マノニナ法皇国の詠い姫
燦燦と降り注ぐ陽光の下、聖ニグアス大聖堂は大群衆に囲まれていた。
人々が見上げるのは、荘厳なつくりの聖堂の入り口の上に咲く薄桃色の睡蓮の花の彫刻。花弁が開くその上に薄い水色の水晶球が鎮座している。
フーーファー。笙にも似た幻想的な音が天上より群衆に降り注ぐと、その人は水晶球の下から中へ姿を現した。
周りを取り囲む3人の女性が巨大な水晶に手を触れると輝きを増し、全国に散らばる立体投影先水晶に映像を送り始めた。
幾重にも重なる楽器の音色が壮大に空気を振動させると、水晶の中の女性は詠い始めた。
薄雲分け 降り注ぐ慈しみ
抱くその腕の中にある
月より舞い降りし命の脈
ただひたすらにありがたきを念ず
辛苦と歓喜を織り交ぜて
ただひたすらに生きる
我らの祈りを届かせたまえ
最後はささやくような、切なく震えるような声となり消えた。
この国における“詠い”とは節をつけ声を長く伸ばしてうたうこととは少々異なる。
まず、詠い手がオーグを極大まで展開し大気中に満ちる気活の流れを読み取る。その点ではアルス海を挟んだ北大陸の精霊院の巫女と類似している。読み取る気活から詠い手がその場で歌詞に表すために詩歌の内容はその都度異なる。また、抑揚と節が織り交ざりその詠いの声は『歌う』こととまた微妙に異なり、人々の心に素直になじむ。
美しき詠い姫が両膝を折り、両手を合わせ握りしめる
水晶の上に開いた穴から、明滅する赤い輝きが下りてきた。女性の頭部をクルリと回るとそのまま胸元に落ちた。
詠い姫の目は大きく見開かれ、こう言葉を発した。
「今、舞い降りた」と。
その声は詠い手アラミヤ・サナホの声ではなく、群衆の魂を貫き周辺の木々までをも震わせた。
カラカラカラカラ・・・・
屈強な男性看護師が左右と後方に付き急ぎ足で進む。小さな車輪が勢いよく回り、高い天井の通路に音が行き渡る。
法皇家一族を運ぶ豪華なストレッチャーは急患を載せ、長い通路を疾走している。しかし、このストレッチャーは特異なものを運んでいる。格子状に組み上げた骨組みに黒い布が被せられ、それが風を受けてはたはたと波打っている。
この黒い直方体に右腕を突き入れた女性看護師が、小走りに付きそう。
先導している自走車椅子の男性が振り返る。
「基礎生命活動は」
落ち着いた声で高齢者が問う。女性看護師がこれに答え
「正常値です。未だ意識だけ戻りません」
「聖アルビスⅡ世病院からの搬送車はもう到着しているだろうね」
「はい、正面入り口に待機中です」
ストレッチャーの中ではすやすやと十歳ほどの少女が寝息を立てていた。暗闇の中、首のすぐ下に、燃えるような真っ赤な膨らみが脈打っている事以外、何の問題も見えなかった。
アラミヤ・サナホ皇女が詠いの最中に倒れた、という噂は法都スワナの住民の間に瞬く間に広がった。マノニナ法皇国国民の敬愛を集めていた皇女であっただけに、早朝から聖アルビスⅡ世病院は柵を握り締める民衆で取り囲まれ、祈りの声は空高くまで届きそうである。
聖アルビスⅡ世病院1階の白い内装の中にあって、一際目立つ扉がある。漆特有の深みのある艶黒に、二つの月が左右に配されているこの扉。枠の上には黒檀のプレートが掲げてある。
地下霊安室、特別室。
長年に渡り人けが無く漆黒の闇に満たされた空間に数時間前から微弱な緑色の光点が灯り、大勢の人間が蠢いている気配がしている。
部屋壁面のダクトから中央に向かい送風管がのび、白いバルーン状の部屋を膨らませている。中の手術台の周りで防護服を着て丸くなっている人々も慌ただしく動いている。
室温自体が低いが、バルーンの中は更に温度が下げられている。忙しく動いている人々が着ているのは防護服ではなく防寒服のようだ。
手術台の上の人物も、頭の天辺から足の先まで完全防寒服に覆われていた。ただ、首の付け根だけ防寒されておらず、白い肌に張り付く赤い宝石のような涙滴形の物体は剥き出しの状態であった。
「間違いなく、世界樹の真正種子です。すでに定着状態に入りました」
「もう切り離す時期は過ぎたか。同一化が完了するのはいつだ」
車椅子の老人が医師の一人に問う。
「過去の事例からすると1週間ほどでしょうか。発芽までは太陽光を避けるようになりますので、環境を整えませんと」
