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次のご案内まで、死んでお待ちください。  作者: 二条理|アコンプリス


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第八章 犯人は続編を書いている

 文章には、指紋がある。

 句読点の位置。

 漢字とひらがなの比率。

 改行の癖。

 同じ意味の言葉を、わざわざ別の言い回しにするこだわり。

 人を煽る時だけ語尾が整うこと。

 悲劇を語る時だけ、妙に芝居がかること。

 顔を隠しても、声を加工しても、名前を変えても、文章だけはときどき本人より正直になる。

 二階堂壮也は、病院のベッドの上で、それを眺めていた。

 搬送後、二階堂の意識は一度戻った。

 ただし、状態が安定したわけではない。

 頭部外傷、薬物使用の疑い、脱水、拘束による循環障害。堀島岳斗は「覚醒しているだけで、無事とは言っていません」と三度言った。

 そのたびに二階堂は頷いた。

 そして三度とも、頷いた直後に端末へ手を伸ばした。

「寝てください」

 堀島岳斗が言った。

 声は穏やかだったが、目は笑っていなかった。医師が本気で患者に怒っている時の顔だ。二階堂はその顔を見て、端末を少しだけ布団の下に隠した。

「寝てる」

「指が動いています」

「無意識かもしれない」

「頭部打撲後の患者がそれを言うと、洒落になりません」

 堀島は容赦なく布団をめくり、二階堂の手からタブレット端末を取り上げた。

 二階堂は酸素マスクを少しずらした。

「それ、証拠品」

「あなたの体も、今は医療上の管理対象です」

「人権がない」

「意識があるだけありがたいと思ってください」

 堀島は端末を脇の机へ置いた。

 だが、画面は消さなかった。

 そこに表示されているのは、《WAIT》の通知文だった。

 次のご案内対象

 江口桜次郎

 理由:生徒を死にたい気持ちにさせたため

 ご案内予定時刻:本日二十一時

 その下に、別のログ。

 江口桜次郎先生。

 ご案内の準備が整いました。

 さらに、二階堂拉致配信のタイトル。

 【特別案内】ご案内対象:二階堂壮也

 二階堂はそれを横目で見ながら、かすれた声で言った。

「タイトルが整いすぎてるんだよな」

「そこですか」

「そこ」

「あなたは配膳トレーとマイクスタンドの支柱で殴られたんですよ」

「言い方が宴会芸みたいだね」

「宴会芸で意識不明にならないでください。頭部打撲は頭部打撲です。薬も使われています。脱水もあります。拘束痕も残っています。今すぐ捜査資料を読む状態ではありません」

 二階堂は堀島を見た。

「桜次郎の死亡予定まで、一時間を切ってる」

 病室が静かになった。

 午後八時三分。

 江口桜次郎の学校では、校門が外部操作で閉鎖され、一部の防火扉も作動していた。校内放送は乗っ取られ、教室の電子掲示板には江口の死亡予定時刻が表示されたという。

 ただし、校内システムそのものを完全に掌握されたわけではない。

 サイバー班の暫定報告では、校舎内のどこかに小型の中継端末が仕掛けられている可能性が高かった。外部から直接すべてを動かしているのではなく、一度校内のネットワークに潜り込ませた端末を経由して、放送設備や掲示板に割り込んでいる。

