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次のご案内まで、死んでお待ちください。  作者: 二条理|アコンプリス


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第五章 ご案内対象:二階堂壮也

 画面の中で人が死ぬ時、現実の人間はまず再生ボタンを探す。

 嘘か本当か。

 フェイクか生配信か。

 演出か事件か。

 その判断をする前に、人は画面を見てしまう。

 見てから考える。

 考えてから止めるのではない。

 その順番が、いつも何かを少しだけ遅らせる。

     *

 二階堂壮也が最後に確認されていたのは、警視庁本部の地下駐車場につながる通用口付近だった。

 防犯カメラの映像には、午後六時二分、二階堂がスマートフォンを見ながら廊下を歩く姿が映っている。左手にタブレット、右手にスマートフォン。少し首を傾げ、画面に目を落としながら歩いていた。

 足取りに乱れはない。

 誰かから逃げている様子もない。

 ただし、午後六時三分の映像では、二階堂は死角に入る。

 午後六時四分の別角度カメラには、もう映っていなかった。

 その死角は、たった二十秒ほどの空白だった。

 だが人ひとりを消すには、十分すぎた。

 真壁彰は、防犯カメラ映像を三度見た。

 四度目を再生しようとしたところで、隣にいた若い捜査員が言った。

「真壁さん、もう一度、別角度を」

「出せ」

 モニターが切り替わる。

 地下駐車場。

 公用車の列。

 蛍光灯。

 柱。

 非常階段へ続く扉。

 その扉が、一瞬だけ開いている。

 誰かが出入りしたのか。

 風圧か。

 偶然か。

 映像だけでは分からない。

「非常階段のカメラは」

「ありません。階段内は死角です。出入口の外側にもカメラはありますが、午後六時二分から五分まで映像が飛んでいます」

「飛んでいる?」

「ノイズです。映像が乱れています。原因は確認中です」

 真壁は拳を握った。

 まただ。

 柏木修一の大学でも、カメラの記録が十二分間失われていた。森下裕介の現場でも、雑居ビルの出入口カメラに短い欠落があった。

 犯人はカメラを完全に消しているのではない。

 必要な部分だけ、見えなくしている。

「二階堂警部補が、自分から非常階段へ入った可能性は?」

 別の捜査員が言った。

 真壁は映像を見たまま、低く答えた。

「ある」

 力ずくで拉致されたとは限らない。

 誰かに呼び出されたのか。

 警察関係者を装った人物に声をかけられたのか。

 広報課の人間として、急ぎの問い合わせだと偽られたのか。

 二階堂は軽い男ではあるが、警戒心が薄い男ではない。まして今は、《WAIT》が警察関係者を名指しし始めた直後だった。

 その二階堂を、騒ぎもなく死角へ誘導した。

 それだけで、相手は二階堂が反応せざるを得ない何かを持っていたことになる。

「本部内に協力者がいる可能性は」

 捜査員が言った。

「まだ分からない」

 真壁は即答を避けた。

 考えたくない可能性だった。

 だが、考えないわけにはいかない。

 警視庁本部の通用口から、二階堂が消えた。

 それだけで十分に異常だった。

 捜査本部は騒然としていた。広報課、刑事部、サイバー対策、警備。各部署の人間が、同時に動いている。人が多すぎるせいで、かえって情報の流れが濁っていた。

 誰が最後に二階堂を見たのか。

 どこへ向かったのか。

 誰かと会う予定があったのか。

 彼の端末はどこで途切れたのか。

 《WAIT》公式を名乗るアカウントは、なぜ「警察関係者」と書いたのか。

 そして、真壁へ送られてきた画像は、どこで撮られたのか。

 真壁は画像をもう一度開いた。

 椅子に縛られた二階堂。

 顔には傷。

 口元に血。

 背景には古いビールケース。

 壁は薄汚れ、ところどころ剥がれている。

 頭上には安い裸電球のような照明。

 画像の下に、白い文字が添えられている。

