第十六話 ― 幕間
「じゃあ、マエストロは喋っちゃったんだ」
グレイの細い指先がクロウの髪の毛の隙間を通っていく。
「そ、そうなんだけどー……この姿勢ってまだ続けなきゃダメ?」
「うん。今日のボディーガード代だから」
ソーン・グレイの膝の上で、クロウは困ったように笑うしかなかった。
シーフの衣装はボディラインも強調されるし、目のやり場にも困る。それなのに彼女はお構いなしにクロウの顔をペタペタ触るし、犬か猫でも触るように顎の下をこしょこしょと手を動かす。
「で、でもさ。グレイさんは――」
「呼び捨てで良い。私もクロウのことを呼び捨てにしたいから」
「え、えとー……」
「グレイって、呼んで」
「分かった。分かったから、くすぐるのやめて。くすぐったい」
「むー……」
不満そうではあるが一応納得はしてくれたようで、彼女の指はクロウの頬の上に移動した。人差し指と中指で押したりぺちぺち叩いたりするが、なんとか我慢はできるのでクロウは甘んじて受け入れることにした。
「それで、何を喋ろうとしたの」
「あ、えーっと、どうしてこんなに信じてくれるのか、少し気になって」
グレイの指が止まる。少し間をおいてから、風鈴のような彼女の声がクロウの頭上から聞こえてくる。
「正直、最初の信じるってのは半分冗談だった。いつでも殺せそうだったから、まあいいかってぐらいで。でも、クロウは私が寝てるときに何もしなかったでしょ?」
「そりゃだって……グレイのことを信じるって言ったんだし……」
「そうだね。普通はそう。だから私も普通に信じてみた。それだけ」
「そっか」
クロウはジゴビアに来て初めて自分が弱い冒険者で良かったと思った。グレイの証言が無ければ証言は引き出せなかったし、自分が弱かったからその機会がもらえたからだ。
グレイはクロウの頭を引き寄せて、お腹にぎゅっと押し付けた。タイツ越しに彼女の体温と、柔らかくて硬い筋肉の感触を感じる。クロウは脱出しようともがいたものの、彼女の力は強くクロウの貧弱な腕力では脱出できない。
息が苦しくなってくる。
彼女の腰を何度か叩くとようやく気づいたのか、ぱっと力を弱めた。クロウが彼女の方を見ようとすると、今度は膝にぎゅっと押し付けられる。視界の端で彼女の頬がわずかに赤くなっていることに気づき、クロウは追及しないことにした。
「師匠にバレたらなんて言われるか……」
クロウがため息をつく。
「師匠って、錬金術の?」
「うん。後は《ご意見番》っていう今の探偵業みたいなことの師匠でもあるかな」
「ふーん」
ぷにぷにと頬を押していた指が、急に爪を立ててクロウの頬に食い込む。
「女の人?」
「ま――まぁ、うん」
クロウは何故か自分が悪い事をしている気分になって来た。それは師匠に対する不義理からか、それともグレイの雰囲気のわずかな変化からだろうか。
「むー」
今度は頬を引っ張ったり押したり……。クロウは理不尽な罪悪感に包まれながら、彼女の攻撃を受け入れた。
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「んぐぅ……」
橙色の西日が瞼越しに入ってきてクロウは寝返りをうつ。柔らかくも硬く、それでいて暖かい壁に鼻がぶつかって、クロウは意識を取り戻した。
自分は今何をしていたっけ。確か、病室でワインを盗んだ犯人を突き止めて、そこを追い出されて、そこから――
「あっ」
クロウは自分が何をしていたのかを思い出した。ぱっと目を開く。グレイと目が合った。彼女はうっすらと微笑みながら、クロウを見る。
「おはよう」
「お、おはようございます……」
頭を撫で続ける彼女の手をどかして窓の外を見る。外はすっかり夕暮れだ。
あれからずっと寝ていたのか?今日一日何もしてないのに?