 防火扉も、自由に開閉しているというより、誤作動を誘発しているに近い。

 それでも、現場では十分だった。

 数分間、人を足止めできれば、犯人の舞台は成立する。

 二階堂は、その報告を聞いた瞬間、上半身を起こした。

 堀島が止めた。

 九条が無言で眉をひそめた。

 真壁が電話越しに「寝てろ」と言った。

 全員、言うことは同じだった。

 寝ていろ。

 だが、二階堂には寝ていられなかった。

 彼は現場へ行けない。

 走れない。

 扉も破れない。

 江口の前に立つこともできない。

 なら、言葉を見るしかない。

 自分を殺したことにした犯人が残した言葉を、今度はこちらが読む。

「堀島先生」

「はい」

「俺を寝かせたら、江口が死ぬかもしれない」

「あなたを起こしておいたら、あなたも危ない」

「俺はもう一回死んだことになってるから」

「二回目は医学的にも腹立たしいでは済みません」

 二階堂は少し笑った。

 笑うと、頭の奥に痛みが走る。

 堀島はため息をついた。

「十分です」

「え?」

「十分だけ。その代わり、起き上がらない。酸素は外さない。端末操作は最小限。話す時は短く」

「医者って、条件を出す時だけ刑事みたいなんだな」

「刑事は条件を守らない患者を相手にしません」

 堀島はタブレットを二階堂の手の届く位置へ戻した。

「十分後に回収します」

「優しい」

「違います。諦めただけです」

 二階堂は端末を受け取った。

 指先が少し震えていた。視界がぼやける。

 薬のせいか、殴打のせいか、怒りのせいか分からない。

 画面には、《WAIT》が使った文言の一覧が並んでいる。

 死にたい理由を入力してください。

 あなたを死に追い込んだ人を、こちらで確認します。

 次のご案内まで、死んでお待ちください。

 あなたの苦しみは確認されました。

 ご案内は完了しました。

 加害者候補を確認しました。

 ご案内対象は、変更されました。

 次の特別案内は、警察関係者です。

 【特別案内】ご案内対象:二階堂壮也

 江口桜次郎先生。ご案内の準備が整いました。

 二階堂はゆっくりスクロールした。

 冷たい。

 機械的。

 丁寧。

 だが、本当に機械的な文章ではない。

 機械に見せかけようとしている、人間の文章だ。

「こいつは」

 二階堂は呟いた。

 堀島が目を上げる。

「こいつは、事件を起こしてるんじゃない」

 画面の文字が、蛍光灯の下で白く浮かんでいる。

「続編を書いてるつもりなんだ」

     *

 警視庁の捜査本部では、二階堂の言葉がそのまま共有された。

 続編。

 真壁彰は、その言葉を聞いた時、最初は腹立たしい比喩だと思った。

 事件に続編も本編もない。

 人が死んでいる。

 二階堂は殺されかけ、江口は標的にされている。

 そんなものを物語扱いするな。

 だが、犯人がそう考えているなら話は別だった。

 犯人にとって、これは事件ではない。

 自分が注目されるためのシリーズ。

 第一話、第二話、特別編、中盤の山場、最終案内。

 そう見れば、これまでの違和感がつながる。

 殺し方は粗い。

 だが見せ方は整っている。

 標的に一貫性はない。

 だが“映える役割”はある。

 死体を作る前に、見出しを作っている。

 真壁は会議室のホワイトボードを見た。

 柏木修一。大学教授。第一の都市伝説。

 長谷部慎也。会社員。未成年登録者。

 森下裕介。教師。警察保護を嘲笑する変更対象。

 二階堂壮也。警視庁広報。拉致配信。

 江口桜次郎。教師。最終案内予定。

 名前の横に、赤い線が増えている。

 被害者、あるいは標的。

 職業。

 登録者との関係。

 現場演出。

 配信・拡散タイミング。

 その中で、二階堂の欄だけが異質だった。

 二階堂は、誰かを死にたい気持ちにさせたから選ばれたのではない。

 警察広報だから選ばれた。

 前の事件を知るネット民にとって、“キャラ”として認識されていたから選ばれた。

 江口も同じだ。

 犯人は、登録者の苦しみから標的を選んでいるふりをしている。

 だが本当は、自分の物語に使える人物を選んでいる。

 真壁は低く言った。

「登録者の苦しみは、口実だな」

 九条雅紀が頷いた。

「柏木の時点では、まだ苦しみと標的の関係が強かった。だが二件目以降、関係は薄くなっている。標的が保護されると変更される。二階堂に至っては登録者との関係がない」

「江口は」

「生徒の入力を利用しているだけだ」

 九条の声は静かだった。

 その静けさの下に、わずかな嫌悪がある。

 真壁は九条を見た。

「お前はどう見る」

「死体から見れば、犯人は殺人に慣れていない」

 九条は資料を広げた。

「柏木修一の頭部損傷は致命傷になったが、外力の方向は安定しない。長谷部慎也の窒息も、薬物で動きを弱めてから口鼻部を塞いでいる。森下裕介は吊ったように見せたが、索条痕と体位が一致しない。いずれも殺害手段に熟練はない」

