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Dead Man's Journey  作者: 古木花園


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9/16

赤い異形は突然に

王都の中央を貫くメインストリートを、ケビンは足早に進んでいた。

かつては大陸一の繁栄を誇り、世界中の富が集まると謳われた王国の美しい街道。左右には数え切れないほどの商店が立ち並んでいるが、今やそこに過去の栄華の面影はどこにも残されていなかった。

ショーウィンドウはことごとく叩き割られ、店外も店内も一様にボロボロに荒らされている。何より、仮面のおかげで「色」を取り戻した視界には、石畳や壁の至る所にこびりついた、生々しい赤黒い血痕が嫌というほど飛び込んできた。それは、この場所でどれほど凄惨な大虐殺が行われたのかを無言で物語っていた。

城へと近づくにつれて、街並みの雰囲気はさらに変わっていく。

それまでの大衆向けの露店などは姿を消し、見るからに高級そうな香水や、貴族御用達の上質な衣服が飾られていたであろう、重厚な店構えの専門店が目立つようになってきた。

神聖魔術の加護でも施されていたのか、これらの店は比較的破壊を免れているようだったが、そんな静謐な高級街を今や無数のアンデッドたちが我が物顔で闊歩しているのだから、皮肉としか言いようがない。

(服を探す前に、まずは周りの死者どもの動きを観察しておかないと……)

そう思いながら、徘徊する死体たちの群れに視線を走らせていたケビンは、ふと、その中に『明らかに異質な存在』が混ざっていることに気づいた。

視界が灰色だったなら、絶対に見落としていただろう。

色の判別ができるようになったケビンの目に、その個体はあまりにも強烈な違和感として映った。

自分も含め、この街を彷徨う大半のアンデッドは、血液が完全に凝固して生命活動が停止した、青白い土気色の肌をしている。

だが、その群れの中に一頭だけ、まるで全身に生々しくドクドクと新鮮な血流が巡っているかのような、奇妙な赤みを帯びた皮膚を持つアンデッドがいた。

それは、引きちぎれた高級な黒のドレスの残骸を纏った、一人の女性のアンデッドだった。

血濡れたような不気味な赤みを帯びた金髪を激しく揺らしながら、彼女は尋常ではないほど深い猫背の姿勢で、前方を睨みつけている。猫背の隙間から覗く顔立ちは、驚くべきことにまだ腐敗が進んでおらず、生前の美しい輪郭を完全に保ったままだった。

しかし、その美貌とは裏腹に、彼女の両手からは、獣のそれを遥かに凌駕するほど長く、そして恐ろしく鋭利な『爪』が異様に伸び切っていた。

彼女が歩くたびに、その長い爪の先が石畳の地面をガリ、ガリ、と軽く削り取り、不快な金属音を立てて火花を散らしている。

そして、何よりもおかしく、狂っていたのは、その赤きアンデッドが『仲間』であるはずの他の死者を、躊躇なく屠っているという事実だった。


「ガァ……ッ!?」


前方をふらふらと歩いていた一体の男のアンデッドが、その女性の接近に気づき、濁った目を向けた。

次の瞬間、赤肌の女性の姿が掻き消えた。

あまりの速度に、ケビンの動態視力すら一瞬置き去りにされる。

鋭い風切り音と共に、彼女の右手の5本の爪が、虚空を容赦なく引き裂いた。その必殺の刃に捉えられた男のアンデッドの頑強な肉体は、まるで熟し切った果実のように、いとも簡単にバラバラに切り裂かれた。

肉片と化して石畳に飛び散る、アンデッドは痛覚を持たず、頭部を破壊されなければ死なないはずだが、彼女の爪は一撃でその頭蓋ごと脳髄をズタズタに粉砕していた。

ボタボタと爪から黒い血を滴らせながら、彼女は再び深く首を折り曲げ、猫背をさらに丸める。

垂れ下がった金髪の隙間からギラリと覗くその眼光は、獣のような冷酷さと、明確な『獲物アンデッド』を探し求める狂気に満ちあふれていた。

(な、なんだあいつは……!? アンデッドが、アンデッドを狩っているのか……!?)

