てて口を押さえる。
だが、玲奈は怒るどころか、楽しそうに笑っていた。
「おじさん、面白いね!」
「……お前に言われても嬉しくない」
「えー、なんでー?」
玲奈はソファにちょこんと腰掛けた。
そして、期待に満ちた瞳で修一を見上げる。
「そういえばさ、おじさん」
「……何だ」
「ゲームって、昨日から始まったんだよね?」
「ああ。正式サービス開始は昨日だ」
「だよね!」
玲奈は嬉しそうに頷いた。
「よかったぁ! ちゃんと予定どおりに始まって!」
「…………ん?」
修一は眉をひそめた。
「……予定どおり?」
「うん!」
玲奈はにこにこと笑った。
「私ね、ゲームが始まる日に合わせて出てきたんだ!」
「…………は?」
「だって、早く遊びたかったんだもん!」
「……ちょっと待て」
「ん?」
「お前、もしかして……」
修一は恐る恐る尋ねた。
「ゲームのサービス開始日に合わせて、脱獄したのか?」
「そうだよ?」
「…………」
「本当はもっと早く出てもよかったんだけどね!」
「…………は?」
「でも、それだと困るかもしれなかったから!」
「……困る?」
修一は思わず聞き返した。
玲奈はこくりと頷く。
「うん! だって、もしサービス開始前に私が脱獄したら、大騒ぎになるでしょ?」
「……そりゃ、なるだろうな」
「そうしたらさ、もしかしたらゲームのサービス開始が延期になっちゃうかもしれないじゃん!」
「…………」
「私、それは嫌だったんだよねー!」
玲奈は心底困ったように眉を下げた。
「せっかく面白そうなゲームが始まるのに、私のせいで延期になったら困るもん!」
「…………」
修一は口を開けたまま固まった。
少女は、さらに続ける。
「だから、ちゃんとサービスが始まるまで待ってたの!」
「…………」
「で、昨日になったから、もう大丈夫かなって!」
玲奈は満面の笑みを浮かべた。
「えへへっ! 私、ちゃんと考えてるでしょ?」
「…………」
修一は、しばらく何も言えなかった。
そして。
「いやいやいやいや!!」
「わっ!」
「ちょっと待て! お前、今なんて言った!?」
「え? ちゃんと考えてるでしょって……」
「その前だ!!」
「んー?」
玲奈は不思議そうに首を傾げる。
「もっと早く脱獄できたってところ?」
「そこだよ!!」
修一は頭を抱えた。
「お前、あそこがどんな施設か分かってるのか!?」
「うん! すっごく警備が厳しいところでしょ?」
「分かってるじゃねぇか!!」
「でも、出ようと思えば出られたよ?」
「…………」
修一は口を開けたまま動かなくなった。
国内最高水準の警備体制。
脱獄不可能とまで言われていた特別拘置施設。
そこに収容されていた少女が、今、何と言った?
「……出ようと思えば、出られた?」
「うん!」
「……いつから?」
「んー……最初から?」
「最初から!?」
「うん! でも、外に出ても特にやりたいことなかったし!」
「…………」
修一は静かに額を押さえた。
この少女は。
脱獄できなかったのではない。
脱獄する必要を感じていなかっただけなのだ。
そして、ゲームの存在を知った後も、すぐには脱獄しなかった。
理由は、単純。
自分が脱獄したせいで、ゲームのサービス開始が延期される可能性を考えたから。
だから、待った。
ゲームが正式に始まる、その日まで。
「……お前、頭いいのか悪いのか、どっちなんだよ……」
「えへへっ! よく頭いいって褒められるよ!」
「褒めてねぇよ!!」
修一は思わず叫んだ。
「そもそも、ゲームのサービス開始日に合わせて脱獄する死刑囚がどこにいるんだよ!?」
「ここにいるよ?」
「そういう意味じゃねぇぇぇ!!」
玲奈はきょとんとした後、くすくすと笑い始めた。
「あははっ! おじさん、本当に面白いね!」
「……俺はまったく面白くない」
修一は疲れ切った声で答えた。
まだ朝の九時にもなっていない。
