アクナス修練堂-クリスイン家の人々2
修練のない日ではあったが、公爵補佐としてのクリスイン・ダンガスは公務に追われない日はない。彼の執務室に隣接する伝書室には、公都パラリスより間断なく伝書竜が飛来する。その中には、デンス・ケンスから放たれた燕竜も混じっていた。
春霞のかかった空が桃色へと変わる。そこへ懐かしい面影が映し出された。
「兄上、やはりあの子は兄上の子ですよ」
執務室へナイサが通されてきた。しばらくするとダンガスはナイサに伴われ、娘のエルメと共にアーネルの塔へ姿を現した。
春の山菜、キノコたちが天ぷらに姿を変え、テーブルに山々を作り出している。香ばしい香りがダイニングに充満する。
扉を開いたダンガスへ皆が口々に
「あなた」「父上」「兄上」「こんばんは、ダンガス様」
ダンガスはそれぞれに片手をあげて挨拶を返す。エルガーの後ろに回るとその両肩に手を乗せた。
「聞いたぞエルガー、質となった子を無傷で救い出したそうだな。上々の出来であった、褒めておこう。だが、無茶はしてくれるなよ」
「はい、ご心配をおかけして申し訳ございません」
向かいのカムナの下座へ着こうとしていたエルメは
「随分と殊勝なのね、私への態度もそうあってほしいわ」
「姉上、お祖父様がおっしゃられたことをお忘れですか。エルガーは今は使用人のような仕事をこなしてるけど、遠いとはいえ縁者ゆえここへは家族として受け入れる、とのお言葉だったはず。」
タナスはそう言うと横にいるエルガーを向いて
「姉さんはエルガーのセグマ(剣界における総合的な段位)を見誤っていたことを認めたくないんだ。気にすることないよ」
エルガーへ強い視線を向けていたエルメはあたふたと視線を斜め下へ逸らしたが、気を取り直し
「うるさいわよ、タナス。思ったことをそのまま口にするその癖を直さないといつか酷い目に会うって何回言わせるの。その口は大好物のキノコを食べるためだけに使って」
「はいはい、姉上の仰せのままに」
そうだったのか、とでも言いたげなエルガーはキラキラとした瞳でエルメを見る。
「ああ、もうそういう目でこっちを見ないで」
室内が笑いに包まれ、笑顔のダンガスが席につくと
「では、いただくとしようか」
こうして賑やかにして、和やかが夕食が始まった。
「そうそう、父上。報告が今になってしまいました。言いつけ通りカナリ議員騎士様の御息女、御子息をエスコートしました」
エルメがそう伝えると
「アーク遺跡での一騒動に巻き込まれたらしいな。で、お前の目から見てどうであった」
「南クロイダンでは『アンテ流』を相当鍛錬してきたのでしょう。僭越ではありますがセリナ様、リヨル様とも中々のセグマだと思われました」
「そうか、わざわざ他国までおいでくださったのだから、ニイン流の心を持ち帰ってほしいものだ」
それからは楽しい会話が続いた。季節の草花から始まり、作物の育成具合、野山の収穫物。そこへ調理を終えたドワンジが山盛りの追加てんぷらを片手に参加した。そこから話題は目の前のてんぷらの素材、揚げたドワンジの腕前への称賛へと移る。
剽げ者のドワンジは
「本日は料理の神のご加護がございましてな、美味しいと思われた方々は遠慮なく私にお神酒を奉納くだされ」
笑いがこの部屋に溢れた。アクナス公国情報機関『幽闇』の頭を長年務めてきたドワンジ。慰労の意味を兼ねて仕事量の少ない家令を任せたのだが、何かと忙しく立ち働き休もうとしない。みな、この好々爺が好きである。
笑顔のエルガーをエルメは横目で盗み見した。これまで払うこともなかった注意をしてみると、幾分乾いたような微笑みである気がする。
話題は自然と今年の新入堂生へと移って行ったのだが、エルメは会話の流れに少し違和感を持っていた。エルガーと獣脚人との立ち合いに誰も触れないのだ。まったくそんなことは忘れてしまったかのように。
和やかなうちに夕餉は終わり、満たされた子供たちは眠気に覆われた。特に消耗したであろうエルガーの疲労は大きかったようで、しきりにあくびを繰り返している。
申し合わせたようにカムナ、ナイサが同時に立ち上がる。子供たち3人は挨拶すると引き連られて階段を昇る。塔の3階まで来るとエルメ、タナスは渡り廊下で本館へ、エルガーは塔の自室へと別れた。エルメは振り返り年上の気遣いを見せた。
「エルガー、まぁ今日はよくやったわ。ゆっくり休みなさい」
エルメは自室に入ると軽装備がかけてあるクローゼットの前に立つ。服のボタンを外しかけたのだが、何を思ったのかそのままベッドに横になり少しカーテンを開けた。織月アトヤが優しくオレンジの輝きをこぼしている。
『何だろう。何がそんなに気にかかる』