ケビンは激しく動揺した。

ただ生者を襲う死者の中に、あんな規格外の戦闘能力を持った「捕食者」のような個体が存在するなんて、聞いていない。このまま漫然と歩いていれば、あの爪の餌食になり、自分も一瞬で肉片にされてしまうのは火を見るより明らかだった。

(隠れなきゃダメだ。あんな化け物と真っ向からやり合って勝てるわけがない!)

ケビンは慌てて周囲を見回した。だが、城付近の高級街は景観を重視しているためか、身を隠せるような物陰や路地が極端に少ない。立ち並ぶ高級店は大半が頑丈な防犯用の鍵が閉まっており、左手一本のケビンが強引に扉を開けようとすれば、確実に大きな音が鳴り響いてしまう。

残された選択肢は、辛うじて割れ残っている窓の隙間から、静かに店内に侵入することだけだった。

ケビンは極限まで息を潜め(実際には呼吸などしていないが)、音を立てないよう、細心の注意を払いながら、壊れた窓枠へと足をかけた。

だが、ここで致命的な誤算が生じる。

ヴィネルバの店で手に入れた『黒い角の仮面』。これによって確かに世界の色彩は取り戻せたが、目の部分にあしらわれた特殊な職人細工のレンズは、生前の生身の目とは「遠近感」や「視野の広さ」が決定的に異なっていたのだ。

ただでさえ片腕を失って身体の重心が狂っているところへ、不慣れな仮面越しの限定的な視界。

これくらいなら避けて通れる――そう判断して出したケビンの足先が、窓枠の隅に残っていた、尖ったガラスの破片にわずかに接触した。

パリリ……、パリン。

静まり返った高級街に、硝子が砕ける硬質な音が、あまりにも明瞭に響き渡った。

(しまっ――!?)

ケビンの全身の毛穴から、実際には存在しないはずの、冷や汗がドッと流れ落ちるような最悪の錯覚が駆け巡った。


「うきゃーーーーーー!!!!」


鼓膜を、そして脳髄を直接引き裂くような、悍ましい奇声が街に鳴り響いた。

それは叫び声というよりも、地獄の怪鳥が上げる咆哮のようだった。凄まじい声の振動波によって、周囲の店に残っていた、まだ割れていなかった健全な窓ガラスまでもが、ビリビリと共鳴して一斉に粉々に砕け散る。

音の発生源であるケビンの方を向いた赤きアンデッドの足が、目にも留まらぬ高速で回転を始めた。

石畳をその鋭い爪でズタズタに切り裂き、激しい火花を散らしながら、彼女は文字通り「一瞬」でケビンとの距離をゼロに詰めてきた。

(速すぎるっ……!!!)

生前のケビンの常識、いや、アンデッドになってからの身体能力の基準すらも遥かに凌駕する、神速の踏み込み。

彼女は猫背の体勢から、バネのようにその強靭な肉体を跳ね上げると、ケビンの頭部を目がけて、5本の爪を乗せた右腕を「下から上へ」と凄まじい力でフルスイングした。空気が爆発するような風圧が迫る。

まともに喰らえば、仮面ごと頭を消し飛ばされる。

ケビンは思考よりも先に、生来の危機回避本能のままに、前方の店内へと身体を投げ出した。

ガラスの破片が散らばる床へ、前のめりに全力で飛び込む。

直後、ドガアアアアン!!! と、鼓膜を圧する大爆音が背後で炸裂した。

ケビンが間一髪で飛び込んだことによって、店の頑丈な石壁が盾となったのだ。しかし、女性の爪の一撃は、その分厚い王都の石壁を、まるで柔らかい泥でも抉るかのように容易く粉砕し、大量の瓦礫を室内に撒き散らした。

強烈な衝撃波と石の破片を背中に浴びながら、ケビンは床の上を何度も転がり、どうにか体勢を立て直した。

全身がガラスの微粒子と石粉で真っ白に汚れるが、そんなことを気にしている余裕はない。

(次が来る……! 防がなきゃ死ぬぞ!)