それなのに、すでに一週間分くらい疲れた気がする。
しかし。
彼の受難は、まだ始まったばかりだった。
「……というか、お前」
「ん?」
「そもそも、どうやって俺の家を突き止めたんだ?」
修一は、先ほどから気になっていたことを尋ねた。
自分は確かに《アビス・レガリア》の開発総責任者だ。
名前も、会社の公式サイトやインタビュー記事に掲載されている。
だが、自宅住所まで公開しているわけではない。
ましてや、家族の個人情報など載せていない。
それなのに、目の前の少女は迷うことなく自宅を訪ねてきた。
しかも、妻と娘の存在まで把握している。
「え? 普通に調べたんだよ?」
「……調べた?」
「うん!」
玲奈は得意げに胸を張った。
「昨日、脱獄したあとにね、ちょっとパソコン借りて調べたの!」
「……パソコン?」
「そう! おじさんが《アビス・レガリア》を作った人だって分かったから、いろいろ調べてたら見つかったんだ!」
「…………」
「それでね! 奥さんが美咲さんで、娘さんが陽菜ちゃん!」
「…………」
「陽菜ちゃんって、私と同い年なんだよね! 仲良くなれるかなぁ?」
「……ちょっと待て」
「ん?」
「俺の住所は?」
「調べた!」
「妻の名前は?」
「美咲さん!」
「娘の名前と年齢は?」
「陽菜ちゃん、十六歳!」
「……俺の今日の予定は?」
「お休み!」
「…………」
修一は額を押さえた。
「いや、ちょっと調べて出てくる情報じゃねぇだろうがぁぁぁ!!」
「えー? そうかなぁ?」
「そうだよ!! 個人情報って言葉、知ってるか!?」
「知ってるよ?」
「だったら何でそんな簡単に調べられるんだよ!」
「んー……頑張ったから?」
「頑張ったで済ませるな!!」
玲奈は不思議そうに首を傾げた。
どうやら本人にとっては、本当に大したことではないらしい。
「……お前、いったい何者なんだよ」
「え?」
玲奈はぱちぱちと瞬きをした。
そして、にっこり笑う。
「黒宮玲奈、十六歳! よろしくね!」
「自己紹介を求めてるんじゃねぇ!!」
「あははっ!」
修一は、深くため息をついた。
百人以上を殺害した身体能力。
七年間の施設生活で示した、突出した知能。
そして、常識では考えられない情報収集能力。
(……こいつ、絶対に野放しにしちゃいけないタイプだろ……!)
修一は、警察が必死に捜索している理由を改めて理解した。
もっとも。
その危険人物は現在、自分の家のソファに座り、楽しそうに笑っているのだが。
「それでね、おじさん!」
「……まだ何かあるのか」
「私、しばらくここに住みたいんだ!」
「…………」
修一は固まった。
「……は?」
「ゲーム機も欲しいし、ご飯も食べたいし、寝るところも必要でしょ?」
「…………」
「だから、よろしくね!」
「よろしくね、じゃねぇぇぇぇ!!」
修一の絶叫がリビングに響いた。
「なんでそうなるんだよ!? うちは宿屋じゃねぇんだぞ!」
「えへへっ。でも、おじさんなら何とかしてくれるかなぁって!」
「するわけないだろ!」
「そっかぁ……」
玲奈は少し残念そうに眉を下げた。
そして。
「じゃあ、奥さんと陽菜ちゃんにもお願いしてみようかな?」
「…………っ!」
修一の表情が凍りついた。
玲奈は首を傾げる。
「どうしたの?」
「……頼む」
「ん?」
「家族には、手を出さないでくれ」
修一は絞り出すように言った。
玲奈は不思議そうに瞬きをした。
「え?」
「妻と娘だけは……頼む」
修一は深く頭を下げた。
「……できることは何でもする。だから、二人には何もしないでくれ」
玲奈は少しだけ目を丸くした。
そして、ふわりと笑った。
「えへへっ。じゃあ、決まりだね!」
「…………」
「大丈夫だよ、おじさん! 私、今はゲームがしたいだけだし!」
その言葉を聞いても、修一は安心できなかった。
今は。
その一言が、どうしようもなく恐ろしい。