「だが、演出には慣れている」

「正確には、演出の文法に慣れている」

「文法?」

「どう置けば写真に見えるか。どういう文を添えれば共有されるか。どのタイミングで通知すれば、人が反応するか。そういう知識だ」

 二階堂の声が、スピーカー越しに割り込んだ。

『それ、配信者の知識だよ』

 堀島の声が遠くで聞こえた。

『短く』

『短いやつね』

 真壁はモニターを見る。病室の映像は出ていないが、音声だけが繋がっている。

「二階堂、寝てろ」

『寝てると桜次郎が死ぬ』

「寝てなくても死ぬ時は死ぬ」

『真壁の励まし、最悪』

「現実的だ」

『知ってる』

 二階堂は咳をした。

 堀島が何か言う。

 それでも二階堂は続けた。

『犯人は、殺人犯というより配信者だ。死体を作る前に、サムネを考えてる』

 会議室の全員が黙った。

『柏木教授は第一話。死にたい登録で相手が死ぬという都市伝説の導入。長谷部は未成年登録者で社会性を上げる回。森下は警察保護失敗で警察を煽る回。俺の拉致配信は中盤の山場。で、江口は感情回。教師と生徒。泣けるし燃える』

「ふざけるな」

 真壁が低く言った。

『俺に言うな。犯人の考え方なんだから』

 真壁は黙った。

 腹立たしいが、筋は通っている。

 二階堂は続けた。

『こいつは、視聴者の反応を見て構成を変えてるよ。保護されたら標的変更。警察関係者が盛り上がると俺を拉致。江口の校内放送が刺さると、今度は江口を主役にする』

 九条が言った。

「二階堂。お前の拉致は偶発ではないのか」

『偶発に見せた必然ってとこ。俺を使えば先月の九条事件とつながる。広報、警察、言葉、ネット。犯人からすれば使いやすい』

 九条は少しだけ目を伏せた。

 九条雅紀の指名手配事件。

 その名前が、また静かに部屋の中へ入ってきた。

 あの事件で、九条は一時、殺人犯として全国に名前を晒された。

 その疑いは晴れた。

 真犯人も捕まった。

 だが、ネットに残った名前は消えない。

 九条の顔。

 二階堂の広報文。

 真壁の捜査。

 江口や鳳や堀島の関与。

 事件の関係者たちは、望まないまま“語られる人物”になった。

 今回の犯人は、その語りを見ていた。

 ただ見ていただけではない。

 憧れていた。

 真壁は言った。

「当時のログは」

 二階堂が答える。

『洗ってる。俺じゃなくて、広報の若いのとサイバーが、ね。俺がやると堀島先生が端末を没収するから』

 堀島の声。

『もう没収します』

『あと一分』

『三十秒です』

 真壁は無視して、サイバー班を見た。

「九条事件当時の投稿ログ。《WAIT》文体と一致するものを洗え。特に、二階堂の広報文、九条の名前、事件の中心人物という表現。全部拾え」

「了解」

 キーボードの音が一斉に鳴り始めた。

     *

 江口桜次郎の学校では、カウントダウンが進んでいた。

 00:53:18

 00:53:17

 00:53:16

 電子掲示板の白い数字は、教室の黒板の横で淡々と減っている。

 江口は三年二組の教室を出たあと、廊下を歩いていた。

 隣には五十嵐。前後に警察官。少し離れて教頭。校内の照明は一部が落とされ、非常灯だけが赤く浮かんでいる。

 防火扉のいくつかは外部操作で閉じられていた。

 校門は完全に閉鎖されたわけではないが、電子錠が誤作動を起こし、手動解除に時間がかかっている。警察がすでに対応しているものの、犯人が校内システムへ何らかのアクセスをしていることは明らかだった。