ケビンは仰向けの体制から即座に身を翻し、残された左手を床に突いて立ち上がった。

武器になるものは、と必死に周囲を見回すが、ここはただの高級服飾店の受付だ。剣も盾もあるはずがない。

彼の目に飛び込んできたのは、壁際に立てかけられていた、掃除用の古びた木製の『ほうき』だけだった。

「くそっ、ないよりはマシだ……!」

ケビンは迷わずそのほうきを左手一本で掴み取り、体の前に突き出して構えた。

あんな鉄をも切り裂く爪の前には、こんな乾燥した木の棒など、一瞬で消し炭のように切り刻まれるだろう。そんなことは分かっていた。だが、完全に無抵抗のまま首を差し出すことは、この意識あるアンデッドとしてまだ活きている自分の運命を諦めることと一緒だ。ケビンはアルフレッド爺さんに教わったことも、二人の兄である自分の覚悟も全てを乗せて構えた。

ケビンは仮面の奥の目を限界まで見開き、迫り来るであろう次の致命傷を覚悟した。


しかし。

予想に反して、追撃は来なかった。

「…………」

崩落した壁の隙間、もうもうと立ち込める白い土煙の向こう側に、その『赤き異形』は佇んでいた。

彼女は相変わらず、異常なまでの猫背の姿勢を維持したまま、ピタリと動きを止めていた。その長い爪からは、石壁を砕いた際の火花の熱が、いまだに陽炎となってゆらゆらと立ち上っている。

彼女の鋭い双眸は、箒を構えて必死に防衛体制をとっているケビンの姿を、じっと見つめていた。

正確には、ケビンの『顔』を――ヴィネルバの店で手に入れた、あの漆黒の角の仮面を、観察するように凝視している。

ケビンは箒を握る左手に力を込めたまま、生唾を飲み込もうとした。しかし、喉は乾ききっており、音すら鳴らない。

緊迫した空気が、引き裂かれた店舗の中に満ちていく。

お互いに一歩も動かない。風の音すら消え失せたかのような、圧倒的な静寂。

どれほどの時間が流れただろうか。

時間にして数秒、ケビンにとっては永遠にも思える膠着状態の後、その金髪の女性アンデッドの唇が、わずかに動いた。

アンデッドになってから、様々な絶望や驚異を経験してきたケビンだったが――その瞬間に訪れた衝撃は、これまでのどれよりも激しく、彼の死んだ魂を揺さぶることとなった。 


「あなだ……、わだじと……おなじ、が……?」


――喋った。

それは、壊れた楽器を無理やり鳴らしたような、ひどく掠れて不明瞭な発声だった。

だが、間違いなく、それはこの世界の言語だった。

ただの生者を喰らうだけの化け物、小雪の呪いによってアンデッドと化した死体には、絶対に不可能な、明確な『理知』を伴った問いかけだった。


「…………え?」


ケビンの口から、呆然としたマ抜けな声が漏れ出た。

驚きのあまり、彼がつけている黒い仮面の口元が、バカッと大きく開き、そのまま固定される。

お前、私と同じか。

その言葉の意味を、脳が理解するまでに数瞬の時間を要した。

彼女は、自分と同じように『意識』を保ったまま、この地獄を彷徨っているアンデッドなのか。

それとも、他の死者を狩り続ける中で、偶然にも、あるいは必然的に、知性を手に入れた「進化した死者」なのか。

お互いに、あまりにも想定外すぎる状況。

箒を構えたまま固まる、片腕の仮面のアンデッド。

石壁を破壊した爪をだらりと下げ、猫背のまま首を傾げる、血濡れた金髪のアンデッド。

崩壊した王都の高級街の一角で、人間を捨て去った二つの異形の間に、何とも言えない奇妙な間と、深い静寂がただ、静かに広がっていった。


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