何しろ、目の前の少女は、かつて実の姉を好奇心だけで殺したという。
本人に悪意があるかどうかなど、何の保証にもならないのだ。
「……一つ、条件がある」
「ん?」
「家族には、お前の正体を絶対に明かすな」
玲奈はきょとんとした。
「なんで?」
「なんでって……!」
修一は言いかけて、口を閉じた。
この少女に、普通の常識が通用するとは思えない。
それでも、説明しなければならなかった。
「……お前があの事件の犯人だと知ったら、妻も娘も怖がるだろ」
「んー、そうかな?」
「そうなんだよ!」
「そっかぁ」
玲奈は納得したように頷いた。
「じゃあ、内緒にするね!」
「……頼むぞ。本当に」
「はーい!」
あまりにも軽い返事だった。
修一は不安しか感じなかった。
「それと、名前も変えてもらう」
「名前?」
「ああ。黒宮玲奈なんて名乗ったら、一発でバレる」
「なるほど!」
玲奈は楽しそうに考え始めた。
「んー……じゃあ、莉奈にしようかな!」
「……莉奈?」
「うん! 玲奈とちょっと似てるし!」
「……苗字は?」
「おじさんが決めて!」
「俺が!?」
「うん!」
修一は額を押さえた。
そして、しばらく考えた末に口を開く。
「……白瀬。白瀬莉奈でどうだ」
「白瀬莉奈……」
玲奈はその名前を小さく繰り返した。
そして、ぱっと笑顔になる。
「うん! 可愛い! それにする!」
「……そうか」
「ありがと、おじさん!」
こうして。
史上最悪の少女犯罪者、黒宮玲奈は。
佐伯家において、白瀬莉奈という名の少女になった。
本人は、いたって楽しそうだった。
◇ ◇ ◇
それから、およそ一時間後。
「ただいまー!」
玄関から明るい声が響いた。
修一の肩がびくりと跳ねる。
妻と娘が帰ってきたのだ。
「……帰ってきたか」
「おっ! 奥さんと娘さん?」
ソファでお菓子を食べていた玲奈が、ぱっと顔を上げた。
「楽しみだなぁ!」
「……頼むから、余計なことは言うなよ」
「分かってるって!」
玲奈は元気よく頷いた。
まったく信用できなかった。
「あなたー? いるー?」
「あ、ああ! リビングだ!」
修一が返事をすると、廊下から足音が近づいてきた。
最初に顔を覗かせたのは、柔らかな栗色の髪をした女性だった。
佐伯美咲。
修一の妻である。
「あら?」
美咲はソファに座っている玲奈を見て、目を丸くした。
「お客さん?」
「あ、ああ! そうなんだ!」
修一は慌てて立ち上がった。
「えーっと、その……」
玲奈がにこっと笑う。
「初めまして! 白瀬莉奈です!」
「あら、まあ!」
美咲は嬉しそうに微笑んだ。
「可愛らしい子ねぇ!」
「えへへっ! ありがとうございます!」
「それに、素敵なお洋服ね。お人形さんみたい」
「ほんとですか? 嬉しいです!」
玲奈は嬉しそうにスカートの裾をつまみ、くるりと小さく回ってみせた。
幾重にも重なったレースと深紅のリボンが、ふわりと広がる。
美咲は思わず頬を緩めた。
「ふふっ。よく似合ってるわ」
「えへへっ!」
「あなた、この子は?」
「え、えーっと……」
修一は必死に頭を回転させた。
そして、事前に考えていた説明を口にする。
「じ、実はな! 会社の上司の娘さんなんだ!」
「あら、そうなの?」
「ああ! その上司が急に長期出張になってな! しばらく預かってほしいって頼まれたんだ!」
「まあ、それは大変ねぇ」
「そ、そうなんだよ!」
美咲は玲奈に向き直った。
「莉奈ちゃん、って呼んでもいいかしら?」
「はい!」
「そう。私は佐伯美咲。よろしくね」
「よろしくお願いします、美咲さん!」
玲奈はぺこりと頭を下げた。
その仕草は、とても礼儀正しかった。
美咲はすっかり気に入った様子で微笑んでいる。
「ふふっ。いい子ねぇ」
「…………」
修一は何も言えなかった。
いい子。
そう、いい子に見える。
見えるのだが。
(その子、昨年百人以上殺してるんだよなぁ……!)
