第12話 断罪イベントではなく、査問会です
王城から届いた通知は、丁寧な文面の中に、鋭い刃を隠していた。
『神殿における聖女見習いリディア・エルネストの職務判断、ならびに聖女としての資質について、王城大広間にて確認会を行う』
確認会。
裁くとは書かない。問い詰めるとも書かない。
けれど出席者の欄には、王太子アルベルト、大神官グレゴリウス、王国重臣、神殿上層部、そして寄付者貴族代表の名が並んでいる。
あまりにも丁寧な査問状だった。
「王城の、大広間……」
エリンの声が震えた。
彼女は受付記録の束を、壊れ物のように抱えている。
伯爵夫人を予約へ回した日。
小貴族ダリオ・ベルトンを順番札へ戻した日。
王太子殿下を来訪者記録に記入した日。
そのすべてが、今度は王城の机に載せられる。
「震えているところもありますが、大丈夫でしょうか……」
エリンは、記録束の表紙を指で押さえた。
「書き損じは消してあります。でも、王城で見られるとなると」
「あなたは、受付で起きた真実を書き留めただけです」
リディアは言った。
「それで十分です。王城でも、事実は揺らぎませんわ」
エリンは唇を噛んだ。
それでも、受付記録を離さない。
若い神官たちは、壁の手順書の前で不安そうに顔を見合わせていた。
「私たち、手順書を見て動いただけですが……大神官様に逆らったことになるのでしょうか」
「問題にされるなら、問題にした方の発言も記録します」
セオが封筒の角を揃えながら、淡々と言った。
若い神官たちは、ぴたりと黙った。
励ましとしては物騒だった。
けれど、不思議と頼もしい。
ミリアは手順書を胸に抱えていた。
補佐職員用の腕章が、いつもより細い腕に重たそうに見える。指先は震えているが、手順書だけは離していない。
「私が話したら、リディア様の迷惑になりませんか」
「なりません」
リディアはすぐに答えた。
「話したくなければ、話さなくて構いません。無理に立派なことを言う必要もありません」
ミリアは小さく息を吸う。
「私は、業務指導を受けました。そう言えばいいんですよね」
「はい。それが事実です」
「給金をいただいたことも、仕送りできたことも」
「あなたが話したいなら」
ミリアは頷いた。
怖いのに、逃げるとは言わない。
エリンは受付記録を抱え、ミリアは手順書を握りしめている。
その姿に、リディアの胸の奥で静かな熱が沸き立った。
ひとりではない。
背後には、神殿の日常を積み上げてきた人たちがいる。
*
大広間に続く廊下。
磨き上げられた床の冷たさが、記憶をかすめた。
王城大広間。
王太子。
貴族の視線。
聖女としての資質。
単語だけで、喉の奥がわずかに強張る。
かつての自分なら、扇を握っていたのだろう。
視線を隠し、表情を隠し、糾弾の空気に飲み込まれないように。
けれど、今のリディアの手元に扇はない。
革張りの鞄がある。
中には、日付と時刻と担当者名が揃った記録。
受付記録。
未処理件数。
祈祷派遣記録。
勤務時間外命令の控え。
ミリアの研修記録。
王太子の面会記録。
鞄は封筒の厚みでわずかに膨らんでいた。取っ手を握ると、革が手のひらに食い込む。
その痛みが、リディアの呼吸を整えてくれる。
「作戦通りに参りましょう」
馬車の中で、リディアはセオに告げた。
「相手が『慈悲』を口にしたら、過去の結界事故を。『信仰』を語れば、私的祈祷と寄付者名簿を。『聖女らしさ』で押してきたら、過労離脱者の記録を出します」
セオは無言で封筒の角を揃えた。
その瞳には、祈りの場には不釣り合いな、冷徹な光が宿っている。
「相手が曖昧な言葉を使うほど、こちらの記録は深く刺さります」
「ええ。そうでしょう、セオ?」
「記録は嘘を吐きません。たとえ王太子殿下の御前であっても、日付と時刻は沈黙を守り通します」
セオが封筒を軽く叩く。
とん、という乾いた音。
その一音が、大神官という古い権威の急所を、すでに事務的に測っているように聞こえた。
エリンは受付記録を抱えたまま、少しだけ肩の力を抜いた。
ミリアも、膝の上の手順書を見下ろし、小さく頷く。
ノラは窓際に控え、リディアの外套の裾を静かに整えた。
その外套には、公爵家の紋章が入っている。
出発前、公爵家の家令が届けた父の手紙は、今もリディアの胸元にある。
『リディア。お前が仕事として向かうなら、公爵家もまた家として立つ』
短い一文。
余計な飾りがないからこそ、強かった。
*
身支度の時、ノラは華やかなドレスを出さなかった。
用意したのは、清潔な白い聖女見習いの衣装だった。
王城の大広間に立っても失礼にならず、神殿職員として書類を扱いやすいもの。
髪は高く飾り立てない。
視界を邪魔しないよう、崩れにくく整える。
腰には小さな筆記具。
袖口は、記録簿をめくる時に引っかからない長さ。
最後にノラは、小さな箱を開いた。
「お嬢様。扇はお持ちになりますか」
リディアの手が、一瞬止まる。
扇。
令嬢が視線を隠す道具。
社交界の空気を渡るための、薄く美しい盾。
リディアは首を振った。
「ノラ、扇は置いていって。今日はこの記録簿が私の武器になるわ」
「かしこまりました」
ノラが差し出したのは、革張りの鞄だった。
飾りは少ない。だが、公爵家の紋章が小さく刻まれている。
「今日のお嬢様には、こちらの方がお似合いです」
リディアは鞄を受け取った。
セオが整えた封筒の束を入れると、鞄の側面がぱんと張った。
留め具を閉じる時、少し力が必要だった。
カチリ。
小さな音がした。
その音だけで、胸の奥の震えが少しおさまった。
*
王城が近づく。
高い門。
白い壁。
磨き上げられた石畳。
大広間へ続く長い廊下。
王城の空気は、いつだって人を飾り物にしようとする。
どの家の娘か。
誰の婚約者か。
誰に微笑むか。
誰の前で膝を折るか。
けれど今日、リディアは飾り物として来たのではない。
神殿職員として、記録を持って来た。
「リディア・エルネスト様、ご入場です」
案内役が告げる。
扉が開いた瞬間、高価な香水の匂いと湿った敵意が混じった空気が、波のように押し寄せてきた。
大広間には、すでに多くの人がいた。
王太子アルベルト。
大神官グレゴリウス。
王国重臣たち。
神殿上層部。
東の侯爵家の関係者。
寄付者貴族。
王宮の書記官。
貴族たちの視線が、リディアの白い衣装と、腕に抱えた鞄と、公爵家の外套を順に撫でていく。
笑い声はない。
けれど、誰もが最前列の席で破滅を眺める準備を整えているような、湿った期待があった。
大神官グレゴリウスは穏やかな微笑を浮かべている。
あまりに穏やかで、不気味だった。
アルベルトはリディアを見た。
苛立ちと迷いが、その表情に混じっている。ミリアの言葉を、まだどこかで引きずっている顔だった。
大広間の空気が、リディアの肌にまとわりつく。
形は知っている。
これは、断罪の形をした空気だ。
けれど、沈黙を恐れる必要はない。
リディアは一歩を踏み出した。
迷わず、鞄の留め具に指をかける。
カチリ。
冷たい金属音が、古い広間の静寂を事務的に切り裂いた。