 廊下の天井隅にある防犯カメラが、江口の動きに合わせてわずかに動いた。

「見られてますね」

 江口が言うと、五十嵐が頷いた。

「おそらく」

「教師になってから、こんなに注目されたことないです」

「今それを冗談にしますか」

「しないと足が止まります」

 五十嵐は何も言わなかった。

 江口は廊下の窓に映る自分の顔を見た。

 顔色が悪い。

 目の下に隈がある。

 シャツの襟が少し曲がっている。

 殺害予告の対象者というより、残業に疲れた教師だった。

 その普通さに、少し救われた。

 自分はまだ、画面の中の登場人物ではない。

 この学校を歩いている、生身の教師だ。

 廊下の突き当たりで、女子生徒が泣いていた。

 二年生だった。名前はすぐに出てこなかった。江口の担当クラスではない。隣に担任の女性教師がいて、肩を抱いている。

 江口が近づくと、その生徒はびくっとした。

「江口先生」

「はい」

「私、登録しました」

 女性教師が困ったように江口を見る。

 江口は立ち止まった。

「今、話せますか」

 生徒は首を振った。

「でも、怖いです。お兄ちゃんの名前、書いちゃって。喧嘩しただけなのに。もう、どうしたらいいか分からなくて」

 江口は五十嵐を見た。五十嵐はすぐに頷き、メモを取る準備をした。

「お兄さんの名前と連絡先、僕に教えてください。警察にも伝えます」

「怒られますか」

「お兄さんに?」

「はい」

「怒られるかもしれない」

 生徒の顔が歪む。

「でも、生きて怒られるほうがいいです」

 生徒は泣き出した。

 江口は、朝から何度も同じような言葉を言っている自分に気づいた。

 生きているから怒れる。

 生きているから謝れる。

 生きているから面倒くさい。

 当たり前の言葉が、今日はやけに重い。

「江口先生」

 五十嵐が小声で言った。

「時間が」

 江口は頷いた。

 カウントダウンは続いている。

 00:49:02

 自分の死亡予定時刻まで、五十分を切った。

 だが、それでも目の前の生徒を置いて走ることはできなかった。

「大丈夫。ここからは担任と警察が動きます。君は一人にならない。いいですね」

 生徒は頷いた。

 江口は歩き出した。

 五十嵐が隣で言った。

「江口先生は、怖くないんですか」

「怖いです」

「そうは見えません」

「見えないようにしています」

「どうやって」

「提出物のことを考えます」

 五十嵐が一瞬、言葉に詰まった。

 江口は小さく笑った。

「冗談です。半分くらい」

「半分は本当なんですね」

「教師の現実逃避としては、かなり上等です」

 その時、校内放送がまたノイズを発した。

 二人は足を止めた。

 加工された声。

『江口桜次郎先生』

 江口は顔を上げた。

『よく歩きますね。逃げ道を探していますか』

 廊下の警察官が無線で何かを伝える。

 江口は無視して歩き始めた。

『あなたは生徒を置いて逃げない。立派です。とても立派な先生です』

 声は、嘲笑っているようでもあり、本当に褒めているようでもあった。

『だから、見せ場があります』

 五十嵐が江口を見た。

 江口は何も言わない。

『二十一時。あなたの最終案内を始めます』

 放送が切れた。

 廊下には、非常灯の音だけが残った。

 江口は低く呟いた。

「見せ場なんか、いらないんだけどな」

     *

 午後八時十九分。

 警視庁サイバー対策班の一人が声を上げた。

「出ました」

 真壁はすぐに振り返った。

「何が」

「九条先生の指名手配事件当時の投稿ログです。《WAIT》の通知文と一致する語彙が複数あります」

 大型モニターに投稿が表示された。

 投稿者名は、当時すでに削除されている。

 だが、アーカイブとスクリーンショットから一部が復元されていた。

 九条雅紀、設定強すぎ。

 右胸に心臓ある法医学者が指名手配とか、物語じゃん。

 事件の中心人物になれるの羨ましい。

 みんな名前呼んでる。

 二階堂の広報文、うますぎる。嫉妬する。

 真壁って刑事もいい。こういうふうに誰かの人生を決める側に立ちたい。

 どうしたら事件の中に入れるんだろう。

 俺もこういうふうに名前を呼ばれたい。

 会議室が静まり返った。

 二階堂の声がスピーカーから聞こえた。

『それだ』

 真壁は画面を睨んだ。

「投稿者は」

「当時のハンドルは複数変わっています。“零の観測者”“声にならない主役”“MAMIYA_000”など。現在の《WAIT》拡散アカウントの一部と、投稿時間帯・語彙・接続環境に類似点があります」