 警察広報による苦しみを確認しました。

 ご案内対象:二階堂壮也。

 まもなく特別案内を開始します。

 警察広報。

 真壁はその言葉を見て、奥歯が軋むほど噛みしめた。

 二階堂は、広報の言葉で人を守ろうとしていた。

 その二階堂が、今度は言葉によって裁かれる側に置かれている。

 犯人は分かってやっている。

 人の役割を剥ぎ取り、反転させ、見出しにする。

 九条雅紀を殺人犯にした時と同じだ。

「真壁さん」

 別の捜査員が駆け込んできた。

「配信が始まりました」

 真壁は顔を上げた。

「どこだ」

「動画配信サイトです。ミラーもすでに複数出ています。タイトルは――」

 捜査員はそこで言葉に詰まった。

 真壁は言った。

「読め」

「【特別案内】ご案内対象:二階堂壮也」

 部屋の空気が、音を立てずに凍った。

     *

 配信画面は、縦長だった。

 スマートフォンで撮影しているらしい。画質は高くない。映像は少し粗く、電波状況のせいか時々画面が滲む。それでも、何が映っているかは十分すぎるほど分かった。

 中央に椅子。

 その椅子に、二階堂壮也が縛られている。

 両手は後ろで固定され、胸元にもロープが回っていた。上着は脱がされている。白いシャツの襟元が乱れ、頬に擦過傷のような赤みがある。口元には乾きかけた血。頭は少し前に落ち、意識がはっきりしていないように見えた。

 背景にはビールケースが積まれていた。

 赤いもの、黄色いもの、ラベルの剥がれたもの。

 古いポスターが壁に貼られている。文字は滲んで読めない。

 床にはコンクリート。

 右奥に、使われていない冷蔵ケースのようなものがある。

 その手前には、古い配膳用のトレーが一枚、床に伏せるように置かれていた。

 画面の上部には、配信タイトル。

 【特別案内】ご案内対象:二階堂壮也

 その下に、視聴者数が表示されている。

 二千三百。

 三千八百。

 五千。

 七千。

 数字が増えていく。

 真壁はモニターの前に立ったまま、声を出せなかった。

 動画を止めたい。

 だが止めれば、居場所を特定する手がかりも失われる。

 配信を潰すことと、二階堂を救うことは、今この瞬間、同じではない。

「サイバー、発信元は」

「追っています。複数経由しています。即時特定は難しいです」

「難しいじゃない。やれ」

「やっています!」

 若い捜査員の声が裏返った。

 真壁は自分の焦りが周囲へ伝染していることに気づいた。

 だが、抑えられなかった。

 画面内で、誰かが動いた。

 黒いパーカー。

 黒い手袋。

 顔には白い仮面。ホームセンターで売られているような、無表情のプラスチック製の仮面だった。口元だけが笑っている。

 配信者は、カメラの前に立った。

『こんばんは』

 声は加工されていた。

 低く、ざらついている。性別も年齢もはっきりしない。

『ご案内係です』

 コメント欄が爆発した。

 本物?

 二階堂じゃん。

 これガチ?

 警察の人?

 通報した。

 もう警察見てるだろ。

 やめろ。

 これ本当に配信していいやつ?

 前の九条事件の人?

 本人ならまずいだろ。

 配信者は、コメントを見ているらしかった。

 仮面の顔が少し傾く。

『警察は、人を救う言葉を持っていません』

 加工声が響く。

『彼らが持っているのは、発表文です。確認中。捜査中。控えてください。慎重に。適切に。そんな言葉のあいだに、人は死にます』

 真壁は二階堂を見た。

 二階堂の頭がわずかに動いた。

 意識がある。

『でも、この人は言葉が上手い』

 配信者は二階堂の髪を掴み、顔を上げさせた。

 真壁の中で、何かが切れそうになった。

 二階堂の目は半分開いていた。焦点は合っていない。薬を使われたのか、殴られたのか。唇が乾いている。だが、呼吸はしている。

『警視庁広報課、二階堂壮也さん』

 コメントがさらに流れる。

 名前出した。

 本名じゃん。

 二階堂さんガチ?

