アクナス修練堂-従者
白位の検査生、豹人グルファ・グアが突如狂戦士と化し、エルガーに襲いかかった。
しかし、エルガーの中に眠っていた力が目を覚まし、豹人の一撃を微動だにせず受け止める。
最後の抵抗とばかり膂力に優れる豹人の一払いで投げ飛ばされた少年は
壁にぶち当たり気を失った。
(ザッザッザッザッ、ハァハァハァハァ)
闇の中、草を踏みつける数人の足音と乱れた呼吸音が異様に大きく聞こえる。
ザッ・・ドザッ、ザッ・・ドザッ、リズミカルに聞こえてくる独特な進行音。
背後から迫り来る追手の気配がひしひしと伝わってきている。目の前を走っていた小さな影が声を上げて姿勢を崩した。転がる石の音。暗闇に潜む浮石を踏んでしまったのだ。
『時間を稼ぐ』
小さく強く呟くと、腰の左からバイカを引き抜いた。外鞘から抜き出た中鞘には微かな星灯りに当たるが、一時的な艶消し加工を施されたため花の紋様は浮かび上がらない。
数瞬後、闇の中に光る大きな4つの眼が見えその瞬間、ギラリと銀色が閃いた。
四ツ目蛙の繰り出した短槍は、少年の素早い一振りで大きく弾かれた。槍を引き戻すその動きに連れて、ダンッと強く踏み込んだ足音と共に体重を乗せた肩当たりで相手を吹き飛ばす。止まらず即座にしゃがむと、己の居た空間を矢が貫いた。弾帯から投げ矢を引き抜き木の上にいる弓兵に飛ばした。
「ギャッ」
どこかに当たったのだろう、落下音がする。
が、頭上から音もなく槍を下に構えた蛙人が落下していたことに気付かなかった。
「だめー」
フルワ族の女の子の声がこだまする。
「わあっ・・・」
微かな光の差し込む部屋でエルガーは大きく眼を見開いた。視界にはカーテンの隙間からのぞく白々と明ける空があった。額に汗が粒立っているのがわかる。目尻から流れ落ち出るのは何であったか。しばらく身動きできぬまま、天井を見上げる。ベッドにもたれかかり眠っていた女性の影が、エルガーの声に身じろぎした。
しばらくぶりにあの夢を見た。以前とは違い、もう動揺するようなことはなかった。あの出来事を正面から受け止めることができるようになり、己の変化もしくは成長を感じた。そうエルガーは思う。
『元気に過ごしているだろうか』
あの時、フルステン・パーライルに帰還するフルワ族斥候部隊に助けられていなかったらどうなっていただろう。あの状況下で自分にできたことは他になかったのか。
『強くなろう。そうしなければ何も見えはしない』
そう固く誓った。
それなのに不覚にも気絶してしまったようだ。己の不甲斐なさに腹が立つ。布団の中で拳を握りしめる。
そこでエルガーは、ハッと気がついた。
『ノーニャ、そうだあの子はどうしただろう』
少年の動きに気付いたのか、突然部屋の隅に布ずれの音がした。それまでまったく気配を消していた人物は、滑るように近づいてくる。暖かい空気の塊が近づいて来るようで、エルガーはまるで警戒心が起きなかった。
クリスイン・エンテスはベッドに突っ伏して眠るカムナに、持っていた肩掛けをかけてやる。
それに気付いたカムナは、肩掛けを自分で引き寄せ
「お父様、ありがとう存じます」
「カムナ、起こしてしまったか。ここはもうよい。部屋に帰って休むがよかろう」
「そうですね。もう大丈夫な様子。この子の元気な顔色を見たら安心いたしました。そうさせていただきましょう」
「カムナ、いつもながらお前の心遣いには感謝しておる」
その言葉はカムナを通り越しエルガーにまで染み込んだ。本当にその通りだと少年は思う。
『立ち止まったまま動こうともしなかった自分に、再び前に進む力を吹き込んでくれたのは、間違いなくカムナ叔母さんだ』
「そのようなこと、わけもわからず精一杯努めるのみで」
枕を立て掛け、身体をずらして半身を少しだけ起き上がらせようとする少年に
「エルガー、まだ寝ててもいいのよ」
「もうすっかり気分がよくなりました。カムナ叔母さん、僕からもお礼を言わしてください」
「もうやめてください、二人とも。そんなことされたら、目頭が熱くなります」
エルガーはエンテスに視線を向けると
「御宗家様・・・」
「よいよい、ここでは爺でよい」
するとエルガーの顔は少し赤らみを見せて
「では、お爺様」
エルガーはその言葉の響きを噛み締めるようにしばし間を空けた。
「全力でワールを使わないという約束を違えてしまいました。お許しください」
エンテスはエルガーの額に手を乗せると慈愛の籠った声で
「うむ、聞き及んでおる。エルガー、よくぞ止めた。これからも精進するがよい」
そう囁いた。エルガーはその大きな手に自分の手を重ね
「はい」
そう答えた。言葉は短かったが、そこにはさまざまな励ましと、まだまだたぞ、という戒めが含まれている、と感じた。しかし、何より少年はただ嬉しかった。
風のようにエンテスが姿を消すと、カムナは
「元気な様子で安心したわ。私もそろそろ戻るわね」
「カムナ様、また心配をかけてしまいました」
「なんのこれしき。修練には付き物の事ですよ」
「あのとき飛び込んできた女の子、研師の子あの子は」