「MAMIYA?」

「はい」

「本名か」

「不明です。ただ、過去に同じアカウントが配信者募集掲示板へ投稿しています。連絡用メールアドレスから、別名義の動画投稿アカウントに繋がりました」

 モニターに次の情報が表示される。

 午前零司の朗読部屋。

 サイバー班が、さらに古い投稿を表示した。

 それは動画ではなかった。短文投稿だった。

 投稿時刻は、九条雅紀の指名手配事件よりも前。

 閲覧数は、ほとんど動いていない。

 死にたい。

 誰か、俺がここにいるって分かってくれ。

 でもこういうことを書くやつは面倒なんだろうな。

 分かってる。

 分かってるから、誰も返事しない。

 返信は一件だけだった。

 自動返信のような相談窓口の案内。

 その下に、配信者本人のものと思われる投稿が残っていた。

 違う。

 窓口じゃない。

 名前を呼んでほしいだけだ。

 会議室は静まり返った。

 二階堂の声が、病室から低く届いた。

『ここからですね』

「何が」

『救われなかった人間が、救う側のふりを始めた』

 再生数:十一。

 コメント:〇。

 最終更新:二年前。

 別のアカウント。

 Rei_M Voice。

 歌ってみた動画。

 再生数:七。

 高評価:〇。

 さらに別のアカウント。

 新人V準備中。

 投稿なし。

 二階堂が低く笑った。

『出たな』

 真壁は眉を寄せる。

「何が」

『主役になりたい人間の終着駅』

 堀島の声。

『言い方』

『ごめん。でも、たぶんここだ』

 サイバー班が続けた。

「連絡用メールアドレスの復旧情報から、過去の決済アカウントと本人確認書類の登録名義が出ました」

「名前は」

「間宮零司。三十二歳」

 その名前が、会議室に落ちた。

 間宮零司。

 MAMIYA_000。

 午前零司の朗読部屋。

 Rei_M Voice。

 バラバラだった名前が、一人の人間へ集まっていく。

「通販サイトの購入履歴も一部取れました。仮面、撮影用照明、簡易拘束具、音声変換ソフト、小型中継端末、遠隔操作アプリのライセンス、プリペイドSIM。配送先はいずれも墨川区柳天橋町の集合住宅です」

 真壁は短く言った。

「職歴は」

「三年前までイベント配信会社の下請けスタッフとして登録されています。正社員ではありません。短期契約です。業務内容は、会場設営、簡易カメラの設置、音声卓の補助、学校や自治体施設での配信設備の撤収作業」

 二階堂が病室から、かすれた声で言った。

『なるほど。天才ハッカーじゃない』

「何?」

『触ったことがあるんだろう。古い校内放送、電子掲示板、監視カメラ、配信用の中継機材。仕組みを作れるほどじゃなくても、どこに線を挿せば画面が出るかは知ってる』

 サイバー班が頷いた。

「実際、《WAIT》のシステムも高度な侵入というより、既存サービスの寄せ集めです。偽装通知、全画面表示、予約投稿、ミラー配信、遠隔操作アプリ。違法ではありますが、ひとつひとつは特別な技術ではありません」

「自分で組み合わせたのか、水口にさせたのか」

 真壁が言うと、二階堂が答えた。

『演出家の発想です。技術者じゃない。見ている側が“すごいシステム”だと思えば、それでいい』

「住所は」

「墨川区柳天橋町の集合住宅。築四十年。現在も居住記録あり」

 九条が静かに言った。

「二階堂拉致現場から遠くない」

 鳳の声がオンラインで入った。

『柏木教授の大学、森下の現場、旧宴会場、江口先生の学校。すべて公共交通で移動可能な範囲にありますが、二階堂拉致現場と間宮宅の距離は特に近い。生活圏と考えてよいでしょう』

