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世界樹は詠う  作者: 青河 康士郎


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アクナス修練堂-クリスイン家の人々1

 巨人族の女性ナイサに連れられ、アルヘカント種の巨馬の上、なびく風に吹かれエルガーは物思いに耽る。

 地響きを立てて走る巨馬の背の上、左腰のエタルツをにぎり、エルガーは今日の立ち合いに思いを馳せる。吹き寄せる風に髪を靡かせ、遠くの山並みを見ながらエルガーは


「やっぱり御宗家様は凄いな」


と、独りごちの言葉が思わず口から出ていた。


ナイサは


「当たり前の事を言う。だから御宗家様なんだ」


と言葉少なく答えた。


 今日の一撃はこれまでにない手応えを持っていた。



 踏み込みから生じる動きの流れを足から脚、腰、緩めた肩を通し、余す事なく愛刀バイカの重みに乗せ振り抜く。それを人目のない山の中で何千、何万と繰り返した。


 獣脚人ダオンへ無心に繰り出した一振りは、己の芯と大地とが直につながったような不思議な、なんとも言い表せぬものであった。


 半年前にクリスイン・エンテスが放ったエタルツの一振りをエルガーは目撃した。それはエルガーに深い衝撃を与え、指標となった。


 それを見たのはいつもの通り宗家エンテスがニイン流基本の型と口伝を修練生に教える日であった。


 修練堂から少し離れた大樹の枝の上、天窓に正対し姿勢を正したエルガーが座っていた。ひとまず修練堂に入ることは保留とされていたエルガーにとって、いっぱしの修練生のつもりで見取り稽古をするのは渇望を癒すために必要な習慣となっていた。


 いつも通り時刻より早く師範室の扉が開けられ、誰もいない修練堂にクリスイン・エンテスが入ってきた。白髪混じり髪を後ろに束ね、精悍な顔には円熟の穏やかさが遠くからでも感じとれる。綺麗に整えられた口髭と顎髭を蓄えている。


 愛用のヨール(レイワールを通すワイル鋼の芯金を高反発性樹皮のパント材で挟み込んだ訓練刀)を持って出るのがいつもの事なのだが、その日エンテスが左腰に差していたのはエルガーの差料と同じエタルツであった。


 広大な修練堂内部に生い茂る木々の間を、鳥、浮魚たちが思うがままに飛んでいる。その中をいつもと変わらずエンテスは歩む。空飛ぶ巨大な飛鯨が、修練堂の床の上をゆっくりと滑らかに進む姿を連想させる。中央の円形場まで進み出たエンテスは、歩みを止めしばし静息する。


 閉じていた眼を開くと摺り足で踏み出す。


いつ抜いたのか、本身のエタルツは高々と天を指していた。流れるような次の踏み込みで静かに振り下ろされた右手は、銀燕のように左下方で弧を描くと正面を横なぎに打ち払い、再び右上方で弧を描くと何物も逃さぬような鋭い打ち込みを正面に放ち、続けざまに三連の突きを打ち、その動きはとどまることを知らなかった。樹上のエルガーはその優美と言っても良い動きに言葉を失った。


 エルガーの目は捉えていた。突然見えた。エンテスの体は輝くハチミツに包まれていた。踏み込んだ足元に生じたさらに眩い光、それはエンテスの身体を駆け上がり、エタルツに達した。実際に起こったのは、修練堂が響き渡るほどの床の踏み鳴らし音だけであった。が、エンテスの動作が起こした衝撃はエルガーの身体全体を激しく打った。それは忘れようにも忘れられぬほど少年の胸に深く刻まれた。


 大枝の上のエルガーの頬に、いつしか涙が伝い、ぽろりと落ちた。


 あの秋風に踊る木の葉の舞いのようなエタルツの動き。それは父親からエルガーに伝えられた剣技であった。


 それからというもの、エルガーは取り憑かれたようにクリスイン・エンテスの動きを脳裏で反芻していた。目に焼き付けたあのえもいわれぬ動きの美を少しも取りこぼさず自身に覚えさせようと、何十、何百、何千回も頭の中で繰り返し、それを試行錯誤して再現することが半年続いた。