心の中で叫ぶ。
もちろん、口には出せない。
すると。
「お母さーん! 荷物、どこ置けばいいー?」
廊下から、もう一つ明るい声が聞こえた。
「あら、陽菜。ちょうどよかったわ」
「んー?」
リビングに入ってきたのは、明るい茶色の髪をした少女だった。
佐伯陽菜。
修一と美咲の一人娘である。
陽菜は玲奈を見ると、ぱちぱちと瞬きをした。
「……えっ?」
「こんにちは!」
玲奈はにっこり笑った。
「白瀬莉奈です! よろしくね!」
「えっ、可愛い!」
陽菜の第一声は、それだった。
「えっ、待って! めっちゃ可愛いんだけど! お人形さんみたい!」
「えへへっ! ありがと!」
「お母さん、この子誰!?」
「お父さんの会社の上司の娘さんなんですって。しばらくうちで預かることになったのよ」
「ええっ!? そうなの!?」
陽菜は目を輝かせた。
「ねえねえ! 莉奈ちゃんって何歳!?」
「十六歳だよ!」
「えっ! 同い年じゃん!」
「そうなの!」
「やったぁ! よろしくね、莉奈ちゃん!」
「うん! よろしくね、陽菜ちゃん!」
二人は顔を見合わせて、楽しそうに笑った。
修一はその光景を、呆然と眺めていた。
(……まずい)
非常にまずい。
娘が。
大切な一人娘が。
史上最悪の殺人鬼と、ものの数秒で仲良くなってしまった。
「ねえねえ、莉奈ちゃん! その服、すっごく可愛いね!」
「ほんと? ありがと!」
「黒と赤の組み合わせ、めっちゃ好き! あと、そのリボンも可愛い!」
「えへへっ! 私もお気に入りなんだ!」
玲奈は胸元の深紅のリボンに触れた。
「この薔薇の飾りも可愛いでしょ?」
「うんうん! すっごく似合ってる!」
「陽菜ちゃんもこういう服好き?」
「好き好き! でも、着たことはないんだよねー」
「えー! じゃあ、今度一緒に着ようよ!」
「えっ、いいの!?」
「もちろん!」
「やったぁ! 今度一緒に服見に行こうよ!」
「いいね!」
(やめろぉぉぉ!!)
修一は心の中で絶叫した。
外出。
しかも二人きりで。
そんなこと、絶対に許せるわけがない。
だが、どう止めればいい?
娘に正体を教えるわけにはいかない。
下手なことを言えば、玲奈の機嫌を損ねるかもしれない。
修一が頭を抱えていると。
「あら?」
美咲がふと首を傾げた。
「……そういえば、莉奈ちゃんって」
「はい?」
「昨日からニュースでやってる女の子に、ちょっと似てない?」
その瞬間。
修一の心臓が止まりかけた。
「…………っ!?」
「ああ、ほら。脱走したっていう……」
「ち、違う違う違う!!」
修一は反射的に声を上げた。
美咲が驚いて振り向く。
「あなた?」
「に、似てるだけだって! 別人! 完全に別人!」
「そ、そう?」
「そりゃそうだろ! こんなに可愛らしい子が殺人なんてするわけないだろ!」
言い切った。
言い切ってしまった。
その瞬間。
「えへへっ!」
玲奈が、とびきり可愛らしい笑顔を浮かべた。
「…………」
修一は今すぐ泣きたくなった。
「ふふっ。そうよね。ごめんなさいね、莉奈ちゃん。変なこと言っちゃって」
「いえいえ! 全然気にしてませんよ!」
「それならよかったわ」
美咲は安心したように微笑んだ。
陽菜も笑いながら頷く。
「確かに、莉奈ちゃんみたいな可愛い子が殺人鬼なわけないよね!」
「だよねー!」
玲奈は楽しそうに笑った。
修一は無言で天井を見上げた。
(……神様)
普段、神など信じていない。
だが、今だけは祈らずにはいられなかった。
(頼むから……うちの家族を守ってくれ……!)