 やめろ。

 広報の人って前の九条事件の?

 え、知ってる。

 これネタなら悪質すぎる。

 ネタじゃないだろ、血出てる。

 配信者は二階堂の耳元で言った。

『あなたの言葉で、人が死にました』

 二階堂の口元が、わずかに動いた。

 音声が拾った。

「……雑だな」

 真壁は息を呑んだ。

 二階堂は、ゆっくりと顔を上げた。

 目はまだ濁っている。

 だが、口だけは動く。

「主語が……大きい」

 配信者の動きが止まった。

 コメント欄が一瞬、別の意味で沸いた。

 しゃべった。

 生きてる。

 本人だ。

 こんな時まで。

 やめろ、もう。

 警察早く。

 配信者は二階堂の顎を掴んだ。

『黙れ』

 二階堂は目を細めた。

「……台本、下手だな」

 その声はかすれていた。

 だが、確かに二階堂の声だった。

 真壁は拳を握った。

 生きている。

 まだ、いつもの二階堂が残っている。

 だからこそ、早くしなければならない。

     *

 江口桜次郎は、職員室の端末でその配信を見ていた。

 見ないほうがいい。

 そう分かっていた。

 だが、見ないわけにはいかなかった。

 警察からは、学校周辺の噂や地元情報に関する書き込みがあれば共有してほしいと言われていた。生徒には絶対に見せないこと。画面を教室に持ち込まないこと。未確認の内容を口外しないこと。

 その条件で、江口は職員室の端末から配信とコメント欄を確認していた。

 職員室には数人の教師が残っている。校長、教頭、五十嵐、養護教諭、そして江口。生徒たちは教室で待機している。一部は保護者とともに帰宅したが、《WAIT》に関係する可能性のある生徒たちは、警察の指示で学校に残っていた。

