表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/20

第13話 聖女というより、悪役令嬢ではないか

 香水の匂いに混じって、野卑な好奇心が大広間を満たしていた。


 王城の磨き上げられた床。


 高い天井。


 扇の陰から覗く、値踏みするような目。


 リディアが一歩進むより早く、大神官グレゴリウスが慈悲深い微笑を浮かべて口を開いた。


「本日は、リディア・エルネスト嬢の聖女としての資質を確認する場でございます」


 穏やかな声だった。


 あまりにも穏やかで、刃を絹で包んだような声。


「リディア嬢。あなたは神殿にて、祈りに順番をつけ、由緒ある家々の信仰を『予約』という名の事務処理へ押し込めました。聖なる神殿を、ただの役所の窓口に変えてしまったのです」


 扇の陰から、囁きが漏れる。


「まあ……」


「冷たい聖女ですこと」


「公爵令嬢の気まぐれでしょう」


「寄付者まで待たせたとか」


 別の声が、少しだけ楽しそうに言った。


「聖女というより、悪役令嬢ではないか」


 来た。


 リディアは、妙に冷えた頭でその言葉を聞いた。


 王城の大広間。


 王太子。


 貴族たちの視線。


 そして、悪役令嬢という雑な役名。


 形は知っている。


 この世界は、どうしても私をそこへ押し込みたいらしい。


 誰かの不満を背負わせるために。


 誰かの怠慢を隠すために。


 誰かの都合の悪い記録を、感情論の煙で覆うために。


 けれど、今日は記録がある。


 それに、長引かせるつもりもない。


 帰りに神殿前の店で、林檎蜜の氷菓子を食べる予定があるのだ。


 リディアは鞄の留め具に触れた。


 冷たい金具の感触で、頭がさらに冴える。


「事実確認をお願いいたします」


 大広間の囁きが、半拍遅れて止まった。


 泣くと思っていた者。


 怒ると思っていた者。


 言い訳を始めると思っていた者。


 その全員の呼吸が、少しだけずれた。


 リディアは声を荒げない。


「ただいまのご指摘について、発生日時、担当者名、記録上の根拠をご提示ください。印象ではなく、記録で確認したく存じます」


 大神官の目が細くなった。


「リディア嬢。これは、あなたの心を問う場です」


「心を問う前に、事実の確認が必要です」


 王国重臣のひとりが、わずかに身じろぎした。


 王宮書記官たちの筆先が、紙の上で止まる。


 リディアは続けた。


「祈りを拒んだとのご指摘がございました。どの依頼を指していますか。受付日、受付担当者、優先区分をお願いいたします」


「あなたは、またそのように手順を」


「査問会ですので」


 リディアは静かに言った。


「確認できないものを、事実として扱うわけにはまいりません」


 その瞬間、セオが動いた。


 後方で控えていた彼は、一礼してから王宮書記官の前へ進み出る。手には神殿記録室の封蝋が押された封筒。


 その動きが、あまりにも自然だった。


 まるでこの広間の空気など最初から信用していない人間の手つき。


「発言をお許しください。神殿記録係、セオ・ヴァルターでございます」


 大神官の眉が動く。


 セオは気にせず、封筒を机の上に置いた。


「感情で議論されるのであれば時間の無駄ですので、共通言語としての数字を出席者分ご用意しております」


 大広間がざわついた。


「数字?」


「出席者分?」


「何を勝手に」


 セオは涼しい顔で、王宮書記官へ視線を向ける。


「確認会と伺っております。確認に必要な記録です。三回読み合わせますか?」


 王宮書記官が、わずかに咳払いをした。


「……配布を許可する」


「ありがとうございます」


 セオが合図を出す。


 エリンが震える手で受付記録の写しを差し出した。顔は青い。だが、足は止まっていない。


「原本はこちらにございます」


 声は震えていた。


 それでも、大広間の端まで届いた。


 セオはその写しを、王宮書記官、重臣、神殿上層部、寄付者貴族代表の机へ順に置いていく。


 紙が置かれるたび、ささやきが一つずつ死んでいった。


「こちら、受付記録の写しです。順番札制度導入前後の待ち時間、緊急対応件数、私的祈祷の予約化後の割り込み未遂件数を含みます」


 扇の陰で笑っていた貴族の前にも、同じ写しが置かれた。


 その貴族の指が、紙の上で止まる。


 日付。


 時刻。


 対応者名。


 案件内容。


 どれも、逃げ道のない顔をしている。


 セオは次の封筒を開いた。


「未処理浄化依頼の推移です。改革前、三百二十件。直近、二十七件。緊急案件は全て当日中に処理済み」


「三百二十件……?」


 重臣の一人が思わず声を漏らした。


 その声は、大神官に向けられていた。


 大神官グレゴリウスの微笑が、わずかに硬くなる。


「それは、長年の積み重ねで」


「はい。長年の積み重ねです」


 セオが即座に応じた。


「ですので、どのように積み重なったかも記録しております」