そんな父親の苦悩など知らず、陽菜と玲奈はすっかり意気投合していた。
「ねえ、莉奈ちゃん! ゲームとかする?」
「ゲーム!」
玲奈が勢いよく顔を上げた。
「する! これから始めるんだ!」
「えっ、何のゲーム?」
「《アビス・レガリア》!」
「えええっ!?」
陽菜が歓声を上げた。
「私もやってるよ!」
「ほんと!?」
「うん! 昨日から始めたばっかりだけど!」
「わぁ! じゃあ、一緒に遊べるね!」
「うんうん! 絶対一緒に遊ぼ!」
玲奈と陽菜は、嬉しそうに手を取り合った。
「そうだ! 莉奈ちゃん、もうキャラクターは作った?」
「ううん! まだだよ!」
「じゃあ、これから作るんだね!」
「うん! 楽しみ!」
「種族とか職業とか、いっぱい選べるから迷うと思うよー!」
「へぇー! 陽菜ちゃんは何にしたの?」
「私は人間族! 職業は神官だよ!」
「神官?」
「うん! 回復魔法とか、みんなを助ける魔法が使えるんだ!」
「わぁ! すごいね!」
「えへへっ。まだ始めたばっかりだから、全然強くないけどね!」
陽菜は照れくさそうに笑った。
「でもね、いつか聖女っていう上級職になりたいんだ!」
「聖女!」
玲奈は目を輝かせた。
「なんだか可愛い名前だね!」
「でしょ!? 私もそう思ったんだ!」
「それにね、キャラクターの見た目も結構こだわったんだよ!」
「ほんと!? どんな感じ?」
「えっとね、髪は銀色で、目は青色! それで、白と水色のドレスを着た女の子!」
「わぁ! 絶対可愛い!」
「えへへっ! あとね、回復魔法を使うときの杖も、青い宝石がついてるやつにしたんだ!」
「いいなぁ! 私も早くキャラクター作りたい!」
「莉奈ちゃんも絶対可愛いキャラになると思う!」
陽菜は嬉しそうに笑った。
「それでね、いつか本当に聖女になって、困ってる人たちをいっぱい助けたいんだ!」
「へぇー! 陽菜ちゃん、優しいね!」
「そ、そうかな?」
「うん! じゃあ、陽菜ちゃんは将来、聖女様になるんだね!」
「なれたらいいなぁ!」
「絶対なれるよ!」
「ありがと!」
二人は楽しそうに笑い合った。
修一は、その会話を聞きながら少しだけ安心した。
(……そうだよな。普通にゲームの話をしてるだけだよな)
陽菜は昔から、人を助けるような役割を好む子だった。
回復職を選んだのも、いかにも娘らしい。
問題は、もう一人である。
「そういえば、莉奈ちゃんはどんなキャラクターにしたいの?」
「んー……」
玲奈は少し考えた。
そして、にっこり笑う。
「可愛い子がいいな!」
「分かるー!」
「あとね、今着てる服みたいな、黒と赤のドレスを着せたいんだ!」
「いいねいいね!」
「それで、薔薇とかリボンもいっぱいつけたい!」
「莉奈ちゃん、ゴスロリ好きなんだね!」
「うん! 可愛いから大好き!」
玲奈は嬉しそうに笑った。
そんな彼女を見つめていた陽菜は、ふと何かを思いついたように手を叩いた。
「あっ! そうだ!」
「ん?」
「莉奈ちゃん、吸血鬼とか似合いそう!」
「……吸血鬼?」
玲奈は、きょとんと首を傾げた。
「うん! 《アビス・レガリア》って、吸血鬼も選べるんだよ!」
「へぇー!」
「ほら、莉奈ちゃんって黒髪で赤い目でしょ? それに、そのゴスロリのお洋服もすっごく似合ってるし!」
陽菜は、玲奈の姿を上から下まで眺めた。
「だから、吸血鬼のお姫様みたいなキャラクターにしたら、絶対可愛いと思う!」
「……吸血鬼のお姫様!」
玲奈の瞳が、ぱっと輝いた。
「なにそれ! すっごく可愛い!」
「でしょ!?」
「うん!」
玲奈は、自分の姿を想像してみた。
艶やかな黒髪。
宝石のような紅い瞳。
黒と深紅の豪華なドレス。
そこに、小さな蝙蝠の翼と、可愛らしい牙。
「……わぁ!」
玲奈は、思わず声を上げた。
「いいねいいね! すっごく可愛いかも!」
「えへへっ! そうでしょ!」
「じゃあ、吸血鬼にしてみようかな!」
玲奈は嬉しそうに笑った。
「陽菜ちゃん、ありがと!」
「どういたしまして!」
二人は顔を見合わせて、楽しそうに笑った。
その様子を見ていた修一は、思わず小さくため息をついた。
(……吸血鬼か)
《アビス・レガリア》における吸血鬼は、決して初心者向けの種族ではない。
