アクナス修練堂-少年エルガー
獣脚人ダオン・ジョンシャーを逃走せしめ、砥ぎ師の娘、ノーニャを救い出すことに成功したエルガー。年下の少年の成し得た功績にエルメ、セリナ、リヨルは感心するとともに好奇心は抑えきれない。
研師の馬車が緩やかなスロープの向こうに姿を消すと、エルメ、セリナ、リヨルの好奇心が鋭く自分に向けられているのをエルガーは感じ取っていた。オーグはまだあの不思議な状態を保っているようだ。出会ってそれほど時間のたっていないセリナ、リヨルは遠慮をしていたが、聞きたいことは胸の内に山積みになっていたのはエルメと同じであった。
なぜあの獣脚人が井戸の中にまだいると思ったのか、あのノーニャという女の子とどういった関係なのか、どこでどうやって薬草の知識を身につけたのか、なぜ叔母の所にいるのか、そして最後は獣脚人、ダオン・ジョンシャーの豪剣を打ち払ったあの技、あれは何なのか。
とめどなく溢れ出す質問の嵐を困り顔で受け流していたエルガーだったが、流石に堪えきれなくなったのか
「わかったわかった、答えられるものだけ教えるよ」
と遮った。エルガーが道具類を革鞄に入れ自分のラバに載せると、手綱を握った四人はアクナス修練堂目指して歩き始めた。
まず、あの井戸の中に逃走したダオンがまだ潜んでいる、と判断した理由。
研師の男はなかなか気構えのしっかりした者で、緊急の事態に備えていた。というのも仕事柄、お客から預かるタルツには世に名高い業物、その家の伝家の宝刀とされるもの、高名な刀鍛冶の鍛えた物、高額な刀装が施されたものなど、悪心を抱く者どもにとって垂涎の的となるものがある。
お預かりのタルツは堅牢な作りの蔵に仕舞ってあるが、大切な家族はそうはいかない。家族、使用人を人質に取られてしまった場合には、賊の指示に従う他は無い。そこで避難部屋を設けてあり、緊急事態であることを辺り近所に知らせる警報もある。入り口は家のそこかしこに備えてあり、家のものだけが知っている。
が、戦禍や火災となれば話は変わってくる。避難部屋にこもっていては助けを期待するばかりになってしまう。そこで避難部屋から地下通路へ逃げ道が造られている。枯れた古代の地下水は、堂下町家では避難路として多く使われている。研師の家ではさらに用心をして、通路の出口、あの井戸の下に隠し部屋を作っていた。そこに避難生活に必要な物資を備えていたのだ。
エルガーは以前からノーニャの治療を行なっていた。
当然のように初めは町の医者にかかっていたのだが、この医療所に薬草を収めていたエルガーに町医から声がかかった。かねてより薬草の知識が豊富なだけでなく、ある程度の治療の知識まであるエルガーの力をこの医者は見抜いていた。患者の名を伏せたまま、ノーニャの病状を詳しく伝え、エルガーなら治療をどう進めるか尋ねた。答えはこの医者の期待のままだった。
6歳になるノーニャは、利発な子でよくエルガーに懐いた。月日が経つうちにエルガーの陰日向の無い振る舞いに心許したのか、研師をはじめ家族皆が色々と話をするようになったのは自然な事だった。エルガーの話す、森に自生する不思議な植物、動物、宙を泳ぐ浮魚、そして精霊の話にノーニャは夢中になった。
アリ型知性族、ミルマイシナ族が作る巨大な洞窟の話をエルガーがしているとき、研師の家族が備えていた避難経路の話をノーニャがし出した。避難経路の出口の井戸、通路の突き当たりにある井戸穴の向かい側には隠し扉があり、避難物資倉庫がある、と。エルガーは誰にも口外しない事を約束し、詳しい事をその場にいたノーニャの母親から聞いて知っていた。
ノーニャが獣脚人ダオンに攫われ、姿を眩ました。駆けつけた警邏隊に囲まれていた母親は、潤んだ瞳に身体を振るわせ必死に説明をしていた。遠目からその姿を見ていたエルガーを見つけると、研師の妻は何かを訴えるように強い眼差しをエルガーへ送ってきた。
全てを理解したエルガーは、準備を整えあの井戸へと向かったのだった。脅された上に娘の身を心配した母親は、あの隠し部屋のことをダオン・ジョンシャーに教える意外に選択肢はなかったのであろう、と。