いつからだろうか、もやもやとした落ち着かないものが心につきまとう。
目を閉じ今日の二人の立ち合いをできるだけ鮮明に思い浮かべてみる。
池を飛び越えるシーンから始まり、投げ矢、振り下ろされる三節剣、ためらいなく踏み込む小さな人影。ぱっと目を開けるとベッドを下りエルメは再びダイニングルームに向かった。
ピナ酒は穀物を原料とする醸造酒と蒸留酒のブレンドに燻煙成分を加えた、ベグナ国の特産品である。ダンガスは少量の水で割ったものを時間をかけてゆっくりと嗜む。カムナは果実のシロップで割り、アーネルは炭酸水で割ったものをグビグビと飲んでいる。
陽の当たる時間はまだしも、夜ともなれば未だに冷え込む早春である。“魔鎚の塔に火が入る”とは鍛治仕事が始まることを指すのだが、今は暖炉に火が入った。その側に戻ったカムナ、ナイサが加わり、くつろいだ雰囲気が広がっていた。
クリスイン家に古来より仕える隠密の一族“幽闇”でその人ありと言われたドワンジは、今は一線を退き魔槌の塔で余生を送っている。艶の良い桃色の頬、人懐こい目、少々長い顎が好々爺としての印象を際立たせている。長年、命懸けの使命を果たしてきたとは思えぬ佇まいであった。
こういう無礼講の席ではだいたい昔の手柄話や苦労話、そしてここぞとばかりに披露する秘蔵の笑い話(すでに幾度も聞いているのだが)がでるものである。ひとしきり大笑いしたあとの事だ。
現役を終えてから嗜むようになったピナ酒に酔いが回ったのか、ドワンジは目を細めながら
「いやいや、お家のため永らく務めを果たしておりましたが、最後の仕事が人助けとは、実にありがたいお申し付けでございました。このドワンジ、ここにお礼を申し上げる次第でございます」
「爺さん、また始まった。酒が入ると必ずそれを言う」
ナイサが混ぜ返す。
ダンガスは修練堂に到着した当時のエルガーを思い出していた。
「うむ、お前たちがいなければエルガーは今頃この世にいなかったであろうよ。聞き知ったところでは大変な激戦であったそうだな。戦乱の中、よくあの子を見つけ出し連れ帰ってくれた。礼を言う」
「お礼を言うのは私の方で。旧主に恩返しできたなんぞは、出来過ぎな仕事納めでございます」
とドワンジが答えると、大きな薪を指で摘んで火にくべるナイサは
「与えられた役目しただけ。当然のことしただけ」
という。薪はパチパチといいはじめ、それぞれの想いが暖気と共に宙を満たす。
「エルガーを連れ帰るとき、誰ぞに気がつかれたか。ワイナ・カナリ議員騎士が子供たちを送り込んで来た、というからにはエルガーのことをどこぞで嗅ぎつけたのかもしれないな」
カムナはダンガスの手に手を重ね
「大切なお子さんを預けにきたのですから、単なる探りだけではないでしょう。何かあれば向こうから動くはずです」
切り出そうとしていたことに良いタイミングで話題がつながった機を捉え、カムナが切り出した。
「あの子の様子が知りたいの。ナイサ、最近はどう」
その時、ドワンジが目くばせするとナイサが立ち上がり子供たちを送り出した扉の前に立ち塞がった。ドアノッカーの金属音とノックを混ぜた独特なリズムが刻まれる。
「あら、エルメだわ。どうしたのかしら」
ナイサが扉を開き招き入れる。
エルメは言っていいのか少し戸惑っていたようであるが、伏せていた視線を上げ思い切ったように
「気になることがあって。昼間のエルガーのことなんだけど」
ダンガスは愛娘に慈愛に満ちた眼差しを向け
「うむ、ここにきて。まあ座りなさい」
「勘違いかもしれないけど、どうしても気になって。エルガーのことなんだけど・・・」
エルメはアーク遺跡での剣闘の流れを覚えている限り克明に話した。エルガーが獣脚人ダオン・ジョンシャーの懐に潜り込み柄本を押さえると、三節剣が折れ曲がりエルガーの後頭部に迫る場面で話を止めた。
「12歳の子が、白刃の迫るあの場面で何のためらいも、臆するようすもなくあの巨漢に立ち向かい流れるような動きであの三節剣を止めた。それが何というか、勇に優れた、ともとれるんだけど。それとも違うような。とにかく危うい、そう危うい感じ。脆くて砕けてしまいそうな感じがしたの」
腕組みをし、しばらく沈思していたダンガスは正面の壁を見つめて娘の話を聞いていたのだが、カムナ、アーネル、ドワンジ、ナイサと視線を合わせた。皆の気持ちを確認すると
「勘の鋭いエルメのことだからいつか気が付くとは思っていたが、こんなに早く気が付くとはな。お前ももう14だ。これから話すことはお前の心に留めておき、なぜこれを聞かせるのかよく考え、これからの行動に活かしなさい」




