第十三話 ― 尋問:ソーン・グレイ
クロウに打算が無かったわけではないが、正直なところ完全に勢い任せだった。シーフだからという理由で差別したくなかったというのもあるが、自分も錬金術師を目指したのは師匠目当てだったりコスパが良いからという理由もあり、手放しで彼女の敵になれなかったのだ。
ソーン・グレイが案内した部屋は意外にも綺麗で、慣れた手つきでコーヒーを淹れるグレイの姿に思わず見とれてしまうほどだった。
「シロップとかミルクとか無いけど、これ」
漆の禿げたテーブルにマグカップが二つ置かれる。クロウは「どうも」とそれを受け取ると、すぐに口を付けた。グレイはそれをじっと見た後、自分のマグに触れる。
「普通警戒すると思うけど、こういうの」
「え?」
「毒とか……」
「ま、まさか盛ってるの?」
「盛ってないけど」
ふぃーとクロウは大きくため息をつく。グレイは別の意味の――呆れるような小さなため息をつくと、クロウの黒い目をまっすぐと見た。透き通るような水色の瞳が電灯の光に照らされて、きらりと涙の膜を反射している。
「クロウ君だっけ、君ってなんなの?」
「えと、自己紹介をしろって事か?」
「そう」
「僕はクロウ・ロックフォール。ヴィーノの街の錬金術師で、《ご意見番》の弟子をしている」
「《ご意見番》?」
「なんていうか、そのー、何でも屋さんみたいな感じかな。猫とか落とし物とか探したり、喧嘩の仲裁をしたり……。そんなに派手な仕事じゃないけどね」
「ふーん」
グレイはその名前よりずっと白い髪の毛を揺らした。クロウも無意識にそれを追ってしまう。
「私と一緒だね」
「え?」
「私も何でも屋。もっとも、来る依頼は君のより物騒だけど」
「そ、そう……」
「で、何が聞きたいの。同業のよしみでサービスしてあげる」
「あ、えとね――」
そこでクロウは言葉に詰まった。あれだけ信じると言っておいて、これから疑っていると話していいものなのだろうか。
「クロウ君?」
彼女の瞳がクロウの虹彩を覗き込む。
「えとー、君というよりか、君の裏にいる『影の組織』が、セバスさんを殺したり、『ディオニソスの寵愛』っていう高級ワインを奪ったんじゃないかと疑っているんだ。それで話を聞きたくて……」
「要するに私を疑っているということね?」
「そうだけど!……そうじゃなくって、影の組織の方だよ」
「……?」
キョトンとした表情でグレイは動かない。こつこつという秒針が動く音だけが二人の間を通っていく。
「影の組織って、なに?」
聞きたくなかった。彼女の反応からしてその可能性はクロウの頭によぎっていた。でも――、それを認めてしまったら、今度彼を疑うことになってしまう。
信じることは簡単なのに、疑うことはこうも難しい。心に重い石がのしかかってくるようだ。
「う、嘘はついてない……よね?」
「嘘って、なんの」
「影の組織ってなにって、そうやってさ」
頭では分かっていた。次の言葉がどういうものなのか。
「だから、そんな組織なんて知らないって」
腹の中がぐるぐると渦巻いていく。コーヒーの苦味すら感じられなくなっていた。
クロウは必死に抵抗し、別の可能性を模索した。影の組織はあるが、ソーン・グレイが所属してない可能性、ソーン・グレイを別人と勘違いしている可能性、影の組織の名前を間違えている可能性……。しかし、クロウにはセバスのような人物がそんな勘違いをするとは思えなかった。
しかしその可能性を否定すると、今度は「なぜセバスは嘘をついたのか」という疑問が浮かぶ。それよりかは目の前のグレイがとぼけている可能性を考える方がずっと確からしい。
でもそれと同じくらい、目の前のソーン・グレイが嘘をついているようには思えなかった。
「急に顔色変えだして、どうしたの」
「どうもこうも」
「《《誰かに嘘でもつかれた》》?」
「――――――っ!!」
「図星」
グレイの白く細い指がクロウの鼻の頭を押した。
「裏切られた人って、みんな同じ顔するんだよ。君もそんな顔してる」
「ま、まだ裏切られたとは決まってないよ……」
「ふーん。話してみてよ。私はクロウ君の味方になるよ。今のところは」
「ど、どうしそう簡単に人を信じられるんだよ」
「だって最初に信じるって言ったのはそっちじゃん?」
「そうだけど……」
彼女が首をかしげて、白い髪の毛がふわりと揺れた。ローストされたコーヒー豆の香りが部屋を包み込んで、クロウはわずかだが冷静さを取り戻していた。
――師匠がいつも言っているだろう、『真実とは批判的検証の先にある出涸らしのようなもの』だって。逆を考えるんだ。《《なぜセバスさんは嘘をつく必要があったのか》》?