慌てて調査に出ようと立ち上がったクロウのチュニックの裾を、ソーン・グレイが引っ張った。振り返ると太ももをさすりながらグレイがクロウを見上げている。
「膝、しびれて動けない。だから代わりにご飯作って」
「……分かった」
世話になったのは事実だし、このまま無下にするのも申し訳ない。クロウは仕方なくポーチの食材を確認すると、魔導式の冷蔵庫を開いた。
「まぁ、なんとか成りそうかな」
クロウはチュニックの裾をまくると、フライパンを手に取った。
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「これ……なんて料理?」
「麻婆茄子っていう師匠の国の料理。辛そうに見えるけど味付けは甘くしてあるから、食べてみて」
「……本当に辛くないんだよね?」
「うん。ほら」
スプーンで一杯すくい、自分の口に運んでいく。クロウが飲み込むのを見ると、グレイは恐る恐る麻婆茄子を食べた。
「あったかい……」
「味の方は……?」
「うん。おいしい」
彼女が微笑む。
「本当はパンじゃなくてお米が良かったんだけど、流石に炊くのに時間がかかるから」
「あったかいご飯なんて、久しぶり」
彼女は普段何を食べているのだろうか。クロウはできるだけ考え無いようにして、乾いたパンの味に集中することにした。
二人は無言のままパンと麻婆茄子と付け合わせの卵スープを堪能し続けた。グレイはまるで赤ん坊のようにけぷと小さく息をすると、ごちそうさまと言ってすぐに片付けを始めた。クロウも慌てて麻婆茄子を掻きこんでいく。
「ごちそうさま」
流し台でごしごしと皿を洗いながら、グレイはぽつりと零れるように呟いた。クロウも「うん」と返事をしながら、濡れた皿を受け取ってタオルで拭いていく。
フライパンも片付け終わると、満足したのかふらふらとグレイはベッドに倒れていった。クロウの方を見るとベッドの空いたところをぽんぽんと叩く。クロウは流石に気まずくなって断るように手を振った。
「一人だとちゃんと眠れないの」
グレイがねだるように言う。透き通るビー玉のような彼女の瞳に見つめられると、思わず心が揺れ動きそうになる。
――グレイは純真だ。きっとベッドにはいっても《《そういうこと》》には発展しないだろう。先ほどと逆転したようにこの子は寝息を立てるし、僕は緊張で眠れない。ただそれだけのことだ。
「お願い」
再び彼女が言う。クロウは自分に言い聞かせるようにして、ベッドの中に入った。
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彼女はクロウのチュニックの裾を掴んだ途端、すぐに安心したように寝息を立て始めた。クロウも安心してほっとため息をついた。
兎にも角にも何かされるようなことはなくて良かった。クロウは心の中でつぶやく。実のところ彼自身半分ほど期待していた側面もあるのだが――彼の名誉のためにこれ以上は追及しないでおこう。今重要なことは、クロウにとってゆっくりと思考する時間ができたということだった。
陽光はすっかり姿を隠し、夜の帳はグレイの拠点を周囲から覆い隠すように落ちている。頼りなく光るろうそくの炎を吹き消して、暗闇の中クロウは思考にふけった。
ひとまず『ディオニソスの寵愛』窃盗事件の犯人が見つかってよかった。残るは《秘匿剣》窃盗事件・セバスさんら殺人事件の2つだけだ。もちろん楽な道ではないと思うが、それでも解けない迷路ではないんだ。この事件は古代の教会のような迷宮、辿り着くのが大変なだけで情報自体はそろいつつある。
それに犯人のイーデルシュタインさんも悪意から盗んだわけでないのも良かった。聡明なリンクス王子ならきちんと説明すれば理解してくれるだろう。あとはマエストロさんがちゃんと説明してくれるかだが、きっと彼なら大丈夫なはずだ。
――――まて。なぜマエストロさんはディオニソスの寵愛の秘密を知っていたんだ?
元、王立お抱えの鍛冶師で宝物殿に入ることができるから、か?いや、それは話の前後が違う。マエストロさんが命を懸けてまで守らなければいけない秘密なのだ、知る人が少ないに越したことはない。だったら玉座の下のような、本当に皇族しか知らないところに保管しておけばいい。偶然知った可能性は?だとしてもモニカさんが入る可能性を考えれば、厳重に隠しておくことに越したことはないだろう。
裏を返せば、これは王家の秘密ではないということになる。王家と《お抱え鍛冶師》の間に共有された秘密なのだ。
一体それはなぜ?
暗闇の中、クロウは自分が手帳に記載したことを思い出していた。宝物庫で見た台座、リィエンとのブリーフィング、そしてこれまでのやり取り――。クロウの中でそれらは近接しつつあった。しかし未だその間に線を結ぶほどではない。
あと一つ、何か決定的な気づきさえあれば……。
こういうとき師匠だったらすぐに閃くんだけどなぁ、と胸中でぼやきながら、クロウの意識は闇の中に溶けていった。
しかし次の日の朝、クロウとグレイの元を訪れたセバスの報告によって、クロウは頼みのリィエン・スタッシュホールドが何者かに殺されたことを知ることになった。