 江口は配信画面を見ながら、唇を噛んでいた。

 自分のスマートフォンに送られてきた、二階堂の端末からの偽メッセージ。

 ――悪い、ちょっとご案内されてくる。

 あれを見た瞬間から、胃の奥が冷たくなっている。

 二階堂なら、ああいう軽口を言いそうだ。

 だからこそ、違う。

 江口は高校時代から知っている。

 二階堂は本当に危ない時ほど、ふざけない。

 ふざける余裕を残すのは、他人を安心させるためだ。

 だが、助けを求める時は正確になる。

 あのメッセージは、二階堂の真似をした誰かの言葉だった。

 軽さだけを写して、中身を知らない。

「江口先生」

 五十嵐が横に立っていた。

「生徒には見せないようにしています」

「お願いします」

「でも、もう何人かは知っています。SNSで回っているようです」

 江口は目を閉じた。

 早すぎる。

 犯人は、二階堂を縛っただけではない。

 二階堂という人間を、見世物としてネットに放り込んだ。

 前の事件で、九条雅紀の名前が勝手に歩いたように。

 今回は、二階堂壮也の身体そのものが、画面の中を歩かされている。

 職員室の扉が少し開いた。

 養護教諭に付き添われて、小野寺美咲が立っていた。

 江口は反射的に端末の画面を伏せた。

「小野寺、教室にいろって言っただろ」

「すみません。廊下で泣き出してしまって」

 養護教諭が小声で言った。

「トイレに立ったあと、そのまま職員室のほうへ来てしまったようです」

 美咲は江口だけを見ていた。

「先生」

 美咲の声は震えていた。

「二階堂さん、死んじゃうんですか」

 江口は一瞬、答えに詰まった。

 誰かがまた名前を持ってきた。

 死ぬかもしれない人間の名前を、子どもが怯えながら口にしている。

 美咲は、すでに母親を殺されるかもしれない恐怖を味わっている。

 その上で、今度は別の大人が画面の中で殺されようとしている。

 江口は立ち上がった。

「死なせないように、大人たちが今すごく嫌な汗をかいています」

「でも、警察の人でも捕まるんですか」

「警察の人も人間なので、捕まることはあります」

「じゃあ先生も?」

 美咲の目が江口を見ていた。

 江口は笑おうとした。

 だが、うまく笑えなかった。

「先生は運動不足なので、捕まったらたぶんすぐ息切れします」

「ふざけないでください」

 美咲の声が少し強くなった。

 江口は口を閉じた。

 ふざけている場合ではない。

 それでも、ふざけなければ崩れる場面がある。

 だが、生徒はもうそれを許さないところまで怯えている。

「ごめん」

 江口は言った。

 美咲は驚いたように目を見開いた。

「先生も怖い」

 江口は続けた。

「でも、怖いからこそ、勝手に見ない。勝手に広げない。勝手に死んだことにしない。今できることは、それです」

 美咲は唇を噛んだ。

「でも、みんな見てます」

「だから、見ない人が必要です」

 五十嵐が静かに美咲のそばへ行った。

「教室に戻ろう。二階堂さんのことは、先生たちが確認する。君たちは、自分たちを守る時間です」

 美咲は頷いた。

 五十嵐に付き添われて出ていく直前、振り返った。

「先生」

「はい」

「二階堂さん、生きてるって言ってください」

 江口は息を吸った。

 根拠はない。

 だが、言わなければいけない時がある。

「生きてる」

 美咲は小さく頷いた。

 扉が閉まる。

 江口は端末を戻した。

 画面の中で、二階堂は椅子に縛られたまま、わずかに顔を上げていた。

 配信者が何かを叫んでいる。

 江口には、その言葉よりも、二階堂の口元の動きのほうが気になった。

 何かを言っている。

 音声には拾われていない。

 江口は画面に顔を近づけた。

 二階堂の唇が、ほんの少し動く。

 ――見るな。

 そう読めた気がした。

 見るな。

 広げるな。

 俺を見世物にするな。

 江口は拳を握った。

「にか」

 声が漏れた。

 その呼び方をしたのは、久しぶりだった。

     *

 九条雅紀は、捜査本部のモニターから一歩も動かなかった。

 周囲は慌ただしい。真壁は現場指揮、サイバー班は発信元解析、広報は配信停止要請、警備は本部周辺の確認に追われている。誰もが動いていた。

 九条だけが、止まっているように見えた。

 だが、彼の視線は忙しく動いていた。

 二階堂の顔。

 頸部の角度。

 呼吸の周期。

 肩の上下。

 手指の色。

 瞳孔の反応は映像では不明。

 意識レベルは低いが、会話への反応はある。

 薬物の可能性。

 頭部外傷。

 出血量。

 頬の傷の位置。

 口唇の乾燥。

 拘束の強さ。

 胸部圧迫の有無。

 画面内の二階堂は、死体ではない。

 それが九条の最初の結論だった。

 まだ生きている。

 問題は、いつまで生きていられるかだった。

「九条先生」

 若い刑事が声をかけた。

「配信者が何か持っています」

 画面の中で、仮面の人物が足元に視線を落とした。

 そこには、古い配膳用のトレーが転がっていた。宴会場で使われていたものだろう。銀色の表面はくすみ、縁の一部が歪んでいる。ビールケースの横に無造作に立てかけられていたものを、配信者は乱暴に掴み上げた。

 軽い金属音が、配信のマイクに拾われる。

 コメント欄が加速した。

 やめろ。

 何持ってる?

 トレー?

 頭はだめだ。

 警察止めろよ。

 これ演出だろ?

