アクナス修練堂-修練堂へ
いよいよ入堂式の日を迎えたエルガーは、アーネル、カムナに見送られ
魔鎚の塔から寮を経由し、修練堂へ向かう。
白い上堂着の袖に手を通すと、袖口から半ケニー(10cm)ほど鞐(こはぜ:金属の爪状の留め具)で締める。そこから袖は極端に太くなり腕の動きを隠す。何度か水通しをしてあるため、着心地が良い。
濃紺の下堂着にも足を通し、同じく鞐で足首を締める。こちらの形状は少々異なりふくらはぎの上までがぴたりと締まり膝から上がだっぷりと太くなっている。
明るい赤色のベルトを腰に巻き、雪星鹿ブーツにケッパーを慣れたようすで装着する。タルツ掛けにあったエルガーの脇差バイカを手に取ると、左腰に差した。
エルガーの後ろに立つアーネルは、姿見に移る少年の凛々しい姿に満足したのか両肩を叩いて言う。
「よし、大丈夫だ。義姉さんのお陰で上堂着の肌触りも、下堂着の色止めも良い感じです」
「アーネルは目の付け所が違うわね。それをわかってもらえるなんて嬉しいわ。エルメ、タナス、修練生としては貴方達が先達なのだから、エルガーをよろしくね」
ため息混じりにエルメが答える。
「もう、そんなに子供でもないんだから母上はエルガーをほんと甘やかしすぎ。いい、エルガー。あなたも周りをよく見て、自分で考えて行動するようにしないと。タナス、あなたもうかうかしてるとすぐエルガーに抜かれるわよ」
「うへ、とんだとばっちりが・・」
「なに」
「いえ姉上、今のお言葉を心に置きタナスは修練に励みます」
「弟というものはどこでも調子がいいものなのね。ところでアーネル叔母様、あの狂戦士ガスの一件に関して何かお聞き及びですか」
あれ以来エルガーを気にかけてるようになったのか、この件に関わっていそうなアーネルにエルメがこう尋ねると
「あの豹人が被害者を装って故意にエルガーを襲った、ということはなかったようだな。幽闇の目を掻い潜ってあのガスを持ち込み、人知れずランカルに仕込む。これは生半なことではできない。
気配をまったく漏らさず、未だに捜索の目を逃れる不可視の存在。これができる伝説上の生物を知ってはいるけど、ここまで意図的なことをする知能はないはず。それを裏で操る上位の存在がいる可能性しか考えられないね。こうなるともう痕跡を追うことは手詰まりだね。
まぁ、結果論ではあるもののこうして無事でいたわけだから。相手の意図は分からないけど命まで取ろうとしているわけではなさそうだ」
『でも、グルファ・グアの身には危険があった』
とエルガーは想ったが口には出さなかった。つまり仮想上の敵は、殺すまでのつもりはないが、エルガーに危機を与えるためには手段を選ばないというわけだ。
つまり、気を抜かず平常心で事に当たれ、というのが現状でできる最善の道なのだ。
アーネルが鏡に人差し指を当て一筆書きに紋様を描くと、姿見はスライドし暗い空間がぽっかりと口を開き、下り階段が現れた。
「じゃあみんな、行ってこい」「三人とも、お励みなさい」
「はい、行って参ります」
暗い空間に灯りが灯った。黒ずんだ火成岩に囲まれた小部屋から下方に向かって螺旋階段が伸びている。エルメとタナスは慣れた様子で階段を下りる。地下に向かっているはずなのに階段が尽きる辺りから陽光のような明るさが見えた。入った小部屋の一面は透明な壁面であり、水中の生物たちの世界が広がっていた。突然エルガーの眼前を横切ったのは、巨大な頭、そして眼、それがギョロリ視点を変え興味深げにこちらを覗く。それから鱗に覆われた体を悠然とくねらせ泳ぐ魚の姿であった。
三人の頭上に延びているのは、魔鎚の塔の北側、寮館との間に横たわるアクナス修練堂に張り巡らされた水路の一部である。
透明な隔壁に銀色に輝く丸いパネルが嵌め込まれている。エルメがそっと手で触れると軽い”ブンッ”という振動音とともに壁面が割れた。割れた壁の断面は入り口が判別できるように緑色に輝いている。透明な壁面を通して見ていたときは何もなかったのだが、扉が開くと同時に扉の向こうに空間が広がっていた。床であることを示すように足元が乳白色に輝き、左右には座面であろうか、ぼんやりと緑の長方形が並んで光を放ち始めた。