 封筒がまた一つ開かれる。


 紙の角がそろい、乾いた音を立てた。


「過去の結界事故記録。西門結界の点検延期。同日、聖女補佐二名が侯爵夫人の温室祈祷へ派遣されています。被害者一名。軽傷ですが、事故は事故です」


 大広間の空気が変わった。


 聖女らしさ。


 慈悲。


 温かみ。


 それらの柔らかい言葉の隙間から、事故と負傷者という硬い事実が顔を出した。


「侯爵夫人の温室……?」


「それは偶然では」


「同日、とあるな」


 紙をめくる音が増える。


 セオは止まらない。


「東の侯爵家の薔薇祈祷についても資料がございます。正式依頼書なし。緊急認定印なし。受付記録なし。大神官グレゴリウス様による勤務時間外の口頭命令」


 東の侯爵家の関係者が、顔を強張らせた。


 リディアは静かに口を開く。


「薔薇を大切に思う心を否定するつもりはございません」


 広間の視線がリディアへ戻る。


「ですが、一輪の薔薇のために、翌朝の浄化班の稼働率を落とす判断はできませんでした。命と生活基盤を先に置いたことが、聖女として冷たいというご指摘でしたら、その判断の記録も併せてご確認ください」


 大神官が杖を握り直した。


「祈りは、数字で測るものではありません」


「祈る者の体力は、数字に出ます」


 リディアは即答した。


「過労離脱者の記録もございます」


 セオが封筒を一つ持ち上げる。


 大神官の顔から、穏やかな色がさらに削れた。


「夜通しの祈りと記されていたものの多くが、実際には勤務時間外の私的祈祷対応です。翌日以降の欠勤、休職、担当交代の記録と照合済みです」


 王宮書記官の筆が、忙しく動き出した。


 扇の音が消えている。


 かわりに広間に満ちているのは、紙の擦れる音だった。


 リディアは、大神官を見据えた。


「貴族からの依頼に金額をつけた、とのご指摘もございました。私的祈祷を正式な予約枠へ回した記録はありますが、祈りそのものに金額をつけた記録はございません。該当文書をご提示いただけますか」


 大神官は、ほんの少しだけ息を吸った。


「寄付者への配慮を欠いたという話です」


「では、『金額をつけた』という表現は訂正されますか」


 大広間がぴたりと止まった。


 王宮書記官の筆先も一瞬止まる。


 大神官の目元が、わずかに引きつった。


「あなたは、言葉尻を」


「言葉は記録に残ります」


 セオの羽ペンが、かり、と鳴った。


 その音が、妙に大きく響いた。


 リディアは視線をミリアへ移す。


 ミリアは手順書を胸に抱いたまま、必死に立っている。


 青ざめているが、泣いてはいない。


 アルベルトの視線も、そこへ動いた。


 リディアは言う。


「ミリアさんの件についても確認いたします」


 ミリアの肩が小さく跳ねた。


「聖女の道を奪ったとのご指摘でしたね。現在、ミリアさんは浄化技師補佐見習い予定として基礎研修中です。測定器の扱い、避難確認、休憩管理、基礎浄化補助。こちらに研修記録がございます」


 セオが資料を配る。


 アルベルトの前にも、一枚が置かれた。


 彼はそれを見下ろす。


 リディアは続けた。


「また、ミリアさん本人は、前回の面会時に『いじめではなく業務指導を受けている』と証言しています」


 アルベルトの手が、椅子の肘掛けにかかった。


 あの言葉が、彼の中でまだ残っている。


 私、いじめられていません。業務指導を受けています。


 大神官が口を挟んだ。


「本人がそう言わされている可能性もあります」


 ミリアの顔が強張る。


 リディアの目が、すっと細くなった。


 怒鳴りはしない。


 声も荒げない。


「では、その可能性についても本人に確認をお願いいたします。強制の有無については、王宮書記官の前で記録していただいて構いません」


 王宮書記官が顔を上げる。


 セオの口元が、ほんのわずかに引き締まった。


 大神官は黙った。


 噂なら扱いやすい。


 印象なら押し通せる。


 だが、本人確認となれば、話は変わる。


 リディアは大広間を見回した。


「本日は、聖女としての資質を問う場と伺っております」


 手元の資料を、一枚だけ持ち上げる。


「であれば、確認すべきは私の心根ではなく、私が何を救い、何を記録し、何を改善したかです」


 紙の白さが、広間の灯りを受ける。


「どうか、お手元の資料の数字確認をお願いいたします」


 セオの手から、さらに資料が配られていく。


 扇を閉じた貴族が、紙面へ目を落とす。


 別の貴族が、指先で日付をなぞる。


 王国重臣たちは、互いに小声で何かを確認し始めた。


 大神官の慈悲深い微笑は、紙束の前でひび割れた仮面のように強張っている。


 大広間に、紙をめくる音が広がった。


 一枚。


 また一枚。


 その不穏な沈黙は、さきほどまでの嘲笑よりずっと重く、ずっと冷たかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