 五十嵐の声も入った。

『川沿いの古い建物を選んだ理由も説明できます。間宮の住所周辺は、古い排水設備の残る地域です。土地勘があったはずです』

 真壁はボードに名前を書いた。

 間宮零司。

 その文字を見た瞬間、事件に初めて人間の輪郭が与えられた気がした。

 《WAIT》ではない。

 アプリではない。

 システムでもない。

 神でも、裁判官でも、救済者でもない。

 ただの男だ。

 死にたい人間の言葉を拾い、殺せそうな相手を選び、見せ場を作り、自分の名前が呼ばれるのを待っている男。

 真壁は無線を取った。

「間宮零司宅へ捜査員を向かわせろ。令状手続き急げ。緊急性あり。本人確保を最優先」

「了解」

 二階堂が言った。

『真壁』

「何だ」

『部屋にいない可能性が高い』

「なぜ」

『最終回が始まってるからだ』

 真壁は奥歯を噛んだ。

 そうだ。

 江口のカウントダウンはすでに進んでいる。

 校内放送も乗っ取られている。

 犯人が自宅でただ待っているとは思えない。

 だが、部屋には何かがある。

 脚本。

 機材。

 接続元。

 次の仕掛け。

 真壁は言った。

「それでも行く」

『うん』

 二階堂の声が、少しだけ弱くなった。

『あと、俺の端末に江口の校内放送切り抜きが回ってきた』

「見るな」

『見なくてもタイトルが見えるんだよ』

「何て」

 二階堂は少し沈黙した。

『“死刑宣告された教師、出席確認を続ける”』

 真壁は言葉を失った。

 二階堂が続けた。

『犯人、喜んでると思う』

 その声は、怒りを通り越して冷えていた。

『自分の書いた物語に、江口が最高の台詞を足してくれたと思ってる』

 九条が言った。

「江口先生は物語のために言っているわけではない」

『分かってるよ。でも犯人はそう読む』

 真壁は無線を握り直した。

「なら、終わらせる」

     *

 午後八時三十分。

 その時刻を、教室の誰よりも正確に見ていたのは、小野寺美咲だった。

 母、小野寺真由美のご案内予定時刻。

 美咲は机の上で両手を握りしめ、壁の時計を見ていた。教室には秒針の音など聞こえないはずなのに、美咲にはそれが耳の奥で鳴っているようだった。

 二十時二十九分五十八秒。

 二十九分五十九秒。

 二十時三十分。

 何も起きなかった。

 スマートフォンは震えない。

 廊下で誰かが叫ぶこともない。

 校内放送も鳴らない。

 ただ、教室の扉が静かに開いた。

 五十嵐理人が立っていた。

「小野寺さん」

 美咲が顔を上げる。

「お母さん、無事です。保護先で確認が取れました」

 美咲は、最初その言葉を理解できなかった。

 それから、机に額をつけるようにして泣いた。

 莉央が息を呑み、安未果がそっと美咲の背中に手を置いた。

 江口は廊下から、その様子を見ていた。

 よかった、と言いかけた。

 だが、黒板横の電子掲示板では、別の数字が減り続けていた。

 00:29:52

 江口桜次郎のご案内まで、三十分を切っていた。

 全部が、アプリの言う通りになるわけではない。

 そのことを、美咲の涙が証明していた。

 だが、まだ終わっていない。

 江口は電子掲示板の数字を見上げた。

 終わっていないどころか、犯人は次の場面へ進もうとしていた。

     *

 間宮零司の住む集合住宅は、墨川区柳天橋町の細い路地にあった。

 築四十年を超える五階建て。外壁はくすんだ灰色で、階段の手すりには錆が浮いている。エントランスには複数のごみ袋と集合ポストが並び、いくつかはテープで塞がれていた。夜になると、建物全体が街から少しずれて見えた。