「古代アーク文明の残した機構の一つ、アクナス修練堂の周りにはこんな水中路が張り巡らされているの。これはその道筋に沿って進む潜水ポッド。この遺跡にはまだいくつか稼働している機構が遺されているのよ。後でエルガーにも使えるようにしてあげる」
船に乗り込む感覚を予期していたエルガーであったが、いざ床に足を踏み入れると荷重がかかるたびに床はすーっと伸び上がるような動きを見せ入口との位置を補正してみせた。左方に座っていたエルメ、タナスはエルガーの反応を目で追っている。
エルガーは真上を見る。透けて見える青空を背景に、黒い陰をした水棲生物たちが思い思いに動きを見せている。
「綺麗だ」
エルメが室内パネルに手を添えるまでもなく開いた扉は背後で閉じた。全員が乗り込んだと何かが感知したのだろう。エルガーが右の座席に座る、とポッドは音もなく滑るように動き出した。エルガーの様子は至って平静であった。
タナスはエルメと視線を交わし頷いた。エルガーの所作がいちいち理にかなっており、何に対しても即座に対応できるような動きが自然と身に備わっていることに今更ながら驚いた。生中なことでは身に着けることができないことはわかっていた。
寮館へと進むポッドの横からけたたましい鳴き声とともに近づく影が二つ。
流線型の美しい姿が日差しに浮かぶ。淡水クウィーカ族だ。胸ビレと見えるのは折りたたまれた腕であり、今その腕を伸ばして大きな5本の指を開いてこちらへ手を振っている。円らな瞳を輝かせ独特なキンキンする声でエルメに話しかけてきた。
「エルメ、その子なのー。偉そうな話し方して、嫌われるんじゃないわよ」
外部拡声器からエルメの声が響く。
「うるさいわよクウィッキー」
「ごめんなさいねエルメ。この子ったらあなたをからかうのが大好きなの」
「いいわよ、カッカルー。もう慣れたわ」
エトワイル大陸語は優れた共通言語である。種族それぞれの発音能力を検証した結果生み出された言語なだけに、聞き取りにくい単語はほぼない。
「エルガーのことは今度ちゃんと紹介するから」
「その子、エルガーっていうの。よろしくねエルガー、わたしはクウィッキー。こっちはカッカルー」
「エルガー、またね」
そういうと、二人は水中でクルリと身をひねると水路の彼方へ消えた。この嵐のような自己紹介とともに消え去った二人の姿にエルガーは微笑んでいた。この居館はさまざまに守られていることがわかる。
軽い振動とともにポッドが寮館に到着すると、接続された通路の扉が開く。小さな踊り場に足を踏み入れると明りが灯り、三方へ登り階段が伸びていることがわかる。
「私の部屋はこちらだから、二人とはここまで。言っておくけどこの通路から女子寮へは入れないから無駄な努力はしないことね」
階段を2段上ったエルメが二人を見下ろして言い放った。薄明りの中でエルガーは頬を赤らめて
「なにをいってるんだエルメ。そんなわけないだろ」
「エルガー、相手にしちゃだめだ。からかって遊んでるだけなんだから」
タナスが冷静に友達をなだめる。
「そんなに怒っちゃって、エルガーもまだまだね。じゃあお二人ともまた後程お会いしましょ」
そう言い残すと、エルメは螺旋階段の向こうに消えた。
「タナスのお姉さんの対処の仕方がだんだんわかってきた」
「あははっ。エルガーは学ぶのが早いね。じゃあ僕らも部屋へ急ごう」
階段を昇りきって扉を開けると丈夫な木板が行先を塞いでいる。前に立つタナスが板の一部をひねると板はスライドした。明りが灯ると服がいくつもぶら下がっているのがわかる。二人が狭い空間に入ると背後の木板は閉まり、タナスは前面の扉を左右に大きく開いた。陽光の差し込む広い部屋には落ち着いた調度品がおかれていた。
後ろを振り返ると、エルガーが入ってきた場所がクローゼットであることがわかった。
「ようこそ、ここが僕たちの寮部屋だ。案内するよ、と言いたいところだけど鑑賞するのは後にして、通路に出て修練堂に向かわなくちゃ」
確かに、この部屋の外をどやどやと多くの足音が鳴り響いている。修練堂へ向かう修練生の人波であろう。
部屋を抜けて扉を内側に引き通路に出ると、二人は急ぎ足で歩く男女の一部と化した。




