ヴィネルバの館
パタパタパタ……。
深紅の衣装に身を包んだ幽霊――ヴィネルバは、どこから取り出したのか、漆黒の骨の折られた扇を流れるような動作で広げ、自身の青白い顔を気だるげに扇ぎ始めた。
「ふむ。興味深いね。これほどはっきりと『個』を保ったアンデッドが、よもや私の店に迷い込んでくるとは。……それで、このヴィネルバの館にようこそ、お客様。お前さんがお探しのものは、これかい?」
彼女が半透明の細い指先で、すっと木製のカウンターに置いたのは、一つの仮面だった。
だが、それはお世辞にも趣味が良いとは言えない代物だった。全体に毒々しいキノコの細工がこれでもかと施されており、あろうことか、それらのキノコの傘からは、嫌に生々しい質感の「人間の舌」がデロリと何本も垂れ下がっている。
(いや、これはちょっと……)
ケビンが困惑し、首を横に振るよりも早く、ヴィネルバは「ちっ」と舌打ちをしてその仮面を素早く引っ込めた。
「あぁ! 分かっているさ。この作品は欠点があるからね。目の部分を考えてなかったんだ…。私はそれなりに気に入っているんだけどねぇ。……悲しいかな、百年間出し続けても、見せる客みんなに嫌がられるんだ。ふん」
彼女はへの字に口を曲げ、不満げに指先でキノコから飛び出ている舌をピンとはじいた。プルン、と生き物のように不気味に揺れる舌を見ながら、ケビンは(百年も売れ残ってるならそりゃそうだ)と内心で納得せざるを得なかった。
貴婦人はそのキノコの仮面を背後に放り投げると、今度は品定めするように、ジロジロとケビンの周囲を回り始めた。ふわりと重力を無視して宙に浮かんだかと思うと、冷気と共にケビンの身体を完全にすり抜けて背後に回る。
「ふっ。そんなに怖がらないでおくれよ。お前さんのそのボロボロの風貌の方が、よっぽど怖いんだからねぇ」
分かってはいる。鏡を見ずとも、今の自分が右腕を失い、胸に大穴を空けたおぞましい化け物である自覚はあった。だが、初対面の幽霊にここまで直球で言われると、死んだ心でも流石に少しだけ傷つく気がした。
「あぁ、そうだ。君のその妙な佇まいに、ぴったり似合う仮面を思いついたよ。すぐ取ってくるから、そこで大人しく待ってなさい」
ヴィネルバは言うが早いか、床のフローリングを水面のようにすり抜け、地面へと潜るようにして一瞬で姿を消した。そして本当に、数十秒と経たないうちに再び床から湧き上がるように戻ってくると、カウンターの椅子に優雅に腰掛けた。
「これがいいね」
彼女は妖艶な笑みを浮かべながら、二つの仮面をカウンターに並べた。
一つは、全体が漆黒の金属質で覆われ、頭頂部から悍ましい角が2本生えている、まるで狂った騎士の兜のような仮面。
もう一つは、禍々しい鮮血のような赤色で、右目の部分から大輪の薔薇が咲き誇っているかのように、精巧な花びらが一枚一枚あしらわれており、口元は鋭い薔薇の茨の模様で覆われている仮面。
ケビンが求めているのは、あくまで「人間社会に紛れ込むために、目立たず怪しまれにくいもの」だった。
しかし、目の前にある二つの仮面は、どちらも壊滅的に目立つ上に、怪しさの塊のようなデザインだった。
明らかに自分の意図とは違う。それを伝えるために、ケビンが「違う、もっと普通のものを」と、発声前の心構えをして喉を震わせようとした、その時だった。
ヴィネルバの、生気を失った灰色の瞳が、キリリと鋭い眼光を放ってケビンを射抜いた。
その視線は、有無を言わせぬほどに鋭烈だったのだが――不思議なことに、その鋭さの奥に『お願いだから買ってちょうだい……!』とでも言いたげな、うるうるとした悲哀の光が混ざっている。百年もの間、誰にも作品を買ってもらえなかった職人(あるいは商人)としての切実な執念が、その双眸にこれでもかと詰まっていた。
元来の人の良さが災いした。この悲壮感あふれる眼光を突きつけられて、完全に断るだけの度胸は、今のケビンにはなかった。
必然的に、ケビンはその二択の中から選ぶことを強要される形となった。
今のケビンはアンデッドの呪いのせいで視覚がおかしくなり、色の判別がついていない。すべてが灰色と黒の世界だ。
となると、見た目の形状での判断になる。
一方は、刺々しい薔薇の異形のような、あまりにも禍々しい面。
もう一方は、角が生えてはいるものの、全体的なシルエットは生前に見慣れた「騎士の兜」に近い。
ならば、選ぶべきものは決まったも同然だった。
「ごっ……ち、で(こっちで)」
死んだ肉体の適応が進んでいるのか、舌や唇、喉の動かし方を意識することで、案外すんなりと簡単な発声をこなすことができた。ケビンが黒い角の仮面を指差すと、ヴィネルバの顔が一変した。
「あら! そちらを選ぶのかい。お目が高いねぇ、お客様!」
彼女はにんまりと口元を三日月のように歪めて喜び、すかさず扇でその嬉しそうな口元を隠した。
ケビンはほっとして黒い仮面を受け取ったが、その瞬間、あまりにも当たり前で、そして致命的な事実に思い至った。
(待てよ、俺……金なんか一銭も持ってないぞ)
故郷の村は小雪によって一瞬で滅ぼされ、自分の財布どころか、実家の財産もすべて灰になったのだ。