「軽々しくそのように話を進めるな。誰の身に・・・」
荒げた声に気付き、トーンを一つ落として
「なんというこの大切な時期に。国宝にも等しきサナホ様が・・・」
「では、アラミヤ・サナホ様が世界種の宿主となったのは確かなのだな」
分厚い胸板に声を響かせ、鑿で削ったような峻厳な顔つきの男が窓から外を眺めている。
威厳を持たせるためなのか、口ひげと口の両脇からまっすぐ下に伸ばした髭が長く顎の下まで垂れ下がっている。
「はい、第一珠皇。長らく眠らせていた特別霊安室の盗聴器が役に立ちました。間違いなくアンガランカ枢機卿の声です」
後ろ手に腕を組んだまま振り返ると
「老いぼれめ、慌てふためいて寿命が縮んだに違いない。拡大派の象徴たる歌姫が公衆の面前に立たない状態が続けば、あちらの勢いは次第に削がれる。しかも宿主ともなれば世界種の苗床の探索に赴くか、でなくとも次期法女皇となれば巡礼の旅へ出なくではならない。今このときにベグナ攻略が終われば、私が法皇だ。シャナヤ伯爵へ計画実行の連絡を送れ」
サイスト・オゴロ第一珠皇は、横に分けた髪を右手で撫で付け再び窓に向き直ると天を仰いだ。
この部屋の高い天井裏にへばりつくように伏せる小さな人影が一つ。そして一段上の太い梁からそれを見守るように佇む獣の姿が一つ。
部屋から人がいなくなり辺りが暗くなるまでの4カナハ(8時間ほど)ぴくりとも動かなかった人影は幽鬼のように起き上がった。その姿は4.5ケニー(90cm)の女性の影となり音もなく梁の上を渡る。壁の一部に手を当てると、黒布に覆われた手甲に嵌め込まれたコラン石が仄かに光り、音もなく口が開いた。
人影はするりと外へ抜け出るとそれに獣が続き、屋根の上で二つの姿が一つになる。すると猛烈な勢いで屋根の上を走り出し、見事な跳躍を見せ隣接する建物へ飛び移る。例え何者かが追随しようとも、それを許さぬ素早さであった。そして闇に消えた。
1カナハ後、その姿は法王庁を挟んだ反対側、第一織皇の暮らす官邸執務室にあった。
執務に追われていたマロンド・アクト第一織皇がそれに気づいたのは、広い机の向こうに顔の上半分が見えてからであった。机にびったりと近寄って2つの眼差しで見つめる視線は、不平の籠ったものであった。
「ご苦労だったわね、ナーサム・ビクス。そんな目でこっちを見ないの。また一言二言言いたそうね」
「見事なご推察ねマロンド・アクト。ナーダム族の誰しもがこういった諜報行動を好むわけではないことをご存じがどうか確認したいだけ」
ナーサムの顔下半分は机に隠れているため、籠った声がマロンドの耳に届いた。
「まったく残念だわ。これほどの才能がありながら貴女の極めたい道はまったく違うのだから」
「そんな残念な出来事はこの世にいくらでも転がってるわよ。くどいようだけど、貴女のお母さまに恩があるから協力しているだけですからね。ほんと、こんな時間があったら弓術が槍術の稽古に行きたいのに」
「愚痴だったら行きつけの居酒屋で聞くわよ。情報料の一部として奢るわ」
「それは上乗せでお願い。良い提案が聞けたから、今度は私が話してあげる」
ナーサム・ビクスはサイスト・オゴロ第一珠皇執務室での話を一部始終伝える。目を閉じて聞いていたマロンドは知性の輝きを瞳に映し
「この機に乗じてあの男は動き出すはず。幸い教義拡大派はこの事態を好意的にみている。『我らの歌姫に御印が降ろされた』とね。でも我ら十二月皇では、現状は諸刃の剣を抱えた状態である、と解釈している。今の機運を広げ回帰派を取り込み、波をひっくり返させないことが肝要だ。そのためにあのいけすかない髭男の思惑を踏みにじらなくてはならない。あいつはいよいよベグナ攻略に乗り出す気だろう。戦果を上げれば波の向かう先は逆転する。
シャナヤ伯爵と手を結び何らかの騒乱を起こし、長年の懸案事項であった南下政策-アクナス公国併合という戦果を得ようとするだろう。
現在、郊外第三竜騎軍基地の倉庫に爆撃飛鯨が極秘に待機している。手筈どおりナーダム族の兵員一名、猿虎一頭を登録済みだ。休む暇もなく申し訳ないが、すぐに出発してくれ」
「了解いたしました、マロンド・アクト第一織皇。これが最後の任務ね」
この飛鯨船による爆撃が後に『ベグナ森林オーバーフロー』の引き金となることは、このとき誰にも予想できなかった。




