第三話
ふむ、年甲斐もなくはしゃいでしまった。
回転斬りが見事だったものだから真似してみたら、思った以上に威力があった。
危うく弟子入り一日目で斬り殺してしまうところだった。
しかし、こいつよく寝るな。
「フェルド卿…いや、お師匠様っ」
おぉう、元気良いな……
この眩しさにはおっさんついていけんわ。
「んだそれ…お師さんでいい」
「いや、しかし…師事する相手に敬意を……」
「しかしも豆菓子もねぇんだわ」
こいつ頭かてぇな…ミスリル製か?
「とりあえず坊主……
……いや、弟子にするんだからベスラか」
「はい!」
大型犬かこいつ。
「飯の準備するぞ、手伝え」
「はい!!」
声でっか……。
*******
目を覚ました時には、もう日が高く昇っていた。
不甲斐ないことに立ち合いで気を失ってしまったようだ。
しかし回転斬りの極地のようなものが見られたとは、思わず感動してしまう。
あの剣技を見られただけで、この地に来た甲斐があったというものだ。
ベスラ・ビノは師に命じられた薪割りを行いながら、しみじみと実感する。
よく水分が抜けカラカラになっている薪は軽快な音を立てて――
―――キィン
割れない。
異常に硬いのだ。
斧も普通の木こりが使う斧ではなく戦斧を渡された時点で気づくべきだった。
この森の木は、鋼鉄に匹敵する硬さを持っていた。
「くそっ……」
思わず声が漏れる。
先ほど師が手本で見せてくれた時はスコンと軽快に割れたのだ。
子供の使い程度のことだと思い軽く見ていた。
水分が抜けたから硬いのか、元からなのか、それは分からない。だが――。
ふと周りを見渡す。
「暇だったから森を切り開いて泉掘り当てて、んで小屋作ったんだわ」
その言葉を思い出してぞっとする。
ざっと見ただけで二十〜三十本の木を切り倒さないとこの広さは確保できない。
(この木を二十本……三十本だと? 化物か……)
額の汗を拭ったその時だった。
小屋の戸が軋み、フェルドが欠伸を噛み殺しながら姿を現す。
「お? まだやってんのか?」
「……まだ割れません」
「薪割りははじめてか?」
「こんな硬い木は初めてです」
「ん? そうか?……こうだぞ?」
フェルドは地面に立て掛けてあった戦斧には目もくれず、腰の剣を抜いた。
剣が一閃する。
―――カコン。
力みのない一撃だった。
それでも薪は綺麗に真っ二つに割れた。
ベスラは呆気に取られながらも、その挙動を見落とさなかった。
何という剣筋……もはや芸術の域だ。
「斬ろうとするから、斬れないんだよ」
ほれ、と斧を渡してくる。
「は、はい」
「よし、じゃあ五十本割れたら飯にするか」
じゃあ頑張れよ〜とひらひらと後ろ手を振り立ち去るフェルド。
「見てくれないのか……」
少し期待していたのだが、その期待はあっさり裏切られた。
あの背中は、本当に人が追い付ける場所にあるのだろうか——
フェルドに弟子入りしてから一週間が過ぎた。
ここでの生活にはまだ慣れない。
この森は何もかもがおかしい。
薪が硬いのは序の口だった。
泉に湧いている水は苦みが強くて飲めない。
理由を聞いたら「知らん。沸かせば飲める」と言われた。
火種にする薪や焚き木が異常に硬い。火を熾すだけで一苦労だ。
次いで食料の確保。
フェルドは二日に一度狩りに出る。
大牙猪【グランボア】、大嘴【ペッコ・ペル】、牙兎【ベルラビット】、亜竜【ラプター】……
どれも街の付近で発見したら緊急討伐依頼が出るレベルだ。
それらの凶悪な魔物を食材にするために解体するのもベスラの仕事だ。
お陰でギルド職員も顔負けの解体技能は身についた。
昨日の会話が脳裏をよぎる。
「おう、ベスラ。今日も狩りに行く」
「お供します」
「お前じゃあまだ無理だな…火起こし頼むわ」
「変なの狩ってこないでくださいよ?」