 捜査員たちが到着したのは、午後八時三十一分だった。

 江口の死亡予定時刻まで、二十九分。

 真壁は現地指揮の刑事から無線を受けた。

『対象の部屋は四〇三号室。明かりはついていません』

「突入準備」

『了解』

 廊下は狭く、足音が響く。

 四〇三号室の前に捜査員が並ぶ。

 ドアの新聞受けには、チラシが数枚詰まっていた。表札はない。扉の横に、小さな防犯カメラのようなものが貼り付けられている。市販のネットワークカメラだった。

『カメラ確認。こちらを見ています』

「もう気づかれていると思え」

『了解』

 令状確認。

 合図。

 ドアを開ける。

 鍵はかかっていなかった。

 その報告に、真壁は目を細めた。

『入ります』

 室内は暗い。

 ワンルーム。

 カーテンは閉め切られ、空気が淀んでいる。

 床にはケーブル、空のペットボトル、コンビニ弁当の容器。壁には吸音材のようなスポンジが貼られている。机の上には大型モニターが二枚。リングライト。マイク。安いオーディオインターフェース。仮面。黒いパーカー。

 人はいない。

『対象者、不在』

 真壁は予想していた。

 それでも、胸の底が沈んだ。

「室内検索。パソコンは」

『起動しています』

「画面は」

 数秒の沈黙。

『ライブ配信の管理画面です』

 真壁は息を止めた。

「タイトルを読め」

 現場の刑事は、一瞬だけ言葉を詰まらせた。

『【最終案内】江口桜次郎を処刑します』

 会議室の空気が止まった。

「開始時刻は」

『二十時五十分』

 真壁は時計を見た。

 午後八時三十三分。

 あと十七分。

「配信予約を止めろ」

『操作します』

 キーボードの音。

 クリック音。

『駄目です。管理権限がありません。別端末から操作中の可能性があります』

「サイバー!」

「こちらでも確認しています。予約ページは複数のミラーと連動しています。元を止めても拡散予約が残る可能性があります」

「可能性ではなく止めろ」

「やっています」

 二階堂の声が割り込んだ。

『真壁、その画面、映像プレビューない?』

「現場、確認しろ」

『あります』

「何が映っている」

 現場の刑事は答える。

『学校の廊下の映像です。江口先生の学校と思われます。防犯カメラ映像を取り込んでいます』

 真壁は目を閉じた。

 犯人は学校内のシステムに入っている。

 あるいは、校内のどこかにカメラを置いている。

 江口の動きを、配信素材として準備している。

『待ってください』

 現場の刑事の声が変わった。

『画面にメモが貼られています』

「読め」

『手書きです』

 紙を剥がす音。

『“ここまで来た人へ。遅い。主役はもう現場にいる。”』

 真壁は机を叩きそうになった。

 主役はもう現場にいる。

 それは、間宮が学校にいるという意味か。

 江口が主役だという意味か。

 あるいは、犯人自身が今、学校の近くにいるという意味か。

 二階堂がかすれた声で言った。

『煽り文としては、まあまあか』

 堀島の怒声が遠くから飛ぶ。

『二階堂さん!』

 真壁は言った。

「現場、部屋の中に江口の学校に関する資料は」

『壁に写真があります。校舎外観、校門、体育館、校内見取り図のようなもの。おそらくネット上から拾った画像です』

 鳳が反応した。

『見取り図を送ってください』

『送ります』

 数秒後、鳳の端末に画像が届いた。

 鳳はすぐに言った。

『これは正式な図面ではありません。学校案内パンフレットと生徒の投稿写真をつぎはぎしたものです。動線に誤りがあります』

「誤り?」

『東棟二階から体育館への連絡通路があるように描かれていますが、実際には防火扉で区切られているはずです。少なくとも、現行の学校施設配置では不自然です』

 五十嵐の声が入る。

『その連絡通路、今は使われていません。旧校舎時代の渡り廊下跡です。生徒の間では“旧連絡階段”と呼ばれていますが、普段は施錠されています』

 真壁は顔を上げた。

「犯人がそれを正しい動線だと思っているなら」

『江口先生の位置を誤認させるか、逆にそこへ誘導する可能性があります』

 鳳の声は冷静だった。

『犯人は学校を実際にはよく知らない。ネット上の写真で学校を作っている』