 演出でもアウト。

 逃げられるわけないだろ。

 配信者が言った。

『警察の言葉で人が死んだ。だから今日は、警察の言葉を壊します』

 二階堂がかすれた声で言った。

「……比喩が、下手」

 配信者の肩が震えた。

 怒りだ。

 九条はその動きも見ていた。

 配信者は、予定通りに進めたい。

 二階堂の軽口が、演出を乱している。

 だから苛立つ。

 人を殺すことに慣れた犯人なら、ここで反応しない。

 予定外の言葉に怒るのは、自分の脚本を大事にしている証拠だ。

 配信者はトレーを振り上げた。

 真壁の声が室内に響いた。

「やめろ!」

 もちろん、画面の向こうには届かない。

 トレーが振り下ろされた。

 金属の乾いた音が響いた。

 二階堂の頭が横へ揺れ、椅子ごと身体が大きく傾いた。トレーは床に跳ね、派手な音を立てて転がる。画面がわずかにブレた。二階堂はそのまま前へ崩れるように項垂れた。

 コメント欄が爆発した。

 今のは無理。

 頭に入った。

 やばいやばいやばい。

 これ本当に死んだんじゃ。

 動いてない。

 警察何してんの。

 もう止めろ。

 これ殺人配信だろ。

 見てる場合じゃない。

 でも見ないと分からない。

 配信者は荒い息をしていた。

『ご案内は続きます』

 二階堂は動かなかった。

 室内の誰かが小さく悲鳴を上げた。

 真壁がモニターに詰め寄る。

「九条!」

 九条は画面を見続けていた。

 衝撃の方向。

 打撃部位。

 椅子の揺れ。

 二階堂の肩。

 呼吸。

 映像は粗い。

 だから断定はできない。

 だが、見えるものはある。

 トレーは重い凶器ではない。打撃は頭頂部を潰すようなものではなく、側頭部から頬にかけて斜めに入っている。音は派手だが、金属の薄い板が跳ねる音だ。致命傷を狙った一撃というより、苛立ちに任せた衝動的な殴打に近い。