確かに強力な能力を持つが、その分、扱いが難しい。
(……まあ、実際に始める前に説明しておくか)
修一はそう考えた。
もっとも。
その吸血鬼が、後にゲーム世界そのものを震撼させる存在になるなどとは。
このときの彼には、想像すらできなかった。
「じゃあ、莉奈ちゃん!」
「ん?」
「ゲーム始めたら、私とフレンドになろ!」
「フレンド?」
「うん! そうすれば、ゲームの中でも一緒に遊べるんだ!」
「ほんと!?」
「もちろん!」
「やったぁ!」
玲奈は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、陽菜ちゃんと一緒に冒険する!」
「うん! 約束ね!」
二人は小指を絡めた。
「「ゆーびきーりげーんまーん!」」
その光景は、どこからどう見ても仲の良い少女二人組だった。
修一は、そんな二人を眺めながら静かに絶望した。
(……俺のゲームが)
自分が長年の人生を懸けて開発した、夢の結晶。
世界初の本格フルダイブ型VRMMORPG。
その世界に。
(……伝説の殺人鬼が、入ってくる)
しかも。
(……うちの娘と一緒に)
修一はそっと目を閉じた。
今日は、人生最悪の日になるかもしれない。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
「わぁぁぁぁ!!」
玲奈の歓声が、客間に響いた。
目の前には、最新型のフルダイブ専用VR機器が置かれている。
《アビス・レガリア》をプレイするための、専用ヘッドセットだ。
「これ! これがあればゲームできるんだよね!?」
「ああ……」
修一は疲れ切った声で答えた。
「一応、起動設定は済ませてある。あとは装着して、案内に従えばいい」
「やったぁ!」
玲奈は満面の笑みを浮かべた。
「ありがと、おじさん!」
「……どういたしまして」
修一は力なく答えた。
自宅の客間を、急遽玲奈の部屋として使うことになった。
ベッドもある。
机もある。
ゲーム機もある。
何も知らない美咲は、玲奈のために新しいシーツまで用意してくれた。
陽菜に至っては、今夜一緒にゲームをする約束まで取り付けている。
恐ろしいほどの順応速度だった。
「ねえ、おじさん!」
「……今度は何だ」
「このゲームって、何でもできるんだよね?」
「……何でも、ってわけじゃないが」
修一は説明を始めた。
「《アビス・レガリア》は、プレイヤーの自由度を重視したゲームだ。冒険者になるのも、商人になるのも、国に仕えるのも自由。NPCとの関係によっては、世界の情勢だって変わる」
「へぇー!」
玲奈の瞳が輝く。
「じゃあ、悪いこともできるの?」
「……まあ、できることはできるが」
「ほんと!?」
玲奈はぱっと顔を輝かせた。
その反応に、修一は嫌な予感を覚える。
「……ただし、あまりおすすめはしないぞ」
「えー? なんで?」
「このゲームには、カルマ値っていうものがあるんだ」
「カルマ値?」
「ああ。簡単に言えば、プレイヤーがどんな行動をしてきたかを示す数値だ」
修一は説明を続けた。
「人助けをしたり、善い行いをしたりすれば上がる。逆に、犯罪を犯したり、悪いことをしたりすれば下がっていく」
「ふむふむ!」
「そして、その数値がマイナスになると、NPCから忌避されやすくなるんだ」
「きひ?」
「嫌われたり、警戒されたりするってことだ。店での対応が悪くなったり、町の人間から避けられたりすることもある」
「へぇー!」
「もちろん、悪いことをすれば衛兵に追われることもあるし、国を敵に回せば軍隊が動くことだってある」
「なるほどー!」
玲奈は興味深そうに頷いた。
修一は、ここぞとばかりに念を押す。
「だからな、基本的には真面目に遊んだ方がいい。わざわざカルマ値を下げるようなことはしない方が得だぞ」
「んー……」
玲奈は少し考え込んだ。
そして、首を傾げる。
「でもさ、おじさん」
「……何だ?」
「カルマ値がマイナスになっても、ゲームオーバーにはならないんだよね?」
「……まあ、そうだが」
「じゃあ、別にいいんじゃない?」
「よくねぇよ!」
修一は即座にツッコんだ。
「NPCから嫌われるって言っただろ!」
「うん!」
「だったら困るだろ!」
「んー……」