 二階堂が言った。

『だから“続編”。取材不足の続編』

 真壁は無線を握った。

「学校現場へ伝えろ。旧連絡階段、旧渡り廊下、使われていない動線を重点確認。犯人はそこを使う、または使わせようとしている可能性がある」

「了解」

 サイバー班が叫んだ。

「配信予約ページ、更新されました」

 大型モニターに、黒い画面が表示される。

 白い文字。

 【最終案内】江口桜次郎を処刑します

 開始まで

 00:15:00

 その下に、短い紹介文。

 生徒を死にたい気持ちにさせた教師が、

 最後にどんな顔で名前を呼ぶのか。

 皆さんで見届けましょう。

 真壁は、声を出さなかった。

 出せば、怒鳴ってしまう。

 九条は静かに画面を見ていた。

「これは裁きではない」

 誰に言うでもなく、九条が呟いた。

「観察だ」

 二階堂が答えた。

『違う』

 全員がスピーカーを見た。

 二階堂は、かすれた声で言った。

『これは、観察されたい人間の文章だ』

 沈黙。

『江口を見せたいんじゃない。江口を見せている自分を見てほしいんだよ』

 真壁は頷いた。

 ようやく犯人の中心が見えた気がした。

 正義ではない。

 復讐ではない。

 救済ではない。

 見てほしい。

 それだけだ。

 それだけのために、人が死んだ。

 それだけのために、子どもたちの「死にたい」が使われた。

 それだけのために、江口が今、カウントダウンの中に置かれている。

「間宮の現在地を追え」

 真壁は言った。

「携帯、交通系IC、防犯カメラ、配信アクセス、全部だ。学校周辺にいる前提で動け」

「了解」

 その時、学校側から無線が入った。

『こちら学校現場。江口先生が警察官二名と五十嵐先生を伴って校内巡回中。旧連絡階段付近で、一名の生徒が所在不明との情報』

 真壁の背筋が冷えた。

「誰だ」

『確認中。三年生女子。江口先生の死亡予告の原因になった生徒、相沢沙耶ではありません。ただし、相沢さんが“その子がさっきからいない”と証言しています』

「江口は」

『警察官二名と五十嵐先生同行で、旧連絡階段方面へ確認に向かうと言っています』

「止めろ。犯人の誘導かもしれない」

『止めています。しかし――』

 無線の向こうで、誰かの声が混じった。

 江口の声だった。

『すみません。生徒が一人、所在確認できてないんで』

 真壁は目を閉じた。

「江口」

 届かない。

 無線の向こうで、複数の足音が遠ざかっていく。

 同時に、配信予約画面のカウントダウンが変わった。

 00:10:00

 黒い画面に、新しい文字が浮かぶ。

 ご案内まで、あと十分。

 そして、配信待機画面に初めて映像が入った。

 薄暗い校内の廊下。

 非常灯。

 閉じた防火扉。

 古い階段。

 そして、画面の奥を歩く江口桜次郎の後ろ姿。

 画角のせいで、江口だけが一人で歩いているように見えた。

 だが真壁は知っている。

 その前後には、警察官と五十嵐がいる。

 犯人は、そこを切り取っている。

 孤立しているように見せている。

 コメント欄が、まだ始まっていない配信の下で動き始めた。

 来た。

 江口先生。

 やめろ。

 これ本物?

 先生を殺すな。

 教師なら自業自得じゃね?

 生徒を頭ごなしに叱る教師は全員死んでよし。

 教師ってやつらは横暴だよな。

 声でかい。急に怒鳴る。シャツが出てるくらいでキレんなよボケ。

 世界から教師がいなくなりますように。

 教師消えたら学校行かなくてよくねww

 この人、生徒守ってた人だろ。

 また警察関係者?

 シネーーーー!

 シリーズ化してる。

 待って、後ろに誰かいない?

 真壁はモニターに詰め寄った。

 画面の端。

 江口の背後、階段の踊り場に、ほんの一瞬だけ黒い影が映った。

 人影だった。

 配信はまだ正式には始まっていない。

 だが、犯人はもう、江口のすぐ近くにいる。

 カウントダウンは進む。

 00:09:59

 00:09:58

 00:09:57

 そして画面の下に、白い文字が浮かんだ。

 最終案内を開始します。


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