アクナス修練堂-修練始め
チャッ!カチャッ!
ケッパーを雪星鹿の皮で出来た鹿ブーツに装着する音があちらこちらから聞こえてくる。修練生は脱いだ室内履きを次々に脱いで割り当てられた靴箱に収めていく。
スタリ連峰に生息する雪星鹿の不思議な生態についてはここでは省いておく。その生息地の特性から、この鹿は特殊な皮膚を獲得した。死してなお外部からのレイワールに反応し、相手の力を以って瞬間硬化するのだ。刃までを防ぐことはかなわぬが、修練での怪我を防ぐには充分すぎる防具である。
靴底は同じ特性があるがより丈夫で突起の多い鎧像の皮が使用されている。遅滞ない動きのために手放すことのできない品であるため、修錬堂では、徹底的に諸道具のメインテナンスの技法を習得させられる。
ケッパーの着脱を容易にするため、くるぶしに配置された金具にワールを通すとチャッ、という音と共に足の締め具が作動する。
ケッパーは補助具である。足裏から展開するワール『テンセル』は通常円形に広がり、かかる荷重を分散する働きをする。がケッパーを使用し続けることにより、テンセルはいくつかの束となり、対象を握る働きをするようになる。
修練生たちは腰に下げた刀−タルツを鞘ごと刀掛けに置いてゆく。身に付ける衣服等装備は一つに統制されるが、タルツに関しては例外である。それぞれが思い思いの個性ある刀装を施している。
目の前で今、女性の修練生がタルツを置く。白地の鞘、柄に色鮮やかな花が咲き乱れ、蝶が舞い飛ぶ。大柄な男性が置いたタルツ。黒光りする鞘に金色の神獣−龍が絡みついている。刀掛けには次々と展示が増え、タルツの美術館の様相を呈している。
エルガーも自身の佩くエタルツ−バイカを置く。外鞘のある造りだけに他の修練生の物に比べ目立つ程に太く短い。かなり年代物であるのか、意匠もこの時代に見慣れぬ古めかしいものだ。
タナスも己の大小を置く。クリスイン家の者が代々受け継いできた子供用の物ではあるが、刀身、拵えは大人の物と遜色ない堂々としたものだ。濃紺の鞘が修練着によく似合う。
間口の広い入り口をぬけ、修練堂に入る。先日の段位検査の喧騒が嘘のように、今日の板の間にはざわめきのみが静かに広がる。
全入堂生の初めの式典、入堂式。エルガーは中赤位を与えられている。
全入堂生は赤位から始まる。ここで検査の結果、修練のようす、人格などの総合評価『セグマ』を評価し、2次検査で段位の最終決定がなされる。
ここ最近ニイン流の評判が高まり、入堂志望者が増えつつある。内入り口から入ると、すでに講話場と呼ばれる艶やかな木床に修練生が整列していた。
一番奥に整列する黒位5名、白位約20名、青位約50名、赤位約100名であろうか。前年より赤位が確定している列の後ろに、朱色ベルトの入堂生が並ぶ。
「コーン」
師範代補助、通称“代補”の一人が響板を打ち鳴らす。修練生たちは同時にすっと背筋を伸ばす。皆が入ってきた入口から一人、正面の扉が開きそこから一人、合わせて二人が皆の前に立った。
正面から現れたのは宗家クリスイン・エンテス師の次男、クリスイン・ダンガス。背は高く、肩幅広く、力の権化のようである。が、歩む姿に力みはなく、むしろその質量を感じさせない軽やかな歩みである。見た目通り豪快な気質で、いざ、戦となれば年老いた父の代わりに一族を率いる、実質の一族の長である。修練堂では師範を務める。
修練生と同じ入口から入ってきたのは、ダンガスと同じような背丈ではあるが、ほっそりとした体型の男である。面長の下の方に分厚い唇でおちょぼ口が付いている。これが師範代を務めるナギヤ・モンドール。ナギヤ家はニイン流宗家としてのクリスイン家に代々仕えてきた家柄である。飄々とした捉え所のない男だが、従兄弟のタナスとエルガーはこの男の部屋によく呼ばれ、遠方の故郷から送られてくる珍しいお菓子など貰っている。酒の席では面白い話が湧水のように次から次へと湧いてくる、いろいろと経験豊かな男だ。が、タルツを持たせれば破綻なく粘り強い立ち合いをする。
修練堂入口からの光が、正面の扉に光を注ぐ。正面入り口の奥から人影が徐々に露わとなった。
淀みなく進む姿には、何か別の生物のような滑らかさがある。挙動に角がなく、全てが繋がり動く。人がそのような動きをできるのであろうか、と思わせる。白髪を後ろに垂らし、先に並ぶ二人の中央に立った。
