第十五話 「ただいま」の代わりに
車は東京郊外の病院へと向かう。一時間もしないうちに、病院へと着いた。面会は一部の人しかできない。ひなの両親、そして婚約者に近い朝浦だけが、病室に通される。
消毒液の匂いが漂う病室に、ひなはいた。白いベッドの上、点滴につながれ、いくつもの医療機器に囲まれて眠っている。手首には赤い跡があった。
「……ひなの、状態はどうですか?」
「意識レベルがかなり下がっており、起こしても朦朧としているため寝かせています。睡眠薬の影響、と思われます」
「……睡眠薬?」
「監禁中に、無理に飲まされていたようです」
「……そう、ですか」
「続けても?」
「……はい」
「自発呼吸も正常で、脈拍なども安定しています。栄養失調や脱水症状の所見もありません。ただ、意識レベルはまだ低いため、呼吸状態や意識の変化を注意深く観察しています。点滴ルートを確保し、生理食塩水を流して維持しています」
朝浦はそっとひなの手を握る。その時だった。ひなの瞼が、ぴくりと動く。
「……湊?」
「……ひな」
静かに名前を呼ぶ。ひなはふ、と笑いをこぼした。
「……先に……帰ってたんだ……。……ごめん、スーパーに寄ってて、遅くなった」
焦点の定まらない目が、それでも朝浦を追っていた。
「……連絡、入れてなかったね……。……ごめん。……ご飯、今から……作るから。……先に、お風呂……入ってて」
朝浦は一瞬黙り込む。そのとき、ひなの声は「……湊?」と震えた。朝浦の表情が、柔らかい笑みへと変わる。
「疲れてるでしょ。……宅配にしよう?」
「……そう、だね。……何、食べる?」
「ちょっと疲れてるから、食べやすいやつにしようかな。……ひなは?」
「……ラーメンに……しようかな。……湊……まだ……スライム……?」
「人間に戻れてる」
「……珍しい……ね。……演技……したんでしょ……」
「帰ってくるの、早かったから」
『先に帰宅した朝浦湊』を演じる。考えなくても、体が動く。
「ウェーバー、注文しとくね。いつものラーメン?」
「……お願い。……ありがとう。……お肉、冷凍する」
「分かった」
ひなの瞼が下がる。すぅ、と寝息がこぼれた。朝浦はひなの手を握ったまま、「……ふぅ」と床に座り込んだ。
「……すごい、わね」
「……これでも俳優」
伊藤母の言葉に、笑って答える。
「……ごめん、その……割と、スライム……」
「あらあら。……そろそろ帰りましょうか」
「……うん」
「立てる?」
「……ちょっと、厳しい……かも……」
朝浦は伊藤父に肩を支えられて立ち上がる。「また来るよ」と笑って、病室をあとにした。
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