 それでも、危険でないわけではない。

 二階堂はすでに薬物を使われている可能性がある。拘束され、脱水し、頭部にも外傷がある。そこに衝撃が加われば、意識を失ってもおかしくない。

 だが。

 胸が、かすかに上下している。

「生きている」

 九条は言った。

 真壁が振り返った。

「何?」

「二階堂は生きている」

 九条の声は、いつもより少しだけ早かった。

「今の一撃で即死した可能性は低い。意識は落ちたかもしれない。だが、呼吸がある」

「根拠は」

「胸郭の動きが残っている。打撃の角度も、致命的な頭蓋損傷を起こすものとは限らない。映像だけで断定はしない。ただ、少なくとも死んだと決めつける映像ではない」

 真壁は息を吸った。

 九条は続けた。

「二階堂は生きている。少なくとも、今は」

 その言葉で、部屋の中の何かがわずかに戻った。

 完全な安堵ではない。

 だが、死んだと思い込むよりはずっといい。

「九条」

 真壁が言った。

「映像から分かることを全部言え」

「背景音がある」

「音?」

「冷蔵ケースのモーター音に似ている。低く一定の振動音。ただし、稼働中の店舗ほど安定していない。古い機械か、別の機器かもしれない」

「場所は」

「これだけでは分からない」

「他には」

「湿度が高い。二階堂の髪が少し湿っている。床の反射もある。地下、あるいは水回りが近い可能性」

「地下か」

「断定はしない」

「それはもういい」

 九条は画面を見たまま言った。

「配信者は、今の一撃で二階堂を殺そうとしたというより、二階堂に黙らせられなかった自分に腹を立てている」

「つまり」

「脚本を乱されている。だから危険だ」

 二階堂が画面の中で、かすかに動いた。

 九条はそれを見逃さなかった。

「まだ呼吸がある」

 真壁はモニターを睨みつけた。

「場所を特定する」

 その声は、静かだった。

 静かすぎるほどだった。

     *

 配信は止まらなかった。

 歪んだ配膳トレーが床に転がったまま、二階堂は項垂れている。配信者はカメラの前へ戻り、視聴者数を確認しているようだった。

 視聴者数は、十万を超えていた。

 ミラー配信、切り抜き、録画、スクリーンショット。

 止めても止まらない速度で増えていく。

 二階堂壮也が殴られる瞬間は、すでに複数の角度ならぬ複数の文脈で拡散されていた。

 警察広報がご案内対象に。

 《WAIT》が警察へ特別案内。

 二階堂死亡か。

 警察内部から拉致?

 九条事件の関係者、また巻き込まれる。

 見出しが勝手に生まれていく。

 犯人が望んだ通りに。

 江口の学校でも、生徒たちのスマートフォンが震え続けていた。教師たちは回収と説明に追われている。見た生徒は泣き、見ていない生徒は見ようとし、見ないように言われた生徒ほど検索する。

 美咲は教室で机に伏せていた。莉央は安未果と電話で話したあと、泣き疲れて保健室にいる。安未果は警察官に付き添われて学校へ戻る途中だった。

 誰もが、何かの被害者になりかけていた。

 午後六時四十七分。

 配信者が再び画面中央に立った。

『皆さん、たくさんのご視聴ありがとうございます』

 加工声が不快に響く。

『警察は今、必死にこの場所を探しています。ですが、正義はいつも遅い。言葉はいつも遅い。助けはいつも遅い』

 コメント欄が流れる。

 じゃあお前は何なんだよ。

 殺人犯が正義語るな。

 でも警察遅いのは事実。

 二階堂さん動いてない。

 救急呼べよ。

 場所どこ。

 背景から特定班はよ。

 ビールケースどこの?

 壁のポスター見えない?

 冷蔵ケースある?

 地下っぽくないか。

 真壁はそのコメントを横目で見た。

 犯人も見ている。

 ならば、コメント欄は危険でもあり、手がかりでもある。

 配信者は言った。

『次のご案内まで、あと三十分』

 画面の隅に、カウントダウンが表示された。

 00:30:00

 数字が減り始める。

 00:29:59

 00:29:58

 00:29:57

 真壁は低く言った。

「三十分以内に見つける」

 誰も返事をしなかった。

 返事をする余裕がなかった。

 九条は画面を見たまま、静かに言った。

「二階堂の呼吸が浅くなっている」

 真壁の視線が鋭くなる。

「危ないのか」

「薬物、頭部打撲、拘束による循環障害、脱水。どれもありうる。時間が経つほど危険だ」

「三十分もつか」

「保証はできない」

 九条らしい答えだった。

 だが、その声にはいつもの平坦さだけではないものが混じっていた。

 焦り。

 九条雅紀が、焦っている。

 真壁はそれを見て、かえって腹を決めた。

「サイバー、コメント欄を全部拾え。地元情報、背景の特定、音、ポスター、ケース、何でもいい。鑑識、画像を補正しろ。古い宴会場、閉店済み居酒屋、地下店舗、ビールケース、冷蔵ケース、都内全域で候補を出せ」

