第五話「被検体」
読んでいただきありがとうございます。
連れて行かれた部屋は、あの窓の向こうに見えた、彼女が処置を受けていた部屋によく似ていた。
床一面に、魔法陣みたいな模様が刻まれ、その中央に据えられた無骨な金属製の台座には、既に幾つもの拘束具が備え付けられている。壁際を這う無数のケーブルに、消毒液の匂いと、何かが焦げたような嗅いだことのない匂いが混じり合う。違うのは、部屋の隅に据えられた縦長の水槽だった。色を変えながら発光する液体のようなものが大量に満たされ、そこから何本もの管が伸びている。その傍らには白衣を纏った男が一人、佇んでいた。
「ようこそ、ようこそ! いや、これは実に幸運だ。まさかこんなに早く、次の段階に進めるとはね」
その白衣の男が、自己紹介をしながら大股でこちらへ歩み寄ってくる。有無を言わさぬ力で腕を掴まれ、台座へと引きずられた。ドクター・アレクサンダー・ヴェインズワースと名乗ったその男は、頬を紅潮させ、興奮を隠しもせず、早口でまくし立てながら体を台座へと拘束していく。その手つきだけは、恐ろしく手慣れていた。
「君達2人には感謝しなければね。あの魔法少女、サファイア君といったかな? 彼女のおかげで、魔法少女という力の根幹、その謎の一端がようやく解けたよ!」
何を言われているのか、まるで理解できなかった。だが、ヴェインズワースはこちらの反応など気にする様子もなく、まるで独り言のように語り続ける。
「いいかね、我々の世界には魔素が満ち満ちている。だがこっちの世界には、その魔素が極めて希薄でね。本来なら魔法など使えるはずがない。だからこそ、この世界には魔法が根付かず、代わりに科学が発展したのだろうね」
「では、なぜこっちの世界の人間が、魔法を扱えるのか。実を言うと、魔法少女というのは、我々の世界には存在しない概念でね。──そんな彼女達に私は強く惹かれてしまったんだ」
得意げに、口の端を持ち上げる。
「っと、話が少しそれてしまったね。魔法少女の力の一端、それは外部装置を利用した魔法の行使さ。我々の世界では、こういった装置は主に、魔法を強化するための増幅装置として使われる。まさか、魔素を掻き集める触媒としても使うとはね。全く、女王も考えるものだ」
ふ、と息を漏らすように笑う。
「――まぁ、そこまでは辿り着けたんだがね。悔しいことに、外部装置を使って魔法少女へと変身する、その工程がまるで分からなかった。何度か試してはみたが、失敗続きでね。少々、行き詰まっていたんだよ」
首筋に、冷たい管が取り付けられる。痛みに顔をしかめる暇もなく、ヴェインズワースの言葉は止まらない。
「これまで、何人か試したんだよ。確か……女性が3人、だったか。ああ、細かいことはどうでもいい。とにかく、どれも駄目だった。だがね、サファイア君の協力のおかげで、謎が1つ解けそうなんだ。それは――人の意志という、不確かなものだ。魔法少女へと変身するには、意志の強さが必要なのだとね。精神が力に直結するとは、個人的には信じ難いがね」
続いて、両腕にも同じような管が這わせられていく。血管を探り当てる指の感触に、鳥肌が立った。
そこでようやく、ヴェインズワースの視線がこちらを正面から捉えた。糸のように細められた瞳の奥に、隠しきれない期待が滾っている。
「だから君には、強い意志を持って耐えてほしい。頑張ってくれたまえ。──今度こそ、うまくいってくれると助かるんだがね」
最後に、両脚にも管が取り付けられていく。全身を機材に絡め取られていく感覚に、逃げ場のなさを改めて思い知らされた。
そう言うと、ヴェインズワースは傍らの台から、紫に輝く小さな宝石を摘み上げた。菱形に磨かれた、澄んだ色をした石。
「見たまえ、この輝き! とある魔法少女から譲り受けたものでね。彼女たちは、我々が初めて戦った魔法少女でね。ああ、今思えば確かに彼女は最後まで意志が強かった…!」
灯りにかざすようにして、宝石を目の高さまで持ち上げる。愛おしむような手つきだった。
「女王の刻印が刻まれた、本物の触媒だよ。私が用意した紛い物とは、わけが違う。やはり女王の刻印魔法は素晴らしいものだ」
それを迷いのない手つきで、俺の胸の中央にぴたりと押し当てる。
「刻印された宝石には、触媒と増幅装置、両方の機能が備わっている。つまりこの石は、魔法少女への変身を手助けするだけでなく、魔法少女としての力そのものを増幅させることができるんだ」
冷たい感触が、胸の中央にじんわりと広がる。石はまだ、そこに押し当てられているだけだった。それなのに、これから何かが起きる予感だけが、確かな重さとして胸の奥に居座っていた。
そこでヴェインズワースは、ようやく思い出したように俺の顔をまじまじと見つめ、「おや?」と呟いた。
「君は男か。まぁ些末な問題、いや待て――むしろ好都合だ。──この宝石は異性だと、どういう反応を起こすのか。ふむ……俄然、結果が楽しみになってきた」
まるで実験計画の一項目を確認するような、あっさりとした口調だった。俺の中で渦巻いていた恐怖や困惑など、彼にとっては歯牙にもかけるほどのことではないのだと、いやというほど思い知らされた。
(さっきから、ずっと何を言ってるんだ……?)