「おう、熊とかにしとくわ」
「……普通の熊ですよね?」
「普通の四本腕の熊だな」
「それはアシュラベア…Aランクです」
「ふーん、そうなの?」
「普通じゃないです!」
「そうか?」
「そうなんです…」
全く通じなかった。あの人は常識がズレている。
アシュラベアなんて目撃情報が出ただけで厳戒態勢に移行するレベルの凶悪な魔物だ。
それを野ウサギでも獲りに行くような気軽さで森へ入っていく。
非常識さと言えば狩りの成果だけではない。
そもそもこの小屋付近に魔物避けさえしていないのだ。
冒険者であれば必須の魔物避けの香、僻地の屋敷用の結界石。
そういった忌避させるものが一切置いていない。理由を尋ねたら――
「あれ、くせぇんだよ」
それで話は終わってしまった。
結局、一番効果がある魔物除けはフェルド本人なのかもしれない。
そんな日常的な非日常を一週間も過ごすと、少しずつだが慣れてくる。
薪割りもコツを掴めばなんとかこなせるようになってきた。
『斬ろうとするから、斬れない』という言葉の意味も、ようやく薄らと理解でき始めた頃だった。
夕餉の最中、不意にフェルドが口を開く。
「明日は薪割りしねぇでいいわ」
「わかりました。ですが、何故?」
「んー……明日になりゃ分かる」
これも、いつものことだった。
この人は説明をほとんどしない。だが、一週間も一緒にいれば分かる。
理由は後から必ず分かる。
……そう、思っていた。
*******
ベスラの様子を見るに、そろそろ慣れて来た頃か。
元々冒険者ってだけあって、お行儀がいいだけの坊っちゃんじゃない。
薪割りだって上手くこなし始めている。
慣れた頃が一番危ねぇ。油断ってヤツが顔を出すからな。
しかし三十年前に比べて冒険者も可愛らしくなったもんだ。
魔物避けの香なんてあんなくせぇもんよく使う気になる。鼻ぁ潰したら終いだろうに。
まぁいいか。さて、まだまだ坊っちゃんの抜けねぇベスラに、この森を楽しんでもらうとするか。
コーヒーの香りが辺りを包む
そうだな、楽しい野外活動にしよう。
あの辺りなら命までは取られねぇ。
あいつなら、生きて帰ってくるだろ。
コーヒーを一口啜る。
そうだ。
いいこと思いついた。
*******
翌朝、フェルドから大きな背嚢を渡される。
中身を確認してみると、それは自身の野営装備だった。
「お師様…? これは私の野営用装備なのですが…」
「おう、そうだな」
何でもないことのようにあっけらかんと告げる。
「ベスラ、いいか? お前はこれからこの森で生き延びてもらう」
「は?」
「そうだな、三日間にするか…この森で生き延びろ」
懐から煙管を取り出し火をつける。
「ルールは三つ。
一つ、魔物除けの香の使用を禁ずる。
二つ、その野営装備から二つだけ持ち込め。
三つ……」
ごくりと唾を呑み込む。
「えーっと、三つ目は…うーん、そうだなぁ…」
「お師様…まさか…」
「なんだ?」
「今考えてますか…?」
「そ、ソンナワケナイダロ」
眼が華麗に泳いでいる。思わずジト目でフェルドを見てしまう。
「おい、そんな目で見るな……よし、三つ目は、“虹翡翠”――これを採取してこい」
“虹翡翠”はかなり難易度が高い。
「了解しました…今から三日間ですか?」
「おう、きっかり七十二時間後だ」
*******
「“虹翡翠”……か」
フェルドのセーフハウスを後にしてすぐに川を目指した。
ただ“虹翡翠”は川際には生成されない鉱石だったはずだ。
川際近くを野営地として、三日間で採取条件に適した場所を探す。
偶然にも王都で虹翡翠の採取依頼を受けたことがある。
同じような森での採掘依頼だった。だが、隠者の森で同じように見つかる保証はない。
それよりもこの環境で三日間過ごす方が遥かに過酷だろう。
「まずは水場と…火の確保だな」