「了解」

「江口にも映像の地元コメントを拾わせる。学校周辺の可能性も捨てるな」

 真壁は電話をかけた。

 江口がすぐに出た。

『はい』

「配信を見ているな」

『見たくないけど、見てます』

「コメント欄を追えるか。地元民らしき書き込み、建物に関する情報だけ拾え。生徒には見せるな」

『了解』

「二階堂は生きている」

 真壁は先に言った。

 電話の向こうで、江口が息を吸うのが分かった。

『九条先生が?』

「そう見ている」

『なら、生きてますね』

 江口は即答した。

 その信頼の速さに、真壁はわずかに目を伏せた。

「三十分以内に見つける」

『やる』

 通話が切れた。

 真壁はモニターへ向き直った。

 配信画面の中で、二階堂はまだ項垂れている。

 カウントダウンは進んでいた。

 00:27:12

 時間は、目に見える形で失われていく。

     *

 画面の向こうで、二階堂壮也はかすかに意識を取り戻していた。

 頭が重い。

 痛みは遅れて来る。

 最初に来たのは、吐き気だった。

 舌の上に鉄の味がある。

 口の中が切れている。

 頬が熱い。

 側頭部に鈍い痛み。

 手首が痺れている。

 胸にロープが食い込み、呼吸が浅くなる。

 視界はぼやけていた。

 正面に黒いものがある。

 カメラだ。

 見られている。

 それだけは、すぐに分かった。

 どこかでコメントの流れる音がしている。

 読み上げ機能か。配信者が視聴者の反応を確認しているのか。

 死んだ。

 やばい。

 生きてる?

 二階堂さん。

 壮也さん。

 警察。

 広報。

 特別案内。

 単語が、耳の奥で混ざる。

 二階堂は笑いそうになった。

 死んでもいないのに、もう死んだことになっている。

 九条の時と同じだ。

 世間は事実より先に、見出しを決める。

 生死ですら、画面の中では多数決になる。

 冗談じゃない。

 二階堂はゆっくり息を吸った。

 胸が痛む。

 配信者が何か言っている。

『ご案内対象者。最後に、何か言いたいことはありますか』

 最後。

 便利な言葉だ。

 言う側が勝手に終わらせられる。

 二階堂は顔を上げようとした。

 首が重い。

 視界の端で、赤い数字が減っている。

 カウントダウン。

 00:26:03

 あと二十六分。

 何をする気だ。

 殺す気か。

 殺したように見せる気か。

 どちらでもいい。

 今やるべきことは、ひとつだ。

 情報を残す。

 二階堂は乾いた唇を動かした。

「……広報から、一言」

 配信者が近づいた。

『どうぞ』

 二階堂は、画面の向こうに真壁がいると信じた。

 九条が見ていると信じた。

 江口が、たぶん馬鹿みたいな顔で画面にかじりついていると信じた。

 なら、言葉は届く。

 たとえ犯人に意味が分からなくても。

「……酒は、冷えてない」

 配信者が首を傾げた。

『何?』

「……ここは、店じゃない」

 声がかすれる。

 配信者の手が二階堂の髪を掴んだ。

『黙れ』

 二階堂は薄く笑った。

「……あと」

 視界の端に、壁のポスターが見えた。

 剥がれかけた文字。

 古い宴会プラン。

 掠れた地名の一部。

 読めない。

 だが、匂いがする。

 湿った床。

 古い冷蔵ケース。

 使われていない宴会場。

 遠くで水の流れる音。

 二階堂は最後の力で言った。

「……地下の、匂いがする」

 配信者が二階堂の腹を殴った。

 息が詰まる。

 視界が白く弾けた。

 コメント欄がまた騒ぐ。

 何言った?

 酒は冷えてない?

 店じゃない?

 地下の匂い?

 ヒント出してる?