玲奈はしばらく考えた。
そして。
「でも、嫌われたら嫌われたで、それも面白そうじゃない?」
「…………」
修一は言葉を失った。
普通のプレイヤーなら、NPCから嫌われると聞けば、少しは躊躇するものだ。
しかし、目の前の少女は違った。
むしろ、それすら楽しそうだと思っている。
「……お前なぁ」
「えへへっ!」
玲奈は楽しそうに笑った。
「だって、せっかく自由に遊べるゲームなんでしょ? だったら、いろんなこと試してみたいじゃん!」
「…………」
修一は、言いようのない不安を覚えた。
この少女にとって、カルマ値の低下は罰ではない。
新しい遊び方の一つにすぎないのだ。
「……一応言っておくが、これはゲームだからな」
「うん!」
「現実とは違う。そこは分かってるよな?」
「もちろん!」
玲奈は元気よく頷いた。
「ゲームなんだから、思いっきり遊ばなきゃね!」
「…………」
修一は何も言えなくなった。
果たして、この少女にゲームを遊ばせて本当に大丈夫なのだろうか。
今さらながら、そんな疑問が頭をよぎる。
だが、もう遅い。
玲奈はすでに、ヘッドセットを手に取っていた。
「そうだ、おじさん!」
「……まだあるのか?」
「さっき陽菜ちゃんにね、吸血鬼が似合いそうって言われたんだ!」
「ああ、聞いてたぞ」
「それでね! 私、吸血鬼にしてみようかなって!」
玲奈は、嬉しそうに笑った。
「黒髪で赤い目の、可愛い吸血鬼のお姫様!」
「……なるほどな」
修一は小さく頷いた。
確かに、玲奈の容姿には吸血鬼という種族がよく似合いそうだった。
黒髪。
紅い瞳。
そして、豪華なゴシックロリータドレス。
見た目だけなら、まさに吸血鬼のお姫様そのものである。
だが。
「……一応、先に説明しておくぞ」
「ん?」
「吸血鬼は、初心者向けの種族じゃないんだ」
「……そうなの?」
玲奈は、不思議そうに首を傾げた。
「ああ。強力な能力を持っている代わりに、弱点や制約も多い」
「へぇー!」
玲奈は、興味深そうに身を乗り出した。
「どんな能力があるの?」
「まず、身体能力が高い。特に夜間は、ほかの種族より有利に戦いやすい」
「おぉー!」
「それから、吸血鬼ならではの能力として《吸血》がある」
「……吸血!」
玲奈の紅い瞳が、きらりと輝いた。
「やっぱり、血を飲むんだ!」
「まあ、吸血鬼だからな」
修一は頷いた。
「このゲームの吸血鬼には、普通のHPやMPとは別に、BPっていう血液ゲージがあるんだ」
「血液ゲージ?」
「ああ。血液を補給することで回復する、吸血鬼専用の数値だ。種族固有の能力を使ったり、身体を再生させたりするときに消費する」
「へぇぇ!」
玲奈は、目を輝かせた。
「じゃあ、血を飲まないといけないんだね!」
「そういうことだ。BPが不足すると、能力が制限されることもある」
「なるほどー!」
玲奈は楽しそうに頷いた。
「なんだか面白そう!」
「……まあ、それだけならいいんだが」
修一は、少し真面目な表情になった。
「吸血鬼には、日光に弱いっていう欠点がある」
「……日光?」
「ああ。昼間、特に直射日光の下では、身体能力や再生能力が制限されるんだ」
「へぇー!」
「それから、神聖属性にも弱い。神官や聖職者が使う一部の魔法は、吸血鬼にとって相性が悪いんだ」
「……あっ!」
玲奈は、何かを思い出したように手を叩いた。
「陽菜ちゃん、神官なんだよね!」
「そうだな」
「じゃあ、陽菜ちゃんの魔法って、私には効きにくいのかな?」
「回復魔法の種類にもよるが、そういうこともあるな」
「へぇー!」
玲奈は、ますます楽しそうに笑った。
「面白いね!」
「……面白い、か?」
「うん!」
玲奈は元気よく頷いた。
「だって、得意なことも苦手なこともあるんでしょ?」
「ああ、まあ……」
「じゃあ、どうやって戦うか考えないといけないんだね!」
「……そういうことになるな」
「えへへっ! 楽しそう!」
玲奈は、満面の笑みを浮かべた。
修一は、思わず額を押さえた。
(……普通、初心者ならもう少し扱いやすい種族を選ぶんだがなぁ)
だが、玲奈は違った。
弱点があると聞いても、まったく気にしていない。
むしろ、それすら楽しもうとしている。