ケビンはきまずそうに視線を彷徨わせ、震える声で告白した。
「あ……お、がね……もっで、なぃ(あ、お金……持ってない)」
情けなさに身を縮めるケビンだったが、ヴィネルバは怒るどころか、クスクスと愉しげに肩を揺らして笑った。
「ふふっ、気に病むことはないさ。お代ならもう――頂いているからね…」
「っ!?」
次の瞬間、ケビンは背筋が凍りつくような感覚に襲われた。
ぐわっと、自らの身体の奥底から、最も「大事な根源の力」が強引に引き抜かれていくような、凄まじい脱力感。
アンデッドになってから、大気中のエネルギーに対して異常に鋭敏になっていた彼の感覚が、直感的にそれを理解させた。
今、自分の中に満ち満ちていた『濃密な魔素』が、ヴィネルバによって根こそぎ吸い取られていってるのだと。
「あんた、すごいねぇ。片腕がなくてそれだけボロボロのくせに、体内の魔素がまだまだ残ってる。……あんた、名前は?」
ヴィネルバは吸い取った魔素を自らのドレスに馴染ませながら、満足そうに目を細めた。
勝手に力を抜き取られたことに少しばかり不満はあったが、元々は一銭も払えずに、無人だと思って店に入り、そのまま商品を持ち去ろうとしていたのだ。その罪悪感と相殺すれば、この魔素による支払いは、ケビンにとっても決して悪い取引ではなかった。
「ケビ……ン」
「ケビンか。いい名前だね」
ヴィネルバはパチンと扇を閉じると、赤いドレスを優雅に揺らしながら立ち上がり、すっと白い手を前方へと突き出した。
「さぁ、私はお代を貰って、やることができたんだ。用が済んだなら、とっととお帰り。また来る用事が出来れば、この店にはいつでも入ることが出来るさ。――さぁ、出ていきな!」
とりつく島もなかった。
彼女が突き出した手のひらから、目に見えない衝撃波のような魔力が放たれた。距離があったにもかかわらず、差し出された手が目の前まで伸びてきたかのような錯覚を覚え、ケビンの重い身体は一瞬で後ろへと弾き飛ばされた。
ドサッ!!
気がつけば、ケビンは店の外の大通りに放り出され、派手に尻もちをついていた。
まだ仮面の使い方も、この王都の現状も、色々と彼女に聞きたいことが山ほどあった。ケビンは慌てて立ち上がり、もう一度店に戻ろうと扉の取っ手に手をかけ、力任せに引いた。
ガタ……。
しかし、扉はピクリとも動かなかった。それは物理的な鍵がかかっているというレベルの手応えではない。もっと禍々しく、超自然的な『呪い』のような強固な結界によって、空間ごと施錠されているような、絶対的な拒絶だった。
生前の農夫の力はおろか、今のアンデッドの怪力をもってしても、この扉を力づくで開けることは到底叶わないだろう。
(あのゴーストは……一体何者なんだ? 王都がこうなる前からここにいたのか、それとも、この大滅亡によって生まれたのか……)
考えても答えは出ない。
だが、少なくとも当初の目的であった「異形の顔を隠すための仮面」は、こうして手に入れることができた。
ケビンは左手に持った黒い角の仮面を見つめ、とりあえずそれを自分の顔へと近づけてみた。
紐やベルトのような、頭部に固定するためのパーツは見当たらない。どうやって着けるのだろうかと思った、その時だった。
ザシュッ!!!
「――っ!?」
仮面の裏側から、まるで生き物の触手か、あるいは注射針のような、無数の鋭い金属質の『管』が生き物のように飛び出してきた。それらは容赦なくケビンの顔面の腐肉を突き破り、頭蓋骨の輪郭に沿って、後頭部へと貫通するように深く突き刺さったのだ。
痛覚がないため叫び声こそ出なかったが、もしこれが生身の人間であれば、ショック死していてもおかしくない凄絶な構造だった。幸いにも管は脳髄の急所には達しておらず、頭骨の裏側でガチリと噛み合って完全に固定された。まさに「肉体と生体接続する」ための呪いの装備だった。
だが、仮面が完全に顔と融合した次の瞬間、ケビンは驚愕のあまり息を呑んだ。
(……あ、あ、色が……!)
今まで、世界を覆っていたあの「灰色と黒」の絶望の視界が、一瞬にして吹き飛んだ。
煤けた建物の茶色、濁った空の紫黒色、そして自分の服に付着した赤黒い血の跡。仮面のレンズを通して、失われていた世界の「色彩」が、鮮明に脳へと流れ込んできたのだ。色を取り戻せた喜びだけで、この怪しげな仮面を選んだ価値は十分に補ってお釣りが来た。
驚きのあまり、ケビンが「おお……」と声を漏らして口を開けると、それに連動して、仮面の口元にあしらわれた強固な金属パーツが、バカッと大きく開閉した。
どうやら、普通に喋る程度では動かず、感情が高ぶって大きく口を開けた時だけ、威嚇するように開く仕組みになっているようだ。口をパクパクと動かしながら、ケビンはそのギミックを発見し、少しだけ感心した。
顔は隠せた。視界も戻った。
だが、まだ旅の準備は終わっていない。
(あとは……失った右腕の代わりとなる『義手』と、このボロボロの身体を覆う『まともな衣服』だ)
ケビンは黒い鉄の面の下で、再び引き締まった表情を作った。
彼は仮面の口元をしっかりと閉じると、さらなる力を求め、そして身を包む装備を探すため、静まり返った王都の闇へと、再び力強く足を進めていった。