冒険者の定石通り、まずは川を目指す。
水の確保、野営地の確保。方角を見失わないためにも、川沿いを拠点にするのが基本だ。
この判断を後悔することになるとは思わなかった。
フェルドの小屋から少し歩いた所に大きくて広い川を発見した。
したのだが、その光景に絶句した。
川面という川面に【牙獣】デスリゲーターの背が浮かんでいた。
王都近郊なら、この一帯は立入禁止になる。
支流なら警戒も薄いだろうと足を向けると、こっちはこっちで【毒蛙】ポイズンフロッグが営巣している。
十匹くらいならどうにでもなるが、目算で四十匹は居た。
金級冒険者五人のパーティが半壊する恐れがある脅威だ。
昨日「ちょっと川でも行ってくるわ」と散歩に出掛けたフェルドの姿を思い出し、背中に冷たいものが走る。
「この川を散歩って……」
ゴクリと生唾を飲み込む。
とりあえず、水場の確保は不可と考えておこうとベスラは頭を振る。
水分の確保の方法はいくらでもある。朝露でもいいし、これだけ大きな川の近くならば湧き水も期待できる。
次いで野営地を確保しておこうと洞窟や《うろ》を探す。
簡易的なシェルターでも作ればいいかと思ったが思い直す。
ここは隠者の森……そう上手くはいかないだろうと脳が警鐘を鳴らす。
そしてその予測はあっさり当たってしまう。
まず洞窟。山肌にぽっかりと空いた洞を見つけた。
硬い岩盤が崩落で崩れた洞だろうか。比較的開けているのでそこを野営にと思い近寄ると、濃厚な死の気配がした。
【剣虎】セイバータイガー。
発見された時点で、周辺の村は放棄が検討されるS級危険生物。
その死骸が転がっている。
つまり、この洞穴には“セイバータイガーを餌にする何か”がいる。
背筋が総毛立つ。
本能が叫んでいた――逃げろ。
咄嗟に土を掴み、体へ擦り付ける。臭いを消しながら、足音だけは殺して後退する。走るな。走れば終わる。
二百歩ほど距離を取り、大樹の陰で息を潜める。追跡の気配はない。遠くでぎゃうぎゃうとラプターの鳴き声が聞こえる。
その次の瞬間。
「GAOOOOON」
森が震えた。
騒がしかったラプターの鳴き声が一斉に静まる。森から音が消えた。風さえも恐れているかのように静寂に包まれる。
十分に距離は取った。大丈夫、大丈夫だ、と自分に言い聞かせ、早鐘を打つ鼓動をなんとか落ち着かせる。
“あれ”はヤバい。咆哮だけで危険度が察知できる。あそこだけは二度と近づかない。そう心に刻んだ。
今更ながらフェルドの異常さを実感する。
デスリゲーターが跋扈する川で釣りをし、ポイズンフロッグの群れを気にもせず、セイバータイガーを超える何かがいる場所を散歩コースと呼ぶ。
「普通じゃないから、英雄なのか。
英雄だから、普通じゃないのか……」
気付けばそんな言葉が漏れていた。
今日中の野営地確保は無理だ。
そんな諦めの境地に至ったのは日が落ち始めた頃だった。
夜は樹上にでも身を潜めて数時間をやり過ごす。日が昇ってから虹翡翠を探しに探索に出る。これが最善では無くても次善になるだろう。
目の前には天を衝くような巨木が立っていた。これなら一晩身を隠すくらいはできるだろう。
もう何度目だろうか、考えが甘すぎた。
巨木に登攀用の楔を打ち込みながら樹上を目指す。太い枝へ足を掛けたその瞬間、背筋を撫でるような悪寒。
いる。
息を止める。視線だけをゆっくりと動かす。枝に巻き付く太い影。蛇だ。
胴回りが自身の腰ほどある大蛇。魔物特有の粘りつく魔力は感じない。魔力の気配はごく薄いが、とにかく巨大だ。しかも身動きの取りにくい枝の上。ごくりと唾を飲み込む。
蛇も動かない。蛇は熱を読む。魔物であれ獣であれそれは変わらない。こちらの様子はとっくに把握されているだろう。ベルトに下げた太く短い短剣――いわゆるダガーに手を伸ばす。警戒されないように、刺激しないようにゆっくりと動く。