 すると繰り返し頭に刻まれたエンテスの動きはエルガーの身体に憑依し、身体はそれに従って動く、という機能が働き始めた。身体が少年に動きを教えていた。この不思議な作用に少年は興奮し、それを自分の身体で体現することが何より楽しかった。


 修練堂の窓から覗き込む見取り稽古が終わると人目のない森の中、ひたすら己のエタルツを振り続けた。窓から覗き込む見取り稽古のない日は朝から始め、釣った魚を炙って腹を満たすと1ティーヌ(30分ほど)眠り、またエタルツを振る。そんな日々を送った。


 三節剣を自在に操るダオン相手に、初めて己の思った通りの一撃を加えることができた。自分のしてきたことが正しかった、脚はむずむずし腰の辺りから頭の天辺までエルガーは喜びで包まれた。


 巨人族ナイサのサイズに合わせた鞍の上で、エルガーは良い働きをしたエタルツの外鞘に触れる。エルガーの佩刀は、父から贈られたこの大脇差『バイカ』の一振りしかない。黒鞘の先端から刃側、両側面、背側のそれぞれには見知らぬ異国風の花が彫金された丈夫な金属板が鋲打されている。


 重く頑丈なこのエタルツ(短タルツ)は、どれほど手荒く扱っても傷ひとつつかない。これまでエルガーはこのタルツの抜刀を必要と感じたことはない。というか、このバイカという大脇差は鞘から抜くことが出来ない。タルツの鍔(つば)を黒鞘の爪がガッチリと掴んでおり、これを調べた幾人もの刀匠でさえ抜くこと叶わず匙を投げた。故にエルガーの腰にはこのバイカを鞘ごと収める外鞘がある。


 大きさに極度の差がある二人は、アクナス修練堂南側裏門(南半球に位置するエトワイル大陸では建造物の北面を正面とする)を通り越し、西大門へと達した。門番は当然気付いているはずだが、宗家一族使用人であり一目瞭然の巨人は誰何もされず通用門に進む。外壁には金属製の球体が埋め込まれている。下に開いた穴にナイサが手を差し込むと、籠手に嵌め込まれたコラン石が輝き、手は複雑なパターンを描いた。


「キリキリキリ、チッチッチッ、チャリッ、ブーン」


機械音がおさまると軋る音もなく門は内に開いた。通用門と言えども決して構えは小さくないのだが、それでもナイサは馬の首を抱くように身を伏せ、門を潜り抜ける。豊かな乳房が頭に覆い被さりエルガーの後頭部はムズムズする。


 視界が開けた。手入れの行き届いた庭園ではなにやら作業をしている園丁の姿がある。ザーと絶え間なく流れ落ちる水の音。居館屋上から流れ出る水は、壁にへばり付くように配置された水路と水溜りを経て、入り口の屋根に達し、両脇から流れ落ちるカーテンとなっていた。そしてそれは満々と清水を湛える地上の池に引き込まれており、シャナヤ伯領特産の舞姫鯉が長いレース編みをたなびかせ気持ち良さげに回遊している。


 ニイン流宗家一族が暮らす居館は修練堂北側前面に位置しており、王族を迎えても何ら遜色もない構えをする立派な造りであるものの、その裏にそびえる修練堂ドームの巨大さを際立たせる役割りとなってしまっている。


 二人の向かう先にあるのは、この風流な作りの居館とそぐわない建造物であった。それは居館西翼と渡り通路で接続された低い円錐台の塔であり、石積みは苔むし、蔦が絡み、そこを棲家とする小動物、鳥は数知れず、今も活発にそれぞれの生活に勤しんでいる。


 この塔の通り名は「魔鎚(またい)の塔」。クリスイン・エンテスの三女、クリスイン・アーネルが全権を握る鍛刀の研究機関である。

 先に下馬したナイサは少年の両脇をかかえ下してやる。馬が嘶くと手綱を掴み前を行くナイサがエルガーを振り返り勢い良くしゃがむ。1.3ロール(2.6メートル余り)という長身のナイサであるが、脚が長いためしゃがむと随分低くなる。それでもその目線はエルガーより少し高い。