頭に叩き込まれる情報の量に、思考が追いつかない。理解できているのは、ただ一つ。自分がこれから、何か途方もないことをされようとしている、ということだけだった。
それでも、やめてくれとは言わなかった。
怖くないわけがなかった。それでも、彼女を助けると誓った覚悟が、恐怖に飲み込まれることを、今はまだ許さなかった。
「──いつまで喋っているのかしらぁ」
あの二本角の女の声が部屋に響いた。ここまで連れてきたのは、他でもない彼女自身だった。戸口に凭れかかったまま黙って様子を窺っていたらしく、興奮冷めやらぬヴェインズワースの姿を、どこか呆れたような目で眺めている。
「おや、これは失敬。つい話し込んでしまったな。──では、早速始めるとしようか。ザガリア君も見ていくだろう?」
「もちろん、見届けさせてもらうわぁ。それで? ずっと喋ってたけど、成功しそうなのぉ?」
ヴェインズワースは、機材の調整を続けながら、あっさりと答えた。
「それは、彼次第だよ。意志の強さこそが魔法少女の力そのものだ。彼がどこまで意志を強く持てるかが要だね」
その言葉を聞いた女の目に、愉しげな光が宿った。彼女はゆっくりと俺の傍らへ歩み寄ると、拘束された体を見下ろしながら、囁くように言った。
「ちゃんと聞いてたかしらぁ? 鍵を握っているのは、あなたの意志なんですって。──だったら、覚えておいて。貴方が少しでも挫けたら、あの子を救う道は閉ざされる。最後まで頑張って耐えるのよぉ?」
もっとも、挫けるつもりなど、初めからなかった。これから何をされるのか、想像すらできないまま、それでも覚悟だけはできていた。
ヴェインズワースが最後の機材を接続し終える。体の下から、じわりと何かが這い上がってくるような気配があった。何なのかは分からない。ただ、禍々しい気配だけが、はっきりと伝わってきた。
「では、始めようか。心配しなくていい。──いや、心配してくれたまえ。その恐怖すらも、貴重なデータになるのだから」
独り言のような呟きが、やけに遠くに聞こえた。取り付けられた管という管から、何か濃密なものが流れ込んでくる。それと同時に、胸の宝石が、かっと熱を持った。焼け付くような熱が皮膚の内側に沈み込んでいくと思った瞬間、体の奥から、燃えるような熱が一気に噴き上がった。
「あ、ぁああああ――!」
「おお、おおおっ! これは……!」
悲鳴が、喉から迸った。
全身を、何かに内側から食い荒らされているようだった。
熱いのか、痛いのか、それさえもう分からない。(消えていく……俺が、俺じゃなくなっていく……)
(耐えるんだ、絶対に……)
恐怖よりも、ただその一心だった。目の前が白く霞み、意識が何度も途切れかける。それでも、耐えると誓った。彼女の顔を、何度も何度も思い浮かべながら。
骨の軋む音が、体の内側からいやに近く聞こえる。痛いのか、それとも――分からない。喉から漏れる悲鳴だけが、いつの間にか自分の声じゃないみたいに、甲高く響いていた。
「……ほう。これは」
どれほどの時間が経ったのか、分からなかった。ただ、全身を苛んでいた熱がゆっくりと引いていき、代わりに得体の知れない気怠さだけが残った。
息を整えることだけで、精一杯だった。指先ひとつ動かせない。拘束具のせいだけではない。全身から力という力が根こそぎ奪われてしまったような、そんな感覚だった。
頬に、何かが触れる感触があった。柔らかな重みが、幾筋も肩から零れ落ちていく。それが何なのかを確かめる余裕もないまま、意識はふつりと途切れた。
---
【ザガリア視点】
ヴェインズワースの声が、やけに上ずっている。粘着質なその昂奮に、少しばかり辟易しながらも、私はゆっくりと実験台へ近づいていった。
「これは……実に、興味深い。まさか、こんな反応を見せるとはね」
ヴェインズワースは、両手を組み合わせ、食い入るように僅かに呻いている彼、いや彼女を見つめている。
「まさか、本当に成功するなんてねぇ……」
思わず、そんな声が漏れた。
「ザガリア君、先ほど彼に――いや、彼女に、一体何を言ったのかね?」
「彼には、実験に耐えきればサファイアを解放すると、それだけを伝えただけよぉ」
驚愕は、すぐに静かな愉悦へと変わっていく。予定外の拾い物。手元に転がり込んできた、新しい駒。唇が、自然と緩んだ。
「なるほど……サファイア君を救いたいという意志を、宝石の刻印が増幅した、ということか? だが、なぜ今回に限って、宝石が体と一体化したのだ? 男と女とで、反応が違うのか? いや……もしや、濃縮した魔素を直接注いでしまったことが、原因か?」
ヴェインズワースは、すっかり自分の世界に入り込み、ぶつぶつと呟き続けている。
私は一度、そんな男へ目をやってから、視線を彼女へと戻した。
ちょうど、変身が解けるところだった。
やがて、頬にかかっていた紫の髪から、すっと色が抜け落ちていく。代わりに現れたのは、淡い銀色――うっすらと青みを帯びた銀髪だった。まるで、張り詰めていた何かが、糸を切ったかのように。
その体から、力が抜け落ちる。
意識を失ったのだと、すぐに分かった。
「ふふふ、これから楽しみねぇ」
20260905誤字修正