ニイン流宗家、クリスイン・エンテス師。生きる伝説。その姿を目にした修練生たちは、何か言いしれぬ穏やかな空気に包まれたような気がしていた。
頃合いを見て、ナギヤ師範代のよく通る声が響いた。
「ニイン流宗家、クリスイン・エンテス様よりお言葉がある」
修練生は皆、片膝を床についた姿勢になった。
エンテスはしばらく修練生の姿をじっと見つめてから、こう述べた。
「武は天が与えし生を絶つ。剣を手にしそれを学ぶ者、しかと心得よ。剣は収める鞘がなくてならぬ。抜き身の剣は、人を害し己を害する。武と文は表裏一体であり、そのどちらが欠けても修練は成らぬ。若き人よ、剣を磨き、心を磨き、己を磨け。以上」
エルガーには言葉の一つ一つが勢いよく体にぶつかり、正に言葉の通りだと思い身が引き締まる思いがしていた。
再び師範代の声が響く。
「入堂」
講話場の奥の引き戸が中央から左右に開き始めた。左右それぞれ5枚ずつの引き戸が全開になった。
初めてその光景を目にした者は、異様な作りに度肝を抜かれるであろう。
その広さ、その高さ、そしてその多様さ。
戦いが想定される環境が全てこの修練堂に収まっている。木々の姿を模した柱が無数に立ち並んでいる区域。急峻な崖や谷間、岩場。住居が立ち並ぶ街。この世のすべて、とは言い切れぬが想定される屋外環境が整えられている。
宙を漂う浮魚―タユナたちが思い思いに木々の間を縫い、浮遊草が日差しの中にとどまっている。どこにでもあるなんでもない光景が屋内に再現されているのが奇妙に見える。
黒位の修練生を先頭に、広い階段を一つずつ下りてゆく。段下には4人の代補が待ち構えていた。
黒位担当の代補から紹介されてゆく。が、何より赤位の修練生たちの注目を集めていたのが、赤位の代補であった。
その人は各代補が紹介を受けている間、無表情のまま様々な種族の姿へと変え続けていたのだ。
顎の張った中年の人族から始まり、二ツ目蛙人、四ツ目蛙人、獣脚人、豹人、細見のフルワ族、極めつけは恐竜人たちの上位種族、竜人まで。
再び人族の姿に戻ったときには若々しい好青年となっており、師範代の声がこの不思議な代補の紹介を始めた。
「最後に赤位担当、ミンタ族ヌベア・ミイ師範代補佐」
その存在を今まで知らなかった入堂生は、いっせいにどよめいた。
極希少種族であるミンタの名を聞き、一同はこの不思議な代補の変身に納得したようである。
「ヌベア・ミイ師範代補佐のセグマは変身可能な種族のどれをとっても白位に相当されておられる。ゆえに、赤位の修道生は種族ごとの特徴をしっかりと師範代補佐から学び取るように」
エルガーはこの不思議な種族を知っている。フルワ族の国、フルステン・パーライルの女王宮に一人、ミンタ族の女性護衛士がいたからだ。
どういう神の悪戯なのか、このミンタ族の肉はこの上ない旨味を持つという。それゆえに進化の過程で生き残るための特殊な性質を獲得した。
“変身”である。
ミンタ族本来の姿形は10本の触手を有する人型の軟体生物である。白く透き通る肌、虹色に輝く瞳、二本ずつの触手がまとまり腕を、三本ずつの触手がまとまり足を形成する。体内に疑似骨格を任意に形成することができ、関節を持つ動きをする。大きな胸板の上に小さな頭が乗っている点、手には六指を持つ点以外、特殊ではあるもののほぼ人族といっていいほどの姿をしている。
よからぬ考えを起こさせる身体を持つため、知性体が集まる集落で暮らすことはできない。樹海の高木で家族ごとに孤立した樹上生活を送るのが通常である。
大陸に点在する樹海においては獰猛な生物たちから正に言葉通り垂涎の的として狙われる立場にあるミンタ族は、己を捕食しようとする相手と対峙したときその性質を露わにする。
森狼の群れには大王蜂を呼び寄せ従える精霊の姿に、樹上を自在に走る狡猾な猿虎に出会えば天敵である縄文蛇の姿にかわる。いわば己を餌にして敵をおびき寄せ、その相手を打ち倒し食料を得ているともいえる。
ミンタ族は食物連鎖においては下位の存在などではなく、むしろ上位の存在なのである。
エルガーはこのミンタ族のヌベア・ミイ師範代補佐から種族の多様性に対する好奇心を掻き立てられ、それぞれの種族に対する剣技を練り上げられた。
ナギヤ・モンドール、ヌベア・ミイ、この二人がクリスイン・エルガーの少年時代の師であった。