「ねえ、クロウ君。大丈夫?」
グレイがクロウの肩を揺らす。クロウは意識を現実に戻し、まっすぐ彼女を見た。
「うん。大丈夫。じゃあこれまでのこと、全部話すよ」
「私のこと信じちゃうんだ」
「その代わり、グレイさんも知っていることは全部教えてほしい」
「いいよ。私は元々そのつもりだし」
クロウは本当はどうして信じるのか聞きたかった。でも彼女にそれを聞くことは信じるといった言葉を裏切ることになる。きゅっと唇に力を入れて、クロウは拳を握った。
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「……というわけで、僕らは三つの事件の中心にいるグレイさんに事情を聴きに来たんだ」
「なるほどね。でも影の組織ってのが無いって分かって困ってたんだ」
「本当にないんだよね?」
「私はソロ。身よりもなければ家族もいない。信頼できる人だっていな――クロウ君がいた、か」
彼女の口角が少しだけ上がった。こんな仮初の――口約束だけの信頼関係だったのに、今はとても強固なもののように感じる。クロウは深呼吸すると、改めて手帳を開いた。
「じゃあ、宝物殿に入ってたのは?」
「それは本当。私は【とある人の依頼で宝物殿に侵入した】」
「流石に依頼については明かせないよね」
「うん。それは信頼に関わる。《ご意見番》見習いが推測して」
「分かった。じゃあ、そこで君は『ディオニソスの寵愛』を盗んだわけだ」
彼女は首を横に振る。クロウは彼女の反応を見て手帳に視線を落とした。もし彼女が手に入れていないとしたら、可能性として考えられるのは――。
「【イーデルシュタインさんに邪魔された?】」
「お」
小さくこぼすように、グレイは一言だけ発した。
「正解なんだね」
グレイは小さく頷く。クロウは身を乗り出した。
「その時、ニルズスレイヴがどうなってたか覚えてる?刺さってたのか、抜かれてたのか、どうなってたか覚えてる?」
「ごめん、依頼のことに集中してたから、他は覚えてない。それに、魔法を躱すのに必死だったから」
「そりゃそうだよね」
「ごめん、そこまで見れたら良かったんだけど」
申し訳なさそうに俯くグレイのその様子もまた、嘘をついているようには見えなかった。
「その後のことなんだけど、ヴァングさんと喧嘩してたって証言もあって――」
「それも言えない、ごめんね」
「……いや、それだけで十分だよ。ありがとう」
「ねぇ、これだけ情報渡したんだし、お礼もらっていい?」
「お、お礼ですか……?でも手持ちは今そんなになくて……」
「じゃあ代わりに私の言うこと、聞いて」
「言うこと?」
グレイがベッドに座ると隣に座るようぽんぽんと叩く。クロウは緊張しながらも彼女の隣に座った。
「触っていい?」
「さ、さわる?」
「うん。否定しないのは同意とみなすよ」
「へぇっ!?」
クロウの胸板にグレイの手が触れる。
「あったかい……」
「あ、あのー」
「暖かい人に触るのっていつぶりだろう……」
グレイの手はぺたぺたとクロウの身体に触れると、不意に自身の頭をクロウの膝に預けた。
「へっ!?」
「いいから、このままにして」
「……」
二人の間に気まずい時間が流れる。グレイは無言でクロウの膝の上を動き、頭がハマるポジションを探している。
「……ところでさ、どうして僕を信じてみようって思ったの」
「信じるだなんて、久しぶりに言われたから。きっと馬鹿なんだなって思って」
「馬鹿って……まぁ、馬鹿なことは否定しないけど……」
「でもそのお馬鹿なクロウ君のおかげで、私は君のことを信じてみようって思ったの」
グレイがくすりと笑う。クロウは彼女の笑顔を見て心の奥底がチクリと痛んだ。人を信じない人生だなんていかほどのものなのだろうか。クロウはとりあえず人を信じるところから始めてみて、それで実際人生困ったことはほとんどなかった。だからこそ、彼女の境遇が想像できなかった。裏を返せば想像を絶するほどの環境にいるということだ。
気づくとグレイはすぅすぅと寝息を立て始めた。彼女が脱力したせいか、クロウは彼女の体重をよりシッカリと感じた。
「こうやって見る分には、ただの女の子なんだけどなぁ」
赤ちゃんのように体を丸めて、彼女は安らかな寝顔をしている。クロウはすこしだけ、心地いい気分になっていた。
――半分は勢い任せだったけど、こうして彼女が安心して眠れている姿を見ているだけでも信じてよかったと思う。もちろん彼女は善人じゃないだろう。生きるためとはいえ、法に触れることだってしているはずだ。依頼によっては対峙していたのかもしれないし、これから対峙することになるかもしれない。でも、悪人にだって夜ぐらいぐっすり眠っても良いじゃないか。こうやって信じて身体を預けて、ぐっすり眠れる時があっても良いじゃないか。そのためだったら僕は喜んで膝ぐらい貸そう。
グレイはそのまま寝続けた。クロウも思考の海に浸っているうちに、2時間程が経過していた。しかし沈黙を破ったのは、意外にもクロウでもグレイでもなかった。
「おいクロウ!大丈夫かっ!?……ってアレ?」
ツバキが扉を勢いよく開き部屋に入ってくる。クロウは慌てて口の前に人差し指を当てて「しーっ……」と息を吐いた。
「ね、寝てるのか……?」
「うん。だから静かにしてあげて」
「す、すまん」
グレイを慎重にどかし枕を挟ませると、クロウは出かける旨の書き置きを残した。
「それよりツバキさん、ヴァングさんのところに行かなきゃ。それにもう一度イーデルシュタインさんのところにも」
「そうなのか?」
クロウは少しずつ事件の輪郭を捉えつつあった。セバスチャンとグレイの証言の矛盾。二人のヴィンセント・ヴァング。そしてイーデルシュタインと宝物殿……グレイの証言を中心に、点と点が近接していく。
しかしその線を結ぼうとするクロウを待ち構えていたのは、モニカとイーデルシュタインが何者かに殺されたという報告だった。