「大丈夫ですよ。先生に診てもらいましたから。なんで飛び込んだのか自分でもわからないらしいの。あんな思い切った事をするなんて、と自分でも驚いていたわ」
カムナは少し間をおいて少年の安堵した顔を確かめた。
「今、廊下にね、あなたにどうしても会いたいという人がいるの。入れてもいいかしら」
窓の外は白々と明ける朝の光の気配がしてきた。
「はい、ぐっすり眠りましたので。入ってもらって構いません」
「また後で会いに来るわ。じゃあね」
出口を折れ、姿を消したカムナが低い声の持ち主と一言二言やり取りするのが聞こえた。少し間をおいて、先ほどより強くなった光の中、毛並みを輝かせて近付く者。
上位生と見たエルガーはベッドの上で更に上半身を起き上がらせようとする。すると小走りに近寄ってきた豹人はそれを慌てて押しとどめた。
「エルガー様、どうかそのままで」
「大丈夫です。自分でできますから」
ひとつ間をおいて、エルガーは“はっ”と豹人を見つめて
「聞き違いでしょうか、いま『様』と聞こえたのですが」
修練生グルファ・グアはベッドの横に居住まいを正すと両膝を床に付け、真っ直ぐにエルガーを見つめた。
驚いたエルガーは慌てて
「グルファ・グア様、お願いですから立ってください」
グルファは無言で首を振りしばらくそのまま、何も言うことも無い時間が過ぎた。が、エルガーは豹人の実直な瞳に魅入られたように、何の気まずさも感じることはなかった。
そして、おもむろに豹人は驚くべき言葉を発した。
「エルガー様、あなたは私の命を救ってくださいました。感謝の言葉もございません。これから誠心誠意お仕え致します」
この獣人が今何と言ったのか、エルガーの理解は追いつかなかった。
「えっ、ええっ。グア様、待ってください。何とおっしゃいました」
「感謝の言葉もございません、と」
「いやいや、そうじゃなく。その後の部分です」
「これからエルガー様の従者として仕えさせて頂きます、と言ったことでしょうか」
「あれは明らかに誰かの仕組んだ事で、それが従者になって償うほどのことですか」
獣人の瞳には和やかな光が宿っていた。
「あなたはご存知だったのでしょう、ガスを吸い狂戦士と化した者の末路を。抵抗出来なく、もしくは敗北を自覚すると強烈な自己否定のため自害するよう仕組まれていると。作為であったとてあなたを害そうとしたわたしを救ってくれました。それだけでも充分値することですがしかし、それだけではないのです。少し身の上話をさせていただきます」
そう言うと豹人グルファ・グアは話し始めた。
グルファ・グアの故国は恐竜人、小型鯨人、豹人からなる三種族連合王国で、古くより地精-灼熱の神アーゴンを信仰してきた。大地の神でもあるアーゴンは、この星ハームスの中核を支配し、大地を通して生き物への恵を与える精霊神、とされる。
地下神殿に住まう神官は、アーゴンの預言者でもある。グルファ・グアが5歳に達し、洗礼を受けるため地下神殿に詣でると神託があったという。
「大いなる役目を担う剣士が生まれる。グア家の子、グルファ。そなたはその者の側に仕え、大いなる役目の一助として身を捧げることとなるであろう。アクナス修練堂にてその時を待て」
『大いなる役目』・・・それが何であるのかグルファは語らず、そのためエルガーは問わなかった。
「じゃあ、その言葉を信じてここに」
「その預言だけを信じて従者を申し出た訳ではありません。不覚にもあのガスを吸い狂戦士となったとき、私の理性は消し飛び獰猛な本能剥き出しとなりました。しかしあの時の一部始終をはっきりと記憶に留めることはできていたのです。
元より豹人である私は、数ある種族の中でも膂力優れた種族と自負しております。その私が狂人となり、限界を超えた力を出した。狂い立った私の放った『破岩』、あれは受ける者が何であれ押し潰され確実な死をもたらすものでした。
しかし、あなたはそれを片手で止めた。まるで鉄塊を打ち据えたようなあの衝撃。あれが頭から離れないのです。
それだけではなく、あのとき伝わってきたのです、あなたのヨールから言いしれぬ何かが私の心の芯を打った。上手く言い表す言葉がみつからないのですが、あんなことは初めてです。あなたはこれから天に昇る龍だ。あなたと共に歩み、あなたの行く末を見たい。
出会って間もないというのに、こんな決断をするなんて軽率なお調子者と思われて当然です。それは重々承知の上で申しております。
しかし絆とは時間をかければ良いものでしょうか。あなたと出会った瞬間に火花が散ったのです。この方だ、正に私の心に雷を落としたのは、と」
心の真を吐露したからなのだろうか、潤んだ瞳が空の明るさを映している。
狂戦士ガスを吸い込んでしまった豹人の一撃を受け止めたあの時、またしても相手との接続を感じた。それがどのような効果を生み出したのかはっきりしないが、こうたびたび起こるのであれば『深紅のマノン』との関連を疑わざるを得ない。
この誠を込めた真っ直ぐな申し出は受けなくてはならない、と自然に覚悟が決まった。
「あなたの申し出を受けます、グルファ・グア」
差し出された少年の手を豹人は両手で包むと、グルファの長い尾はピンと立ち、喉の奥からは低い音が漏れ出た。