「……ちなみに、吸血鬼には血液に関係する特殊な成長要素もあるんだが」
「……特殊な成長要素?」
「ああ。ただ、詳しい仕組みは実際に遊びながら確かめてみるといい」
「おぉー!」
玲奈は、ぱっと顔を輝かせた。
「秘密なんだ!」
「秘密というか、探索要素だな。全部説明したら面白くないだろ?」
「確かに!」
玲奈は嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、自分で見つけてみる!」
「……ああ。それがいい」
修一は小さく息を吐いた。
「で、どうする? ほかの種族も見てから決めるか?」
「ううん!」
玲奈は、即座に首を横に振った。
「吸血鬼にする!」
「……即決か」
「うん!」
玲奈は、にっこり笑った。
「だって、陽菜ちゃんが似合うって言ってくれたし!」
「…………」
「それに、可愛いだけじゃなくて、いろんな能力もあるんでしょ?」
「……まあ、そうだな」
「だったら、絶対面白そう!」
玲奈は、満面の笑みを浮かべた。
「えへへっ! 早くやってみたいな!」
修一は、しばらく玲奈を見つめた。
そして、諦めたように肩を落とす。
「……まあ、好きにすればいい」
「うん! そうする!」
玲奈は、嬉しそうに笑った。
「あとね、おじさん!」
「……何だ?」
「キャラクターの見た目も、可愛くできるんだよね?」
「ああ。外見はある程度自由に調整できるぞ。ただし、種族ごとの特徴は残るけどな」
「やったぁ!」
玲奈は、楽しそうに指を折り始めた。
「じゃあ、黒髪で赤い目にして……」
自分の髪をひと房つまむ。
「今の私みたいな、黒と赤の可愛いドレスを着せたいな!」
「服装はゲーム内で手に入れる必要があるが、そういう衣装もあるぞ。装備の見た目を変える機能もあるからな」
「ほんと!?」
「ああ」
「じゃあ、薔薇とかリボンがいっぱいついた、すっごく可愛いドレスにしよう!」
「……好きにするといい」
「あとね、小さなコウモリの羽も欲しい!」
「吸血鬼なら、外見上の特徴として設定できるな」
「ほんと!?」
「ああ。ただし、羽があるからって自由に飛べるわけじゃないぞ」
「えー! そうなの?」
「当たり前だ! そんな簡単に飛べたらゲームバランスが崩れるだろ!」
「あははっ! それもそうだね!」
玲奈は楽しそうに笑った。
「じゃあ、可愛いからつける!」
「……そうか」
「それと、ちっちゃい牙も欲しいなぁ!」
「それは吸血鬼の特徴だから、ちゃんとあるぞ」
「やったぁ!」
玲奈は、満面の笑みを浮かべた。
「えへへっ! 楽しみ!」
その様子を見て、修一は小さく息を吐いた。
(……まあ、見た目にこだわるくらいなら普通の女の子だよな)
そう思うことにした。
そうでもしなければ、精神が持たなかった。
「じゃあ、始めるね!」
「あ、ああ……」
「えへへっ! 楽しみだなぁ!」
玲奈はベッドに横になった。
そして、ヘッドセットを装着する。
「それじゃ、おじさん!」
「……何だ?」
「いろいろありがとね!」
玲奈は、にこっと笑った。
「私、ここに来てよかった!」
「…………」
修一は返事に詰まった。
その笑顔は、あまりにも普通だった。
ゲームを買ってもらったことを喜ぶ、年相応の少女。
そこには、ニュースで語られていたような凶悪犯の面影など、どこにもない。
だからこそ。
修一は、どう接すればいいのか分からなかった。
「……ああ」
結局、それだけ答えた。
「じゃあね!」
玲奈は楽しそうに笑い、目を閉じる。
そして。
「――ダイブ・イン!」
意識が、仮想世界へと沈んでいった。
◇ ◇ ◇
佐伯修一は、静かになった客間で深くため息をついた。
「……どうしてこうなった」
朝起きたときは、ただの休日だった。
コーヒーを飲んで。
テレビを見て。
少し昼寝でもして。
そんな、何でもない一日になるはずだった。
それがどうだ。
今、自分の家には、全国で指名手配されている伝説の殺人鬼が住んでいる。
しかも、その殺人鬼は。
自分が開発したゲームを、嬉々としてプレイしようとしている。
「……頼むから、普通に遊んでくれよ」
修一は小さく呟いた。
だが、彼はまだ知らなかった。
この少女が、普通という言葉から最も遠い場所にいる存在だということを。