「ぼく、こいつの手入れ手伝うよ」


「ナイサが馬の手入れだ。エルガーはよく怒られろ」


と言うと両手でエルガーの髪の毛をワシャワシャと掻き乱してから両肩をがっちりと掴みゴツンと額をぶつけた。


「ナイサを心配させた罰を受けるがいい」


 ナイサはやっぱりナイサだな、とエルガーが内心呟く。帰着の気配が伝わったのか塔の勝手口の扉が大きな音と共に開け放たれた。


 エルガーが顔を向けると、持ち上げたスカートの両手を左右に振りながら突進してくる姿が見えた。なんとか逃げようともがいてみるものの、がっちり掴まれた巨人の手から逃れられるわけもない。


「痛い痛い、ナイサ。もう逃げないからそんない力入れないで」


現れた女性はナイサの腕から奪い取るようにエルガーを引き離すと、強烈に抱きしめ、頬を擦り寄せた。


「エルガー、どこも怪我はない。大丈夫なの」


そう言うと、この女性はエルガーに正面を向かせ、体の隅々まで見回した。スカートが汚れるもの気にせずひざまずき、女性は少年の顔をよく見ると、再び抱きしめた。


「危ないことはしないって約束したでしょ。わたくしがどれほど心配したと思っているの」


他の誰が何を言おうとあまり気にしないエルガーであったが、この女性に言われると心の中から罪悪感という小さな泡が浮かび、弾けた。


「母上、もうそのくらいにしてあげて下さい。エルガーの顔が変になってます」


女性の後ろから声がした。タナスが、母親の陰からひょこっと顔をのぞかせエルガーに片手を挙げて見せた。


「いいんです。わたくしとの約束を破ったのだから、これくらいのことはされて当然です」


約束を破ったのに罰を受けず、甘やかされるのはどうなんだろう、とエルガーは思った。エルガーは今年で十二歳になる。流石に皆の前で、まして実の子供の前でこれほど子供扱いされるのが恥ずかしかったが、無理に押しのけることもできずにいるうち、注がれる想いエルガーは胸が熱くなった。

エルガーはカムナの首に優しく腕を回すと


「カムナ様、ごめんなさい。約束守れるよう努力します」


「そう、そう言ってくれるだけで嬉しいわ」


エルガーには見えなかったが、カムナは幸せそうな、そして少しの翳りを含んだ顔になっていた。


「アーネル様は今日ボクのしたことを・・・」


「もう聞いているし、アーネル様でもない。何度も言ってるが『お姉さん』」


開いた扉に寄りかかり腕を組み脚を交差させ人物。オレンジ色と赤色のちょうど中間色をした髪をギュッと一つにまとめている。閉じていた目を開いて、ため息をつきながら頭を振ると、その髪の束が馬の尻尾のようにゆったりと揺れた。


「お義姉さんは甘やかし過ぎです。少しきついことも言ってやらないと」


「いいのです。わたくしはこの子を甘やかすと決めたのですから。子供達だって承知です」


そう言うとカムナはエルガーの手を引いて、さっさと塔の中へ入っていった。


「お義姉さん、ここは私の塔なんですけど」


アーネルはそうは言いながらも、エルガーの無事な姿に安堵の色を隠しきれないでいた


ニヤニヤしているナイサに


「何をしてるんだい。ナイサは兄上とエルメを連れてきな。今晩はどうせこちらで食事をするんだろうからね。ついでに父上のところへ寄ってね、ピナ酒を3、4本もらって来なさい。消費するより頂くほうが多いんじゃあ溜まる一方だ。それじゃあ作った人に申し訳ない」


アーネルは振り返り、室内へ向かって大声を上げる。


「ドワンジは天ぷら揚げてるんだろ。厨房の材料使ってしまっていいから、内弟子、使用人の賄い含めてどんどん揚げてしまいな」


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