それにしても、とセリナは思う。ノーニャというあの研師の娘の発作を想定して、器具を組み立て吸入の準備までしていたエルガーの機転といい、その薬草に関する知識といい、歳にそぐわぬ振る舞いに驚いた。どういった経歴でそうなるのか出自が気になる。先を急かさないように、と思ったがエルメがその気持ちを読み取ったかのように
「まあ、年下の割には随分と気転が効いていたわね。これまでどこでどんな暮らしを送っていたのか、聞いてあげてもいいわよ」
これまで猜疑心からこの少年との距離を保ったままでいたエルメであった。しかし、その反動からなのか、見事なまでの腕前と少女への献身的な態度に心許したのか不自然なほど距離を縮めようとしていた。
エルガーは、自分の幼少期を過ごした場所を詳しくは語らなかった。が、想像を絶するほど深い森にある女王の治める国で育ったようであった。
そこに暮らす人々は、木々の声を聞き、草花の歌を聴くことができるという。エルガーはそこで暮らすうちに自然と薬草の知識を身につけたらしい。その誰にも知られぬ国で、誰にも知られぬ時に戦が起こったという。エルガーは九歳にして、戦下に身を置くことになった。老若男女を問わず国民の全てが生き残るためにだけに生きた。エルガーに割り振られた役割は採集隊薬草班。
「なるほど、それであれ程の見事な水結層を張れるように」
リヨルが関心したように呟いた。気配とは生体活動が引き起こす電磁波である。よく懐いた愛玩動物たちは日頃から飼い主の生体波紋(固有の電磁波のパターン)を記憶している。だから離れた場所でも飼い主の生体波紋を判別し、その帰宅を察知することができるのだ。生体波紋を受信している主な器官は耳であり、補助器官として体表を覆う羽毛、鱗、体毛がある。何らかの異変を感知した際に全身の毛が逆立つのは、より感度を上げようとする防衛反応である。
オーグを展開し、水蒸気、または水があれば気化させ回転運動を与えたものが水結層である。極性を持つ水分子は生体波紋を散乱させ、気配を限りなく無に近づける。
しかし、事に当たって咄嗟に気配を消しすぎるのは、初学の者が陥りがちな落とし穴である。エルガーの見せた水結層は、バックグラウンドに生ずる自然界の生体波紋と見事に調和する熟練者のものであった。
3人は気づいてしまった。『つまりはそれだけ卓越した技術を身につけなければ生き残れないような、厳しい状況を潜り抜けてきた』ということに。
「でも、それだけでは説明にならないわよ。あの風に舞う木の葉のような剣は何。あれをどこで学んだの」
エルメは心中穏やかでなかった。何気ない風を装ったが幾分語気が強まっていた。
『あれはいつぞやお祖父様の見せた不思議な型、それをなぜこのエルガーが』
強い眼差しを向けるエルメを横に、セリナとリヨルはほんの一瞬だけ視線を交わした。エルメは今『学んだ、と言った』。ではエルメにとってあの技は初見では無いことになる。
ダオン・ジョンシャーは規則を犯してまで領内に忍び込むだけのことはある。あれほどまでに鍛錬を積み重ねた剣士であったことは、エルメ、セリナに分かっていた。エルガーに向かって振り下ろした三節剣、獣脚人の巨体から繰り出されたあの重剣には、力みの無いしなやかさのある、しかし十分に剣の重心を乗せた見事な打ち込みであった。それをエルガーは片手打ちに跳ね除けた。
あの舞うような動きをみた時、セリナはある思いを持った。どこかで見た、何かを彷彿とさせる動きであると。セリナからその時の少年の太刀筋を伝えられたリヨルも同じ思いを持ったのかもしれない。それが何なのか定かにならないのがもどかしいのだが、確かに見た記憶がある、と。エルメの言葉から推測するにエルメも同じ思いを持ったらしい。
エルメの問いを聞いたときの、エルガーの眼差し。それは言いようのない悲哀を映し出していたのをセリナは感じ取っていた。
「あの小太刀の技は・・・」
白い石積みの街並み。通り沿いには小綺麗な商店街が軒を連ねている。前を向きながら話を聞いていたリヨルの視界の隅に、入り口に掛る屋根の支柱に紛れて太く歪な柱がちらりと見えた。一同がそれを越えたところで、問いに答えようとエルガーが皆を振り返った。するとエルガーの全身の感覚が消えた。