 殴られた。

 やめろ。

 警察拾え。

 拾ってくれ。

 配信者は二階堂の顔をカメラに向けた。

『見てください。これが警察の言葉です。最後まで、何の役にも立たない』

 二階堂は目を閉じた。

 違う。

 役に立つ。

 言葉は、届く相手にだけ届けばいい。

 そこで意識が、再び深く沈んだ。

     *

 真壁は叫んだ。

「今の拾え!」

 すでに全員が動いていた。

 酒は冷えてない。

 ここは店じゃない。

 地下の匂いがする。

 九条が言った。

「冷蔵ケースは映っているが、稼働音が不安定。実際の店舗営業中ではない可能性が高い」

 若い捜査員が叫ぶ。

「コメント欄でも地下、閉店店舗、宴会場の書き込みが増えています」

 別の捜査員。

「背景のポスターを補正しています。文字が一部読めます。『宴会』『飲み放題』『川……』」

「川?」

「川の字が見えます」

 真壁のスマートフォンが震えた。

 江口から。

『真壁さん、コメントで拾いました。地元民っぽいアカウントが、“この壁、昔のカラオケ宴会場っぽい。川沿いの地下にあった店じゃないか”って』

「場所は」

『まだ。ただ、コメントに店名候補が三つ出ています。スクショ送ります』

 画像が届く。

 真壁はすぐに捜査員へ転送した。

「候補を当たれ。閉店済み、川沿い、地下、宴会場、古い冷蔵ケース。ビールケースが残っている物件。すぐだ」

 九条が画面を見た。

 二階堂は項垂れたまま動かない。

 カウントダウン。

 00:22:41

 真壁はモニターを睨んだ。

「待ってろ」

 それが二階堂に届かないことは分かっている。

 それでも言わずにはいられなかった。

 画面の中で、配信者は楽しそうに視聴者数を眺めている。

 十五万。

 十八万。

 二十一万。

 人が増えていく。

 見ている人間が増えていく。

 そしてその数だけ、犯人は自分が大きくなったと錯覚する。

 真壁は、ようやく犯人の輪郭を掴み始めていた。

 これは処刑ではない。

 復讐でもない。

 正義でもない。

 舞台だ。

 犯人は、二階堂を殺したいのではない。

 二階堂が殺されるところを、見せたいのだ。

 いや、もっと正確に言えば。

 それを見せている自分を、見てほしいのだ。

 モニターの中で、配信者が仮面をカメラへ近づけた。

『皆さん、次のご案内まで、あと二十分です』

 画面の端で数字が減る。

 00:20:00

『警察が間に合うか、見届けましょう』

 真壁は静かに息を吐いた。

 今すぐ画面を叩き割りたかった。

 だが、画面の中に二階堂がいる。

 だから見続けるしかない。

 その時、捜査員が叫んだ。

「候補、ひとつ絞れました!」

 真壁が振り返る。

「どこだ」

「墨川沿いの閉店済み宴会場です。地下にカラオケ付きの大広間。三年前に閉店。現在は空き物件。外観写真に、似た非常口表示とビールケースが写っています」

「住所」

 捜査員が読み上げる。

 真壁は無線を取った。

「近隣の捜査員、機捜、全員向かわせろ。突入準備。救急も呼べ」

「了解」

 九条が言った。

「堀島を呼ぶ」

「何?」

「二階堂の状態が分からない。現場で処置できる医師が要る」

「呼べ」

 真壁は走り出した。

 背後のモニターでは、カウントダウンが進んでいた。

 00:19:32

 00:19:31

 00:19:30

 画面の中の二階堂は、まだ動かない。

 配信者は、仮面の奥で笑っているように見えた。

 そしてコメント欄では、誰かが書いていた。

 間に合え。

 間に合え。

 間に合え。

 祈りのような言葉が、何百、何千と流れていく。

 だが真壁は知っている。

 言葉だけでは、人は救えない。

 誰かが走らなければならない。

 誰かが扉を破らなければならない。

 誰かが、生きている身体を画面の中から引きずり出さなければならない。

 真壁は階段を駆け下りた。

 スマートフォンが震える。

 新しい通知。

 《WAIT》の公式を名乗るアカウントが、また投稿していた。

 ――ご案内は、予定通り進行中です。

 ――次は、もっと近い人をお呼びします。

 真壁は足を止めなかった。

 だが、その一文は胸に残った。

 もっと近い人。

 誰にとって近いのか。

 警察にとってか。

 二階堂にとってか。

 江口にとってか。

 答えは、まだ分からない。

 ただひとつだけ分かっていることがあった。

 犯人はもう、画面の向こうの人間だけを見ていない。

 こちら側を、見ている。


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