短剣を手にし、静かに気を込める。殺気を乗せゆっくりと切っ先を蛇に向ける。
大蛇の細い瞳が一層細くなる。こちらの力量を測っているようだ。
時間にして数秒、お互い一歩も引かず睨みあう。やがて大蛇はゆっくりと身を引き、するりと樹上へ姿を消した。
「ふぅ…」
大蛇が去ったのを確認し、小さく息を吐く。
今のは勝利とは言えない。
あの蛇は、こちらを餌にするには割に合わないと判断したのだろうか…
……とにかく見逃された。
樹上も安全と言い切れなかった。
しかし地上よりは幾分か“マシ”だ。熟睡は出来なかったが、夜を越えることはできた。
水袋の水はまだ残りがある。だが水の確保はしなければならない。地上の魔物が本格的に活動する前に虹翡翠の探索へと向かう。虹翡翠は魔力濃度の濃い切り立った崖に生成される。問題なのはこの森で《魔力濃度の薄いところ》を探すほうが大変なところくらいか。
ひとまず大樹から降り、川の流れと植生から崖を予測しそちらに向かう。
「あの洞が一番適している場所なんだけどな」
ぼやいた所で何も変わらない。あの洞に近寄れないなら危険度の低い生成地を探すしかない。……そんなに都合のいい場所があればいいのだが。
頭を過る弱音を振り払うように脚を進める。ヒルル草、オオバアシ。魔力濃度の高い場所にしか根付かない薬草が視界に入る。王都近郊なら、この量だけで一財産築ける。そんな事を考えながらしゃがみ込み、土を摘む。乾いている。表土も薄い。岩場は近い。目的の場所まであと少しだろうか。
結論から言うと“虹翡翠”はあっさりと見つけられた。
探索経路は正しく、すぐに崖地に辿り着くことが出来た。あっさりと見つかったのはいいのだが――
「この量は……非常識過ぎるだろ……」
崖地の中腹を少し削ると虹色の鉱石が姿を現した。かなり大きい塊だ。王都や領都の魔道具技師がひっくり返る大きさである。通常の大きさは掌に収まる程度なのだが、今回採掘できた虹翡翠は両手で抱えられる。
割れ目に楔を打ち込み、二つに割り、背嚢へと押し込む。大きさの割に重さはなく、動きに制限が掛かることもない。
「しかし……こんだけ魔力濃度が高いのに魔物の気配が一切しないってのも変な話だな」
辺りを警戒しつつ索敵してみるが、この周辺に魔物の気配は感じられない。
この崖の上に何かあるのか、この崖周辺から気配は消えている。
「この上、か」
高さも四メートル程度なので無装備で崖登攀も可能だ。久々に冒険心が疼く。危険だと分かっていても、確かめずにはいられない。
「登ってみるか」
背嚢から楔を取り出し、登攀を始める。15分もかからずに登りきると、そこには石碑があった。
「これは…?」
その石碑は美しく磨かれ、この森の中では不自然なほどに綺麗であった。
「コーヒー…?」
供えられている小袋に目をやると、焙煎したコーヒー豆が供えられている。
「お。思ったより早く来たな…一日半か…なかなか優秀だなお前さん」
背後から声を掛けられる。声の主は予想通りフェルドだった。
「お師様……ここは?」
「ん? あぁ、墓だ」
どこか悲しげな瞳をするフェルド。
その表情で次の問いは飲み込んだ。そんなものは聞かなくても分かる。
「手を合わせてもよろしいですか?」
「好きにしろ」
王国式の拝礼になってしまうが、手を合わせる。
「これはな…昔のツレの碑なんだ」
「昔のお友達…ですか?」
「あぁ」
フェルドは懐かしむように石碑を見つめる。
「三十年前のな」
思わず姿勢を正す。これは――
「お前なら良いだろ。少し昔話に付き合え」
三十年前。
人類が勝ったと語られている戦争の、本当の話を。
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