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アクナス修練堂-騒動の落着

エルガーに突然訪れたワールの異常。オーグが伝えてくる繊細な情報に導かれるように獣脚人ダオン・ジョンシャーに一撃を入れたエルガーは、攫われた少女を抱えたまま枯れ井戸に飛び込んだ。

 右脚の痺れは急速に収まり後を追うように井戸を覗き込んだとたん、獣脚人が今度は己が大きく後方へ飛びさすることとなった。突き出た顎から鼻にかけて手で押さえた。押さえた手の隙間を伝って、ドス黒い血が滴り落ち一枚の石畳を染める。


 獣脚人ダオンを襲ったのは、井戸の上にすっくと立つ影が捧げ持つ一刀であった。少年ではない。小屋根の下に見えるのは細身ではあるが大人の身長を持つ影であった。


この光景を目にしたエルメの口から、


「ナギヤ・モンドール」


という名がこぼれた。


二人は加勢すべく走り出していた。


グッコッコッコッコ・・・困惑を示す唸り声。

 

 「アクナス修練堂師範代、ナギヤ・モンドールと申す。ダオン・ジョンシャー殿。自治都市コスクスから通達が来ています。家来どもは手当を施して帰しました。どこぞで貴殿を待っていることでしょう。今はこのまま見逃しいたします。が、次はありませんぞ。それともここで決着をお付けになりますか」


ナギヤ・モンドールの修練堂を一瞬にして黙らせる野太い声が斬りつけるように響いた。ナギヤは間を置かず井戸の縁から飛び降りると、タルツを手にダオンに近づいてゆく。


全身から発するナギヤの覇気に気圧されたのか、ダオンは一歩引き下がる、とそのまま続けて二歩三歩と後さずり、背中を見せると大きく跳躍して広場を突っ切り、斜面を駆け上り向こうの藪へ飛び込んで消えた。


 空井戸に駆け寄る二人の女性の耳に、


「だれかーいますかー。この子を引っ張り上げてくださーい」


という、明るい声が届いた。井戸に上半身を突っ込んだエルメ、セリナは布に包まれた幼女を引っ張り上げ、急いで紐を解いた。続いてエルガーを引っ張り上げようと井戸に近づいたセリナは、飛び出してきたエルガーに驚いて仰け反った。


 セリナの目の前に現れたのは、キラキラと輝く瞳が印象的な男の子、いや、男性と表現したほうがふさわしてのか。四つほど年下と聞いたが、セリナには少し大人びているように見えた。


 瞳を囲う綺麗に弧を描く瞼と眉、高い鼻筋と愛嬌にある唇、栗色の髪が太陽に明るく輝いていた。


 

 目を見開いたセリナに真っ直ぐ近づいたエルガーは、視線を逸さぬまま


「ありがとう、ちょっとごめん」


そういうとセリナの脇をすり抜け


「エルメ、ちょっといい」


と言ってしゃがみ、ヒョイっと研師の娘を抱き抱えすっすっすっと元いた花壇のある場所へ早足に戻ってゆく。セリナは剣を修めるだけあって、エルガーの足運びに目を奪われた。抱き抱える少女の姿で足元は見えぬはずなのに、不揃いな石畳の上を滑るように進んでゆく。


剣を納めたナギヤの横をすり抜けながらエルガーが声をかける。


「ナギヤさん、鮮やかだったね」


「エルガー様こそ、よくぞ持ち堪えてくれました」


遠ざかるエルガーの背中に向かって


「これにて失礼します。誰か寄越しますか」


「いや、大丈夫。ナギヤさんは自分の仕事に戻って」


エルガーは後ろを着いてくる二人を振り返ると


「エルメは自分たちの馬を連れてきて」


「なんで呼び捨てなのよ」


そのとき小さく蹄の音がするとともに声がした。


「エルメ様ー、姉上ー」


二頭の亜竜馬を引き連れ斜面を下りながら馬上のリヨルが手を振っている。斜面の上に警邏隊数名の姿が見えたがナギヤが手を振ると、馬を連れた馬上の隊員一名だけを残し姿を消した。ナギヤはエルメに向かって会釈をし


「お嬢様、後で研ぎ師に迎えに来させます。それまで後をよろしくお願いいたします」


「ナギヤの働き、見事でした。きっと父上に伝えておきます」


「ははは、それは無用のことに。では」


エルメは円形広間の花台を回り込む。そこには用意していた敷き布に少女を下ろし台に背を持たせかけているエルガーの姿があった。携帯用の燃焼器具で湯を沸かしながら、てきぱきと器具に薬草を詰め込んでいる少年に声をかける。


「エルガー、私たち何をすればいい」


リヨルは亜竜馬3頭を井戸を覆う屋根の柱に繋ぐと、3人のいる池の中央に続く通路へ向かう。セリナは出迎えてリヨルがいなくなった後の経緯を伝えているようだ。エルメは水に浮かぶ通路をこちらへ向かってくる姉弟二人の素性をエルガーに明かす。


