第四話 役の降りない朝
翌日の現場でのこと。朝浦はいつものようにカメラの前に立った。
「五秒前……三……二……」
(……あれ?)
彼は首を傾げる。……役が降りてくるのが、遅い。目の前では犯人役の俳優が喉を震わせている。
「……だから、犯人は君だ」
静かに告げる。声を張り上げない。ゆっくり言う。間は多め。ここでは緊張してないから、肩から力を抜く。そう、意識する。意識しないとできない。
プロファイリングの結果を告げる長台詞。ここの部分はちょっと早口。口角は上げる。
人差し指に力を入れて、事件関係者に指を指す。ここは、彼が重要視してるから。
「はい、カット」
「大丈夫でしたか?」
「さすがです。圧倒されました」
「ありがとうございます」
朝浦は肩で息を吐いて、カメラの前から退く。椅子に座り、深呼吸を一つ。いつもなら、ここで台本を開く。だが、今日彼が手に取ったのは、スマホだった。
(……ひなからの連絡は……)
メッセージアプリを開き、ひなとのトーク画面を開く。最後のメッセージは、深夜に送った『ひな?』。既読はついてない。伊藤両親からの連絡も確認する。……まだ、何もない。
「……彼の……過去に……」
黒瀬の声が響く。朝浦は黒瀬の方に目もくれなかった。
◇
本日の撮影が終わった。朝浦が車に乗り込んだことを確認した長原は車を発進させず、後部座席へと振り返った。
「伊藤さんご夫妻から伝言が」
「……おじさんおばさんから? ……なに?」
「今夜はうちに泊まりなさい、と」
「……さすがに、悪いよ。自分の家、あるし」
朝浦にも自分のマンションがある。……もう、長いこと帰ってはいないけれど。
長原はため息をつく。
「……ご自身の家、ですか?」
「うん。今日はそっちで」
「……生活、できます?」
「……できる……はず……」
「冷蔵庫の中身は? 床にペットボトルが散らばっていませんか? 洗濯は大丈夫ですか?」
朝浦は口をつぐむ。……冷蔵庫、水以外入ってたっけ……。……ペットボトル、片付けたっけ……。最後に洗濯機を回したの、いつだっけ……。
「……ごめんなさい」
「伊藤家にお送りしますね」
「……場所、分かる?」
「引き継ぎで聞いています」
長原は少し笑って、首都高に乗った。
伊藤家は東京の外れにある一軒家だ。いつも通り記者がついてきていないか確認してから、インターフォンを押した。すぐに玄関扉が開き、伊藤母が顔を出す。
「お帰りなさい。ほら、荷物」
「……うん」
伊藤母に鞄を渡した朝浦は、そのままべしゃりと玄関に倒れ込む。
「今日も頑張ったのね」
「……うん」
朝浦はのろのろと首を持ち上げた。
「……どう、だった?」
「……ひなは、定時に会社を出たみたい。今、警察が足取りを追ってくれてる」
「……そう」
「ここじゃ寒いから、せめてリビングでスライムしなさい」
「……無理」
「はいはい。ちょっと、お父さ〜ん」
伊藤母は伊藤父を呼ぶ。彼は「相変わらずだな」と笑いながら、朝浦の両手を引っ張った。
「……大きくなったな。……ちょっと腰にくる」
「……えへへ、ごめん」
朝浦はふっと笑いをこぼす。そのままずるずるとリビングまで引きずられていった。
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