第三話 帰らないひと
翌日。長原の運転する車がマンションの前に止まる。朝浦は張り込みしている記者がいないことを確認し、玄関から外に出た。
「おはよう」
「おはようございます」
長原がドアを開けた。すぐに車に乗り込む。車はエンジンを鳴らし、駐車場を滑り出た。
「今日はなんだっけ」
「六時半よりCMの撮影、十一時ごろに移動し、またドラマの撮影です」
「ドラマの現場は昨日と同じだよね?」
「はい」
「分かった」
朝浦はそう言って、台本を見ながらおにぎりをかじる。長原は一瞬だけバックミラーで確認し、口を開いた。
「……ちゃんと食べていますね」
「ひなが作ってくれたから。具は肉じゃが。美味しいよ。……ひなから聞いてた?」
「はい。お弁当がないことも聞いています。移動時間に余裕を持たせていますので、コンビニに寄りますよ」
「別にいいのに」
「だめです。食べてください」
「はーい」
朝浦は唇を尖らせる。
「……にしても、本当に伊藤さんたちには頭が上がりませんね。子役時代、からでしたっけ」
「もっと前から。……おじさんとおばさん、元気かな」
「落ち着いたら、帰省されてはどうですか」
「そうだね。ひなと休みを合わせないと」
彼は笑いをこぼし、おにぎりにかぶりついた。
◇
CM撮影もドラマ撮影も終わり、朝浦は長原の送迎で帰宅する。いつも通り記者がいないか確認してから車を降りて、いつも通り玄関に向かいオートロックを解除する。エレベーターに乗って中層階へ行き、部屋の鍵を開ける。ドアを開けて中に入って、後ろ手で閉める。そうして、いつも通りスライムと化した。
……今日は何の匂いもしない。家の中が暗かった。
「……残業かな」
スマホを確認する。メッセージに表示されていたのは、お昼に交わした『お昼食べた?』のやりとりだった。
……急な残業かな。炎上、ってやつだっけ。……本番化、って話は聞いてない。ひなは仕事中にスマホを絶対見ないし。このままスライムしてたら帰ってくるか。待ってよう。
朝浦の瞼が下がる。彼がすぅ、と寝息を立てるのを、止める声は何もなかった。
「……寒い」
朝浦は寒さで目を覚ます。スマホを確認すれば、深夜零時を回っていた。
「……遅いな」
メッセージは何も来てない。一応、「ひな?」とメッセージを送ってみる。既読はつかない。
通話、かけていいかな? ……マナーモードにしてるよね? ……怒られたら謝ろう。
通話を鳴らしてみる。呼び出し音が鳴り続け、やがて通話は切れた。
「……ITって、会社に泊まり込む、んだよね?」
スマホで『IT 泊まり込み』と検索する。いくつかページを読んでみる。常態化した会社でしか、やらないらしい。ひなは泊まり込んだことなんてない。
今度は『家族 深夜 帰ってこない』『恋人 深夜 帰ってこない』で調べる。
……位置共有アプリ……は入れてない。行方を知らないか連絡する、場合によっては警察……。
「……とりあえず、おじさんとおばさんかな……。起きてるかな……」
彼はそう言って、伊藤父に通話をかけた。
しばらくの呼び出し音の後、伊藤父が通話に出てくれた。
「湊? どうかしたのか?」
「おじさん、ひな、知らない?」
「何があった?」
「まだ、帰ってきてない」
「ひなが? 連絡は?」
「……取れない」
「……今、どこだ?」
「ひなの家」
「分かった。母さんを起こしてくる」
スマホの向こうで、ざわつく声が聞こえた。答えたのは伊藤母だった。
「湊くん、すぐそっちに向かうわね。晩ご飯とお風呂は?」
「まだ」
「まだスライム?」
「……多分、起きれる」
「分かったわ。シャワー浴びて待ってて」
「うん」
「通話は切らなくていいから」
「分かった」
朝浦はのそのそ立ち上がり、シャワーを浴び始める。スマホからは「警察に連絡……」という伊藤母の声が聞こえてきた。
連絡から三十分もしないうちに、ひなの両親はひなの家に到着した。伊藤母はコンビニの袋を朝浦に渡す。
「ほら、これ。食べときなさい。明日の仕事は?」
「六時に迎えがくる」
「分かった。湊は現場に行きなさい。ひなのことは、こちらに任せて」
「……分かった」
「食べたらすぐ寝るのよ」
「うん」
朝浦は頷き、もそもそとおにぎりを食べ始める。
「湊、マネージャーに連絡は?」
「まだ。……そっか、やらないと」
朝浦はスマホを手に取り、長原に連絡を入れた。数コール後に長原が出る。
「朝浦さん、どうしましたか?」
「ひなと連絡が取れない、帰ってきてない」
「……なるほど。明日……いえ、今日ですね。撮影には出れそうですか?」
「多分、いけると思う」
「今、お一人ですか?」
「おじさんおばさんが来てくれた」
「分かりました。では、いつも通りに」
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