「エルメはあそこに見えるかな、僕のラバ(亜竜馬とロバの交雑種)から鞄を持ってきて。もしかしたらマルガ草を使うことになるかもしれない」


「あなた以外であいつに近づけるのは私しかいませんからね、まかせて」


そう言いながら、エルメは走り出していた。


「初めまして。我が名はエルガー。初対面のセリナ様、リヨル様には申し訳ありませんが、少し手伝って欲しいことがあります。よろしいですか」


「ええ、喜んで」「もちろん」


セリナは言葉を交わす前からこの少年に好感を持った。一言で言うと『行動する人』と表現できるだろうか。先走った行動ではなく、何か裏打ちされたような安定感のあるものをセリナは感じ取っていた。


花の寄せ植えからカサカサっと音がする。ピッピッピッ、と甘えを含んだような鳴き声が聞こえる。こんな至近距離から野鳥の声がするはずはない。


『そっちに行きたいけど、知らない人達が沢山いるから』


セリナにはなんとなくそう聞こえた。


「おいでファーナ。大丈夫だよ」


エルガーが優しく呼びかける。セリナの想像は正しかったようだ。携帯用木炭コンロの通風口を調節しているエルガーのプラチナシルバーの髪の毛に一度着地した鳥は肩にストンとたかった。まさにルリ朧であった。親しげにエルガーの耳に嘴を撫で付けている。


 その気品ある姿に我を忘れかけたセリナだったが、エルガーの声で我に帰った。


「この薬草を通した蒸気をこの子に吸わせたいのですが、この子の姿勢が安定しません。後ろから両腕を持ち上げ気味に支えてあげてください。リヨル様はこの吸入器の輪を持って・・」


エルガーの的確な指示に従い、準備が整った。始めのうちは激しく咳き込むことがあった少女は、蒸気を吸い込むたび段々と発作が落ち着き、呼吸は正常に戻っていった。疲れ切ってしまった少女は、今はセリナを背もたれにしてすやすやと気持ち良さげに眠っている。セリナは汗で額に張り付いた少女の前髪をそっと撫で剥がす。慣れてきたのかルリ朧のファーナがセリナの頭に乗った。


急いで戻ってきたエルメは、少女の落ち着いた様子に安心したのかドサリと鞄を下ろした。



「では、このルリ朧鳥はフルワ族から借りている、と言うこと」


「ある女性から連れて行きなさい、って言われてね。借りているといっても無期限の貸し出しみたいなものかな」


エルメが持ってきてくれた鞄に道具を詰め込みながらエルガーが答える。どの位置にどの道具が収まるのかわかっているようで迷いがない。堅苦しい言葉遣いが苦手だとエルガーが言うので、今は砕けた調子の会話となった。


セリナは想う。この少年・エルガーはフルワ族の国フルステン・パーライルにいたことがあるのであろうか。このエトワイル大陸最大の樹大洋(広大なる樹海)の奥深くにあるという、フルワ族の王国。精霊宿る世界樹を王として戴き、その預言者である大神官が統べる神秘の国。森と共に生きるフルワ族、薬草に詳しいエルガー、そこに繋がりがあるかもしれない。セリナは知らず知らず自分の鞄に手を当てていた。


 言葉を続けようとしたセリナの耳に、ジャラジャラと鎖の打ち合う響きと石畳を踏む蹄の音が聞こえてきた。振り返れば、幌のついた馬車が近付いてくる。少女の親、研師とその妻であろう。迎えにきたようだ。


 馬車が速度を落とし始めた途端、研師の妻は馬車から飛び降り走り出した。極度に興奮しているようすを見て取ったエルガーは通路に進み出ると、


「おばさん、落ち着いて。今眠ってます」


 「娘は、ノーニャは無事なの」


「大丈夫です、発作が起きたからいつもの薬気を吸わせました。ノーニャには刺激が強すぎる体験だっただろうから、今回は睡眠効果のある薬草も入れているんだ。深く寝てるけど、馬車でゆっくり運んであげて」


 ノーニャの父親とエルメが連れ立ってやってきた。エルガーは母親の手を掴んで小屋根の下へ誘うと、安らかな娘の寝顔を見せた。


研師の女房は膝をついて娘の顔を覗き込み、セリナが先程したように汗で額に張り付いた髪の毛をそっと剥がし撫でた。安堵と愛おしさに溢れるその仕草。一同はそれぞれ自分のしたことへ自賛を覚えた。ノーニャの母親はすっくと立ち上がり、決然とエルガーに近づくといきなり抱きしめた。両の腕が震えるほど力のこもった抱擁は、言葉にならない感謝の念を表していた。


「今度来た時にはいっぱいご馳走するから、帰りが遅くなるって家の人に言っておいてね」


ノーニャを抱き抱え静かな微笑みを浮かべた研師からは、


「ありがとう」


とだけあった。短いが、そこに込められた深いものをエルガーは受け取った。


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